21 有意義な味方
「――全軍後退!」
シャルム王子が声を張ると、それに従い王子旗下の王室騎士団と、オレの一族――北の民達はじりじりと後退を始めた。
後退の先は、出発した王子の館や王宮ではなく、ドラートの館を回り込んだ更に東――海だ。
当初、西から進軍し館全体を囲んでいた状況から、東にのみ兵を集めた形になるか。後退命令ではあるが、彼らが侵入してきた方向から言えば、実質的には前進命令にあたる。そんな微妙な設定が背中を向けることを嫌う騎士達の心をうまく庇ったのか、後退は順調に進んでいる。
追うドラートの近衛騎士隊も、館という自陣があるからか、深追いをする様子はない。それとも後退する先は海である――つまり、シャルム王子が如何に巧く退却しようと、その行く手は塞がれているという安心感からかもしれない。
既に太陽は中天に上りきっている。
真昼の日の下でぶつかり合う騎士達の剣の反射が眩しい。
そんな戦場をどこか懐かしく、横目に通り過ぎていたら、背後から忍び笑いが聞こえてきた。
「なかなか迅速な用兵ではないか。うん、優秀優秀」
満足げなレーグネンの声を聞きながら、オレは黙って繁みの中を掻き分ける。
「少しばかり動きが鈍くはあるが、思っていたよりは余程マシ。あの王子、若いのにそこそこやるではないか。よく兵を動かしている。少し見直したぞ」
偉そうに言っているが、レーグネン自身は何もしていない。
オレと一緒にこっそりと、北へ――街の方へと向かっている。
「なあ……これ、本当に意味があるのか?」
「くどいぞ、ヴェレ。街には朱雀将軍グルートの連れてきた兵が潜んでいるのだ。彼らは召喚される朱雀と魔力の源を同じくしている。あれを倒せばグルートの――ひいては朱雀の力を削れるのだ。正面から朱雀に対する術がない以上、周囲からじりじり削っていくしかあるまい?」
「いや、それはもう何度も聞いたんだが……」
「じゃあ、何だ」
何だ、と聞かれれば一言で答えるのが難しい。
削るのは分かったが、削ったからと言って倒せるというものでもあるまい、とか。
そもそも削れるかどうかも、あんたの言葉だけに依ってるもんだから、信用できない、とか。
色々あるにはあるのだが、一番の問題は。
「……何でオレが、あんたに一緒についてってるんだ」
「先程、シャルムとの軍議でそう定まったからだ。誰か連れて行けと言い出したのはシャルムだぞ?」
「そう定まったって言ったって――どっちかと言うと、売り言葉に買い言葉的な……」
いや、もっと悪い。
ほとんどレーグネンの思うままに会話を運ばれたような気がする。
当初、1人で街へ向かうと宣言したレーグネンに、信用できないと待ったをかけたのは確かにシャルムだった。今のままなら互いに兵は同数なのに分割する意味はあるのか、と因縁をつけたのは、レーグネンをまだ信用していないというのもあるかも知れないが、半分くらいは嫌がらせじみた当てこすりだったのではないかと思う。
ところが、そこで口火を切ったはずの作戦会議は、最終的にオレとレーグネンが街へ向かい、その代わりにリナリアやアイゼン、北の民を置いて行くから信用しろ、という結論でレーグネンの主張した通りに片が付いていた。
そもそもがこの状態で軍を分けるのは愚策である、というシャルムの主張は、途中からこの魔物将軍の口八丁に乗せられて目的を見失っていた感がある。レーグネンの策が信用できない、という話が、巧妙に操作されてレーグネン自身を信用できない、という話にすり替えられていたような。
戦場の脇で、繁みをあまり動かさないようにこっそりと通り抜けながら、そんなことを思い返す。
背後のレーグネンが、オレの脳内を読んで宥めるかのように、落ち着いた声で囁いた。
「まあ、そんな顔をするな。少なくとも俺は、アイゼンやリナリアの不利になるようなことをしたい訳ではない。経験不足の若者相手に、年長者の有利をもって多少言を弄するくらいは許せよ」
「後ろにいるのにどうやってオレの顔見てるんだよ。年長者ってあんた……シャルムより年上か?」
「女に年を尋ねる男は嫌われるぞ」
「あんた、女じゃないだろが」
言った途端に、後ろから爪先の尖った長い指が伸びてきて、首元に絡みついた。
瞬間で身を寄せてきた男の銀髪が、オレの頬を掠める。
「……俺が女ではないと、何をもって主張する?」
耳元に妖しく囁きかけられて、思わず動きを止めた。
今のレーグネンが男であることは間違いない。
だが……魔王である女と青龍将軍である男の姿、どちらが本物なのか、本物というものがあるのかという問いに、結局レーグネンは答えていない。つまり――
「――あんた、本来の性別は女だとそう言いたいのか?」
割と本気で聞いたのだが、返ってきた答えは、からかうような人の悪い笑顔だけだった。
「……おい、自分から言い出しておいて、そういうのは――」
「――見ろ、ヴェレ。朱雀兵どもだ」
レーグネンの声に従って前方に視線を戻せば、確かに鈍く輝く金属製の甲冑を纏った一団が、ドラートの館へ向かって進軍してくるのが見える。
遠目でちらりと見ただけだったが、鎧の形などは確かにあの夜見かけたもの。
列をなして同じ速度で歩む戦士達の群は、どこか生気を感じられない。
「生きている感じが、せぬだろ?」
呆れたような声色に、はっとする。
頷き返したオレの肩に、身体を押し付けるように近づいてきた。
「朱雀の兵は、死霊なのだよ」
耳元にレーグネンの吐息が触れる。
その感触と言葉の意味の、どちらにぞくりとしたのか、自分でも分からなかった。
「……待て。玄武将軍も死霊術師だったじゃないか」
「別に、死霊術師が2人いても良いだろ。シャッテンは死体を、グルートは霊を従える。だが、誰だって生は1つ死も1つ。1つの死体をシャッテンとグルートが分け合うことは出来ない。だから、本当はシャッテンがいれば一番相性が良かったのだ……。このままでは、戦場で死体が増えるほど、グルートの兵もまた増えていくだけだからな」
残念そうな声色は、行方の分からない玄武将軍を思ってのことだろう。
ため息の後に、「たまに役に立つと思ったら」などとぼやいている。
オレは一瞬考えて、それから顔を顰めた。
「……あんた、何でそれをシャルムに伝えなかった?」
先程の作戦会議でもそんな話は出なかった。
いや、シャルムどころか、オレさえ初耳だ。
「何故って、言っても無駄だろう。『死体を出さずに戦え』などと言ったところで、シャルム旗下の騎士達の剣が鈍るだけだ」
「そんなことは……」
……ない、とは言えない。
確かに、犠牲を出さぬように剣を振るうのは難しいことだ。
だが、何かが違う、と言いたくなった。
「それに、当然のことながらアイゼンは知っておる。俺が言わぬ理由も分かっておるはずだ」
「しかし……」
自分がそれで失敗をしたから、人にも同じことを求めているだけなのだろうか。
それとも、己を友と遇してくれたシャルムを、あからさまに信用していない態度が透けて見えるのが辛いだけか。
騎士達の心を騒がせない為に、真実を伏せる。
それが一番なのかも知れないが――
「よし、行くぞ。海を渡って街中で戦うことにならず、向こうから来てくれていて良かった。青龍の雷は朱雀本体にはほとんど通じぬが、朱雀兵どもには効果もある。こちらを消せば、朱雀の力も削れるのだからして――さあ、置いてきたリナリアの分まで働いてくれよ」
言い置くと、レーグネンはオレを追い抜いて、繁みを抜けていった。
もう隠れる必要もない。がさがさと枝葉を揺らしながら繁みを出て、こちらへと迫る朱雀兵達の正面に立つ。
「――『我が名は青龍統べる主、東方将軍レーグネンなり』! 戦場へ縛られし哀れなる魂よ、俺が引導を渡してやろう!」
繁みの中で唱えた呪文を名乗りとして日の下に立つレーグネンの背中に、どこか陰りが見えるような気がした。




