3 一身上の都合
「――信じません」
「……シャッテン」
「ぜーったい信じません! 私の麗しの魔王陛下は、こんなおっさんじゃありません!」
「おっさ――」
アイゼンの説明を聞いたシャッテンが、幼子のように頬を膨らませて横を向いた。
その仕草で――と言うか、「おっさん」という呼称で――レーグネンの忍耐の緒は切れたらしい。シャッテンからあからさまに視線を外し、アイゼンの方を見ながら話を戻した。
「えー……では会議を続ける。つまり、俺がレーグネンであり魔王であり、そしてそのどちらでもないという話に関してだが」
「待ちなさい、レーグネン! 魔王陛下の話をそんな適当な感じで進めるのは許しません! 魔王陛下はあなたみたいなむくつけき男ではありません! 魔王陛下をお呼びするときは『陛下』とつけなさい!」
「……つまりどうしろと言っとるのか全く分からん。言いたいことをまとめてくれ」
「魔王陛下を愛してます!」
「突然告白されても」
「彼女は私の女神です、魔王領の星、輝く太陽の娘、この世に降りた天女です!」
「……アイゼン」
「君が魔王陛下だということがとにかく信じられないのだろう。魔王陛下の名を騙ることを許せないと言うか……」
「許すも許さんもあるものか。事実は1つしかない。だが、俺だって俺が魔王であると無理にあなた方に信じて貰おうとは思わぬから、結論は俺の話を最後まで聞いてから――」
「――あなたが魔王陛下だと言うなら、今すぐおっぱいを見せてみなさい! あの! 豊かな! 豊満な! 柔らかな胸の膨らみを!」
「だーかーらー! 信じたくないなら信じずとも良いと言っておるだろうが! もうっ、あなたがいると話が進まんから嫌なのだ!」
今にも掴みかかりそうな勢いでレーグネンが叫んだが、シャッテンは駄々っ子のように「おっぱい! おっぱいを!」と繰り返している。
見せられるものなら見せるくらいするかも知れない、レーグネンなら。しかし、戦場で見ているに、どうも性別の切り替えは本人の意思によらないらしい。怒りに満ちた視線を送るにとどめて、レーグネンは再びアイゼンの方を向いた。
アイゼンは頭痛を堪えるように眉間に指先をあてつつ、片目を開く。
「……まあ、玄武の言いたいことも分かる。目の前で見なくては、まず君が陛下の姿をとっていたことさえ信じられないと思う。今の君はレーグネンだとしか見えない。私は魔王陛下の姿も見たから、色々と疑いながらも君の話を聞く気はあるが……」
「そうです、それです! 魔王陛下のお姿を見たいのです! もうどのくらいお会いしてないのだか……ああ、私の愛しき魔王陛下ぁ!」
「……待て、アイゼン。何かシャッテンが言ってることとあなたが言ってることと、結果は同じでも目的が違うような気がするのだが?」
「違いません! ほらー、おっぱい! おっぱい!」
「あなたな、ここぞとばかりおっぱいおっぱい言ってるが、俺は覚えてるぞ。こないだ俺がおっぱい出せって言った時、むきむきゾンビ呼んだのあなたじゃないか! 本当はおっぱいにそんな興味なんてないんだろ!」
「そこは矛盾しないのです! 私が興味あるのは敬愛する魔王陛下のおっぱいだけですから!」
「……君ら、普段からこういう話をしているのか? ここには女性も同席しているのだから、そのことを忘れないで貰えるとありがたいんだが」
最終的にアイゼンに突っ込まれて、2人はそれぞれに口を閉じた。
全く、魔王領の四神将軍というのは、何を考えているのやら。オレはそういう欲望を女の前で口に出すタイプではないので、あの時も今も一切会話には参加しないが……まあ、レーグネンが筋肉ゾンビに失望した気持ちは分からなくもない。そっと同情する。
シャッテンの執着具合から考えて、『敬愛する魔王陛下』のおっぱ――胸の膨らみを確かめたいというのも、まあ有り得ることなのかも知れない……が、今この場でその話を、しかも将軍同士の中でする辺り、魔王領の空気が緩すぎてちょっとそこんところは理解できない。
「こほん。……話を戻そう。アイゼンのみでなく俺の可愛いリナリアも何だか呆れたような顔をしているような気がするし、そもそも優美なる我が愛玩動物がここまでの話を全く理解してない顔をしている」
オレはともかく、リナリアは自分の背後にいるというのに、何で分かるんだろう。視線を向ければ、確かに盛大に呆れた顔をしているのだが。
アイゼンが苦笑する。
「……ああ、ヴェレは多分、前提となる話が全く分かってないんだろう。魔族と人族ではそもそもの来歴からして違うから」
「ですねぇ。昔のことなど人間はもう忘れたようで……いえ、そう言えば覚えていたから問題なのでしたね、朱雀は」
口々に言うアイゼンとシャッテンの話も分からない。
グルートが覚えているというのは、王国の成り立ちのことだろうか。
「それは……ヤーレスツァイト王国が、魔王領から独立したという話か?」
聞いたときにはあまり深く考えていなかったのだが、その話が本当だとしたら――魔物とは……そこから独立したという人間とは一体何だ?
今まで、王国が魔王領と対立しているのは当然のことだと思っていた。
魔物と人間――文化だけではない。見た目も生態も全く違う異性物同士だ。
魔物の中には、レーグネンやシャッテンのように比較的姿が近いものもいるにはいるが、飛竜やヒュドラ、トロールなどはほとんど化け物としか言いようがない。
人を食らうこともあるそのような生き物の住処を、放っておけないのは当然だ――いや、当然だった。
だが……良く考えれば、魔王領ではその姿形の違う生き物同士が共生しているのだ。
そこで人間も生きることが出来ると――そもそも王国の人間の祖先達は、魔王領で魔物達と交流していたと言うのなら、それは。
「……人間もまた、魔物の一種――なのか?」
四神将軍は、誰も答えなかった。
その代わり、オレの正面に立ったままの、確かに人間であるはずのグリューンが、皮肉に唇を歪めた。
「ああ。道々シャッテンに聞いた限りでは、どうやらそうらしいぞ。人間もまた魔王領に起因する一族」
「では――」
「ただし――お前は別だ、ヴェレ」
「何?」
「お前は――北の民は、俺達人間とは違う生き物だって言ってるんだ」
「……は?」
アイゼンが軽く目を見開き、シャッテンが肩を竦める。
「レーグネン。あなた、結局何も教えなかったんですか?」
「……人の気も知らず、気軽に言ってくれる。言えるものなら言っていたさ」
「言えなくはないだろう。君達は王都まで一緒に旅してきたんだから、その時間は十分にあったはずだぞ」
「アイゼンまでそんなことを言うのか? 言えないというのは、時間がないとか機会がないとか、そういうことじゃないのだ……」
どことなく落ち着かない様子のレーグネンに向けて、シャッテンが空気を読まずに口を開く。
「――ああ。真実を知ったら嫌われるかもとか余計なことを考えて、怖くて言い出せなかったんですね、バカだから」
「だっ――バっ……あーもう!」
どん、とレーグネンが手を振り下ろして卓を殴った。
目の前に置いてあるカップが跳ね、耳障りな音を立てる。
「シャッテンにバカなどと言われっぱなしでは堪らぬ! 良いか、ヴェレ! 今こそ意を決して言うが!」
「あ? ……あ、ああ……」
「我ら魔族は、かつて、この世界の外から訪った生き物なのだ!」
「……世界の外?」
「ここに元より住まっていたのは、あなた方、北の民だけ。つまり――この世界はそもそもはあなた方だけのものだったのだ!」
「……は?」
突如始まった壮大な話に、思考がついていけない。
世界の外とか話が大きすぎる。想像もつかん。
「……ちょっと待て」
「待たぬ! 言うと決めたら最後まで一気に言うぞ! 我ら魔族は偶然辿り着いたこの世界を気に入り、そこに拠点を築いた。墜ちた宇宙船を直し再び世界の外へ出る力は、その頃の我らから既に喪われていたからだ!」
「――おい」
「魔王たる『俺』は、この世界の先住民たるあなた方北の民を捩じ伏せ、蹂躙し、あなた方を我が支配下へと置いた!」
「待てって……」
「圧政を敷いたつもりはないが……人族が独立する時、あなた方は共に立ち上がった。ただ支配され守護される地位に甘んじるのはゴメンだと言って。独立した北の民と人族はうまく共生しておるのだろうと思っていた!」
「こら、待て」
「それなのに、まさかかつての支配・被支配の関係を今まで引き摺っておったとは――夢にも思わなんだ。こんなことなら、あの時あなた方だけでも引き止めておけば良かった――すなわち、あなたが人族に差別される原因を作ったのは――『俺』だ」
「――待てって言ってるだろうが! それはいつの話だ!?」
思わず立ち上がった。
卓の周囲の視線が一斉にオレを見る。
「そうさな……5百年を数える以前の話になるが」
「5百……」
余計壮大な話になった。
どういう時間感覚で生きているんだ、こいつらは。
「待てよ。なら、それは――その時の魔王は、あんたとは別の――」
別の、当時の。
言おうとした先を、皮肉に笑うレーグネンに取られた。
「――我ら魔族の内、多くの種族は同一の問題を抱えている。それは、人族や北の民には想像も出来ぬ根源的な問題――すなわち、『殖える』ということが出来ないということだ」
それは、オレの問いとは全く関係ない話だったが――何やら、答えを掠めるような言葉だった。
薄々想像がついてきた現状を確かめようと、この場にたった1人、同じ人間――だと思っていた生物――であるグリューンの方に視線を向ける。
全て、シャッテンから既に聞いていた話らしい。特に慌てた風もなく笑って肩を竦めて見せた。
「スパンが長すぎて笑っちゃうだろ。曰く、こいつら――いや、俺ら、かな。俺らの内、多くの種族はこの星――シャッテンは『この星』と説明していたが――に降り立つ前から、ずっと殖えることが出来なくて困ってたんだとよ。だけど、そんなんだって生き物だから、死は容赦なく訪れる。死ぬ一方で殖えることが出来なきゃ絶滅するしかない。そうなると、命を繋ぐために考えられる対策は――結果として、1つしかなかった」
「――ゾンビ化ですね!」
「そ……?」
「――違うぞ」
シャッテンの堂々とした態度につられて、そうなのか、と言いそうになったが、どうやら違うらしい。
本当に余計な合いの手を入れる男だ。
周り中から白い目で見られながら、シャッテンは肩を竦める。
「――繁殖できないなら複製しかないでしょう……なんて率直に言ったりしたら、そこにいるあなたの愛玩動物とやらがびっくりするんじゃないかと気を遣ったんですけどねぇ」
「気を遣うなら、最後まで遣ってくれ……」
誰か否定してくれないだろうかと、思わずため息をついたが、今度ばかりはシャッテンの言葉を訂正する声は聞こえなかった。




