18 有難い加勢
朱雀から浴びせられる蔑みの視線も、甘んじて受けようじゃないか。
レーグネンの背中の影から出ようとしたが、後ろ手で軽く遮られた。
ぐるる……と、アイゼンが横で唸る声が響いている。
その肩を抱くフルートも、事情が分からないながらオレ達の様子で何かを悟ったのだろう。グルートをしっかりと睨み付けた。
廊下の向こう、対峙するグルートに向けて、レーグネンは歩を進める。
目の前の細い肩に力が入り、オレから更に一歩、離れて敵へ近づいていく。
「俺の愛しい愛玩動物に危害を加えるつもりなら、先に俺が相手になろう」
今までにない形容詞の位置に、後ろで聞いていたオレの方が慌てそうになった。
いつも「俺」の美しさばかり形容してたんじゃなかったのか!?
何で今、そこにその形容詞を付ける! やめろよ、そういうの!
……不穏な何かを感じてしまうじゃないか。
グルートが呆れた視線を投げてきた。
「貴様が後ろに庇うのは、王国の王子を裏切り、王弟ドラートを裏切った男だぞ? 一度裏切る者は二度、三度と繰り返すものだというのに、竜族の情が深いのは相変わらずだな。反吐が出そうだ」
「結果として俺のところへ戻ってくるのだから、構いはせぬよ。俺は自分へ捧げられる愛情は疑わぬし、そもそも、俺が愛することと俺が愛されることは別に等価値ではないのだ。もっと言えば俺の愛の方が偉大で重要で何物にも優先する」
「ほう?」
「だから……相手がどうでも、俺が愛していればそれだけで俺の傍に置く理由になる、ということだな」
一瞬、目を剥いたグルートが、すぐにけたたましい笑い声を上げた。
「何だそのザマは、魔王! 貴様、恋に落ちた娘のようなことを言っているぞ!?」
「うん、まあ……そういうのとは遥かに隔てて全くそういうことではないのだが、あなたがそれを恋と呼ぶならそれでも良いさ。俺は愛しい者は愛しいと言うし、その愛しさに恋と愛の区別をすることはせぬから」
飄々と答えているが、後ろで聞いているオレは居た堪れない。
おい、と肩を掴もうとしたが、それを振り払うようにレーグネンはまた一歩、足を踏み出した。こちらには一切視線を向けぬまま。
その首筋がほんのりと赤くなっているように見えたのは――あれか? オレの気のせいか?
気のせいかも知れない。いや、多分気のせいだ、絶対。そうに違いない。
「俺は艶に舞うリナリアを愛しているし、戦場の華たるアイゼンを愛している。そしてそこの……可愛ゆらしい愛玩動物もまた……その……うん。等しく俺の庇護下にある。だから、手出しをするなら容赦はせん」
まだ笑いのおさまらないグルートが、息を弾ませながらレーグネンを睨め付ける。
「……なるほどな。ならば、その犬に仕置をしようと思うなら、先に貴様を倒さねばならんと言うことか」
「まとめてしまえばそういうことになるな、反逆者よ」
皮肉な笑みを浮かべたままじりじりと近づいてくるグルートを、レーグネンは落ち着き払って見据えている。
「見たところ、あなたには勝ち目がないように思えるぞ?」
周囲を軽く見回す仕草をして、からかうように口を開いた。
まあ、どんな時でも大抵楽しそうにしているのが、この男――いや、今は露出度そこそこの薄衣を纏った女――なのだが。
「はっ……何をもってそんなことを言う?」
気持ちを別にすれば、事実としては、呆れた様子のグルートに同意せざるを得ない。
どう考えても多勢に無勢はこちらの方だ。グルートの連れている騎士達は、近衛隊の精鋭。幾らアイゼンとレーグネンがいるとしても、そうそう簡単に切り伏せられるとは思えない。
魔法を使うにしても、向こうにだってグルートがいるのだ。
が、レーグネンは楽しそうに笑い返している。
「投降しろとは言わんが……退いた方が良いのじゃないか? あなたの辞書に『戦略的撤退』という言葉があるのなら」
「貴様が本当にレーグネンだと言うなら、その回りくどい辞書にはあるのだろうな。俺にとってはそれは敗北と同意義だが」
「おや、残念なこと。それこそ、同意義たる敗北を味わうしかないぞ」
「どの口でそれを言う?」
グルートの言葉を合図にしたように、周囲を取り巻いていた騎士達が、それぞれに剣の柄へ手をかける。
「囲まれているのは、貴様らの方だ」
「しかし、館を囲んでいるのはシャルム王子――俺の同盟相手だ。交渉は後一歩というところまできていたが、最後の一手はリナリアがうまく動かしてくれたらしい」
ではやはり、先ほど見たと思った緋色の影は、リナリアだったか。
交渉が後一歩とは、いつの間に王子と繋ぎをとっていたのだろう。
レーグネンは王都に来てから、毎日オレと一緒にいたように思っていたが。
悩んでいる途中で、レーグネンの指先がちらりと合図をしたのが見えた。
それは合図に見えなくもない、という程度の動きではあったが――オレにはしっかりと見えた。
いつかとは違う。
今度は間違えない。
黙って、腰の剣に手をかけた瞬間。
「――ヴェレ!」
レーグネンの呼びかけに応じて、オレは剣を抜きながら前に走り出た。
魔術を放つまでの詠唱の時間を稼ぐのは、いつもならリナリアの役割なのだろう。だが、彼女がここにいない今、オレが前衛を務めねばならない。
跳び込んだ勢いに任せて朱雀の正面から斬りかかるが、さすがにそれは横から出てきた騎士に止められた。すぐに弾いて、別の騎士達との剣戟に備える。
掲げられた剣の光の向こうで、朱雀が苦笑いを浮かべている。
「魔物とは違い、『穢れの民』も同じ高等生物たる人間だと一応は認めてやったと言うのに……駄犬は駄犬か。――竜も犬も死霊どもも、皆等しく我が前にひれ伏せ!」
「おおおおぉ! 犬を馬鹿にするなぁ!」
叫びながら、後ろからアイゼンが突っ込んできた。
何やら変なところで腹を立てているような気がするが、本人は真面目な顔をしている。ついでにフルートまでアイゼンの後から拳を振り上げて向かってきているので、オレとしては堪ったもんじゃない。
「おい、フルート! お前は下がれ!」
「大丈夫よ、ぅお兄ちゃま! うまいことこの人から剣を貰ったわ!」
オレだけに集中していた騎士の1人を、後ろからぶん殴って、大剣を入手したらしい。
自分の両手の長さと同じくらいある大剣を派手にぶん回しながら、向かってくる者を薙ぎ倒している姿を見ると……ああ、オレの妹だなぁという感慨があったりなかったり。
背後のレーグネンが苛立ちとともに宣言する。
「生命に優劣などあるものか! あなたのそれは劣等感の裏返しでしかないと、何度言えば分かる! そちらがその気なら、こちらも本気で行くぞ。『――其は宙空を降る春の息吹――』」
呪文を詠唱する声が、背後から流れ始めた。
騎士達の相手をフルートとアイゼンに任せ、オレは朱雀の方へと駆け寄る。レーグネンにとって最も注意すべき人物はアレのはずだ。
が、剣も抜かず無手のまま、朱雀はするりするりとオレの剣をかわす。
この動きの何がただの人間だと言うのか。
体格ならオレの方が勝っているかも知れないが、そういう問題ではない。予想を超える素早さとしなやかな動きは、十分に脅威だ。
少しばかり焦れて距離を詰めようとした――瞬間。
「――『艶冶なる我が下僕、清浄なる碧空の覇者――青龍よ、疾走れ』! 皆、下がれ!」
レーグネンの指示に従い道を開けた途端、現れた青龍が咆哮で空気を震わせながらオレの真横を駆け抜けた。
のたうつ巨体が並み居る騎士達を押し倒し、真っ直ぐにグルートへと向かっていく。
その姿を唇を歪めて見ていた朱雀将軍は、レーグネンを睨みながら囁いた。
「――『燃え盛る焔支配する、業火の主、勇猛なる我が下僕――朱雀よ、翔けよ』!」
グルートの正面に現れた赤い怪鳥が、燃え上がる両羽を広げ、嘶きを上げる。頭上に輝く金の冠羽を振り乱し、朱雀の上げた甲高い鳴き声が廊下を震わせた。
その羽に動きを遮られた青龍が、恨めしそうに身体を曲げ、瞳孔の細い青い瞳で巨鳥を睨む。裂けんばかりに大きく開いた口の奥から、轟くような雷撃が放たれた。
四神の二柱の対立に、固唾を飲む。
絡み合う焔と雷。
どちらかが口を開く度に、耳をつんざくような咆哮が脳を揺らす。
青龍と朱雀、どちらが勝つのだろう……。
呆気にとられて見ているうちに、揉み合った勢いで朱雀の身体に体当たりした青龍から、激しい水蒸気が吹き上がった。
急速に視界が悪くなり、周りにいたはずの騎士達の姿もぼんやりとしか分からなくなる。
このまま斬りかかれば、同士討ちもしかねない。立ち止まったオレの背中を、後ろから誰かが引いた。
慌てて振り向けば、青年の姿に戻ったレーグネンの紅い瞳が、悔しそうにこちらを見上げていた。
「……今の内だ。退くぞ」
「何だよ。あんた、これを狙ってたのか? さっきは『負けるのはお前だ』的なこと言ってたくせに」
「威嚇だよ。そもそも青龍は朱雀に対する相性が悪いのだ。それに……」
言葉を切り、ちら、と自分の胸元を見てため息をつく。
「この姿で長く人前におるのは、さすがの俺もあまり気が進まん」
レーグネンに合わせて視線を下ろせば、美男子とは言え彼が着ているのは女性用の夜着で――まあ、あれだ。薄い布の一枚下に何があるか、柔らかい素材故に全部分かってしまう。身体にそう滑らかな生地は、確かに男の纏うものではない。
一言で言えば、似合わん。
「そんな顔をするな、俺だって好きで着ている訳では――なくはないが、こんなことになるとは思っていなかったのだ。青龍が朱雀を抑えていてくれるのを有難く、一旦退散して……うん、着るものを探そう」
「着るもの……」
今後の計画はそれで良いのか、と思わなくもないが。
かく言うオレも早めに着替えて欲しい、と思ってしまうのだから、まあ間違ってはないのだろう。




