7 有意差の主人
「……魔物風情が耳障りな」
「魔物風情も口があるのでな、悔しければ塞いで見よ。言っておくが俺は、魔王領では口から生まれた男と噂されておるからな。死の直前まで喋り続ける自信があるぞ」
どんな自信だよ。
呆れて緩んだ手の下で、ぐりぐりと頭を振ったレーグネンが、再び顔を上げて王弟ドラートを睨みつけた。
紅の瞳が仄かな灯りを受けて光る。その視線を受けて、ドラートが怯んだように眉を寄せている。
「さて、大体見えてきたぞ。麗しき我が愛玩動物たるヴェレには愛する身内がいて、その身柄をあなたが握っている、とそういうことが……まあ、ぼんやりとだが」
「ヴェレ」
ドラートの督促を受けて、手に力を込めた。
……が、絨毯に押し付けられながらも、器用に頭を動かして、レーグネンはまだ喋り続ける。
「むぎゅぎゅむ……ぷはっ! ――良いか、ヴェレは異様な程心配している、その身内に会えなくなることを。会いたいのは当然だろうが、それにしてもコレの不安は既に不安の域を超えている。寛雅なるこの俺を裏切っても家族に会いたいとは、さすがにおかしい」
一方的な推論を聞いて、ドラートが失笑した。
何を言われるかとびくびくしていた分、レーグネンのどうでも良い推測に拍子抜けしたのだろう。
「結果として裏切られたと言うなら、魔物風情の存在などはその程度であったということではないか?」
「馬鹿な。見ていれば分かるよ」
何が分かると言うのか。
貴様なぞに、私の何が。
また余計なことを言いそうな気がして少しばかりハラハラしていると、レーグネンの視線がちらりと私に向けられる。そのあまりにも落ち着いた風を不思議に思った直後、唇が開いた。
「会わねば、死ぬのだな? ……呪いか?」
「……何故」
問いながら、ぞくりと背筋が震えた。
がたんという音が響いて前を見れば、ドラートが慌ててソファから立ち上がったところだった。
「……ヴェレ。貴様か?」
「……違います」
「いや、あんたなんじゃないか、若長。ここに来るまでだけだってぺらぺらと――」
「――違う! 止めてくれ、タオ」
「おお、おお、見苦しいな」
言い合う私達を見上げながら、レーグネンがにやにや笑っている。
「か弱い乙女の前で、男たちがそうも慌てるものではないよ。俺が何を推測しようが、この状態で何が出来るものでもない……そうだろう?」
無力化したはずなのに、何故か恐れている。
そのことに私だけではなく、他の2人も同時に気づいたらしい。
ドラートは再びソファに腰掛け、タオが苦しげに空咳をした。
「……さて、ご理解頂いたなら俺は勧誘を続けようか。ヴェレがここに着くまで自分の存在をひた隠しにしてきたのは、あなたの派閥が信用できなかったからだ。ヴェレの存在をもって、あなたから独立したがってる者がいるのではないかね。クヴァルム伯爵を筆頭に」
「その力があれば誰だって、全てをひっくり返したくなるのは当然だろう。私の下にいるかどうかは関係ない。それに、結局は離反をしないのにはそれだけの理由があるのだよ。クヴァルム伯爵領も、ヴェレもな」
取り戻したばかりの余裕の笑みを浮かべているドラートに向けて、くぐもった笑いがオレの手の下から漏れる。
「……何がおかしい」
「あなた方は、こうして力を持って押さえ付けるのが、勝つ為の一番の方法だと思っておるのだろう」
「その通りだな。実際にそういう状況ではないか?」
這いつくばるレーグネンを見下ろして、口元を歪める。
力で押さえ付けられれば、いかなレーグネンとて従わざるを得ないはずだ。現実にそうなっているじゃないか。ドラートはそう言いたいのだろうが――。
「くはははっ、勝っていると思うなら、俺の口などさっさと封じてしまえ。こうして喋らせておるのは怖いからだろ? 何を考えておるのか知りたいからだろう?」
オレが苦笑すると同時に、ドラートが顔を顰めた。
……ああ、全くもって当たっているさ。
どうせ大したことは考えていないだろうと……そう思っているはずなのに、いつの間にか巻き込まれている。そんな自分に気付いて、苦笑せざるを得ない。
ドラートは手元のパイプに一度口を付け煙を吐き出してから、改めて口を開いた。
「……何を考えているかなど後で幾らでも喋らせてやる。目前の敵ではなくなったと言え、魔王領の情報は有用だ。死んでいても良かったものを、生きているのならそれなりに利用せねばな」
「ふふん、なるほど。聞きたいことがあるなら教えてやるぞ。俺の持つ情報が真実か虚構か、迷いが仇になることをじっくりと教えて――」
「――ヴェレ。黙らせろ」
これだけの時間をかけて、ドラートもさすがに自分を取り戻したようだ。
指示に従って、喋り続けるレーグネンの口元に手をあて、それ以上の言葉を塞いでやった。この床が絨毯でなければ、思い切り頭を床に叩きつけてやっても良かったのだが……残念ながら、この毛足の長さではさしたる衝撃もあるまい。直接塞ぐ方が早い。
もごもごという音を漏らす青龍将軍とオレの姿を上から見下ろし、ドラートはようやくゆったりと椅子に背を預けた。
「下がれ。タオ、青龍から魔王領の情報を吸い出しておけよ。褒美については、それが終わってからだ」
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「……若長。あんた、呪いのことをバラしたのは、本当にあんたじゃないのか……?」
「止せ、タオ。オレが言ったんじゃねぇって言ってるじゃねぇか。信じろよ」
「いや、疑うとか、そんな風に思ってる訳じゃねぇんだ。ただ……」
「それが疑っているという――」
「――んもぐぁもぐもぐも!」
王弟の屋敷の廊下を、言い合いながら歩くタオとオレの会話を邪魔したのは、手の中から叫ぶレーグネンの声だった。
邪魔だとは思うが、手を外せば余計にうるさいことも分かりきっている。無視してその身体を引き摺りながら会話を続ける。
「オレが不甲斐ないから疑われているというのは分かっている。だが……」
「もぐっ! ぐもももも」
「そりゃおれも分かってる。だけどあんたは……」
「もがんもんもんがもっ」
タオとオレは顔を見合わせて同時にため息をついた。
……とてもうるさい。
口を塞がれているというのに、レーグネンは絶好調だ。軽く睨み付けてやったが、その紅い瞳はどこか楽しげに輝いているだけだった。
タオがオレの視線に気付いて、嫌そうに眉を寄せた。
「……若長、おれが代わるよ。あんたにゃ無理だろう」
そう言われると、反射的に反抗心が湧いてくる。
……が、つい先程のミスを自分でも覚えてはいた。認めたくはないが……多分、タオの言うことが正しいのだろう。
「地下牢を使うぜ。あと、何人か一族の若いのを借りるからな」
「ああ」
「もぐもっ」
今宵、外からの突入のタイミングをタオが上手く計ってくれたように、彼になら一族を任せることが出来る。……いや、むしろタオが率いる方がよっぽど良いのかも知れない。本当は。
ドラートがレーグネンの尋問を命じたのはタオだった。迷ってばかりのオレなんかより信じられるということだろう。
もしかしたらドラートだけではなく、一族達も――?
「おい、若長。大丈夫か? おれが言うのも何だが……」
「――あ、いや。大丈夫だ。後は頼んだ」
レーグネンの身体を突き放して、タオの手に渡す。
腕に残った微かな温かさが、空気に溶けて薄れていく。
ちらりとオレを見上げた紅い瞳が名残惜しそうに見えるなんて……バカじゃないのか、オレは。
「若長……ちょっと」
「ん?」
「ぐまぐまもっ」
受け取ったレーグネンの身体を少しだけ遠ざけて、タオが小さな声でオレに耳打ちした。
「今のあんたは信用出来ねぇから、先に教えておく……魔王軍の白虎のことだ」
白虎?
問い返したかったが、レーグネンの耳に入れたくないというタオの気配りはわかったから、目線だけで先を促す。
「実は白虎の方もこの屋敷にいる」
「……なんだと?」
オレが西方へいる間に王都で虜になっているという話は一族の情報網から流れてきていたが、詳しい経緯などは知らない。まさか、王弟の屋敷にいるとは。
ということは、白虎もまたドラートの手によって嵌められた、ということか。
「もぐっぐむむむっ」
「多分あんたは優しいから……あれの姿を見れば同情するだろう」
「そんなことは……」
――ない、とは言えなかった。
自分のどうしようもなさに、のたうち回りたくなる。
オレの表情を見て、タオは何とも言えない苦笑を浮かべた。
「だから先に言っときたかった……。腹が立たねぇ訳じゃねぇが、あんたがそういう人だってことは良く知ってる。だが、あっちの尋問を進めてるのはドラート直下のヤツだ。あんたが怒ってもどうにもならん。頼むから、直情的に突っ走るなよ」
「分かっている……」
口ではそう答えたが、タオの口ぶりから、どういうことが行われているのか予想するとともに――それだけで胸がむかついてきたのだから、自分でも呆れる。
「分かってんなら良いけどよ」
一瞬浮かんだタオの微笑は、オレの思いを全て理解してのことだろう。
が、すぐに表情を引き締めて続けた。
「……白虎はな、女なんだ」
「ぐもぐもんぐむ」
「何?」
「あれとは、西方の戦場ではあんたも直接対峙したことはなかっただろう。だが、戻ってきたなら会うことがあるかも知れん。その時に余計な騒ぎを起こさないようにな」
今から覚悟しておけ、と囁かれて、顔が引き攣った。
魔物には女の姿をした者もいる。戦場ではそういう者も容赦なく切り捨ててきた。
だが――惨い目に合わせるのは、それは……話が別だ。どこかでそんな甘いことを考えている自分に、気が付いた。
「ぐむむぐもっぐもっ」
「タオ……ありがとう」
先に聞いておいて良かった。感謝の言葉を口にせざるを得ないオレに、タオは諦めたように笑って手を振った。
そのまま、もがもが言い続けるレーグネンを引っ立て、地下牢へと向かっていく。
その背中を見送る私は、いつまでも聞こえるもがもがを耳に――と言うか、あいつはいつまでああして喋り続けるつもりなのだろう。もしかしたら本当に死の直前まで喋るかも知れない、あいつなら。
そんなことをふと思いついて、オレは軽く頭を振った。
敵だと言うのに、いつの間にかペースに乗せられている。
自分の単純さに呆れながら、2人の背中を見送った。




