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9 有り体の待遇

 手近の者に部屋の場所を確認し、2階へ向かった。

 よほど私が信用出来ぬのだろう、後ろから近衛隊の者が1人ついてきた。振り返って確認すれば――何となく顔に見覚えがある。中央時代に何度か話したこともある騎士見習いだ。立派な鎧を身に着けているからには、叙任されて騎士になったのだろう。


「……白虎のところに向かわれるのですか」

「命じられたのでな」

「あなた1人では不安があります」

「好きで1人で行く訳でもないが……貴君は近衛隊の騎士だろう? 私を敬い言葉を案ずる必要はない」

「あっ……」


 無意識に丁寧語を使っていたのだろうか。

 それきり沈黙して私の後をついてくる。

 向かう先に見当をつけて早足で歩いた。


 本当は一番向かいたいフルートの部屋の扉を――それと知っていながら何もなく通り過ぎるのは苦しい。

 だが、見張られている状況では何を伝えることも出来ない。

 既に何度か訪れて、ここであると明確に分かっているその部屋に――少なくとも表面上は見向きもせず、私は1つ先の部屋の前で足を止めた。


「何故、そこだとご存知なのですか」

「鍵を見れば分かる。それに、この館にはそう空き部屋もない」


 私の妹やタオの母親の他にも、囚われている一族はいるのだ。その内の誰が館のどこにいて、どの部屋が空いているのか、自分は知っている。鍵を見ればどの辺りの部屋の鍵かも分かる。……それだけ、中央にいた頃からこの屋敷には出入りが多かったのだ。

 そもそも、怖ろしくも呪わしい強大な力を持つはずの我が一族がこうして、王国の下層民という位置づけに甘んじているのはそれぞれに身内と引き裂かれて(・・・・・・)囚われているからだ……。


 扉を開けた途端に、漂う異臭に気付いて微かに眉を寄せた。

 血と肉と体液の匂い。

 タオが何を忠告しようとしていたのかを、肌に張り付くような違和感とともに理解した。


 白虎将軍アイゼンは、地下牢ではなく屋敷の2階にある石造りの隠し部屋に押し込まれていた。

 扉の奥へ歩を進めると、誰の者とも分からぬ体液とボロクズのような衣服に塗れた女が1人、冷たい床の上に座り込んでいる。

 見た目で言えばリナリアと同じくらいの年に見えた。魔物であるが故に本来の年齢は分からないけれども。

 純白の髪は長く豊かだが、埃と汚れで荒れ、無造作に床に広がっている。頭上に伸びるのは尖った白い耳。同色の毛並みが背中から尻までを覆っているが、あちこちに毟られ焼かれた跡が見える。尻の付け根から伸びた豊かな尻尾は、真中辺りで直角に折れ曲がり……ああ、もうたくさんだ。傷と痣だらけの身体を見下ろしているだけで、何があったのか大体分かってしまった。


 オレの足音に気付いたのか、閉じていた瞼の片方がゆっくりと開く。

 覗いた瞳の色は黄金。身体をぴくりとも動かさぬまま、オレを見上げてきた。


「……青龍の匂いがするな」


 掠れた声だが、この状態でも口を聞ける元気があるだけ、さすが四神将軍と褒めても良いだろう。オレは――私は答えぬまま床に膝を突き、その顔を覗き込んだ。


「レーグネンも、今はこの館にいる」

「ほう……私を助けに来たかな? あの男は奇矯に見えて、冷酷になりきれぬところがあるから」

「それで助かるなら良いが、残念ながら我らの手の中だ」

「馬鹿な男だ。魔王領で面倒ごとを引き起こすのは大概あいつかシャッテンのどちらかだったのだが……私が原因で四神将軍が一網打尽、などということになると心苦しいな」


 ぐるるぅ……と喉元で唸ったアイゼンは、それでもその口元を皮肉に歪めている。閉じていればただ美しいはずの唇を割って、奥に鋭い犬歯――いや、牙が覗いた。

 爪の一本もない指先が、飛びかかるタイミングを計るようにじりじりと床を這う。獲物を狙うその手つきを見下ろして、私はそっと呟いた。


「……白虎将軍は人狼ヴェアヴォルフであったか」

「待ってください、ヴェレ隊長。それ以上近づかないで。あなたはただの見張り役であって尋問官ではありません。不用意に会話をすれば、何かあった時に疑われてしまう……」


 元見習い騎士が背後から指摘――というよりは、むしろ善意の忠告とすら思えるような声音で声をかけてきた。

 私は膝をついたまま、首だけで軽く後ろに視線を向ける。


「私には既に率いる隊もない。貴君こそ、そのような物言いは止せ」

「しかし」

「私に――北の民に関わるな。黙っていれば、貴君には縁のない話だ」

「しかし!」


 高まる声を割るように、こふ、とアイゼンが息を吐いた。どうやら笑ったらしい。


「今日の相手は貴様か、坊や。君には少し荷が重いのじゃないかね」


 アイゼンの金色の瞳が私を越えて元見習い騎士に向けられている。

 嘲笑を正面から受けて、激高した彼がアイゼンに掴みかかろうとするのを、片手で止めた。


「ヴェレ隊長! 何故止めるのですか!?」


 理由なんて簡単だ。

 手を汚さなくてすむなら、汚さない方が良い。

 かつて幼い頃の自分が、守って欲しかったのと同じように。


「貴君の名前は……確か、ペルレだったかな」


 中央時代に聞いたはずのその名を、ようやく思い出した。元騎士見習いは――ペルレは私の言葉を聞いて一瞬頬を緩める。


「……覚えていてくださったのですか」


 何と答えれば良いか、悩んだ。一時的に隊長の位についていたとしても、所詮は『穢れの民』だ。王国民から見れば、見下げるしかない存在のはずだが。

 悩んでいる間にペルレは白虎の方へと向き直り、吐き捨てるように告げる。


「この女は我が国民を、友を家族を我々から奪った女です。敵国の将にかける慈悲などありません」

「なるほど、間違いないな。幾らでも私を責めるが良い、魔王領の将が人間ごときの力に屈すると思うならな」


 嘲笑とともにアイゼンの掠れた声が響いた。

 ペルレに向けて抑えるように手で合図しておいてから、うんざりした思いで言葉を返す。


「四神将軍は皆、被虐的な嗜好があるのか? レーグネンにしろシャッテンにしろ、貴様にしろ……余計なことを言わずに黙ってはおれぬのか?」

「ほう……庇うつもりか?」

「口を閉じよと言っているだけだ。私が命じられたのは貴様を見張ること。黙っておれば、それ以上をせずにすむ」

「今更何を……」


 鼻で笑ったアイゼンの表情の裏に諦めを見て、ようやく気付いた。

 早く殺せ、と言っているのだ、アイゼンは。もっと怒れ、いっそ感情に任せて殺してしまえ、と。


 先程のレーグネンの態度も同じ理由なのだろうか。

 白虎と魔王のためにこの国に赴いたと言う、かの魔術使いも。


 私の――オレの腕に自分の腕を絡めて、王都の賑わいを興味深げに眺める姿が、一瞬、脳裏を過ぎった。

 見上げてくる笑顔をありありと思い出して――慌てて蓋をする。


 止めろ。

 貴様が死のうがどうしようが、オレには――私には関係ない。

 私の全ては妹の、一族の、自由と繁栄の為に捧げられている、そうだろう? そのはずだ。


「……ヴェレ隊長?」


 背後からかけられた不思議そうなペルレの声で、はっとした。

 目の前のアイゼンが顔を歪め、何かを告げようと口を開き――その口から言葉が出る前に、壁から音が響いた。

 コ、カツン、コツ、と少し癖のある叩き方で3回。

 ちらりとそちらを見たアイゼンが、表情を変えなかったのはさすがと言える。

 ごく小さな音であったから、背後のペルレは気付いていないらしい。

 私は、どういう表情をすれば良いのか分からず、慌てて右手で顔を隠した。

 返事をしなければ、壁の向こうからこれ以上何かをしてくることはないだろう。とりあえず、ペルレを警戒する必要はなさそうだ。


 今響いた音のリズムを、もちろん私は良く知っていた。

 この部屋の隣、壁の向こうにいるのは私の妹だ。


 フルート、と心の中で呼びかけておいてから、私は黙って天を仰いだ。

 どうやらアイゼンと妹は、これまでにも何度も同じ方法でやり取りをしていたらしい。


 コ、カツン、コツ、というこのノックの組み合わせは……「今からそちらに行っても良いか」という訪問の許可を求める意味の、我が一族の隠された合図だった。

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