8 一族達の祈り
シャッテンの説明を聞く限り、レーグネンの性別変化に関する彼の推測は、確かに納得のいくものではあった。
だが、あくまで推測だ。
事実がどうかは分からない。
実験? 試行? ……出来るのか、これは?
如何にしてシャッテンの推論を実証しようかと悩んでいる内に、まださして時間も経っていないのに、シャルムが扉を開けて1人で部屋から出てきた。
まさかシャッテンのように追い出されたワケでもないだろう。
疑問が顔に出ていたのか、こちらが何も言わぬ内に、視線が合ってにこりと微笑まれる。
「後は実戦部隊に任せようと思ってさ。この件については、うちの副団長に全権委任した。魔王領の将軍達と一緒に策を練ってくれてるよ」
なるほど。名ばかりのトップは退散してきたワケか。
多分、副団長が邪魔にしたのではない、シャルムが自分から言い出したんだろう。
シャルムとはそういう男だ。
「あ、じゃあ私も戻りましょうかね。私の愛する子ども達に何が出来るかどう使うか、勝手に決められちゃ困りますし」
入れ違うように、立ち上がったシャッテンがそそくさと扉の向こうへ戻っていく。
何だかんだで戦いの行方には興味があるのだろうか。
入れ替わって、シャルムがオレの横に腰掛けた。
「……どうしたの、難しい顔してたね? 勝手に婚約されたのがやっぱり嫌だったの? 私が何か手伝えることってあるかな、主に婚約破棄とか」
難しい顔をしてたのは別の理由だが、シャルムと2人きりになったのは、実は良いチャンスだったりする。
オレは少し考えてから、身体をひねってシャルムの方へと向き直った。
「……シャルム」
「うん! うんうんうん、何? 破棄する? しちゃう? 良いよー、お手伝いするよ」
明るい茶色の瞳を瞬かせ、シャルムも即座にオレの方へ身体を向けてくる。
その様子は健気な程にまっすぐで、もしもアイゼンのようにシャルムにも尻尾があったなら、ちぎれんばかりに振りまくってたに違いない、そういう感じ。
乗り気過ぎる様子に臆しながらも、口を開いた。
「……シャルム王子、あなたに相談があるんだ」
「もうっ水臭いなぁ、タメ口で良いよ! 私に出来ることなら何でもするから!」
「何でも?」
「何でもだよ! ……あっ、いや、私じゃレーグネンの代わりには、残念ながらなれないかも知れないけど……ほら、親愛の情ってそういうのだけじゃないし。うん、大丈夫、私がもっと良い花嫁を君に見付けてあげるよ! もっと可愛くて従順で夫の友人関係に口出しとかしないタイプの――」
「――シャルム」
再び名前を呼んで、肩に手を置いた。
瞳を見開いたシャルムの顔を覗き込む。
「……っ!?」
「あんたの言葉に甘えて、頼みがあるんだ」
「ええっ!? 頼み!?」
自分から「何でもする」なんて言っておいて、いざ頼むと驚くのは、ちょっとずるいんじゃないだろうか。
そんな非難を込めて軽く睨みつけると、シャルムはごくりと喉を鳴らした。
「……あの、もしかして。本気?」
「本気だ。恥知らずだと思われるかも知れないが」
途端に彼の頬が赤くなった。
さすがに、彼我の立場を考えないさもしい願いに、怒っているのだろうか。
だが、オレには彼に頼む他ないのだ。
「――えっ、ちょ、待って待って。本当に本気? いや、むしろ今の恥知らずとか……まさかのそっちがそっちなの!?」
「……そっち? ああ、レーグネンか。レーグネンじゃダメだ」
「……い、いや、そりゃそうかも知れないけど、私だってほらあくまで君のこと友達で男同士だって思ってたから知ってる通り私は君のことずっと好きは好きだけどそういう好きとはちょっと違うからこんなこと突然言われても困るし考える時間ちょっと欲しいとか思っちゃうけどそれは別に嫌とかお断りとかそういうんじゃないからひとまず覚悟やら準備やらどうすれば良いかどんなものなのか聞いてみたりそういう調査をした上でまずは手を繋ぐところから――」
「――オレの父親を、解放して欲しい」
「……えっ……?」
彼我の立場の差を無視する恥知らずな願いを聞いて、正しくシャルムは絶句した。
だが、その態度に腹を立てる気にはなれない。友情に甘えているのはオレだ。だから、答えを返せないまま天井を見上げる姿を、黙って見つめた。
人を信じることは、疑うことよりも怖いのだと知った――いや、本当はずっと知っていた。
知っていたからこそ、無意識に避けていたんだろう、多分。
友と呼んだ途端に、手のひらを返されるような恐れを感じて。
だが。
「……オレも、あんたを友と呼びたい。ようやくそう言おうと思えるようになった……だから、変に策に溺れたくない。レーグネンを通して政治的に片を付けて貰うなんてまっぴらだ。かつて人質に取ったオレの一族を、あんたとドラートは2つに分けて王から引き継いだ。その片方を――オレの父親達を返してくれ」
シャルムはしばらく面食らったように呆然としていたが、すぐに自分を取り戻すと、視線を合わせてきた。
「私達は魔王領に対する抑止力として――つまり、兵器として君達を保有していたんだ」
「知ってる」
「君が知ってるってことも知ってた。……そんな君が、私と友達になるなんて思えないに決まってるのにね。分かっててそれでも君と一緒にいたかったなんて……そんな私と、君は本当に友達になりたいと思うの?」
目を上げたシャルムは、昏い笑みを浮かべていた。
許されないと分かっている、とその目が告げている。
許したりはしないだろう? と笑みに混ぜ込むずるさを漂わせて。
だが、本当は、オレにはシャルムを許すことなんか――そんな権利なんかないんだ。
「……王国守護軍西方隊にオレを配置したのは、あんただと思ってたんだ」
「……え? そんな訳ないじゃないか。私は本当は君といたかったのに」
そうなんだろう。
シャルムは、オレの異動が決まったときも同じことを言った。
あのとき信じられなかったのは、オレの方だ。
「西方にとばされた後、オレは殺されそうになった――いや、ほとんど死んだようなものだな」
「え……? 殺されそうって……行方不明になったってあの報告……?」
本当は、シャルムのことを信じなければならなかった。
今の慌てた声を聞くまでもなく、信じなければならなかった。
なのに、オレときたら。
「……もしかしたら、あんたが仕組んだんじゃないかって思っていたんだ。あんたと、ドラートと、その両方の手下と、誰がやらせたとしてもおかしくないだろうって……」
「そんな、そんなことする訳ない」
「ああ。でも、あの時のオレはそう思ってた。北の民の力は父がいれば十分だ。オレが死ねば、拮抗するドラートの力を削ることが出来る。だからあんたはオレを殺したいはずだって」
「……だから、命を永らえたのに、私のところに連絡をくれなかったんだ」
「そうだ。クヴァルム領でシェーレに――北の民の娘に会えたことで、ドラートの意図でないことは分かった。シェーレの主人である商人を動かしたのがドラートだったから。だけど、あんたのことはずっと信じられなかった……」
オレは愚かで疑い深い最低の男だ。
初めて会ってからもう十年以上、オレを友と呼ぶシャルムの心を、疑い続けていただなんて。
西方でオレを襲わせたのが、本当は誰かなんて今でも分からない。
だけど、シャルムじゃないってことだけはもっと前から分かりきってたはずだった。
証拠なんていらない。
理由は、ただ、友達だからってだけで良かったのに。
シャルムの唇が、ふと緩む。
「……君はずっと、私のことを友達だって言ってくれなかったね。私は何度も君を友と呼んだのに」
「これまでずっと――いつかは敵に回る相手だと思っていた」
「じゃあ、今は?」
肩を掴むオレの手の上に、シャルムが自分の手を乗せた。
熱い手のひらが、握りしめるように手の甲を掴む。
「今の、私と君はどういう関係なの? 君の一族も、私の国も関係なく、こうして向かい合ってるだけの私達は?」
今までオレに向けられたシャルムの好意の数々が、頭を過ぎる。
何くれとなく気にかけて、わざわざ割いてくれた時間のすべて。
「……あんたは王子だし、オレは北の民の長の息子だ。あんたは時々優柔不断だし、若くて青くて人に譲ることも多い。だけど、あんたのそういう一途で一生懸命なとこ、本当は、嫌いじゃない……なかったんだ……」
「――ヴェレ!」
言い切る前に、正面から抱き締められた。
勢いで椅子の上に押し倒されそうになったが、さすがに堪える。同じ騎士とは言え、名ばかりの王子と力比べして負けるワケにはいかない。
そこはかとなくシャルムの身体を押し返しながら、そっとため息をつく。
好意を素直に表に出すって、何でこんなに疲れるんだろう。
いや、本当はもっと全部、思ってることを口に出してしまった方が良いのだろうが……あまりの疲労にもう喋る気力がない。
許されたのを良しとして、オレはそれ以上言葉を紡ぐのを止めた。本当は、口にしてしまった方が良いのかも知れないが、それはいつかにとっておこう。
ぎゅうぎゅうくっついてきているシャルムが、胸元で声を上げる。
「お父上を――いや、北の民を解放するのは、私も賛成だ! 私達はもっと対等な関係を結ぶべきだ、そうだろう?」
「ああ……」
「今こそ、親友として君達の自由を保証しよう!」
「……あ、ああ……?」
「親友として! 君の! 親友として!」
「ああ……いや、3回言わなくても分かる」
「そう? 親友として、保証するんだよ? 親友だよ?」
5回目だ。
前言撤回。友情への言及をいつかにとっておくどころか、言うまで解放されないような気がしてきてる。
いや、父が、じゃなくて……オレが。
主に、この抱き潰されそうな程の友情の抱擁から。




