6 有力者の論理
「……王弟ドラートの館、か。あなたは友たるシャルム王子の為に働いているのだと、うっかり信じていたのだがなぁ」
ぼそりと呟いたレーグネンの言葉だが、驚きですぐには答えを返せなかった。
王都に来て間もないレーグネンが、王弟の館を知っていたことに1つ。
更に、私とシャルムの関係を知っていることに1つ。
最後は、えらく腫れてきた頬は痛かろうに……それを押しても喋ろうとするその訳の分からぬ根性に、驚いた訳だが。
毎日ふらふらと遊び暮らしていたようにしか見えぬ王都での滞在の間、レーグネンはレーグネンなりに色々と調べていたらしい。
ほとんど常に一緒にいたと言うのに、いつどうやって知ったのか。間抜けた言動の裏に何を隠しているのか。……いや、どうせ何も隠してなどいないだろう。適当に言っているだけだ。
王宮のある島の東、王弟ドラートの館の前で、私とタオは虜となったレーグネンを連れ扉が開くのを待っていた。
真夜中ではあるが、今宵決行と決めたのはドラート本人だ。まさか眠っているということもあるまい。
きょろきょろと辺りを見回すレーグネンの傍では、タオの持つ魔術封じの術の中心たる魔法陣が仄かに青く光っている。特殊な塗料で書き込まれたそれは、同じく特殊な方法でしか破損出来ないらしい。タオは詳しく知っていると言っていたが、私にはその方法とやらを教えて貰えなかった。先程の顛末で信頼を損ねてしまったからだということは、重々承知している。
飄々とした態度を保つレーグネンは、薄い夜着の上からローブを肩に掛け、縛られた後ろ手を隠している。街中をここまでこの不自然な姿で歩かせてきたことは間違いないが、真夜中なれば見咎める者もいない。
本人は、道中、脅されようが急かされようが意に介した風も見せなかった。夜着1枚に申し訳程度に引っ掛けたローブだけで表を歩くのも、「一風変わった夫婦のやり過ぎた遊戯だと思え」ば(本人談)、気になる程でもないらしい。こんな夫婦がどこにいるか、とか、それじゃオレも変態じゃないか、とか、言いたいことは色々あるのだが、言えばこいつのペースに巻き込まれてしまうことは明白だ。
後ろを歩くタオも、このふてぶてしい囚人をどう扱えば良いのか分からず、目を白黒させている。
レーグネンの瞳がちらりとオレに向けられる。
「あなたが手に掛けた地方領主も、クヴァルム伯爵も王弟派だろう? 何故同じ派閥で殺し合っているのだ。そこで連絡取れば、あんなにこそこそ王都まで来なくて良かったではないか」
「……同じ派閥だからと言って、一枚岩という訳でもなかろう」
「なるほど、仲間割れか、それともスパイでも入り込んでいるのか……」
「若長っ!」
即座にタオから注意が飛んで、慌てて口を噤んだ。
あまりにもレーグネンの態度が変わらぬから、こちらもつい今までと同じく接してしまう。裏切り痛めつけたことを気にかけている様子もない。
タオがイライラとオレの脇腹を突いた。
「あんたなぁ、王都までの道中も、こんな調子でだだ漏れで来てんのか!?」
「すまない。だが、だだ漏れと言う程では……」
「ここまで来る間だけでも、あんたぺらっぺら話してるぞ! 道々でどんだけの情報が提供されたか、全部上げてやろうか!?」
確かに、何度もタオに叱責された記憶はある。客観的に見て、そんなに私は喋っているのだろうか。
レーグネンが晴れやかな笑顔で肩にかかったローブを揺する。
「タオよ、あなたのところの若長はな、俺に惚れてもうどうしようもないのだ。普段喋らぬようにしているのは見せかけ、閨での寝物語は途切れぬ程で、やれ王弟は腹の立つ男だわ、やれ王子は頼りない奴だわと……」
「おい! あんたみたいな魔物とそんな関係になるワケないだろ!?」
「夫婦なれば、そのようなこともあろうなぁ」
「ない! そんなことは一切ない! 良いか、オレとあんたの間にはな……!」
「……っつって今夜も一緒に寝てたな、そう言えば」
ぼそり、と会話に入ってきたタオの声が疑惑に満ちていて、オレは慌ててそちらに向き直った。
「タオ! 違うんだ、こいつの言うことを信じるな!」
一緒に寝ていたのは、部屋を1つしか借りたくないというレーグネンの財布事情の問題だ。ついでに言うと幼女だった頃から一緒に寝ていたので、何となくそのまま来てしまったという事情もある。必死にそれを説明しようとしたが、冷たい視線は解消されない。
「若長、一応聞いておくが、あんたの目的は変わってないだろうな? 一族の独立を諦めて、この魔物を娶ろうなんて気持ちは……」
「ない! 違う!」
まさかそんなことがある訳がない。
思い切り首を振って見せたところで……館の扉が開いた。
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通されたのは、ドラートの寝室だった。
普段は大広間や応接間に通されていたので、少しばかり驚いたが……まあ、手土産の価値に配慮したのかも知れない。
夜着にガウンを引っ掛けただけのドラートは、満足げにソファの上で足を組んでいる。整えた口髭の隙間にパイプを差し込み、すぱ、と白い煙を吐いた。
赤みがかった茶色の髪は、王子シャルムと同じ血を引いてるだけあってそっくりだ。だけど、何故だろう。あいつの場合は太陽のような明るさを感じるのに、この男の場合は冷えて固まった血の色のように見えるのは。
咥えたパイプを外した男が、ちらりとオレの腕の下に視線を向けた。
「……それが青龍将軍か」
「はい」
頭を押さえつけられ絨毯に顔を埋めたレーグネンの姿を見下ろして、ドラートは微かに眉を寄せる。
「逃げた供の方はどうした」
「仲間に追わせていますが……まだ」
手がかりさえも掴めていない。
無理もない。窓辺から消え失せた魔物の行く先など、想像も出来ない。
あの時逃がすべきでなかったのだ、捕えるつもりなら。
「ふん、捕らえられなければどうするつもりだ」
「重要なのはレーグネンです。供など放っておいても良い」
「ほう……」
「もちろん失敗であるとの評は甘んじて受けましょう、私の失態だ。しかし、同胞達には何の落ち度もないのだ、約束は守って頂きたい」
「なるほどな」
タオが心配そうにこちらに視線を向ける。
心配の対象は、失敗を背負おうとしているオレのことだろうか。
いや……この交渉の行く末についての不安か。
オレの交渉次第で、タオが彼の老いた母親と会えるかどうかが決まってしまう。更に言えば、彼女の生命が繋がるかどうかすら。先程の様子を見たタオからすれば、不安に思うのは当然だ。
ドラートはしばし思案するように間を置き、その上でゆったりと口を開いた。
「……成功とは認められんな。私が命じたのは一行の捕獲か殺害。魔術封じなど高価な技まで使わせておいて、何故逃した」
「魔物を甘く見てはなりません。殺すにも苦労するものだ」
「お前が躊躇ったせいだと聞いていたが?」
その情報は伏せたはずだ。隣を見れば、タオが勢い良くオレから目を逸らすところだった。
彼の仕草で、何があったのかを大まかに理解した。
だが、私には彼を詰る権利はない……。
「人ではないもの同士、情が移ったか。穢れの民よ」
タオの肩が震えるのが視界の端に見えたが、口には出さなかった。苛立ちを顕にすれば、ドラートを喜ばせるだけだ。そういう男だと知っている。
「……何とでも。しかし、そう思われるのであれば、私1人の責として頂きたい」
妹に――フルートに会いたい気持ちは嘘ではなかったが、同じく家族に会うことを楽しみにしている同胞達を、これ以上巻き込む訳にはいかなかった。
ドラートの唇が酷薄に歪む。
「約束を果たさぬ割に態度だけは堂々としているな。それならば、こちらも言を翻しても仕方あるまい」
「王弟殿下……!」
「とは言え、他に功のある者は別だとも思っているぞ。例えば、一族の長を裏切っても私に正確な情報を伝えようとしてくれた者であるとか……」
思わせぶりな言葉を聞いて、タオが大きく息を吐いた。
その息が表すのは安堵か、それとも罪悪感か。本人にも明らかではあるまい。
「……数多の苦難を退けて、密かに私の手元まで戻ってきた忠実な手下であるとかな」
付け足された言葉がオレを示していると、最初は気付かなかった。
ドラートの目がオレから逸らされず、かつ皮肉な視線が期待を帯びて輝くのを見て――ようやく意味がわかった。
「オレ――私を、フルートに会わせてくださると、そういうことですか……?」
声が震えるのを必死で抑える。
震えの理由は喜びではない。激しい怒りだ。そうに違いない。
私に――失敗の原因たる私に――褒美を与える。
そのことがどんな感情を同胞に与えるか、何より分かって告げているに違いない。
私だって理解している。私だけがフルートに会えるなどと、同胞達にどんな顔で報告すれば良いのか。だが、分かっていても――ドラートの気まぐれを断ることも出来なかった。この機会を逃せば、次はいつになるのか分からないのだ……。
知らず、レーグネンの頭を抑える手が緩んでいたらしい。
オレの手の下で小さな頭がじりじりと動き、顔を上げたことに気付いたのは――冷ややかな声が室内に響いてからだった。
「……麗しき我が愛玩動物を横取りする程の男であるからして、どれほどの器かと思っておれば……ヴェレよ、本当にこれについていて良いと思っているのか? 今ならまだ、俺はあなたを許すだけの懐の深さを見せてやるぞ……?」
その悪魔の囁きに似た甘さが、胸を抉る。
だが……ドラートの視線がじわりと鋭さを帯びるのを見て、慌てて手の力を強め、その言葉を封じた。
自分の本当の願いに似た何かが、脳裏を過る。
軽々しい誘惑の皮を被った重い欲求を――苦々しく、胸の内で押し潰した。
今更ですが、来週より更新を火曜・金曜21時の週2回に変更いたします。




