20 有名人の困惑
戦場に似つかわしくない緋色の薄衣が、並み居る鎧の影をちらちらとしている。
名を呼ばう前に、緋色の女――リナリアは、こちらに気付いたようだった。
「主様……!」
オレ達の――というか主にレーグネンの姿を認め、駆け寄ってくる。
が、その到着を待たず、レーグネンは自分からさらに駆け込んで、抱きつきに行った。
「リナリアっ! 息災で何よりだ! あああっ会いたかった!」
「主様、ちょ……うるさいです、耳元で叫ばないでください」
「ああ、リナリア、リナリアリナリア! ヴェレがいくらアホだとしても、まさかあなたと離れるようなことになろうとは! 何もなかったか!?」
「うるさいです、ありませんでした」
「他の男に触られたりは!? 王子は無体を強いたりしなかったか!?」
「ものすごくうるさい上に鬱陶しい質問やめてください。しませんでした。現在進行形で無体を強いている男が1人いるだけです」
「何だと!? 誰だ、そのバカ者は! 俺がたたっ斬ってやる!」
レーグネン以外の全員が、瞬時にその問の答えを思い浮かべたが、リナリアはそれ以上何も言わなかった。ただレーグネンの腕の中で、ひたすらもみくちゃにされることに耐えている。
何やら長い沈黙の後、はあ、とため息1つ。
「主様もご無事でよろしゅうございました」
「うむ、愛している」
「……会話してください」
冷たい声とともに、レーグネンの腕が振り払われる。
名残惜しげに両手をわきわきと動かしている青龍将軍から、リナリアは数歩間を空けた。
払われつつもじりじりとそちらに寄っていくレーグネンの行為は、まあ以前からそう変わってないのかも知れないが、男に戻った姿でやると単純にいかがわしい。
「おい、レーグネン。君のそれを今更咎めるつもりもないが、とりあえず目の前の問題を解決しろ。このまま朱雀と王弟に勝ちを譲る気か?」
アイゼンが後ろからツッコミを入れてようやく、レーグネンの動きが止まった。
リナリアも後退るのを止めて口を開く。
「シャルム王子がお待ちです。主様、もしもここで朱雀と戦うおつもりなら……」
「分かっておる。俺は王子殿下のところへ行ってくる。その間にアイゼンの手当を頼む」
「はい」
「ヴェレは俺について来よ。……無事な姿を見せてやった方が良いだろ」
片手で招かれる。
そちらへと向かう前に、後ろからオレのシャツを引いたフルートが、恥ずかしそうに顔を赤らめながら呟いた。
「……ぅお兄ちゃま、わたしはアイちゃんと一緒にいるね? 身体の様子が心配だし……」
「ああ……」
お前、どんだけアイゼンのこと好きなんだ、という言葉はぎりぎりで飲み込んだ。
「頼んだ」
「ぅお兄ちゃま、あの……後で、レーグネンさんと、ぅお兄ちゃまはどういう関係なのか、ちゃんと教えてね……? 義妹として、ほら……ぅ義姉ちゃまって呼んだ方が良いのかとか……」
「……お前、何か変なこと考えてないか? どういうもこういうも――」
「――何やってる、ヴェレ! 行くぞ、時間が惜しい!」
お前が言うな、というツッコミをオレの脳内に残しつつ、何だかもじもじしているフルートを置いて、オレはレーグネンに引き立てられるようにしてその場を離れた。
っていうか、さっきからずっとレーグネン見てもじもじしてたのは、惚れた腫れたじゃなくて、そういう意味だったのか、我が妹よ。
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剣戟から最も遠く、自陣の奥に、彼はいた。
白銀の鎧纏う男達に囲まれて、碧の瞳を少々潤ませている。
相変わらず、お人好しだ。
知らず、唇が緩んだ。
微笑みかけられたと思ったのか、向こうの表情もくしゃりと崩れる。泣き笑いのような顔で、オレの名前を呼んだ。
「……ヴェレ!」
「只今戻りました、シャルム王子殿下。帰還が遅くなり、申し訳もなく……」
即座に、その場に跪いた。
まさか部下達の目の前で泣き出しはしないだろうが……目を合わせ続けていれば、その内鼻を啜るくらいはするかもしれない。そういうヤツなんだ、シャルムというヤツは。
今の一瞥だけで、そのことを思い出した。
彼のそういう性格に不足を感じていたこと。
そして、そんなオレの態度にも関わらずシャルムは友情を隠しもしなかったこと。
……そのことが、あの頃のオレにとって、どんなに。
好悪入り混じる感情を表現しかねて、オレは頭を下げたまま目を伏せ続けた。
見えもしないのに、頭上から失望の思いが伝わってくる。
臣下としてではなく、友として遇せと言いたいのだろう。
しかし、王室騎士団の面々が見ているのだ。王子に対する礼を失した行為は慎まねばならない。
……とか考えて黙っていたら、頭上から、ぽこん、と拳骨を食らった。
「麗しき我が愛玩動物は頭が固いからな。拳骨程度では痛みもせぬらしいが」
「……おい」
非難の意を込めて見上げると、涼やかな目元で笑い飛ばされる。
「あなたはもう王国の臣下ではない。俺の愛玩動物だ。礼を取る必要はない。王子殿下と対等に礼を交わすのは俺であり、あなたではないのだ」
「愛玩動物……あの、レーグネン閣下……」
「昨今の魔王領では、ふらんくなのが流行りでな。レーグネンと呼び捨ててくれ」
「あ、では私のこともシャルム、と」
2人とも相手を見誤らず会話をしているが、ドラートに囚われる前から交渉を続けていたそうだから、一度くらいは顔を合わせたのだろうか。オレがいつも張り付いていたと言うのに、いつどこでどうやって……と考えてから、ふと思い付いた。
魔王の影役をリナリアが務めていた、と話していたが、同じようにしてオレの目をくらますことが出来たのかも知れない。
正直、リナリアは気配が掴みづらく、どこか神出鬼没なところがある。いつの間にやらリナリアとレーグネンが入れ替わっていたとしても、オレには気付けぬやも……。
いや、逆の可能性もある。
リナリアがレーグネンの名代として、交渉を続けていたのかもしれない。リナリアがいないことに気付かぬオレを置いて。
「さて、先にリナリアがお伝えした通り、我らは手を取り合い、王弟ドラートと朱雀将軍との連合に立ち向かわねばならぬ。このことにつき相互の認識は等しいはずだ」
「そうですね、眼前の敵は共通しています」
「まずは、ここであれらを抑えねばジリ貧だというのも分かっているな?」
「ええ、私は。でも、ジリ貧どころか、生きて帰れないんじゃないですか、あなたは?」
いつになく意地の悪い口調のシャルムを、オレは二度見することになった。機嫌悪そうに眉根を寄せているのは、拗ねている時の癖だ。
こういう、心情が顔に表れすぎてしまうところがまた、オレにとっては主として不足を感じる部分でもあったワケだが……。
レーグネンが魔王領に戻るには、ここまで来たときと同じく王国西方を通り抜けねばならない。西方を押さえるドラートの勢力拡大を許せば、魔王領まで戻るというそれだけでも危険になることは間違いない。
それどころか、朱雀の言葉を信じるなら、魔王領にも居場所はないかも知れない。
それは分かっているのだが……そのことをあえてここで口に出すのは、牽制か、激励か。はたまた単なる反発か。
一瞬目を見開いたレーグネンは、にんまりと唇を歪めて返した。
「おや、事前に聞いておったよりも、中々に刺激的。意外に性根が曲がっておって、俺好みだな」
「お褒め……頂いてるのですかね? 我が国の大切な臣下を横から掠め取るような方に、曲がった根性などと言われたくもありません」
幼い頃の拗ねた時の声そのままの口調を聞いて、オレは額に手を当てた。
シャルムはどうやら、レーグネンのオレに関する扱いその他が気に食わないでいるらしいらしい。
勿論、こういうところからオレをからかうのが大好きなレーグネンは、即座に差し出された餌に食いついた。
「……存外モテておるな、ヴェレよ。主としては鼻が高いと言うべきか」
「やめろ。あんたの冗談はそいつにはちょっと毒が強過ぎる」
穏便におさめようと窘めたが、何故か反対側から苛立ち紛れの攻撃が飛んでくる。
「ふーん……ヴェレはえらく青龍将軍閣下と親しくなったみたいだね。もう私のことはどうでも良いってことなのかな? 私達の間で築いた友情とかそういうのは、忘れちゃったってこと?」
「……何でそうなるんだ」
「私には毒が強すぎるって、君自身はその毒に慣れちゃってるってことでしょう?」
「そういう意味じゃない!」
叫んでも、シャルムのじっとりとした視線は変わらない。
何なんだ。
これじゃ、浮気して女に責められてるみたいだ。シャルムが女なら、それだって可愛いのかも知れないが……男なんだよな。
何が悲しくて、立ち並ぶ騎士達に好奇の目で見守られつつ、まるで男に取り合われているような立場にいなければならんのだ。
頭を抱えたい気持ちを押さえて押し黙ったが、背後のレーグネンの笑い声は消えない。
「くふふははははっ! よろしい。ヴェレが誰のものなのかは、この戦場を乗り切ってから、改めて話をつけよう。俺のものだと宣言するのはそれからとしておく。シャルム、あなたもそれなら良いだろ?」
「ええ、そうして頂ければ。彼にはまだ、我が国に戻るという選択肢があるのですから。……ですが、まずは手を取り眼前の敵を退けましょうか」
「うん、では同意をもらったところで、言っておかねばならぬことがある」
シャルムが視線で促すと、レーグネンは微かに眉を寄せた。
「残念なことに、俺の召喚する青龍は、朱雀と相性が悪いのだ。正面からでは、まともに朱雀を押さえることは出来ん。白虎を呼ぼうにもアイゼンのあの様子ではムリだ。四神将軍の残りの1人、玄武将軍シャッテンは行方不明らしいから、このままでは、向こうにもう一度朱雀を呼ばれると、ちょっと勝ち目がない」
「……何ですって?」
「――そこで、考えがある」
シャルムの慌てた声にかぶせるように、レーグネンはにんまりと笑って答えた。
こんな楽しそうな顔をしているからには、コイツの考えてることはどうせロクでもないことなんだろうなと諦め半分で受け入れる気持ちになった辺り、やっぱりオレはレーグネンの毒に耐性が出来ているのかも知れなかった。




