12 一面観の対立
水平線の向こうから、緑色の地帯がせり出してくる。
その緑のあまりの深さに、一瞬、自分の知る大地とは違う存在があるのではないかと思ってしまった。
近付けば、その一つ一つはよく見る木々の組み合わせであることが見てとれるのだが。
上空から近づく魔王領西部は、緑に覆われた土地だった。
近づくに連れ、あまりにも森が途切れないので、この森がどこまで続いているのか不安になってくる。
更に、その森の上空を旋回するように飛び回る鳥達――に、してはこの距離でも見えるのはちょっと大きいような……。
「……あー、何でこのルートが朱雀にバレたのだ?」
腕の中でレーグネンが頭を捻った。
オレは飛空中の風音に負けぬよう、耳元に口を近付けて尋ねる。
「やはり、待ち伏せされていたということか?」
「だなぁ。遠目に見るに、あれは人面鳥兵、朱雀麾下の部隊だ」
なるほど、あれが噂の。
「俺やアイゼンはまだ良いとして、フルートやシャッテンには飛竜の背で人面鳥兵を迎撃するのは難しかろう。魔王領に着陸する組と、人面鳥兵の迎撃をする組と二手に分かれた方が良さそうだ」
「そうだな」
「飛竜達に指示を出さねば」
宣言した途端、青龍はレーグネンの思うがままに身を翻し、海上を行く飛竜騎士達の方へと急降下した。
胃のせり上がるような感覚を飲み下しながら、必死で前方の身体にしがみついた。しばらく乗っていたこともあって、この生き物の急激な高度変更にはだいぶ慣れたが、さすがに楽勝とはいかない。
揺れながら落ちた後、調整のためにゆっくりと浮上して、飛竜達の間に青龍の長い身体が割り込んだ。
「アイゼン!」
「……レーグネン?」
突然の出現に唖然とした顔で、騎士団長の上で身体を捻ったアイゼンがこちらを振り向く。
上空とは違い、この位置からはまだ人面鳥兵達は見えていない。敵襲に気付いていないのだろう。
「どうした、何かあったのか?」
「前方で人面鳥兵が待ち構えている。飛竜の上では足場が悪いから、シャッテンやフルートを先に下ろそう。二手に分かれようと思うが、あなたは少々の立ち回りは大丈夫だな?」
「ああ、君と共に行く」
頷く彼女の顔を見てから、レーグネンはその足元の飛竜騎士団長へと視線を下ろした。
「ネーベル、あなたも良いか?」
「両将軍の供とは、この老兵に光栄なるお役目をくだされたものよ。地獄の底までお供仕るぞ」
飛竜騎士団長が口の端でぐるぐると笑い声を漏らす。
ネーベルというのが騎士団長の名前らしい。
彼の答えを聞いて、レーグネンは鷹揚にうなずき返した。
「陸上でも待ち伏せされておるかも知れぬし、二手のどちらも手薄にはしたくない。他の人選は任せるから、ちょうど良い戦力に割っておくれ。着陸するものは、この先、海岸に当たる前に分岐して進路を変えよ」
「心得た」
言い残すと、レーグネンの足先の合図に従って、青龍は再び急上昇した。
「――我らは先を行き、人面鳥兵を引きつけておく! 頼むぞ!」
耳元で唸る風音の向こうで、アイゼンが苦笑しながら呟く声が聞こえた。
「……まさか、あのレーグネンが『頼む』などと言うようになるとは」
そうなのだろうか。
オレの知っているレーグネンは、そう変わっていないように思うのだが。
だが、かつての青龍将軍と今のレーグネン。もしもそこに変化があったのだとしたら、それは何に根ざすものなのだろう。
単純に、魔王と混ざってしまったことだけが原因なのか。
それとも――
「――ヴェレ、あなたについては否応なく俺についてきてもらうぞ。拒否の言葉などは聞かぬからな」
「尋ねるな。あんたと離れるつもりはない」
レーグネンはオレに背を向けているし、その表情など分かる由もないのだが――何故か今、笑みを浮かべたのことが分かってしまった。
その微笑みが、いつになく素直で愛らしいものなんじゃないか、という想像さえも当たっていると思えてしまうのだから、厄介なことだ。
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「人面鳥兵よ、出迎えご苦労。あなた方の主人、魔王領の主はここに帰還したぞ!」
うねる青龍の背中に立ち上がり堂々と声を張るレーグネンに対し、答えたのは1人――いや、一羽? この手の魔物は何と数えれば良いのか分からない。
人の女に良く似た頭と乳房を備えているが、他の部分は巨大な鳥に他ならない。黒みがかった茶の羽根の間、さらけ出された乳房と美しい顔だけが白々と輝いて見える。
中でも一際眩い金色の髪を波打たせた人面鳥兵が、黄金にも見える巨大な翼を羽ばたかせ、我々の前に浮かんだ。
「我らは朱雀将軍より命を受けし天空の戦士。魔王陛下を騙る狼藉者よ、足元の虚仮威しの青龍をしまえ。その罪、万死に値するが、大人しく魔封じを受けるというなら、朱雀将軍の御元へ引っ立てるまでは生かしておいてやっても良い」
凛と響く女の声に、レーグネンもまた堂々と正対する。
「なるほど、交渉は無駄か」
「偽の魔王に惑わされる愚か者は我らの中にはおらぬ」
「青龍将軍レーグネンが、大人しく引っ立てられる訳もないというのに、愚かなことだ。それでもと望むなら我が首を持て。奪れるものならな」
「――征くぞ!」
挑発に応えた人面鳥兵の号令一下、黙って控えていた人面鳥兵が次々にこちらへと向かってくる。
「ヴェレ! 斬れるか!?」
「近寄ってくればな」
「爪と、羽根を飛ばしてくる突風に気を付けろ! あと、あんまり胸元ばかりじろじろ見てるんじゃない!」
「見てない!」
いくら興味があるとは言っても、魔物の乳房にまで興奮するほど飢えてない――少なくとも、今は。
「良いか、頼むから斬るのを惜しんだりするなよ? これが終わったら飽きるまで、世界で最も美しい胸の膨らみを俺が見せてやる」
「見せ――っ!? い、いら、な……」
結局、いらないやめろむしろ触らせろと最後まではっきり言い切る前に、一羽の人面鳥兵が飛びかかってきたので、それを斬り伏せる方に注力することになった。
「――咆哮せよ、青龍!」
レーグネンの指示に従い、口を開けた青龍が白雷を迸らせる。
焼かれて落ちていく数羽の向こうから、再び人面鳥兵が向かってきた。青龍の魔法を警戒しているのか、最初の勢いはないが、繰り出される突風が青龍を揺らす。
風に巻かれて長い髪を見出しながら、レーグネンが叫んだ。
「人面鳥兵よ、道をあけよ! あなた方に命を下した朱雀将軍は、人族以外の種の存続などどうでも良いのだ! あなた方も複製が使えぬでは死に絶えてしまう一族ではないか! こんなところで無駄に命を散らすな!」
「馬鹿な! 誰とも知らぬ余所者が我らの未来を語るな! 我らの未来は朱雀将軍が請け負って下さった! 彼の方のお力のもと、我らは今度こそ真なる永遠を手に入れるのだ!」
「あれは永遠などではない! 死霊術は……!」
レーグネンに迫る爪を、オレの剣がかわりに受けた。
即座に弾き、刃の勢いで脇腹から肋骨まで斬り上げる。
「ヴェレ!」
「バカ! 惜しんでるのはあんたじゃないか! 戦場に理解を求めるな、話が通じるのは平時だけだ!」
細い身体を背中に庇い、人面鳥兵の尖った爪先を斬り伏せる。
一瞬、後ろから回ってきた手がオレのシャツを握ったが、振り向いてその意を問うより先に、手が離された。
ざり、と青龍の鱗を踏みしめる音が聞こえる。
音の重さに違和感を覚えた瞬間、低い声が真後ろから――今までよりも高い位置から、青龍へと強く命じる。
「――吠えろ、青龍。灼き尽くせ」
冷たい響きに従い、青龍が身を捩らせる。
凝るように空中から湧き出た黒雲を戴いて、空に踊る竜神は天に向かって吠えた。
途端に、黒雲から四方へ向けて落雷が奔る。
稲光の直撃を受けて、辺りを旋回していた人面鳥兵達が次々に墜とされていく。
大粒の雨が青龍と、その背に乗ったオレ達を濡らした。
くくっ、と低い笑い声が、雨音に混じり、オレの背中を打つ。
「出迎えならば、もう少しマシな兵を用意すれば良いものを。朱雀などに従ったばかりに、哀れな……」
雨音に混じって、呟きが聞こえてきた。
どんな表情をしているのか、どんな姿をしているのか。
もう、顔さえ見なくとも声だけで分かってしまった。
振り向けば、青龍将軍が――男の姿をしたレーグネンが、雨に濡れる銀髪を掻き上げている。睨め付けるように紅の瞳が雨の隙間を射通してくる。
「何を腑抜けた顔をしている。行くぞ、ヴェレよ」
「ああ」
終わったら見せてくれるという約束はどうした、などとはさすがに言い損ねた。
空気なんて読んだワケじゃない。
ただ……その頬を伝っている水は雨粒か、なんて問いにすら、答える者はいないように思えたからだ。




