4 非公式の訪問
少女――レーグネンに、佩いていたはずの己の剣の行方を尋ねてみれば、行方はあっさり分かった。
治療に邪魔だと除けておいただけだったらしい。
「我らが姿を見せれば侮られるし、あなたが行ってくれるなら有り難いな。向こうは戦うつもりで来ているだろうが、こちらはそこまでは望んでおらぬ。向こうの数も多いことだし、殺さずとも追い返してくれれば良いのだが」
「まあ、それが出来れば……そうしよう」
向こうがどのようなつもりかは分からぬが、脅して済むのならこちらとしてもそれに越したことはない。いざとなれば、生命を取るのを躊躇することはないが。
レーグネンが奥から持ち出してきた刃を見渡して、切れ味が鈍っていないことを確かめると、鞘を腰に提げた。
「では、行ってくる」
「気を付けよ。小鬼とは言え、愚者火を掲げている間は姿が見えぬ。気配と火の位置が頼りだぞ」
助言めいたレーグネンの応援を背に、小屋の反対側から窓を乗り越えて森に出る。
枯れ葉の敷き詰められた木々の隙間を、足音を立てぬようにゆっくりと歩いた。
小屋を離れて鬼火――愚者火とレーグネンは呼んだが――の背後に回り込む。鬼火に背後があるかどうかは分からぬが、レーグネン曰く、これは小鬼が使う姿を眩ませる魔術らしい。姿は見えねども、鬼火を掲げているのは小鬼なのだとか。
空中に浮かぶ火に気を取られて近付いたところに攻撃を仕掛ける罠らしい。
逆に言えば、鬼火の下には本体がいるわけだ。たとえ見えぬとしても。
ゆらりゆらりと揺れる鬼火も、誰かが掲げているのだと思えば――鬼火の動き、木々の揺れ方、地面の沈み方から、本体がどこにいてどんな姿をしているのか、おおよそ予想がつく。
オレは鞘から抜いた剣をひそかに掲げ――一息に打って出た。
思い描いた小鬼の影を真上から断つように刃を振る。
想定通りのタイミングで、悲鳴とともに固い手応え。鬼火が消えた途端、そこに残るのは地面に落ちた毛深い腕と断ち切られた面を押さえてうずくまる小鬼の姿だった。額から突き出した三角形の角も、耳まで避けた口元も人間とは明らかに違う――正真正銘の魔物だ。
ざわり、と残りの鬼火が――いや、鬼火を掲げた不可視の小鬼達が、こちらを向いた気配がする。
「さあ……次はどいつが来る? 薄汚い魔物風情に手を抜く優しさはないぞ。だが、手間であることは事実だ。このまま黙って引くなら、見逃してやらんこともない」
そもそも、オレには小鬼共と対峙する理由さえない。恩に報いるつもりでこうなったが、本人がそれで良いと言っていたのだから、無理に全滅させずとも追い払うだけで恩返しにはなるだろう。女の細腕では出来ぬことをやったという意味では。
鬼火の1つが、迷うようにゆるりと動いた。
「……貴様は人間だな、なぜ我ら魔族の事情に首を突っ込む」
「特に突っ込んでいるつもりはない。私のいるところに貴様らが来たから相手をしているだけだ。ここには私しかおらぬ」
鬼火の来訪に、レーグネン達が関わっていることは明らかだった。
だからこそ、それを口にすれば最後の一匹まで相手にせねばならぬことも。
こちらの気迫に押されたように、鬼火が声を絞り出す。
「探しているのだ」
「何をだ」
「……龍族の女だ」
龍族、と聞いて、思い出した。
先程名付けた「レーグネン」の、その名の元になった男を。
青龍将軍レーグネン。
かつて戦場で敵として相対した男だった。
こちらは王国の西方守護隊、対する向こうは白虎将軍とともに魔王軍の半数を率いていた。
魔王領へ侵攻した我らの前に立ち塞がった異形の軍。
当初破竹の勢いで王国有利に進んだ攻勢は、敵将の一たる白虎将軍を捕らえた後、青龍将軍の形振り構わぬ奇策の連発により覆された。結局は戦前と同じ国境線まで押し返され、最後に対峙したのが、4ヶ月程前だ。
最終的に双方ともに痛手を負い、戦いを続けられなくなったところで、講和とまではいかず停戦協定を結ぶことになった。
すぐにも蹴散らせるはずだと逸る我らの行く手を阻み、最前線で我らを煽っていたのが、魔王軍四神将軍の一、青龍将軍レーグネンだった。
上からもたらされた情報によると、ヤツこそが龍族という種類だったはずだ。
となると、それに姿が似ている「レーグネン」という娘は――アレもまた龍族なのだろうか。
だが、戦場でその姿を垣間見た青龍将軍には、側頭部から捩れて伸び上がる対の角があった。
少女であるレーグネンにはそんなものない。見た目はただの人間の子どもに見える。
何か誤魔化す魔術でもあるのだろうか。それとも、勘違いで追われているだけで、やはりただの人間の娘なのだろうか。
オレは頭を掻きながら答えた。
「龍族と言えば、角の生えたヤツだったな」
「そうだ」
「そんなものはここにはおらぬ。ここは王国の領土。いるのは私だけだ」
重ねて否定する。
「……そうか」
静かな答えが返ってきた。
一瞬、息をつくように鬼火が沈み――いや。小鬼が手放した鬼火が地に落ちたのだ、ということに一瞬遅れて気付いた。
慌てて引き上げた剣で、真っ直ぐに突きこまれてくる錆びた刃を弾く。
弾いた刃はすぐに引き戻され、2撃目とともに小鬼の苦々しい声が響いた。
「――隠しだてするなら、容赦はできぬ!」
隠してはいない、と答える隙もなかった。
なかなかの使い手だ。小鬼風情が、と口の中で吐き捨てながら、たった1つ残っていた鬼火がじりじりとこちらに近付いているのを視線で牽制する。
が、その肩の向こうから、更に鬼火がもう1つ、2つ――3つ。駆け足で近寄ってきているのが見える。
先程腕を切り飛ばした小鬼を除けば、5対1――この数の差は、さすがに厳しそうな気がしてきた。
せっかく拾った生命だというのに、妙な仏心を出したせいで、ここで終わりということだろうか。
自分の愚かさを自分で嘲笑いながら、鍔迫り合いになった剣を強く押す。
目の前の小鬼がバランスを崩した隙に、肩から袈裟がけに斬り下ろした。
即座に剣を戻し、振り向きざまに背後に近付いていた鬼火を吹き散らすように、姿の見えない小鬼を狙う。途中で手応えとともに鬼火が掻き消えた。
だが、オレの剣が動き回っていたのもそこまでだった。
結果を確認するより先に、真横から鬼火が跳び込んでくる。
咄嗟に剣を戻そうと思い腕を引くが、3匹目の小鬼に食い込んだ刃はぴくりとも動かない。苛立って視線を戻せば、胸の半ばまで食い込んだ剣を血まみれの両手で握りしめ、こちらを見上げている。
まずい。
勢いに乗って近寄ってくる焔が、目前に迫る。
まずい。
動かない剣の柄から両手を離して、後ろに跳んだ。
直後、ついさっきまでオレのいた場所を、何かが上から風を切って通り抜けた。
目に見えぬ刃だ――だが、分かったところで次はどう躱せば良い――!?
無手の自分をもう一度認識すれば、額から流れおちる冷や汗を拭う余裕もない。
次の呼吸で来る、とタイミングだけは理解していた。
どこから来るかも分からぬのに、とにかく避けねば、と足を下げた途端――つぃん、と森に弦の音が響いた。
「――『己が影に足を止めよ、愚直なる戦士よ』」
どこか遠くで――いや、耳元で?
女の声が聞こえる。
唸るように囁くように、耳の中を声が廻るような。
気付けば、身体を動かすことが出来なくなっていた。
目の前では迫っていた鬼火がちらちらと小刻みに揺れている。
指先一本も動かすことが出来ず、ただ瞳を動かして辺りを探る。
「――『硬直』!」
一際高く頭の中をまわった声が緋色の女のものであると認識した瞬間に、後方から枯れ葉を踏む足音が近付いてきた。
「……大口を叩いていたから期待して見ておったが……まあ、所詮は人間なれば、こんなものか」
くくっ、と底意地悪く笑う声がする。
軽い――まるで、子どものような体重のない足音。
「よくやった――と言っても良いくらいなのかもな。これだけやったのはマシな方だ。残りがあるのも事実だが……麗しの我が愛玩動物ゆえ、その不始末は主が始末をつけねばなるまいよ」
ざくり。
オレの真横で、足音が止まる。
「どうせ俺を追って来たのだろう? どうだ、姿を見て安心したか?」
首が動かない。
横目でじりじりと足音の方を見れば、例の少女が――レーグネンがそこに立っていた。
肩に力も入れず、自然な形で。
小首を傾げて、笑う。
「――だが、それを朱雀に報告することは許さぬ。この姿を見たからには、口を閉じたまま冥府へと去って貰うぞ!」
突然、足元から吹き上がった突風が、枯れ葉を舞い散らす。
動かぬ身体のまま、頬を掠めていく土埃に一瞬瞼を閉じて――再び開いたとき、そこにいたのは既に少女ではなかった。
「――『我が名は青龍統べる主、東方将軍レーグネンなり』」
朗々と名乗りを上げ、口元を歪めている。
いつか戦場で相まみえた男の姿が、そこにあった。