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3 非存在の証明

「あれは……愚者火イグニス・ファトゥスだな」


 扉の隙間から目だけを覗かせて外を観察しながら、少女が囁いた。

 言われて少女の頭越しに見れば、宙を浮く火の玉が3つ、不自然に木々の間を惑うように揺れている。

 私の隣に立つ緋色の女が、目尻を釣り上げた。


「では、やはり朱雀将軍の手のものですね」

小鬼ゴブリン族の手元火だろう。南方を出てこちらまで回ってきているとは、随分と動きが早い……」


 息を潜め語り合うその会話は、不穏な言葉を交わしているにも関わらずどこか艶めかしい。

 緋色が少女の肩を抱きながら、悔しげに呟いた。


主様ぬしさまの不在を聞きつけてもうここまで来ているとしたら、東方はどれだけ荒れてしまっていることでしょう。無事お戻りになった時、ご不便がなければ良いのですが……」


 くくっ、と笑った少女が、その手を上からなぞる。


「戻れれば、の話だな。まずはアレらを退けねばならぬ」

「わたくしが時間を稼ぎましょう。その間に主様ぬしさまはお逃げくださいませ」

「あなた1人をここに残していく気はないよ、リナリア」

「主様……!」


 この女どもは、放っておくと、2人の世界で勝手に延々といちゃつき合うことになるらしい。

 ため息をついた私は2人の間に片手を突っ込み、その手を左右に振って無言のまま、ここにいるぞとアピールした。


「……おや。どうした、ヴェレよ。何をしに来た。寝台を勝手に降りてはいかんぞ」

「もう大丈夫だと言っている」


 ようやくこちらを向いた少女に軽くたしなめられたが、先に脱線しながら散々語り合った甲斐があったのか、それ以上は特に何も言われはしない。

 少女の視線を盗られた緋色の女が、恨めしそうにこちらを見上げる。


「……わたくしと主様の邪魔をするとは、ほんに、役に立たない上に邪魔な生き物」


 やはり、あのまま死ぬまで放っておけば良かったかしら……などとぼやく声に割と本気の殺意を感じたので、慌てて話を変えた。


「そんなことより、アレを何とかしなければならぬのだろう。何か方法はあるのか?」


 問えば、目を見合わせてから、2人はそれぞれにこちらを見上げる。

 きょとんとした顔で不思議そうに問うた。


「それを聞いてどうするのだ、手助けでもするつもりか? あなたにはただの火の玉に見えているかも知れぬが、あれは正真正銘魔族だ。そもそも、魔族に追われるなど、事情がありそうなヤツだとか思わんのか?」

「怪我人に心配されなくても結構ですわ。わたくしがいる限り主様には指一本触れさせませんもの。妙なことにかかずりあってないで、怪我を治すことに専念しなさい」


 口々に言われるが、まあ……半分くらいは怪我人に対する優しさなのだろう。そう思っておいた方が平穏だ。

 魔物に追われていることから、一筋縄ではいかない問題を抱えているなどというのは自明の理であった。

 しかも、先程リナリアが口にした『朱雀将軍』というのは――言った本人もマズいと感じたのか、その後は言葉にしなかったが――魔王領の大物だ。

 よりによってそんな大物に追われているなど、魔王領で一体何をやらかしたのだか……共にいるというだけでこちらの状況もマズくなってくるだろうとは、とうに推測がついていた。


 関わらない方が良い。

 分かっている、関わらない方が良い。

 既に1人で立って動けるのだから、このままそっと裏口から出ていけば良いだけなのだ。


 分かっているというのに、そうしないオレは何なのだろう。 

 あの絶望の雨の夜、真っ直ぐに伸ばされた手の白さが、ふと頭を過る。

 思い出せば、紅の瞳に胸が温まるような感触がして――いや、違う。

 オレはそんな恩だの義理だの感じるような人間ではない。


 そうだ。多分、大したことでもないと思っているだけなのだろう。

 ある程度なら。

 多少だったら手助けしてやっても良いんじゃないだろうか。

 目の前に朱雀将軍がいるなら問題だが、2人の口ぶりではあの鬼火は小鬼ゴブリン族のものらしい。小鬼ゴブリン程度なら、剣さえあれば何とでもなる。

 強大な敵を前にして、最後まで庇ってやるとは言えないが、礼節を思えば生命を救われた分の返礼くらいしても良い……そういう気分なのだろう。

 ……まあそれも、こんなオレにまだ礼節というものが残っていれば、だが。


「……剣は?」


 尋ねると、少女が紅い瞳をますます大きく見開いた。


「打って出るつもりか? 怪我をしているのに?」

「こう見えても騎士だったんだ。小鬼ゴブリンならば何度も斬ったことがある」

「幾らくたびれてはいても騎士に見えぬとまでは言いませんが……何故なにゆえ我らに肩入れするつもりなのです?」


 どこか期待を込めた少女の眼差しと、不信を含ませた緋色の口ぶり。

 両方を受け止めて、私は軽く肩を竦めた。


「……ならば、お前達は何故私の生命を救った?」


 リナリアの代わりに、少女が頬を緩める。


「あなたが、俺に忠実な愛玩動物たると誓ったからだ」

「愛玩動物ならば、あるじを守るものだ。それで良いだろう?」


 その軽口に乗せて言い返せば、ますます嬉しそうに少女は笑った。


「良かろう。存分に働け」


 その傲慢な励ましに苦笑しながら応えようとして――ふと、少女の名を知らぬままであることに気付いた。

 向こうはこちらの名を既に知ってしまっているのだ。

 事情は問わずとも、名前くらいは問うても良いだろう。


「……お前の名前を、まだ聞いていなかった。あるじというなら、無事勝った暁には、私にその名を呼ぶ栄誉を与えるくらいはするだろうな」


 古来より、姫君の名を呼ぶ権利は真に認められた騎士のみに許された栄誉だ。

 まだ年端もいかぬ――それもどこの何者とも分からぬ少女に対し、そんな権利を本気で求めるつもりはなかった。

 だが、ここまでからかわれ続けた苛立ちを晴らしたい思いで、皮肉混じりに口にのせた。

 一瞬口ごもった後、少女は苦笑混じりに眉を寄せる。


「そうだな……そう言えば、俺の名は何であると言えば良いのだろう……」

「何故この期に及んで隠すんだ。己の名を知らぬということもあるまい」

「いや、知らぬと言うか、ないと言うか……さしあたり名を呼ばれる必要もなかったから、考えておらなんだのだ」


 どういう意味か一瞬図りあぐねたが、リナリアという従者が常に「主様ぬしさま」と呼んでいることを考えると、2人でいる限りは特に名前は必要なかったということだろうか。

 それにしても、こう成長するまで一切名前がないワケもない。

 隠したいと言うなら従ってやっても良いが――


「――では、名を言わずとも良い。何と呼べば良いか教えろ」

「呼び名か?」

「そうだ」

「……俺には特に希望はないな。あなたが呼ぶ名だ、あなたが決めて良い」

「ふむ」


 それで良いならこちらにも異論はないが、女児の名がぱっと思いつくような人生など送っていない。

 何か糸口はないかと上から下まで眺めていたら、横から緋色の女に肘突きを食らった。


「いやらしい……! 主様をどんな目で見ておるのですか!」


 断じてそんな目で見てはいないが、そう言われればこれ以上凝視することもはばかられる。

 最後に横目でちらりと見たところで、その白銀の髪と小生意気な紅の瞳が、脳裏に残る記憶と重なった。


 ――かつて戦場で、大空を己が物と翔けていたアレと。


 泥を噛みながら、羨望とともに地上から見上げたその姿。

 天空の支配者。雲居に座す魔王軍の首領トップ

 四神たる青龍を従え、並びなき魔術を操る者。

 風に散る長い白銀の髪を棚引かせ、両の角にて天を刺す。

 紅の瞳にて地上を睥睨する、その魔物の名を――


「……レーグネン」


 魔物の名を、魔王軍青龍将軍レーグネンと言った。

 意識もせず、すんなり口から名が漏れる。

 音にもならぬ小声だったはずなのに、少女は耳聡く聞き取り顔を近付けてきた。


「……ふむん? 何ぞ聞き覚えのある名だが……あなたは俺をその名で呼びたいと思っているのか?」

「あ、いや……」


 ふと思い出して口にしただけだ、とは言い損ねた。

 目の前の少女が、あまりにも不思議な表情をしているような気がして。

 微笑んでいるような、どこか痛いような。

 何か喪ったものを見つめているような。

 だが、瞬きの後、唇を歪めた少女は元の不敵な表情に戻っていた。


「なるほど……レーグネン、な。よろしい、その名で呼ぶが良い。高雅なる我が名を初めて呼ぶ栄誉を、あなたに与えよう」

「お前が良いなら……レーグネンと呼ぼう」


 女児の名に相応しい響きではないようにも感じるが、それを気にするような者はここにはいなかった。

 早速呼んでみせると、いとけない満面の笑みを浮かべて、少女は――レーグネンは答える。


「では、互いの名も交換したところで、改めて――この場はあなたに任せるぞ、優艶なる我が愛玩動物よ」

「……良いだろう」


 重々しく答えると、レーグネンはぱちりと瞬きをし――そして、無言のまま1つ頷いて見せた。


 隣のリナリアがどこか不安げな様子をしていることに、このとき、実は気付いていた。

 気付いてはいたが、大したことではなかろうと、特に気にはしなかった。きっと異様なほど仲の良い女達の関係において、オレが邪魔者になるんじゃないかとその程度の不安なのだろうと勝手に思っていたのだ。

 ……後から考えると、これが最後の分岐点だったのだ。

 ここで、リナリアの態度に言及さえしておけば――多分、もっと早くに、この少女の姿をした魔物の手から逃れられていたのかもしれなかったのだが。

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