13 有限者の想像
「魔王領ではな、姿も形も我らとは似ても似つかぬ動物じみたものから、レーグネンのような亜人まですべて魔族として一様に遇している。あまつさえ、そのようなものと婚姻を結ぶ家さえある。一部には混血の子まで生まれているのだから……魔王はこれを自由と呼ぶが、こんなもの自由でも何でもない。人族の高貴にて純粋な血を薄める、ただの堕落だ」
グルートの瞳が憎しみをこめて歪められた。
「魔王もレーグネンも同じ竜族。地上で最も優れた種族である人族をこのまま、魔王領などという混血のるつぼの中におけば、優れた血は薄まっていってしまう。人族の血統は、何をおいても保護されねばならない。野蛮で粗野な魔物どもとは切り離して。さもなくば、いずれ人族は魔物共と同じく、地を這う獣と変わらぬ暮らしを送ることになるだろう」
――地上で最も優れた種族。
誰が、それを決めたと言うのか。
血統によって、民族によって、この国において差別され続けてきたのが、我らだ。
あんたの予想に、どんな根拠があると言うんだ。結局は同じじゃないか。魔物を差別することも、北の民を差別することも。
「不安を感じておるのか」
ドラートがソファの上から掠れた笑いを投げてくる。
オレはその問いに、ただ無言で答えた。
明確な言葉のないにも関わらず、ドラートはこちらの心中をさも理解したかのように、頷きながら勝手に言葉を続ける。
「ヴェレ、貴様らの望みは理解しているぞ。この王国の中、他民族だからと差別される状況を打破したい。そうだな?」
「何を小さなことを。王国の中での話など気にするな。人間が他の種族をコントロールする世界を作るのだぞ。貴様らは人間だろう、魔物とは違うに決まっている」
「いずれ魔王領を王国に併合した暁には、今は王子派の手中にある貴様の両親も取り戻し、かつて住まっていた北方に戻り平和に暮らすが良い。それを認める程度の器はあるつもりだ」
「……そのお言葉に安堵しました」
心中の何もかもを捩じ伏せて、オレは軽く頭を下げた。
かつて北方で生活を送っていた我らを――その子女を攫い無抵抗での投降を迫ったのがドラートの兄、病床の現国王が率いる一軍だ。10年前、強制的にこの王都へと連行され、両親や壮年の一族と引き離され、老人や子どもなどの戦えない者だけがオレの傍に残された。
王子の下に配されたと噂で聞いたが――あの時に分かたれた一族とは、その後一度も会えていない。
人が良い男だと思っていても、王子シャルムを信用しきれないのはそのせいもある。友と呼びながら、彼らをどうしたのか、聞くことも出来ない。
あの日分かたれた一族も、ドラートの言葉を受け入れ助力すれば、今度こそまた元のように平和に暮らせる。
その約束だけを糧に、ここまで来たと言うのに――。
それい以上何も答えられず黙り込んだオレを、グルートが納得したように見上げ、笑みを浮かべた。
「既に魔王領はほぼ、俺の手の内だ。残るは王国の覇権のみ。じきに貴様にも働いてもらうぞ」
「……はい」
「しかし、その前にレーグネンに今の状況を教えてやらねばな。自身の治めていた東方が俺の手に落ちたと知れば、どんな顔をするか……。良い具合にアレが弱ってきたら、案内しろ。愛玩していたという貴様を従えてアレの前に立てば、さぞや悔しがることだろう」
東方が落ちた? 本気で言っているのだろうか。
もしも、その情報が事実だとすれば――魔王領はどうなっている。
先に戻ったシャッテンと、彼が連れているはずのグリューンはどうした?
レーグネンの言う魔王陛下はどうしているんだ。
確認したいところではあったが、これ以上の深入りも憚られる。
オレ――私は素直に頷き、それを汐に、ドラートの部屋を辞した。
言葉にせずとも、胸中は既に固まりかけている。
幾ら言葉で無事を約されても、安心など出来るものか。
結局オレは、ここまで自らと一族を騙し、頼りない希望に縋っていただけだった。ドラートが我らに向ける冷たい視線が、何よりも雄弁に真実を語っていたと言うのに。
主義によって他者を排していくなら、きっと終わりがない。永遠に、己とは違うものを攻撃し続けていくことになる。
ならば……徹底的に純血主義を貫く彼らによって、魔物の後に排除されるであろう存在は、きっと――
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廊下を落ち着いた素振りで――あくまで素振りで――歩みながら、私は何とか考えをまとめようと苦労していた。
オレは選択を間違えたのだ。
このままドラートについている訳にはいかない。それが明らかになった。
我が一族の安寧を願うならば、彼らと手を結ぶことはできない。
「……くそっ」
苛立ち紛れに石壁を蹴飛ばしてやりたくなった。
ここまで肩入れして、一族にも無理を強いておいて――それがすべて無駄だったなんて。
今まで目を背けていた真実を、あえて直視するつもりになったのは……アイゼンの提案があったから、というのも大きいかも知れない。
これまでになかった選択肢が、そこにあると知ったから。
王国の一部に併合されている北方――我らの故郷に未練はあるが、一族の自由と無事が保証される場所があるなら、まずはそれだけで構わない。
何にも脅かされず、踏み躙られない生活を営める場所へ。
たとえそれが、見も知らぬ土地であったとしても。
そうとなれば、よもやレーグネンがオレを許さなかったとしても、何とか一族だけでも受け入れてもらえるような策を練らねばならない。
どうせ、オレが蝙蝠なのは、今に始まったことではないのだから……。
「若長……おい、若長!」
背後から声をかけられていたことに、肩を叩かれてようやく気が付いた。
振り返れば、何とも微妙な顔をしたタオがいる。
「……ああ。すまん、気付かなかった」
「いや、別にそれは良いんだが……大丈夫か?」
何かを伺うような、不安を押し殺すような表情を浮かべている。
きっと、オレが考え込んでいたのは、レーグネンのことだとでも思われたのだろう。当たっていると言えなくもないが、タオが思っているような優しくも脆い想いを抱えていたわけではない。
本当は如何にしてアレを騙そうかと思っていたのだから、半分正解で、全然逆だ。
ワケの分からない苦笑が喉元から吹き上がってきて、表情を変えぬよう抑えるのに苦労した。
折角そのつもりなのだから、ついでにアレの様子を聞いておこうと、変に歪みかけた唇をゆっくりと開く。
「なあ、タオ。レーグネンは――」
――無事か、と聞きそうになって、慌ててそこで言葉を切った。
そんなことを聞いてどうする。無事かどうかなんて分かりきっている。
少なくとも、生命は無事なはずだ。生命だけは。
「ああ、いや――レーグネンは、何か喋ったか?」
「まだ大したことは聞けてねぇ。ああいうヤツは身体を痛めつけても無駄だからな。それよりも心から折らなきゃ……おい、本当に大丈夫かよ?」
「大丈夫って……何がだ」
「あんた、本当にひでぇ顔してるんだよ。ちょっと鏡でも見てみろ」
笑ってしまわぬよう無理に無表情を保っているつもりだったが、どうやらタオから見ればそうではないらしい。
自分がどんな顔をしているのか、少し気になった。
だが、すぐに、理解してしまえば禄なことにならぬ予感がした。
「……いや、鏡なんか、別に良い」
「良くねぇって! ……なぁ、あんた分かってねぇのかよ?」
オレに言わせれば、タオの方がよほど酷い表情をしている。
まるで、許してくれと懇願するかのような。
「申し訳なさそうな顔などするな」
「何言ってんだ、目ぇ逸らすな!」
突然伸びてきたタオの手が襟首を掴み、そのまま壁へと押し付けられる。
「いいか、おれじゃねぇ。あんただよ!」
「何だ、突然……」
「やめてくれって、何とか助けてやりたいって顔してんのは、あんただ! あんた、やっぱりあの女が――青龍将軍が好きなんだろ!」
「何を――」
――何を、言うのか。
鼻先で笑い飛ばしてやろうとして、失敗した。
笑えなかった。
明らかに自分の表情がコントロール出来ていないことが、今度こそ自分でも分かってしまった。
そんな一瞬の空白を、タオは鋭敏に感じ取ったらしい。
「……やっぱりかよ」
呆れたように襟元を放り出された。
その突き放した声色に焦りを感じて、逆にオレの方から歩み寄ろうとして――ぶん殴られた。
「――痛っ!」
「あんた本っ当にどうしようもねぇヤツだな!」
腹立ちとも混乱ともつかぬ様子で、タオが叫ぶ。
叫んだついでに踵を返そうとしたので、慌ててその肩を掴み引き止めた。
「待て、タオ!」
「何で最初から言わねぇんだ! そうすりゃおれだって別の方法考えてやったよ、あんたと一緒に!」
「待てって。本当にオレはそんなつもりじゃ……」
「つもりもクソもあるか、ボケが。勝手にてめぇの女をイケニエに、おれら助けた気になりやがって。そういう偽善たらしいヒーロー気取りが一番どうしようもねぇっつってんだよ、クソが!」
振り上げた靴底で壁を蹴ってから、それでようやく落ち着いたように、タオは深いため息をつく。
むしろ傷付いたようにも見えるその表情に対し、何か言い訳を口にしようとして――だが、何を言えば良いのか分からず、結局はそのまま口を閉じた。
言葉もないオレを置いて、タオは自分の頭をぐしゃぐしゃかき混ぜながら、踵を返す。
「……ちょっと頭冷やしてくる。とりあえず、あんたは青龍に近づくな。今のあんたは信用出来ん。何も言わずに暴走しやがったら、今度こそもうあんたにはついていけねぇ」
呼び止めることが出来ない。
ただ、その背中を見送りながら――オレは、殴られた頬に黙って手を当てた。




