9 一夜漬の計画
「ぅお兄ちゃま、準備が出来たわよ!」
フルートの声に応えて、オレは黙って手を上げた。
こちらを向いてぶんぶん両手を振る筋肉娘の後ろには、王弟館の中庭が広がり、そこに小山のような影の飛竜が並んでいる。
飛竜達の先頭に蹲る1騎――位置的に騎士団長だろう――が燃えるように輝く瞳をこちらに向けた。
巨大なものに見透かされるようで恐ろしい。
思わず腰の剣に手を伸ばした途端、巨大な一対の瞳は片方を軽く閉じ、ウインクをかましてきた。月光を照らす粗い鱗もゴツゴツと尖った棘も人を取って食ってもおかしくないように見えるのだが、そんな愛嬌のある仕草をされては苦笑するしかない。
昼間の軍首脳会談の結果、幾つかのことがはっきりし、そして今後の動きが計画された。
まず、王国及び四神将軍の連合軍は、シャルムとレーグネンの共同指揮によって魔王領へと侵攻することが正式に決められた。
それに先立って、昨夜から昼にかけての間、王都に移転の魔法陣が残されていないか、一斉に捜索が行われていたらしい。ちょうど自分とレーグネンは、事後の気だるさに任せて寝こけていた時間だ。少しばかり申し訳なく思わぬ気持ちはないではない。
王宮はシャルムが、ドラートの館はアイゼンが、王都周辺はシャッテンとその配下のゾンビ達が探し尽くしたと言っていたが、結局はドラート達が魔王領へ逃げた魔法陣以外は1つとして見つからなかった。
となれば、魔術に頼って魔王領へ攻め込むことは出来ないとはっきりしたことになる。
物理的に移動するしかない。
結果として、陸路からシャルム王子率いる王室騎士団が、海路で四神将軍とオレが飛竜騎士団に乗り、魔王領へと向かうことになった。
恐ろしいことに、四神将軍の出発はその日の夜――つまり、今だ。酷いぶつかり合いから息をつく暇もなく次の戦場へと向かう元気の有り余った様子は、さすが魔物と言おうか。
どうやらシャッテンとリナリアが、それぞれ魔術での治療にあたったためにこのスピード侵攻が実現したらしいが、それはそれとして精神的にタフだとも思う。
陸路は囮。
力の分散具合から言っても、そのタフネスの発揮場所から言っても、海路から忍び込む四神将軍こそが隠された本隊となるはずだ。
一瞬、肩越しにフルートの方を振り向いたシェーレが、何かを堪えるような顔でオレの方へと向き直った。
「どうか、ご無事でお戻りくださいませ」
涙さえ浮かべそうな震え声に、オレは黙って頷き返す。
「……ああ、大丈夫だ」
「あのな。大丈夫じゃないから言ってんだって。若長は人が好すぎんだっていつも言ってるだろ」
シェーレの隣から顔を覗かせたタオにまで窘められて、さすがに眉を寄せた。
「いや、こっちは大丈夫だろ。飛竜騎士も四神将軍も、ついでに何故かフルートもいるし……」
「何言ってんだ、だからこそ一番激しい戦いになるって心配してんだろが。あんたはまだしも、何で姫嬢ちゃんまで連れてくんだよ、全く」
ぼやかれて、返す言葉を失った。
タオの不安は分からなくもない。
長の血脈を残すという意味では、連れていかない方が良いのだろう、多分。いくら、父が――北の民の長が解放され、実質的に一族を取りまとめる者が戻ってきたとは言っても。
その父は今、他の一族と共に王宮でシャルムと対している。
今後、北の民はどう動くべきか、どんな条件でどこまでヤーレスツァイト王国に肩入れするのか、そんなアレコレを決めているらしい。
それが確定する前に、レーグネンと共に旅立とうとしているオレは――つまり、北の民としてではなく、オレ個人として動いていることになる。
シャルムはこの後、クヴァルム領を始めとする王国西方――王弟ドラートの支配地域を陸上から攻め込む準備を進めていくはずだ。
一族がもしもこの後も王国に与するとしたら、そちらについていくことになるだろう。
だから、今はその話し合いも大事な時期なのだ。
見送りなど、誰も来ないはずだった。
来ないと思っていたからこそ、父ともシャルムとも、昼間の間に別れは済ませていたのだ。
本当はタオもシェーレも見送りなど来ずにそちらに加わった方が良かったのだろうが……そこを押しても来てくれたことに、自然に感謝の念を抱くことが出来た。
「悪い……でも、来てくれて嬉しかった。不在の間、親父のことを頼む」
父は、シャルムの元で、そう酷い扱いを受けていたワケではなかったらしい。それでも、自由に出歩き出来るような状況ではないだろうし、そもそも王国民の多いこの王都で、人に慣れぬ父親を一人残すには心配があった。
途端に、タオが噛み付くように声を上げる。
「……だから! あんたに頼まれなくても、一族が長のことないがしろにするワケがないだろ!」
言った直後に、隣のシェーレからローキックを食らったタオは、短い悲鳴を上げた。
顔を顰めて片足飛びを繰り返す様子を見て、オレは再び反省する。
「それもそうか……すまん」
「ああもうだからさあ……! あんたはそんな謝ったりそわそわしてないで堂々と――いや、もう良い。そもそもないがしろになんかしないけど、でもあんたに頼まれたなら……上乗せして、生命に変えてもやり抜こうって思うぐらいになるって、それくらいは知っておいてくれよ……」
呟いたタオの言葉に何を返せば良いか分からなくて、オレは聞こえないフリで躱すことにした。こうも突然デレられては、こちらもどう対応すれば良いのか分からない。
お互い、視線を逸して黙っていると、ばたばたと足音が近付いてくる。
「んもぅ! ぅお兄ちゃまもタオも、いつまで2人でいちゃいちゃしてるの?」
正面から駆け寄ってきたフルートが、タオとシェーレの間に割って入った。
力強い腕が、どこか優しい手つきで2人の隙間を割り開く。少女らしく(?)甘えるようなフルートの仕草に、シェーレが苦笑を浮かべた。
「フルートも無茶しないでね。本当は、わたし達と一緒にこっちで待っている方が良いんだろうけど……」
「うん、ありがとう。でもきっと、ぅお兄ちゃまは絶対レーグネンさんと一緒に行くって言うだろうし、ぅお兄ちゃまとわたしは例の呪いで離れられないし、それに」
一度息を止めてから、ちらりと背後に視線を向けた。
オレに似た黒い瞳の先には、白虎将軍アイゼンの姿がある。
「……わたし、離れたくないの。大事な人からは」
フルートのつぶやきに、シェーレがきゅっと眉を寄せた。
「そうね。それが出来るんだから、離れない方が良いわ……」
切ない声は、彼女にも誰かそういう人がいるからだろうか。
だとしたら、その男が無事に彼女の元に戻ってくるのを祈るのみだ。
とりあえずは、シェーレの隣で、オレに向けてバカにしたような視線を送ってくるタオがその相手でないだろうことは、確かだった。




