22 有り金の賭博
「――『艶冶なる我が下僕、清浄なる碧空の覇者――青龍よ、疾走れ』!」
召喚された青龍の咆哮が響く。
まるで対抗するように、背後から――ドラートの館から朱雀の雄叫びが聞こえてくる。
「おや、向こうも呼んだか。アレがこちらへ向かってくる前に、早めに片付けよう。ヴェレ、あなたは俺の撃ち漏らした兵を斬り伏せてくれ」
「心得た」
直前の会話につき思うところはあるものの、眼前の敵を防がねば勝てぬことは変わらない。
久々に何の憂いもなく剣を抜くことが出来る。
戦場の高揚に身を任せ、吐き出された青龍の轟雷(これが本当の轟雷だろう、やっぱり)の横を並走するように、朱雀兵達の方へと駆け寄った。
「っらあぁ!」
振り切った剣にあたって鎧が圧し曲がる。板金の手応えはあったものの、肩口から腰まで斬り下ろしたところで突然抵抗がなくなった。
驚いて手を引くと、袈裟斬りにされた兵が宙に溶けるように消えていく。
目を見張っている内に、隣を走った雷に貫かれた兵士もまた、鎧ごと薄れてなくなっていった。
「これが死霊……」
「驚いていないで次を片付けろ! 『轟雷のヴェレ』はどこへ行った」
背後からレーグネンの檄が飛ぶ。
さっきふと心に浮かべたばかりの「轟雷」に関するあれやこれやは、あまり有り難い声援とは言いたくないが、レーグネンの声援が気に入らぬなど剣を下ろす理由にはなるまい。
地を奔る雷と絡み合うように、手当たり次第の朱雀兵を屠っていった。
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「さて、戻るぞ」
青龍の雷が抉った焦土だけが残る草むらで、さして疲れた様子もなく、レーグネンは館の上を羽ばたいている朱雀の方へ視線を向けた。
並み居る朱雀兵を片付けたばかりで、こちらは息が上がっているのだが、青龍に任せっぱなしのレーグネンにとってはさしたる疲れもないらしい。
額の汗を拭って顔を上げると、そこに立っているはずのレーグネンはいつの間にか角のある女――魔王の姿になっていた。
同一人物だと分かってはいても、予想外の姿に思わず後退る。
「何だ?」
「いや、あんた……」
「……や? 胸があるぞ?」
言われて初めて気付いた顔で、自分の胸元を揉みしだいている。
「何だろうな、呪いがまだ完全に解けていないのかな? 俺の意志で制御出来ぬのか……」
「あ? 以前は制御出来てたんだよな、勿論」
「勿論。そうでなければ、戦場で青龍を喚ぶ度に魔王の姿を見せることになってしまうではないか」
「あ、そうか」
以前、青龍将軍と見えた西部戦では、魔王の姿を見かけたことはなかった。
当たり前のことを説明させるオレへの呆れで、ため息1つ。
「……まあ、良い。息は整ったな? ドラートの館を北から挟撃するぞ」
「挟撃って……じゃあ、何のためにシャルムの騎士達を館の西側に集めたんだ」
「青龍の雷撃に巻き込まぬように、に決まっておるだろ。後は、単純に死者を出さぬように横に避けておいて欲しいというのもあるが」
あっさり言い置いたレーグネンは、ぱつぱつに張ったシャツの胸元を寛げながら、にんまりと笑う。
「あれだけ削れば、消せぬにしても朱雀は相当弱っておるはずだ。後は朱雀の邪魔を掻い潜って、召喚者たるグルートをこきゅっとやってしまえば良い。な、俺の作戦は完璧だろ?」
思わず顔を顰めた理由は幾つかあって、1つはその完璧な作戦とやらの全貌をシャルムに伝えていないこと。
そしてもう1つは、良く見ればその開いた胸の谷間がじっとりと汗で湿っていたことで――いや、いやらしい気持ちで見ているワケではなく! そうじゃなくて!
つまり……涼しい顔をしているが、レーグネンにとっても朱雀兵の殲滅は結構な重労働であったということだ。
オレにすらそのことを勘付かせぬように、表情1つ変えずにいる癖に。
そのことが、どこか腹立たしい。
荒い息を最後に勢い良く吐き出して、オレは無言でドラートの館の方へと駆け出した。
後ろを追ってくる小さな足音を、背中に感じながら。
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「――どういうことだ!」
ドラートの館を、東西に分かれて攻める王子の騎士達と、更にそれを背後から討とうとする別の兵士達を見た途端、レーグネンは顔を顰めて叫んだ。
目尻を釣り上げた本気の怒りの表情は、地に伏せる両軍の死体の数と、それと同じだけ増えた朱雀兵達に向けられている。
「シャルム! 人の忠告に従わぬあのバカはどこだ!」
足を踏み鳴らしたと同時に、朱雀の羽ばたきが熱風を生み、館の東から攻め込もうとする騎士達に焔を投げつける。
気付いたレーグネンが、長い髪に指先を差し込み、ぐしゃぐしゃと掻き回した。
「くそ……っ! 『其は宙空を降る春の息吹――』」
慌てて青龍を喚ぼうとする彼女に向かって、こちらに気付いた朱雀兵の刃が振りかざされる。
間に入ったオレがその剣を弾き、レーグネンの身体を後ろに退かせた。
「おい、青龍を喚ぶのは良いが、この状況で勝ち目はあるのか?」
「あるに決まってるだろう! もうすぐ援軍が来る」
「……援軍だと?」
「到着が遅れるにしても、死霊を作れば作るだけ、既に朱雀の力も底を尽きかけているはずだ。だからもう少し持ちこたえれば良いだけなのには代わりないのに、これでは……」
待て。援軍などとは、さっきも言っていなかったじゃないか。どこから誰が来るんだ。
問い詰めようとしたが、レーグネンは「これでは巻き込んでしまうじゃないか」とぶつぶつ言い切って、さっさと呪文詠唱に戻ってしまった。
その身体を守るように立ち、オレは視線を外して周囲を見回す。
レーグネンは何も教えてくれないが、もしかすると他の面々は何やら聞いているのではないだろうか。
シャルムは先陣を切って突っ込むタイプではない。この近くにはいないと思う。
だが、リナリアやアイゼンなら、きっと――
そう考えた視界の端に、怪我を押して駆けるアイゼンの姿を見付けた。
何故かその背中を守るように、非戦闘員であるはずの我が妹フルートが、今朝拾ったばかりの大剣を振り回している。あいつ、何やってんだ……。
「ぅおおおあああああっ!」
「――りゃあっ!」
土煙を起こしながらぶん回される剣の後ろから、白虎将軍の鋭い爪が走った。
いつの間にやら息がぴったりすぎて、もう……本当、何やってんだ、我が妹よ。
「アイゼン! フルート!」
目の前の朱雀兵を斬り伏せながら声をかけると、気付いたフルートがぱっと表情を変えた。
「――ぅお兄ちゃま! ご無事だったのね!」
行く手を邪魔する者共をその剣圧で吹き散らしながら、こちらへと駆け寄ってくる。
その背中を守るようにアイゼンもまた続いた。
「ヴェレ、まずいぞ。援軍が来た」
「援軍だと? じゃあ――」
「――これは吉報ではないぞ。人間の援軍など邪魔なだけだ」
「何だと?」
オレの問いに、フルートが胸元で握った手を力強く上下に振る。
「あのね、ぅお兄ちゃま! 日が昇った途端、シャルムさまの館に残っていた騎士達がこちらに向かってきたの。その上、ドラートを支援する西方の貴族達も船で援軍を送ってきて……今、両軍とも参戦する兵士が増えて、戦場はどんどん拡大してるわ。その度に朱雀将軍の操ってる死霊兵士も増えていくし……」
焦る声に被せるように、レーグネンの最後の呪文が響いた。
「『――青龍よ、疾走れ』! ……くそ。この西側の騎士達はそれか、何たること……」
朱雀に向かって跳び込んでいく青龍の背中を見送りもせず、すぐにこちらの会話に入り込んでくる。
柔らかい胸元を持ち上げるように身体の前で腕を組んでいるのだが――あれ、性別が変わっていない。女のままだ。微かに違和感を覚えたが、それを突っ込むような状況ではなかった。
アイゼンがそちらに向き直り、眉を寄せる。
「申し訳もありません、最初にこちらにいた隊は私が広がらぬように抑えましたが、後から来た者は到着した途端に戦火に煽られて、もう敵も味方も分からぬ様子です。獣人たる私が声をかけようが聞きもせず……先程、急ぎシャルムに進言しましたが、さてこれから騎士達が落ち着きを取り戻すまでにどれほど時間がかかるか……」
魔王の姿をしているからだろう、アイゼンの言葉も丁寧になっている。
「空から見下ろしてくるでかい朱雀の姿を見るだけで、恐慌状態なのよ! 青龍だって、ほら……あの方は味方の騎士のはずなのに、斬りかかっているわ」
フルートの指す先を見れば、確かにオレも顔を知っている王室騎士団――シャルム旗下の騎士が、青龍の尻尾に向けて剣を振り下ろそうとしていた。
「おい、レーグネン。さっき言っていた援軍とはこのことなのか?」
「違う……。アイゼンの言うとおり、この場に人族は邪魔なだけなのだ」
視線を戻せば、レーグネンは額に汗を浮かべながら、眉を顰めている。
「……人族の到着がこんなにも早いと読み切れなかった俺の失策か。いや、援軍の到着が遅れているのが問題か……? とは言え、俺とあなたでは朱雀に直接攻撃しても無駄だ。そうだろう、アイゼン」
「仰る通り」
燃え盛る朱雀の翼が、周囲に焔を撒き散らす。
遠巻きに青龍が炎を追って舞うたびに、しばし勢いを失うが、結局は消し切ることが出来ずに焔は再び燃え上がってしまった。
その吹き上がる炎の間を、鎧に身を包んだ騎士達が縦横に駆け回り、誰とも知らず切り合っている。
焔を消すことで力を使い果たした青龍が、ぐるりと宙を回って姿を消した。
「ここにいるのが今動かせる全軍なのだ。難しかろうが、この烏合の軍を纏め上げるしかない。それなのに――」
だん、とレーグネンが足元を踏み鳴らす。
「――この大事な時に、指揮官たるシャルムはどこへ行ったのだ……!」
白い額を、吹き出す汗が垂れ落ちていく。
鬱陶しそうに拭った白い指先が、微かに震えていた。




