16 有合せの遭遇
「……よし、外れた」
がしゃり、と両手の枷が床に落ちる。
これまでの窮屈さを取り戻すように、アイゼンは両手を大きく広げ、伸びをした。
「アイちゃん……!」
一足先に部屋から解放されていたフルートが、鍵を握ったまま、感極まった様子で声を震わせている。目の端に涙を湛えるその姿を見て、アイゼンは口元を緩めた。
「……これでようやく君を抱き締められるな、ルーよ」
「ぅアイちゃんっ!」
呼び合って、ぎゅうぎゅうと力強く抱き締め合う2人の乙女。
その姿を尻目に、オレは扉に取り付けられた小窓から廊下を覗き、部屋の外の監視を続ける。時々ちらりと後ろに目をやるが……実の妹のこういう姿は、どう受け止めれば良いか分からない。
女同士の友情ってこんなに仲が良いものなのか? そう言えばレーグネンとリナリアも道中ひたすらいちゃついていたような気はしなくもないが――いや、そもそもアレは純粋な女同士というのとは違うだろう。
熱い瞳で見つめ合う2人は、今にも口付けすら交わしそうに見えるが、それって友情の範囲なのだろうか。何やら妹が変な道へ踏み込みそうな……いやいや、生命の危険すら感じる状況からようやく解放されたらやはりそれなりの喜びがあるという――
「――ぅお兄ちゃま!」
「お、おおおおう!?」
「何を慌てているの、ぅお兄ちゃま。誰も近づいてきていないわね? 今の内に行きましょう」
「お、おう……」
フルートに背を押されて部屋を出る。
後ろからついてきたアイゼンは、オレが持ってきた王国守護軍近衛隊のマントを羽織りボロボロの衣服を隠しながら、首を回していた。
「……さすがに少し鈍ったかな。乙女の約束通り、王都を出たら少し手合わせしてくれ、ルー」
「もちろんだよ、アイちゃん。乙女の約束だもんね」
何やら乙女の約束とやらをしていたらしい。
過酷な状況を乗り切ってきた2人の大切な約束なのだろうが……内容が内容なだけに、ライバルとも強敵とも言えそうな。
それの何が乙女なのか。
分からん。年頃の娘の考えることは分からん。
「ぅお兄ちゃま、しかめっ面してる。レーグネンさんのこと考えてるのね……」
「うん、まあ顔を合わせづらい気持ちは分かるよ。私と君の間で同じことが起こったとしたら、私は君に何と謝罪すれば良いのか分からない」
「ぅアイちゃん……。平気よ、わたし、アイちゃんのこと信じてる。何があっても何をされても、アイちゃんならきっと何か考えがあるんだって思ってるから」
「ルー……」
勝手に人をダシにして盛り上がらないで欲しい。
そもそも、オレとレーグネンはそんなに信用し合ってる関係じゃない。
そんな信頼があれば、本当は、もっと――。
考えてもどうしようもないことを思いながら、地下牢へと向かう。
歩く途中で、背後のアイゼンがぴたりと足を止めた。
頭上の耳をぴんと伸ばし、どこか遠くを見るような眼で、周囲を注意深く見回している。
「アイちゃん?」
「どうした、アイゼン」
「……外だ。進軍の音がする!」
一声告げて、自ら窓へと駆け寄った。窓の外へ向ける眼差しは真剣だ。
夜闇の中で兵の姿は見えないが、疑う気にはなれない。
「どちらだ」
「西から来ている。騎兵の足音がある、どこかの騎士団だろうか」
西から来るというなら、そして騎兵がいるなら、潜伏している朱雀の兵ではないようだ。朱雀の連れてきていた兵には騎馬がいなかった。彼らが潜伏しているはずの街は、この館から見れば北の方にある。
王弟の館の西にあるのは、王宮、もしくは――王子シャルムの館。
「シャルム王子殿下の王室騎士団かしら……」
ちょうどオレが考えていたことを代弁するかのように、フルートが小さく囁いた。
王宮から来ているにしても、シャルムの館から来ているにしても、その可能性が一番高いと思う。ドラートとシャルムが対立していたのは周知の事実だ。だが、シャルムに、騎兵を率いて館に攻め込むような気迫があるだろうか……。
考えてはみたが、答えの出る問ではない。
向こうがかなり近づいてきたためか、夜の中でもちらちらと軍馬の飾りや鎧の照り返す灯りが見え始めている。
「……何はともあれ、あまり事態が変わらぬ内にレーグネンを解いてやりたい。急ごう」
私の言葉を聞き入れ、頷いた2人を連れ、地下牢へと足を早めた。
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地下牢は、牢と言うだけあって酷い様子だった。
アイゼンの軟禁されていた部屋もどうかと思う状態だが、それでもここに比べればかなりマシだ。オレの一族もここには1人も押し込められていないことを考えれば、一応は――手放しで認めるワケではないが、一応は――それなりに扱われていたのだろう。
立っていた見張りの男の意識を拳で刈り取ってから、落ち着いて辺りを見回してみたが、どこからともなく聞こえる呻き声や泣き声の他は、何が見えるとも言えなかった。階上の廊下のように窓から差し込む月灯りもなく、足元は岩が剥き出しで歩きづらい。
じめじめとした空気に何とも言えない異臭が混じり、いるだけで気が沈む場所だ。
ここにあいつを押し込んだのが己の手によることを思えば、許しを乞うなど有り得ぬことだと改めて感じた。
許してくれ、などと言えるワケがない。
だが、それでもオレは恥を忍んで一族の運命を委ねなければならない。
地下牢は、通路の左手に柵と壁で囲われた個室が並んでいる。
途中、柵越しに中を覗き込みながら進んだが、半死体のような者が時折呻いている。
タオに聞いた通り、手前から3つ目の個室を覗き込み――だが、何故かレーグネンの姿が見当たらない。オレの背中に張り付いているフルートが、抑えた声で囁く。
「ぅお兄ちゃま、タオさんは何て言ってたの? レーグネンさんをどこに閉じ込めたって?」
「地下牢の入り口から3つ目と言っていたから、ここだと思うのだが……」
アイゼンがフルートの後ろからオレの背中を叩き、オレ達の前へと歩み出た。
くん……と空中に向けて鼻を鳴らしてから、こちらへと目線を戻す。
「どうやらレーグネンがここにいたのは事実のようだ。匂いが残っている」
「匂いか」
「うん、どこかに移されたんだろうか」
「だとすると、どこに連れて行かれてしまったのかしら。ドラートの野郎のところだと少し面倒だわ」
「匂いを辿って何処へ行ったかまで判別出来れば良いんだがな。私には精々ここにいたのが誰なのかを見分けられる程度だ」
そう言えばアイゼンは、初めてオレと会った時もそんなことを言っていた。
残り香で人を見分けられるということか。
オレの視線を受けて、アイゼンが唇を歪める。
「レーグネンの匂いは他の者よりも分かりやすい。少し癖があるし……それに、とても似ているから」
「似ている、とは?」
「それが……」
アイゼンは答えを返そうとして――ふと、頭上の耳を再び高く掲げた。
「どうしたの、アイちゃん」
「……来たぞ、宣戦布告だ! さっきの兵が到着したんだ!」
オレはフルートの手を引き、慌てて地下牢を出た。
館の廊下に戻り耳を澄ませれば、確かに表で名乗りを上げている者がいる。
窓辺へ寄って外を覗く。暗闇の中、館を囲む兵達の掲げる旗だけが白く浮かび上がった。
「――王室騎士団、やっぱりシャルム王子だわ!」
「ドラートに外患誘致罪の疑義があると言っているぞ……?」
フルートと顔を見合わせてみるが、お互いに何が何やら分からない。
いや、確かに王弟ドラートは朱雀将軍グルートを国内に引き入れ、騒乱を図った。
だが、それをシャルムがどうやって知り、何故こうして捕縛に踏み切ることが出来たのか。有力貴族には王弟派も多い。それを押さえ付ける程の支援を、どこから受けているのだ。
そんな疑問を感じた瞬間、夜闇の中、騎士達の隙間を縫うように、鮮やかな緋色の影が揺らめいたような気がした。銀の鎧の間をすり抜けた、その柔らかい仕草。
ふと、今まで頭の中から抜けていたその女のことを思い出した。
レーグネンの連れ、緋色を纏う、冷たくもたおやかな――
「――おや、行き違いになってしまっていたのか。存外早かったな」
外に注意を奪われていたオレとフルートの後ろから、飄々とした柔らかい声がかかる。
振り向く前から、誰の声かなど分かっていた。
分かっていたが――胸を刺し貫かれたような心地で、なかなか振り返ることができない。振り返って、もしもそこに立っている相手がオレの思っている相手と違っていれば、期待が外れた失望で、立ち上がることも出来なくなるのではないかと思えたから。
立ち竦むオレの背中を、とん、と軽い手のひらが突く。
「何をぼんやりしているのだ、麗しき我が愛玩動物よ」
触れられた背中から、じわりと熱いものが広がるように感じた。
ゆっくりと振り向いた先に、月光を浴びる女の姿があった。輝く銀髪を背中に流し、最後に見た時と同じ丈の短い薄衣を纏い、何物にも覆われていない手足は柔らかな肌を惜しげもなく晒している。
その美しさは、何も変わらない。
あの薄汚い地下牢で、数日を過ごした後であると言うのに。
永久の別れを覚悟したあの夜と、変わったことがあるとしたら、たった1つ。
両の側頭部に捩れながら伸びる一対の角が見えていることだけだった。
「……レ――」
レーグネン、とオレがその名を呼ぶより先に。
地下牢の入り口で立ち竦んでいたアイゼンが、金の瞳を見開いて叫ぶ。
「何故、あなたがここにいらっしゃるのですか――魔王陛下!?」
「――おお、アイゼン。無事であったか。何よりだ」
呼ばれた女は、驚きに震えるアイゼンへと愛しげな視線を向け、桃色の唇をにんまりと弓形に吊り上げた。




