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10 有り物の選択

 私も元騎士見習いのペルレも、そう声が響く方ではない。

 特に白虎に対して乱暴をはたらいている訳でもないから、石壁で区切られた隣室からは、我らがここにいることが分からないのだろう。こちらにいるのはアイゼン1人だと思い込み、合図を送ってきたに違いない。


 幾らフルートとは言え、まさかこの石壁を越えてくることは出来ないはずだ――いや、多分出来ないと思う。しかし、何かしら……例えばただ顔を合わせるなり、声を交わすなりは可能なのだろうか。

 一族のやり方で合図を送ってきたのだから、きっと今、一族のやり方で返事をすれば、意思が伝わるはずだ。

 すぐにでも会える――が、そのためには――邪魔者を排除せねばならない。


「……ペルレ」


 私はアイゼンの横にしゃがみ込み、後ろを振り向かぬまま、声をかけた。


「何でしょうか、ヴェレ隊長」


 北の民に対していると言うのに、それでも丁重に接してくれるこの若者を騙すのは少々気が引ける。

 だが、彼によって救われ、あれだけ共にあったレーグネンですら罠にかける私である。躊躇などはない。


「朱雀の手のものを放っておいて良いのか? 私はここから動けぬが……貴君は命じられてここにいる訳ではあるまい」

「……私に、戻れと言うのですか? ここにいるのが命令違反になるのではないかと?」

「貴君のことを気にかけているつもりはない。ただ、近衛隊にも規律というものがあるのではないかと……」


 うっすらと馬鹿にして怒りを煽るつもりだったが、何故かペルレは感激したように瞳をうるませた。


「ありがとうございます……!」


 今のどこにお礼を言うべき箇所があったのかは分からない。困惑で答えが出て来ぬ内に、ペルレは顔を赤くして部屋の扉へと向かった。


「私はヴェレ隊長を信じていますから。こうして生きてお戻りになったのです。きっといつか隊長の権威も戻るはずです……お願いですから、どうか早まることのないように」


 何をどう信じられているのか、何を期待されているのかも良く分からない。私が隊長の地位に戻ったときに優遇しろと言っているのだろうか……そんな捻くれたことを思いついて、自分で自分の頭を殴りたくなった。馬鹿馬鹿しい。どこまで自分もドラートの思考に毒されているのか、純粋な若者を前にして。


 何を言うことも出来ず、黙って頷き返した。

 私の仕草で安堵したように、ペルレは笑って部屋を出ていく。がたん、と向こうから扉が閉められ、室内に静寂が戻った。


 室内に2人だけになったからには、何を誤魔化す必要もない。弛緩して息を吐き出した私と裏腹に、アイゼンがぐるぐると喉元で唸り出した。

 その様子を横目で見ながら、私は壁の傍へと歩み寄る。先程ノックの鳴った壁を一度手のひらで撫でてから……腰に履いた剣を外して、鞘で軽く叩いた。


 コッココッコン。

 先ほどと同じリズムを返すのは、『おいで』の合図。

 アイゼンの表情が悲痛に歪む。


 弁解せねば、とそちらを見た途端に、待ちかまえていたようにガゴンと壁の一部が鳴った。

 その音の響きと微かな揺れで、壁のその部分の石を外すことが出来るというのが分かった。ガッコンガッコンと何度も音が響いているのは、向こう側でフルートが外そうとしているのだろう。ちょうど私の片手を広げたくらいの大きさの石だが、ここがはずれればお互いの顔を見ることも会話も出来る。

 背後でアイゼンが唸りを上げる。


「――ダメだ、来るな!」


 制止の声は、一生懸命に壁の石を外そうとしている向こうのフルートには聞こえていないようだ。多分、壁をどつきまわす音が大きすぎて。

 説明しようと振り返って見れば、アイゼンは今にも飛びかかりそうな目で私を見ていた。

 絶え間なくガガガガガガと鳴っていた壁の石が――その瞬間にぼろり、と落ちてきた。


「――アイちゃん!」


 途端、良く知った野太い声が、壁の穴からえらい可愛らしい愛称で呼びかけてきた。


「ルー! ダメだ、顔を出すな!」

「――えっ!?」


 制止の言葉が伝わるより前に、壁の向こうから、太い眉と切れ長の黒い瞳がこちらを覗く。

 ちょうど正面にいた私の目を見て一瞬びくりと震え――それから、大きく見開かれた。


「……お兄ちゃま?」

「……おに……?」


 拍子抜けしたようなアイゼンの声に応えることを諦めて、私はその瞳に向かって頷きかけた。


「フルート。息災で良かった」

「――ぅお兄ちゃまぁ!」


 即座に、鼓膜が破れそうな大音量が返ってきた。相変わらず、腹筋のよく効いた声だ。

 眼球が壁の向こうに隠れたかと思うと、次の瞬間には穴を貫くように勢い良く向こう側から腕が突きこまれてきた。しかし、立派な上腕二頭筋が仇となり、二の腕の途中で穴に引っかかっている。

 何とか私に触れようと振り回される腕は、まるで苦しみにのたうち回るヒュドラの首のようだ。

 うん……どうやらフルートは相変わらず健康――頑健……頑丈? らしい。

 『岩山のヴァルキュリヤ』『筋骨隆々の聖乙女』などと仇名される我が妹であるが、久々に見ると、その……まあ、元気で良かった。


 しかし、その無事を喜ぶとともに、私にはのっぴきならない問題がそこにあることも見えていた。

 その分厚い肌の手首の辺りまでが、黒い蔦のような文様で埋め尽くされている。見ようによっては飾りのようにさえ見える模様が、レーグネンの指摘した通りの呪いによるものだと、私は知っている。

 一定の時間、特定の者に触れずにいれば、死に至る呪い。全身をこの文様が埋め尽くしたとき、真に呪いが発動し、フルートは死を迎える。

 徐々に広がり、いつかは右手の先まで達しようとしているそれを見て、残り時間があまりなかったことを改めて認識した。


 手のひらだけはまだ白いその右手が、まっすぐに私の方へと向かってくる。


「ぅお兄ちゃま! お兄ちゃま、本当にお兄ちゃまなのねっ!」

「そうだ、オレだ。……ちょっと声を抑えてくれ。幾ら個室と言っても声が漏れるかも知れないし、そもそも何か耳が痛……うわっ!? おい、掴むな!」


 シャツの胸元を掴まれて、ぐいぐいと引き寄せられた。

 オレもか弱い乙女じゃないから、力を入れれば引き剥がしたり、留まったり出来なくはないと思うが――抵抗するとシャツを破られそうな気がして、無抵抗のまま穴に顔を近づけた。


「ぅお兄ちゃま……! 良かった、ご無事だったのね」


 腕と石の隙間を縫うように、野太い声が感極まったように囁きかける。

 ぎりぎりと穴の中に引き込まれていくシャツに喉元を絞られながら、私は必死で頷き返した。頬が石壁に擦れて痛い。


「ちょ、フルート! 頼むから力緩め……痛い、死ぬ! 死ぬから!」

「ぅお兄ちゃま、ぅお兄ちゃまぁ!」


 まるでベルセルクルかのような勢いで、私の首を締め上げてくるフルートの右腕に、必死に両手をかける。

 私の焦りとは無関係に、触れた手のひらを通して、フルートにかけられた呪いが逆回りを始めた。触れ合う右腕から始まって、肌が光を帯びるとともに呪いの蔦文様が少しずつ薄れていく。

 その様子を見守る私の背後で、ようよう状況を把握したアイゼンがそっとため息をついた。


「そうか、ルーが言っていた兄君とは君か。ずいぶんと力強い兄妹で羨ましい……」


 確かにオレは体格には恵まれてるし、フルートの方はまぁ……オレよりこいつが戦士になった方が良いんじゃないだろうかと、正直何度か悩んだくらいなんだが――とは言え、魔物に言われたくない、という気もしなくはないのだった。



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●



 ぐしゅん、と壁の向こうで鼻を鳴らす音が響いた。

 爪を剥がされたアイゼンの手が、鎖ごと壁の向こうへ伸ばされる。肩口まで埋まっていて、こちら側からはっきりとは見えないが、フルートの髪を撫でてやっているらしい。

 もしもこれがフルートの腕なら、肘辺りで穴が詰まってしまう。アイゼンも肉体派であると有名な白虎将軍であるから、女人としてはけしてか細い方ではないのだが……我が妹ながらフルートの腕の力強さには、私ですら及ばぬかも知れぬ。


「アイちゃん、ありがとうね」

「いや。……落ち着いたか?」

「うん、もう大丈夫。ぅお兄ちゃまに会えて、嬉しくてびっくりしただけ」


 嬉しくてびっくりしただけで絞め殺されかけた私としては、何か言ってやらねばならないような思いもあったが、そこはあえて沈黙を守った。


「まさか本当に会うことがあるとは……まだ、私の命運もルーの幸運も尽きていないということかな」


 思わせぶりな言葉に視線を向けると、アイゼンが唇を歪め牙の先を覗かせている。


「もしも私が生きている間にルーの兄君に会うことがあれば、提案してみようとルーと話をしていたんだ」

「提案?」

「うん。主を替えるつもりがあるなら、魔王陛下の元に来ないか、という提案だ」


 ――咄嗟に、答えを返し損ねた。

 動きを止めた私をひたりと見据えるアイゼンの尾は、いかにも楽しげに揺れている。

 穴の向こうでは妹が低く唸る声が壁を貫き――私に、今までに考えても見なかった選択肢を突き付けてきた。


 裏切りも反逆も気に留めないのならば、時流に合わせて主を鞍替えするのもまた当然ではないかと、そんな――私にとっては何の躊躇もないはずの選択肢を。

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