12 有権者の判断
ごりごりと向こう側からも石を整える音がして、元通り壁が塞がったところで、アイゼンがオレの方へと振り向いた。
口の端にどこか悪戯っぽい笑顔を浮かべていて――その余裕も含め、何だか皮肉の1つも言ってやりたくなる。
「……随分と信頼しているのだな」
我が妹を――それに、レーグネンを。
囚われたあの魔術使いに、何が出来ると思っているのだろう。
今のレーグネンに出来ることは、行方の分からぬリナリアに期待することくらいだろうに。
最後に見た彼の、先行きに何の不安もないという程の笑顔を思い出して――思い出したついでにくだらぬことを思いついた。
「おい。まさか、レーグネンが女の姿をしているからと言って、我らの同胞を色香で骨抜きに出来るなどとは思っておるまいな?」
「……女の姿をしているのか? あのレーグネンが? それはますます面白いな、会うのが楽しみだ」
けらけらと笑うアイゼンの姿には、安堵以外の何も感じることはできない。どう考えても不安材料でしかない情報が追加されたと言うのに、だ。
……何故そこまで人を信じられるのだ。
問うことも出来ず黙る私の目の前で、アイゼンが最後に鎖の端で石を殴りつけた。
ちょうど元通り穴が塞がったところで、背後の扉が開く音が耳に入る。
「ヴェレ隊長……!」
「ペルレか。何を慌てている?」
落ち着き払った様子で振り返ると、息も荒く元見習い騎士がこちらに向かって駆け寄ってきた。
皮肉に笑うアイゼンの姿など目にも入らぬように、私に向かって興奮した様子で話しかけてくる。
「あの……隊長を、ヴェレ隊長を呼んでるんです!」
「……誰が」
幾ら焦っていても、主語は明確にしてほしい。
ペルレは首を振りながら、勢い込んで付け加えた。
「だから――魔王領の朱雀将軍が、ヴェレ隊長を呼んでいるんです!」
驚きに、返す言葉を失った私の背後で、白虎がぐるぐると唸る音だけが部屋に響いていた。
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「……本当に私が呼ばれているのか?」
「はいっ! 確かに、ヴェレ隊長をお連れしろと」
歩きながら、廊下の窓から外を見れば、既に地平線が明るみ始めていた。
赤く染まった大地を見ながら、少し考える。朱雀将軍の手の者が来ているとは聞いていたが、本人も一緒だったのか。呼ばれたというなら、そこにいるに違いない。
朱雀が私を呼ぶとしたら、何が目的なんだ。
王弟ドラートから、私の――我が一族の力について聞いたのだろうか。しかし、幾ら手を結んでいるとは言え、ドラートが自分の切り札を魔物に教えるなどということがあるだろうか。
……もしや、レーグネンの様子でも聞きたいのだろうか。
如何にしてオレがあいつを裏切ったか、同じ四神将軍として、気になるのだろうか。
先を歩くペルレが、ドラートの私室の前で足を止めた。
私は一度息を吐き、気を引き締めてからペルレに向かって頷いて見せる。
アイコンタクトを違わず受け取り、元見習い騎士は声をかけてから、扉を開いた。
室内には、先程と同じくソファに深く腰掛けたドラート。疲れてた様子をしているのは、結局、夜を徹して朱雀の兵の受け入れを行っていたからだろうか。
ドラートの向こう、窓際に1人の男の影があった。
赤い短髪越しに、窓の向こう側でのぼる太陽が透けている。
日の光を背負うように、男は黙ってこちらを振り向いた。
唇を歪め、私に深緑の瞳をひたりとあてている。
「……それが、レーグネンの愛玩動物か」
からかうような低い声は、私にかけられたものではない。ドラートに尋ねたものだろう。
それが分かったので、私は返事をしなかった。
ドラートが軽く頷き返す。
「青龍はそう言っていたが」
思い返せば、確かにドラートの前でもあいつは、臆面もなくそんなことを言っていたかもしれない。第三者に指摘されて初めて、自分にとってそのやりとりが当然になっていることに気付き――頭を抱えたくなった。
そんな私の思いと無関係に、歩み寄ってきた赤毛の男が、私の目の前で足を止める。
見た目はまるきり人間と変わらないが、この場にいて、こうしてドラートと対等に話しているということは……この男が朱雀将軍グルート、なのだろう。
見上げる男の瞳には、彼を恨めしげに見下ろす私自身の顔が映っている。
「レーグネンもようやくあの緋色に飽きたということかな。そこで単純に次なる美姫に食指が動くのではなく、何故かこの頑なそうなシロモノに向かうのが、アレらしいというところか」
「……青龍将軍の戯言を本気にしないで頂きたい」
半ば真剣に言を返すと、グルートはますます馬鹿にしたような表情を露にした。
「何だ、主の愛に背く覚悟があって裏切ったのかと思えば、ただの逃避で誤魔化すつもりか」
咄嗟に「貴様に何が分かる」と言い返しそうになった。
貴様などに、レーグネンの心が分かるものかと。
その言葉を危ういところで飲み込んだ。ドラートの客人に無礼を働くわけにはいくまい。
……が、言いたかったことは、視線だけで十分に伝わっていたようだ。グルートが笑みを深くして、挑発するように片手で招く。
「何だ、多少は分かっているのではないか。アレはある意味では愚直なほどに愛情深いぞ。……ん? 言いたいことがあるなら掛かってこい。俺には他の四神将軍のような頑強な肉体はないからな、体格差を考えても、一対一なら多分お前が勝つぞ」
「……何を」
「人間同士なのだから当然だろう。『穢れの民』は人間にしてはタフだと聞いているが」
こいつ本当に殴ってやろうかと拳を固めてから、途中さらっと流された言葉に、遅れて気が付いた。
「……人間同士、だと?」
「ああ、魔王領には人間はいないと思っていたのか? 愚かしいのは主従同じか」
からかうような笑い声が響いた。
ドラートがうんざりした声で言葉を足す。
「想像したくもないが、ヤーレスツァイト王国はかつて魔王領の一部だったそうだ。他種族に支配されることを厭い、独立したのが我らの先祖なのだという」
「魔王領から独立した……?」
「その際に魔王領に残ったのが俺の先祖だ。人間の寿命は短いから、今となっては王国の民のほとんどは、建国の経緯など知りもしない」
では、排他主義的なドラートが一時のことであっても手を結んでいるのは、同じ人間だから、ということか?
いや、待て。
それどころではなく、まさか――。
「同じ人間のよしみで声をかけてやるが――魔物などというおぞましい生き物が、人間の上に立っているなど恐ろしい。そうは思わんか、貴様は?」
朱雀が、瞳をじわりと細める。
脳内に浮かぶ予想を肯定するその言葉に、浮かび上がる恐れを表情に出さぬことだけが精一杯だった。
――人間という一種族による、魔王領の支配。
すべての魔物を捩じ伏せ、踏み付け、人間がその頂点に立つ。
それが彼らの目指すところなのだとしたら。
我らの――北の民の居場所は、その国のどこかにあると本当に言えるのか――?




