19 有意義な同盟
「魔王陛下――いや、レーグネン、といつも通り呼んだ方が良いのか?」
「どちらでも。俺の方はいつだってあなたに対する態度は変わらぬだろ」
唸るように問うアイゼンに、青年の姿をしたレーグネンは苦笑で返した。
例のひらひら夜着を脱ぎ、そこらの部屋で見付けたチュニックと下履きに着替えた青年将校の姿は、困ったような表情を浮かべていても、麗しさの中に凛々しさが見える。やはり女性の姿のときとは違う。
オレの横でフルートが何やらもじもじしているのも、何だか腹立たしい。
兄妹揃ってあいつの外見が割と好みってことなのだろうか。
いや、別にオレは……好みとかそういうことではないんだが。
まあ、あのままでいりゃ良かったのに、と思わなくもないが……どうやらあの姿だと、知っている者からは魔王であるとバレバレになってしまうので、不都合がある――のだろうか?
聞いてみれば良いのだろうが、口に出すと「何だ、そんなに女の姿の俺が好きか」とかからかわれそうで、中々言い出せないでいる。
召喚した青龍の目くらましを味方に何とかあの場を逃げ出したが、外は王子の連れてきた騎士団と王弟ドラートの配下とがぶつかり始めたらしい。隠れている館の一室の窓から、こっそりと門前から広がる庭を見下ろしてみると、既に混戦状態になっていた。
「どうだ?」
真横から問われて振り向けば、予想よりも近くにレーグネンの白い額がある。一瞬身を引いた。
「……? 何を面食らった顔をしておるのだ」
「近過ぎるだろうが」
「何が」
「あんたが、だ」
「……ほう」
にやにや笑われた。腹立たしい。
「なるほどなるほど」
「何がなるほどだ」
「あなたは魔王の姿の俺よりも、この男の姿の俺の方が、近寄られるとドキドキするというわけだ?」
「なっ――!? ちょ、くだらんこと言うな、このバカが!」
思わず本気で怒鳴り返すことになった。
誰が男にドキドキするものか。誰が。
やっぱ女に戻れって言っときゃ良かった。
「うむうむ、道理で道中、愛らしくも艷やかな少女の俺には手を出さずに来れたはずだ。今となってはむしろ呪いも有り難い話だったな。中々に、運命のタイミングというのは面白いものよ」
「違……! やめろって言ってるだろ!」
幾ら綺麗な顔をしていようが、男にはこれっぽっちも興味などない。
思わず距離を開けたくなったのは……男に戻っても、どこかに女の時の名残があるからだ。
例えば、薄い唇の整った形とか、その隙間から白い歯が濡れて光る様子なんかに。
頼むから、その顔でオレに近づいてくるな。
オレが助けたかったのは誰だったのか、分からなくなるだろが……。
「いちゃつくのはいい加減にして、外の様子を教えろ」
横から首を突き出したアイゼンが、レーグネンの背中を叩いた。どうやら気持ちが固まって、魔王に対するのではない、青龍将軍に対する態度を取ることにしたようだ。随分と気安い。
レーグネンも叩かれて嬉しそうに笑っているのだから、こういう方が楽なのかもしれない。
魔王陛下と傅かれているよりも、よほど。
「ぅお兄ちゃま……」
俺の背中を宥めるように、フルートが撫でている。
こちらはこちらでタイミングが良い。アイゼンとの連携・役割分担も完璧だ。
4人で窓からこっそりと下を眺めていると、ふと、地上を駆け抜ける鮮やかな緋色の衣が見えた。
「――ああ、あんなところに俺のリナリアが!」
途端にレーグネンが感極まった声を上げる。
アイゼンが呆れて肩を竦めた。
「君の従者は相変わらず、良く働くな」
「それはもう、それこそが俺の愛しいリナリアだからして」
「溺愛っぷりも相変わらずか……」
褒められて有頂天のレーグネンとは裏腹に、アイゼンの声は冷たい。
「あれだけ忠告したと言うに……」
「仕方あるまい。リナリアは華なのだ。愛でずにはおれぬ」
「しかしだなぁ……」
が、それに続く言葉は出てこなかった。
黙って手のひらを上げたレーグネンの思いに従い、アイゼンが口を閉じたから。
「何度言われようが、気持ちは変わらぬ。そんな無駄な水掛け論よりも、まずはリナリアと合流し……シャルム王子と足並みを揃えようではないか。このままでは、シャルムは館の中に入れるようになるまで攻め続けるぞ。あまり長引かせると街の方から朱雀将軍の兵たちがやってきてしまう」
「あんたさっき、リナリアを動かして同盟を結んだと言ってたが……シャルムは、何を目的に来てるんだ。同盟相手のあんたを助けようとしてるのか?」
館に入れるまで攻め続けるとは、シャルムらしくない。
あいつは、ダメなときはあっさりと諦めるタイプなのだが。
「魔王領の朱雀将軍と王弟ドラートが手を結び、王都に攻め入ろうとしている、などと聞けば……そりゃあ真意も確かめたくもなろう」
「王都に攻め入る――本当ですか!?」
フルートの方へと視線を向けたレーグネンが、再び笑顔で頷き返す。
「昨今、王国の西方地域で異様に物価が上がっている。クヴァルム伯爵領の軍拡も同じ理由だろう。リナリアが交渉に向かってから、これまで時間がかかったのは、多分確認しておったのだろう。俺の予想が真実かどうかを」
「クーデタ、か?」
「まあ、正確にはリナリアと会ってからでないと分からぬが、そういうことだ。今の俺は国賓と言う名の証人のような扱いになっているのではないかな。あるいは、魔王領との唯一の糸、交渉によっては兵を引き出し共同戦線を結べる相手。もしも俺というチャンスを逃せば孤立無援で王弟と戦わねばならぬ訳だから、まあ助けにくるだろうな。王子本人でなくても、その周囲の者が黙ってはおかぬはずだ」
「ドラートと朱雀がクーデタに成功すれば、敵対してたシャルム王子は無事ではすまないものね……」
「そうだ。まあ、シャルム王子はもう1つの餌に食いついたのかも知れぬが……」
レーグネンの紅の瞳が、オレを捉える。
何となく言いたいことは分かってしまったのだが……念のため確認して見る。
「おい……もう1つの餌、とは何だ?」
「この流れで大体分かるだろ。あなたが実は死んでおらず、無事に西方から戻って今はドラートに囚われているという情報を、一緒に渡しておいたのだ」
「おいたのだ、じゃないだろ。オレは別に囚われてるワケじゃない。大体それじゃまるで……」
シャルムが、オレを助けに来たって言いたいのか。
言おうとして、他の3人が何やら微笑んでいることに気付いたので……口を閉じた。
ここで彼らに問うても答えは出ない。本人に聞いてみる他は。
「ん、まあ……あなたが囚われてるというのはちょっとオーバーかも知れんが、実際に人質を取られていたのだから、まあ良いじゃないか。結果として俺が意図した通り、あなたはシャルムにつくことにした。だから俺を助けにきたんだろ? タイミング的にちょっと早すぎる気もするが……大筋としては間違ってない」
何もかも分かっている、とでも言うように、ふっ、と鼻で笑う仕草が腹立たしい。
何か言い返してやりたいのだが……「シャルムにつくためにあんたを助けに来たんじゃなく、あんたを助けるために魔王領につくことにしたんだ」とは言えない。まさか言えない。
「さて、リナリアと合流しようじゃないか。そして、シャルムとともにドラート・朱雀の連合軍を退けよう」
「ああ」
「君が――魔王陛下が何を企んでいるのかも、後でしっかりと教えてもらうからな」
「んっ!?」
ぽん、と肩を叩かれて、レーグネンが慌てた声を出す。
「何を企んでいる、とは……? アイゼンよ、俺がいつ何かを企んだと言うのだ」
「だから、何故君が魔王と青龍将軍を一人二役しているのか、ということだよ」
「あー……それは……」
「うん、今は詳しく聞いている時間が惜しいからな。朱雀を倒してからだ。長年騙していた恨み……覚悟しろよ」
肩を掴んだ手にぎりぎりと力が入っているようにも見えているが……オレ達の誰も、本人たるレーグネンすら、そのことには言及しなかった。




