13 一挫折の爪牙
「――レーグネン!」
ようやく雨が上がり始めた。
レーグネンは呼ばれた方へと視線を向ける。
シャッテン達と別れた、飛竜騎士団長ネーベルとアイゼンがこちらへ飛び込んでくる。その後ろには誰も騎乗していない3頭の飛竜騎士が続いていた。
アイゼンがきょろきょろ周囲を見回しながら、眉を寄せる。
「誰もいないが……もう片付いたのか?」
「青龍の百花落雷を耐え得るのは、それこそ四神くらいであろうよ。シャッテン達は無事に降りたか?」
「ああ。シャッテンだけでは不安もあるが、あちらにはフルートもいるからな。大丈夫だろう」
「白虎将軍にとって、愛は信頼ということかな」
からかうように答えを返し、レーグネンは大きく息を吐く。
「……少し疲れた。青龍を戻すから、誰か背中を貸してくれ。魔王領へ向かおう」
「我らが主の仰せとあらば、断る由もあるまい。ブラウ。青龍将軍をお乗せせよ。全騎、魔王領へ飛ぶぞ」
騎士団長に呼ばれた1頭が青龍に向かって羽ばたいてくる。
十分に近付いた時点で、オレが先にそちらへと飛び乗り、何となくレーグネンへ向けて手を差し出した。手伝ってやるつもりだったが、レーグネンはこちらを見もせず、1人で跳んで飛竜の首元に腰を下ろす。
レーグネンの足が離れた途端に、青龍が微かに鳴き声を上げ、ぐるりと円を描いてから姿を消した。
飛竜達が連隊を組んで、陸地へと向けて飛び始める。
「このタイミングでも幸運と言っても良いのかな、事故の直後より魔力が戻ったようだ……最初の頃は、青龍を1度召喚するだけで動けなくなっていたものだが、今はまあこうして喋るくらいはできるみたいだ」
苦笑混じりに飛竜の後頭部にしなだれかかり、レーグネンがぼやいた。
そう言えば、初めの頃はリナリアからの魔力補給がない限り、こんな大技を使えばダウンしていたような気がする。意識はあるが動けずに、オレに運ばれるしかない状態になっていたような。
「魔力が戻っているということは……あんたの今の、その――存在も戻る可能性があるということか?」
「知らん」
問うたオレに、レーグネンはこちらを見もせずに短く答えた。
反射的に苛立ちが湧き上がったが、コレの気も分からぬではない。
多分、本当に本人にも分からぬのだ。明確に良い方向に向かうなどと確証が持てない。だから、問われれば焦りで答えが冷たくなる。
黙ってレーグネンの後ろに座り込むと、こちらを振り向かずため息をついた。
「……すまぬ」
「謝るな」
「魔力は多少戻っているようだが、それでも元の青龍将軍程には上がるまい。多分、融合したときに、1つの器には入り切らぬ多くのものを取り落としたのだ。魔力が戻っているのは、ただ一時的に出力が下がっていただけだからだろう。そうでない、完全に器の中に存在しない記憶は戻ることはないし……当然ながら、融合しているものが、分離することもない。……ないと、思う」
その力のない様子に、さすがに重ねて問うのは躊躇われた。
オレにとって、あんたは今のままで出会ったときのあんただ。戻って欲しいなんて思ってない。
だが――あんた自身はどうなんだ。戻りたいのか。
残酷な問いであると同時に……答えを聞くのが恐ろしいようにも思われて、オレはそのまま口を噤んだ。
こちらの躊躇に気付かぬまま、レーグネンが言葉を続ける。
「……それにしても、朱雀は何を企んでいる? 人面鳥兵達をここで浪費したところで、本気で俺を抑えられると思っていたのか? 俺だけならまだしも、アイゼンもシャッテンもおると言うのに」
言われてみれば、待ち伏せするなら勝てそうな兵を置くのが定石だろう。
レーグネンがかつての力を失っていると油断して――いや、グルートはそのことを知らぬはずだ。アイゼンやシャッテンですら、本人から言われて初めて知ったのだから。
ちょうど飛竜騎士の団長が真横に並び、偶然レーグネンの言葉を耳に入れたアイゼンが首を捻りながら答えてくる。
「時間稼ぎじゃないか? 我々にあまり早く到達してほしくないという。何せグルートは死者の魂を操るのだから、ある意味兵は使い捨てだ。以前からそうだっただろう」
アイゼンの言葉を聞いて、レーグネンは眉を顰めた。
「こんなもの、さしたる時間稼ぎにもならぬよ。このたった少しの時間で、一体何が出来ると言うのだ……」
「それは……援軍であるとか」
「援軍なぁ。なら最初から援軍を差し向けて来よ」
「遠くにいるのだろう。ここは西方、我が領土であるからには、南部方面を御する朱雀将軍には即座に来るのは難しかろう」
「しかし、あなたは長いこと不在であったからな。俺が魔王領に居た時から既に、じりじりとは侵攻を進めていたのだ。ましてや、シャッテンが東方から魔王領へ戻ろうとして追い戻されるくらいだからな。既に魔王領は全域に渡って朱雀の手に落ちていると思って良かろう。であれば、近くにいる兵はすぐに集められるだろ? 時間稼ぎをする意味がない……」
ならば、近くにいない者をここまで連れてくるための時間稼ぎなのだろう。
オレが考えたと同時に、レーグネンも同じ結論に思い至ったに違いない。何やら押し黙ったレーグネンを置いて、まだ理解していない風のアイゼンへ向け、オレはもう1つ浮かんだ疑問を投げかける。
「そもそもどうやって、朱雀将軍はオレ達がこのルートで来ることを知ったんだ。その辺り何か心当たりはないのか? この面子しか知らぬはずのことを……」
割り込んだオレを肩越しに振り向いた紅の瞳がちらりと見据え――途端、かったるそうに飛竜の頭の上に身を伏せていたレーグネンが突然身体を起こした。
「……まさか、間者か?」
「おい、レーグネン! 君、何を言っている!?」
アイゼンが即座に反応した。
「思ったままを口に出すのも大概にしろ。君に従う飛竜達や協力関係にある王国の人族に、今の言葉を聞かせるつもりか!?」
「しかし」
「言っただろう。青龍将軍とも魔王陛下とも、今の君は違う。青龍将軍ならその疑義は胸の内におさめ、いずれ証拠を掴んでから述べただろうし、陛下ならば己の手のものを疑うなど冗談でもせん!」
指摘を受けたレーグネンは、思い切り顔を顰める。
傍で聞くオレにも大体理解は出来ている。こいつは、そのことを指摘されるのが一番嫌いなのだ。
「……そもそも元の『俺』達とは違う存在なのだ、仕方あるまい。大体俺は――」
反論しようとした言葉が、ふと途切れた。
見れば、その視線は陸地の方で止まっている。
視線を追いかければ、緑の森の中から、赤い塊が光を振りまきながらこちらへ向かってきていた。
「――あれは、朱雀じゃないか!」
「なるほど。アレが転移先の王都からここまで出て来るための時間稼ぎだったと言うことなのだな。征くぞ、ネーベル! 今度こそあなたの力、見せてくれ!」
「任せよ」
アイゼンが吐き捨てるように名を呼び、レーグネンが指示を出す。
旋回して朱雀の方へと向かう飛竜の背から落ちぬように、オレは前に座るレーグネンの腰に手を回した。
「盛るな、ヴェレ! 男だろうが女だろうが見境なしか、あなたは!」
「そういうことじゃない。あんたが落ちないように気を遣ってるんだ」
「いらぬと言っている! この姿の俺にそんな気遣いは無用だろ!」
拗ねた口調で弾かれる。
言い返そうとした途端、朱雀の焔が正面から向かってきたのを、乗っていた飛竜が見事に背を傾けて避けた。ついでに背の上のオレ達も落ちそうになったので、慌てて口を閉じてしがみつく。
「――ブラウ!」
「申し訳なく……しかし、背に乗せたまま戦うなどとは、難しいものだな。団長のようにはうまくいかぬ」
レーグネンの叱責を受けて、尻の下から謝罪の言葉が返ってきた。
が、すぐにまた斜めに傾いて、文句を言う暇もなく掴まることになる。
レーグネンが舌打ちしながら、下を指さした。
「人面鳥兵だ……! 朱雀め、早速復活させてきたか」
突っ込んでくる人面鳥兵の鈎爪を避けながら、隙間を縫うように奔る朱雀の焔もかわし、それでもなお平行を保つのは非常に厳しいものらしい。
普段、人を乗せるようなことがないのだから、足元の飛竜の彼――か彼女か分からないが――も初めての経験なのだろう。
しかし、こうも揺れるようでは、オレも背にしがみつくだけで、人面鳥兵一羽を相手にすることも出来ない。
様子を見かねたアイゼンが声を上げる。
「ネーベル殿、3人乗っても構わないな?」
「仕方あるまい」
団長が答え、こちらへと身を寄せてくる。
人面鳥兵と焔の飛び交う中、常に傾き続ける足場の上で、タイミングを計るのはなかなか大変だ。
個人的には何度かいけそうな瞬間があるのだが、横で躊躇しているレーグネンを見て、少し考えた。
「手伝う」
「いらん」
「いらなくないだろう」
「いらん」
「……顔を見れば分かると言った」
はっと瞳を見開いてこちらを見たレーグネンに、答えぬまま、黙って手を伸ばした。
そのまま腰を抱え上げ、団長の背へと飛び乗る。
うまく着地した途端、腕の中でレーグネンが小さく身を捩った。
「……おい」
「違う」
「あんた……」
「違う、泣いてなんかない」
アイゼンの後ろに腰を下ろし、オレの胸元へ身体をもたせたまま、レーグネンが囁くように答えた。
その声で手のひらの柔らかい感触の理由を知ったオレは、天を仰いでそのことに言及する。
「……いや、あんた、また女の身体になってるぞ」
「――あああああ! 何だよ、もう! もう知らんぞ、何なんだこの身体は! 何をどうしてこういうことになるんだ! 勝手に変わるのも良い加減にしろ!」
がつんがつんと足を踏み鳴らしていたが、ふと踏み鳴らしているのが騎士団長の背中だと言うことに気付くと、途端に申し訳なさそうな顔になって背を撫でた。
言うだけ言ってすっきりしたのか、立ち上がって白いローブの袖で顔を拭うと、再び顔を上げた時には、何もなかったような表情を貼り付けている。
さすがに今はそれどころではないと分かっているらしい。
背中をほとんど揺らさぬまま、飛び来る焔を水平に避けるネーベルの背は、控えめに言っても先程の飛竜の百倍、急昇降を繰り返す青龍よりは千倍ほど乗りやすかった。
「アイゼン、あなた白虎を喚べるか?」
「まだ少し難しい」
「ならば、乗り移って直接攻撃だ。爪は研いであるな?」
「当然に」
「ヴェレ、剣を抜け! 朱雀が来たなら、俺の背中はあなたに任せる。人面鳥兵を近寄らせるな」
「ああ」
「ネーベル、朱雀に寄せろ。アイゼンならば朱雀の炎にやられる前に、物理的に削れるはずだ」
「心得た。ブラウ、グラウ、シュヴァルツ、注意を引け」
団長は旋回して焔を避けながら、朱雀の方へとじりじり近寄っていく。
朱雀の首をまたぐように男が1人座っているのが見えるようになった頃には、オレもアイゼンもこの空中の足場に慣れ、近寄る人面鳥兵を斬り伏せるくらいは出来るようになっていた。
レーグネンが男の姿を睨み付けながら、その名を呼ぶ。
「朱雀将軍グルート……!」
「遠路はるばるわざわざ俺の罠にかかりにやってくるとは……本当に貴様の中身は、あの清流将軍なのか? 愚かな魔王並に頭が回っておらんぞ」
「ほう、言うではないか。忠実なる我が青龍の雷を受けてなお同じことが言えるかな?」
「馬鹿が。出力の落ちた青龍など、怖くもないわ。貴様の恃むものは、己の召喚獣ではあるまい」
「何故、それを――!?」
レーグネンの言葉が終わる前に、前方で純白の毛並がほとんど残像しか見えぬ速さで動いた。
事前の打ち合わせ通りなら、朱雀の方へと向かったのだと思ったのだが――はっきりとは分からぬまま嫌な予感に突き動かされるように、咄嗟にすぐ手前のレーグネンの身体を後ろに引き、剣を掲げる。
剣を弾くように、正面から鋭い一撃が飛んできた。
何とか腰を落として堪えきる。
オレと鍔迫り合いの姿勢で止まったアイゼンの姿を見て、引っ張られて身体を支えようとオレの背中に張り付いていたレーグネンが、悲鳴のような声を上げた。
「――アイゼン!? あなた、何を……!」
「君の愛玩動物はいやに手ごわいな、レーグネン」
感情を選びかねたような泣き笑いの顔で、アイゼンが囁く。
レーグネンが背後で息を呑んだ途端、アイゼンの爪がオレの剣を押した。
慌てて力を入れたが、逆に身を引いたアイゼンは、そのまま自分の足場に向けて長い爪を光らせながら振り下ろす。
「――止めろ、アイゼン!」
レーグネンの制止を無視して、飛竜の硬い鱗を貫き、深々と爪が突き刺さる。
空を揺るがすような飛竜騎士団長の咆哮に、朱雀将軍グルートの甲高い哄笑が重なった。




