17 有り丈の思い
「久しぶりだな」
アイゼンからオレの方へ戻された紅の瞳が、静かに細められた。
数日ぶりに見たレーグネン(?)の笑顔は、何の陰りもないように見える。
裏切り、踏み躙り、放り捨てた――その張本人を目前にしても、まるで憎しみなどどこにもないかのようだ。
いや、アイゼンの言葉が正しいのなら、目の前にいるのは魔王――なのか?
「レーグネン――それとも、魔王……? 貴様、どちらだ?」
警戒の混じった私の問いかけを聞いても、レーグネン――だと私が思っていた相手――は、破顔一笑するだけだ。
「おや、数日会わぬだけで、途端に俺が誰か分からなくなったか。優美なる我が愛玩動物の知能は相変わらずのようだな」
「あんたな――」
「――魔王陛下! 何故あなたがこんなところへ!? 魔王領は……」
文句を言いかけたが、アイゼンの言葉に遮られる。床に膝を突いて、狼人の将軍は縋り付くような視線でレーグネン(仮)を見上げる。
「まさか、まさか私を助けに来たなどとは言いませんね!? あなたが魔王領を離れるなんて、これでは朱雀の思う壺ではないか!」
「うんうん、まあ、とりあえず立ちなさい。落ち着いて話をしようじゃないか、な?」
「落ち着いてなどいられません! あなたは知っているのですか!? ヴェレ曰く、朱雀は東方を手に入れたなどとのたまっているそうじゃないか! レーグネンは私の為に捕えられ、あなたもまたここにいるなんて……これでは、私のせいで何もかも――!」
差し出されたレーグネン(仮)の手を振り払って叫ぶアイゼンの肩を、後ろからフルートが抱いた。
「ダメよ、アイちゃん。そんなに興奮したら身体に障るわ。この方が魔王さまなの? アイちゃんが魔王さまのことをすごく好きなのは知っているけれど、一度深呼吸して、ゆっくりお話しましょ。ね?」
「ルーよ……」
支えられた手に手を重ねて、アイゼンはようやく息を吐いた。静かに跪いた姿勢から立ち上がる。
彼女が落ち着いた様子を見て、レーグネン(仮)が微笑みを浮かべた。
「どうやら、ずいぶん素敵な友人を得たようだ。敵地に踏み込むのも虜になるのも、悪いことばかりではない、ということかな」
「だからと言って、あなたがここに来る必要はないでしょう」
「うん、あなたのことが心配だったのも勿論あるが、もう1つ仕事があってね。だから、俺――私がここにいたり、魔王領がちょっとマズいことになってたりするのは、決してあなたのせいではないから、安心してくれ」
「安心できません!」
(暫定)レーグネンが、ちらりとこちらを見る。
「うん、そうだな。安心はできん。だが、今言った通り理由があるのだ。説明するからしばし待て。初めから言わねえば、理解出来ん者がおるからな」
「……まさか、オレのことか」
「そう。あなたと、そこの娘御のことだよ」
視線を受けたフルートが、逞しい肩を恥ずかしそうに震わせ、自己紹介を始めた。
「あっ……はじめまして、でしたね。わたしはフルート。アイちゃんの友だちで、ぅお兄ちゃま――こちらのヴェレの妹です」
「俺は魔王軍東部方面青龍将軍レーグネンであり――」
「――魔王陛下!? 何を――」
「――魔王領を治める王でもある。すまぬ、アイゼンにも長くこの仕組みを黙っておった為に、少し混乱させてしまったようだな。落ち着かせるためにもレーグネンたる男の姿を見せてやりたいのだが……何せ、こんな服を着ているものだから。さすがにこのひらひらを男が着るのは少しばかり問題だろ」
今のレーグネン(で間違いないらしい)は、いつかオレが捕らえた時のままの薄い夜着を着ている。あれから着替えることも出来なかったのだろう。多少よれた様子ではあるが、今の女の姿をしている限り美しさを損なうものではない。損なうどころか、似合うと言うか魅了されそうになると言うか……いや、そんな話じゃなかった。
姫君の夜着としては一般的でも、さすがに男が着るものではない。
ひらひらを揺らしながら渋面を浮かべるレーグネンを見て、オレもまた顔を顰めた。咄嗟にそのあちこち透けて見えそうな夜着を着て戦場に立つ「青龍将軍」の姿を想像してしまったからだったりするのだが、あまり詳しく考えたくない。
「青龍将軍であり魔王だと――? 魔王と青龍将軍と、どっちがあんたの本当の姿なんだ」
「どちらかと問われたならば、答えはどちらも、ということになるのだが」
「待ってください。では、私が仕えていた魔王陛下と、友人であるレーグネンとは……」
「うん、どっちも俺だ。まあその……大体の場合は」
「大体って何だよ、おい」
「いや、リナリアが身代わりをしていることも、まれにあるから」
側頭部の角を自分で撫でながら、困ったように答える。
名前が出たところで、そのリナリア。さっき表にいなかったか、と問おうとした時――オレの背後で哄笑が響いた。
「……結局は何もかも貴様の差し金か、魔王! ただで魔王領をくれるとは思っていなかったが、まさかそんな格好でこんなところまで乗り込んでくるとはな!」
慌ててアイゼンとフルートを背中に庇いながら振り向く。
錆びた声を掠れさせ、腹を抱えて笑う朱雀将軍グルートが廊下の向こうからこちらを見ていた。彼の周囲を、見知った近衛騎士隊の騎士達が固めている。
「聞いたぞ、青龍が魔王だと。確かに似ているとは思ったが、竜族とは皆そんなものかと思っていた。まさか魔王と四神将軍を1人2役するバカがいるなどと、誰が思うものか。そうとなれば、青龍を――魔王を捕らえたそこの愛玩動物は、我らの手先としては思っていた以上に有能に働いていたということか」
冷たい視線がひたりとオレに当てられる。
その視線に紛うことなき殺意を見て、一瞬ぞくりとした。
すぐに、オレをグルートの視界から遮るように、レーグネンが一歩踏み出す。
「愚かな。俺がこうして自由になっておるからには、可憐なる我が愛玩動物は、あなた方を騙して逆転を狙ったということだよ。機転の利く部下を持った俺は幸せだ」
言及されているオレ本人が、分かっていた――レーグネンの述べる言葉は事実ではない、と。
最終的にレーグネンを解放したのはオレじゃない。そのことをグルートは知らずとも、レーグネン自身は知っているはずだ。
それなのに、あえてそう騙るのは何故なのか。その心持ちを問い質してやりたいが、こうしてグルートに対峙している限りはそうもいかない。
こちらの気も知らず、あっさりとレーグネンの言を信じたのだろう。グルートは苦笑を浮かべて話の内容を受け入れ、むしろ言葉遣いの方へ言及した。
「……ああ、そうして喋ると、確かに青龍らしく聞こえるな。貴様は魔王領ではもう少し娘らしい言葉遣いをしていたような気もするが」
「そうだな。魔王らしく出来ぬでもないが、こちらが地である故に」
思い返しても、オレと出会った最初の時から、このレーグネン――魔王がそんな柔らかい物言いをしていたことはなかったように思う。
いつだって傲慢で、不遜。
愛くるしい少女の――娘の――美しい女の姿に似合わぬ、傍若無人な態度だ。
「だが、貴様が青龍であろうが魔王であろうが、もしくは……自分で言うとおりの同じ人物であろうが、今、貴様の正体や目的は問わずにおこう。どうせ青龍も魔王も敵は敵、1人でも2人でも、いっそそれに与する他の誰かでも大した問題ではない。全て踏み潰し蹂躙するだけだ。結果は変わらん」
「分かりやすいな。あなたらしい」
「――むしろ問題なのは、貴様の背中のどっちつかずな男だ。味方のふりをして近づいてくるような者には、相応しい罰を与えねばならぬ」
言葉で指されて、オレは拳を固める。
向こうからすれば裏切り者だ、断罪されるのは当然だろう。
いつだって、一族のためなら非難されても構わないと思っていた。
だが、今度は。今度こそ。
この場を切り抜ける決意を胸に固めながら――自分の背中に想う相手がいる幸せを心の隅で感じる。
一族の為でもあるが、それに加えて自分の為であると自覚しながら、朱雀の瞳を睨み付けた。




