1 一筋縄の例外
飛竜騎士達の活躍は圧倒的だった。王弟と朱雀の連合軍は、みるみる押し返されていった。
最終的にドラートの館を包囲するに至ったのだが、相変わらずシャルムは表に出てくるのを嫌がってる。戦場を怖がっているのもあるかもしれないが……何より叔父とモメたくないのだろう。
彼のそういう性格は良く知っていた。だからこそ、彼には叔父を倒すことは出来ないと思っていたのだ。
しかし、今回ばかりは後ろで大人しくさせておく訳にはいかない。お前がいないと格好がつかないと、何とかシャルムを引っ張り出して降伏勧告をさせる。
「あのー……叔父上、もうおわかりになったでしょう? あなたの誇る近衛騎士隊ももう生きた者はほとんど残っていないではないですか……同盟相手ももう力を失っているでしょう? 僕はあなたを消し去りたいなんて思っていないんです。今ならまだ、諸々の出来事は不幸な事故であったと……そう片付けることも出来るかも知れませんよ」
直前まで渋っていただけあって頭が痛くなるほどの温情に満ちたものになったが、敗者にかける言葉は意外にこういう方が良いのかも知れない。期待を持たせやすくて。
「ねえ、叔父上……!」
しかし、返答はない。
最後まで戦いぬく覚悟なのか、それとも。
「仕方あるまい。シャルム、突撃させるぞ」
諦め切れぬ様子で館を見つめるシャルムの肩に、レーグネンが手を置いた。シャルムはその手を払って、ため息をつく。
「……王室騎士団、突撃しましょう」
既に準備を終えて待機していた王室騎士団の面々は、団長たるシャルムの吐き出すような指示に従い、館の中へと突入していった。
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「……いない?」
「はい、どこにも姿が見えず……」
突入からしばしの後、シャルムの前に王室騎士団の副団長が報告に現れた。シャルムがある種、名目としての団長であることを考えると、彼が実質的な王室騎士団の指揮官ということになるだろう。
副団長曰く、館中をあさってもドラートと朱雀将軍は見付けられなかったと言う。
……が、これはどうやら、レーグネンにとっては予想の範疇のようだ。
「ふむ。やはり逃げたか」
「やはり? 何故そう思ったのですか」
オレに向けて囁いたレーグネンの言葉を、耳ざとく聞きつけたシャルムが副団長の肩越しに声をかけてくる。
レーグネンは改めてそちらに身体を向けた。
角の有る青年の姿は魔物であることを明確に示す分、いくら美しいと言っても人間にとっては威圧感がある。視線を向けた先の副団長が、軽く身じろぎするのが見えた。
そんな周囲の様子を気にもとめず、レーグネンは唇を歪める。
「魔王領には転移の魔術というものがあるのだ。片道1度きりしか使えぬ上に、行く先に目印の魔法陣が必要だったり、希少なものを材料として使わねばならなかったりで、誰もがそう気軽に使えるようなものではないが……そうだな、要人が緊急脱出用に館のどこかに準備しておくくらいは予想できる」
「そういうことは早目に言っておいてください……」
「早く言おうと遅く言おうと、向こうを鎮圧するまではどうしようもなかろ?」
ケロッとした顔で答えるので、段々こいつのやりたい放題に慣れてきた周囲には、諦めの空気が満ちた。
が、諦めないオレは、その角を掴んで引っ張る。
「……びゃっ!? ちょ、あなた、そこを掴むのは魔族にとっては大変に失礼な行為だぞ!?」
「すまん、知らなかった」
「知らなかったですまされようか!」
「すまされんかも知れぬが、知らぬことはどうしようもない。だが、もしもそのことを知っていれば、他の手が取れたかもしれん。あんたには思いつかなかったとしても、だ。……だから、言わねば分からぬことは、きちんと言え」
こちらの言いたいことはしっかり伝わったらしい。
紅い瞳が軽く見開かれて一瞬躊躇を浮かべた後、改めてシャルムに向き直った。
「……うん、説明が遅くなって申し訳なかったな」
「は、いえ……まあ、その……」
顔を合わせてからこっち何故かお互いに喧嘩腰な分、素直に謝られても受取に困るらしい。
もごもごとシャルムが口の中で呟いている内に、レーグネンは改めて笑みを浮かべる。
「さて、俺が謝ったからにはあなたにも謝ってもらうぞ、ヴェレ」
「オレは先程、既に謝罪したのだが……まあ、すまなかったな」
人間に角はないから、正しい扱いなど良く分からないのは事実だ。しかし、頭にあるものを引っ張る行為は古今東西どこの文化でも誉められたものではないだろう。それくらいは想像がつかなくもない。
つまり、オレの行為は明確にそれを理解してなされたものであって、基本的には「わざといじめた」というヤツになると思う。
そこに目的があるかどうかは、行為の善悪とはまた別の話だ。
「うむ、角にいきなり触られるとびっくりするからな。俺はまだ良いが気を付けろよ。魔族の中には角というより触角を持っていて、直に触れると衝撃で気絶する程敏感な者もいるし……」
「……それは触れた方も驚くだろうな。あんたは大丈夫だったのか?」
さすがに心配になって問うたが、レーグネンは苦笑するだけだ。
「竜族の角は骨に続いているから、問題ない。まあ驚きはするし身に響くからキモチワルイのだが……。今のは触れられたことよりも掴む力の問題だな。頭を掴んで揺さぶられたような心持ちだ」
「ああ……それは悪かったな」
割と力づくで引っ張った覚えはあるので、改めて三度謝った。
シャルムがこほん、と空咳を鳴らす。
「角に関する民族的差異の話は大変興味深いですが、ひとまず後日に伺うとして……それより、転移の話について教えてください」
「……ん? ああ、そんな話をしていたか。今言った通り転移の魔法陣は、こちらにも転移先にも準備が必要なのだ。館の中に魔法陣らしきものはなかったかね?」
「確かに、ドラートの部屋の床に、人の背丈程の大きさの何やら怪しげな陣がありましたが……」
副団長の答えに対し、レーグネンは鷹揚に頷き返す。
「うん、多分それだな」
「一度きり、ということは後を追うことは出来ん、ということか」
「そういうことだ」
「では、どこに転移したかは――」
「分からん。だが、事前に陣を用意出来るところと考えるなら、王国の東方か、魔王領か……」
「それじゃ、範囲が広すぎるだろう……」
呆れて答えたが、まあ、こればっかりはどうしようもないのだろう。
レーグネンは肩を竦める。
「ひとまず向こうは退散したのだ、良しとせよ。むしろ今、俺達に出来るのは、他に魔法陣が用意されてないか探すことだと思うぞ。油断したところを別の場所に転移して戻って来られたらたまらぬ」
「戻って来る!? それは例えば、事前に王宮に魔法陣を用意してあれば……」
「王宮に直接転移してくることも可能だな。危機を感じるなら調べてみよ。絨毯も全てひっぺがして調べた方が良いぞ」
「――なっ!? は、早く言ってくださいって!」
「一度発動すればそう連発して転移出来るものではないから、そこまで焦ることもないよ。だが、問題になりそうなことは先に言えと言われたので、今言ったのだ」
さほど差し迫った危険でないとは言え、のんびりしているような内容でもない。慌ててシャルムが王室騎士団に指示を出し始めた。
意外にもやる気に満ちたその姿を見物している内に、彼の後ろから、玄武将軍シャッテンと白虎将軍アイゼンが何やら言い合いながら歩いてくるのが見える。
「……えー。どう見てもレーグネンですよ、あれは。あの憎たらしい顔。どうでも良いことに青龍を呼び出す見境のなさ。短気できかん気なところも、レーグネンとしか思えません」
「いや、うん……私にもまあ否定出来るような物証はないんだが……相変わらず君は歯に衣着せぬ物言いをするな」
「歯に衣とかそんな、レーグネンに気を遣ってどうするんですか」
「……おい、何を言っとるか。あなたは俺にもそっと気を遣え。俺が短気だと思っているなら余計だろ」
道々のシャッテンとアイゼンの会話の内容は、こちらにもしっかり聞こえている。
不機嫌そうにレーグネンが答えたところで、アイゼンは不審そうに金色の瞳を向けてきた。
「その姿を見るにも、リナリアが『主』と認めていることも、どうにも君はレーグネンであるとしか思えないのだが……一方で、魔王陛下を騙っていたことや、君の態度が不自然であることも事実だ。君が何者であるのかがあまりにも図り難い。我々に敵対するものでないと言うなら、私に教えて欲しい。君は一体誰なんだ?」
「魔王陛下を騙る!? それは許せませんね、あの方を汚すようなレーグネンなんか、もうアレじゃないですか? 朱雀と一緒にぽいっとしちゃって良いのでは?」
「いや、だから。そもそも、ここにいるのがレーグネンかどうか分からぬと私は今言ったはず……」
「あ、じゃあとりあえずぽいっとしちゃいますね。それからゆっくり考えましょう。なんならほら、ぽいっとしちゃった後に私がゾンビにしますので――」
「君は相変わらずだな」
「ほーら、シャッテンがいるとしっちゃかめっちゃかになるから、いっそ魔王領に戻っておてくれた方が良かったのだ……」
「え? 無事で良かったって? お褒めにあずかり光栄です」
「残念ながら、褒めているんじゃないんだ」
「褒めとらんぞ、とんでもない」
両側からツッコミを入れられたシャッテンは何故かそこはかとなく嬉しそうなので、確かにしっちゃかめっちゃかだ。
ため息をついたアイゼンが、改めてレーグネンへと向き直る。
「シャッテンのことはもう良い。それより、君は一体何者なのか。この戦いが落ち着いたら答えると言っていたが」
「さて。語るのは良いが、答えたところであなた方に俺が何者か判別出来るかな……?」
詰め寄られたレーグネンの答えは例によってからかうような口調だったが――オレ達は誰も、その態度を詰ることができなかった。
何故なら――
「――何せ俺自身にも、俺が何者であるかと、明確に説明することが出来ぬのだから」
――すぐに、レーグネンの自嘲じみた言葉が続いたからだ。
気付いたのは多分、オレだけではないはずだ。
笑っている癖に、その紅の瞳に、どこか怯えの色が浮かんでいるように見えることを――。




