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5 有罪者の躊躇

 皆が寝静まった頃に、1人起き上がった。

 隣で微かにぷーぷーとレーグネンの寝息だけが聞こえている。

 音を立てぬようにベッドを降り、身支度を整える。外してあった剣に手をかけようとして――ふと、闇の中に浮かぶ緋色の瞳に気が付いた。


「リナリア」

「……裏切るつもりですか?」


 待ち構えていたように問われ、思わず苦笑した。

 いつから気付いていたのだろう。

 黙って眠っていれば良いものを。


 少し迷った上で、私は口を開いた。


「……そうだ」


 違う、と言うべきだったのかも知れない。

 だが……私の――オレの頭の中で何かが『もう限界だ』と告げている。

 もう限界だ。騙し切れない。

 疑われることは辛くない。信じられることこそが……辛い。


 答えた時、私は笑っていたと思う。

 今度こそ。

 これ以上もないほど清々しく。

 自然過ぎるほど自然に。


 リナリアにはどう見えただろう。女2人をうまく騙しおおせたことへの愉悦ととっただろうか。それとも、怯えている者を安心させるための罠ととったろうか。

 どのように取ってくれても構わない。

 そもそも……自分が何故笑っているのか、自分でも分かっていないのだから。

 笑っているはずなのに、胸が痛い、など……いや、分からぬものは分からぬままにするだけだ。


 静かに鞘を払う。ベッドの上で眠っているレーグネンの頭上に剣をかざす。

 ぴくり、とリナリアの肩が動く。


「脅すつもりですか?」

「そうだな。騒いだり、おかしな技を使う素振りを見せれば、貴様より先にこいつの息の根を止めてやるよ」

「何と卑小で哀れなもの……」


 微かに寄せられた眉はそれ以上の動きを見せなかった。が――心底憐れまれているのだろうとは、良く伝わってきた。何を憐れまれているかも分からぬのに、その表情が何より私を苛立たせる。ただでさえ限界に近づきつつある私の精神は、そんな些細な苛立ちにも耐えきれないらしい。

 無言のまま剣を翻し、リナリアに斬りかかろうとして――そこで、シャツの裾を握る細い指先があることに気付いた。


「レーグネン、起きていたのか」

「こう見えても武人の端くれなのだよ。戦場の気配はいつも冷たく肌を刺す」

「……主様ぬしさま


 私を警戒して後退ったリナリアの声が、いつもより硬い。そちらに向けて微笑みかけてから、レーグネンはゆっくりとベッドの上に起き上がった。

 慌てて首元に切っ先を突きつける。部屋の隅の仄かな灯りに照らされて、紅の瞳が剣の刃にぼんやりと映り込んだ。


「あなたに、俺が殺せるものか」

「何の自信だ」

「己の魅力と……周りに置く者を選ぶ目には自信がある」


 くっと顎を上げて笑う姿は――薄い夜着を纏った身体を見下ろして、くらりと頭が揺れるような心地を覚えた。本人の態度はいつも変わらず傲慢で不遜で好奇心旺盛な幼子のようであったから、見ているはずなのに……つい忘れてしまう。

 いつの間にこんなに成長していたのだろう。

 オレの妻を名乗っても、少しも違和感がない程に。


 真っ直ぐに下ろした長い銀髪の隙間から、ちらりと覗いた紅い唇が弓形に歪む。

 笑った――と、気付いた瞬間に、その柔らかそうな肌を切り刻んでやりたくなった。

 何が魅力だ、誰が愛玩動物だ。

 オレのことなど何も知らない癖に。

 この後、自分がどうなるかも覚悟などしていない癖に。


 未来を握った優越感で、少しばかり勿体付けて教えてやる。


「良い気なものだな。まあ、貴様は魔術で切り抜けられると思っているのだろうが――」

「――ふむ。クヴァルム伯爵の館にあった魔術封じと同じものかな。逃れられる気がせんよ、こんなもの」


 苦笑混じりに先に答えられて、唖然とした。

 確かにこの宿の周りは既に囲まれている。クヴァルム領で効果のあった魔術封じは今まさに、発動されたはずだ。

 しかしそれを知っているならば、こんな風に余裕を見せている場合ではないと、何故考えないのか。


「気付いていて何故焦らん。武人と言うならかかってこい。今なら二対一だ、必死に足掻けば貴様らが勝つかも知れんぞ」

「残念なことに外を囲まれていることも気付いてしまったのだ。俺は武人だが専ら指揮と援護射撃専門でな、身体を動かすのは他に任せておる。それに……」


 今度こそ、レーグネンはオレの方を真っ直ぐに見上げてくる。

 こちらを向いた紅の瞳は、何故か気遣いが感じられる程優しい色を湛えていた。

 その穏やかさに引き摺られるような気がして、それが嫌ですぐに目を逸らした。


「……俺は見通しのない策を立てるのは好きではない。剣を構えたあなた相手に魔術無しで勝てるとまでは驕っておらぬさ。あなた、か弱い女2人に何を期待しておるのだ」

「誰がか弱い女だ……」

「魔術を封じられた俺がそれ以外の何だと言う。ほれ、こちらを向いてみよ」


 この尊大な態度をもってして、何を言うか。

 渋々そちらに視線を向けた途端、紅の瞳が迫ってきたように見えた。

 うっとりと囁く声が、耳に流れ込む。


「殺したくないと。俺を殺すくらいならいっそ、俺に殺されたいと――素直にそう言えば良いのに」


 視線に惑わされたように、剣を握ったままの右手から力が抜ける。もちろん呆然としていたのは一瞬であったが、たったそれだけの隙でもレーグネンは逃さなかった。ベッドを飛び降り、リナリアの方へ――窓辺へと向かう。

 即座に剣を握り直したオレは、目の前をすり抜けた長い銀髪に手を伸ばし、ほとんど反射的に掴んで引いた。


「――痛っ!」

「主様っ!」


 響いた2人の悲鳴をきっかけに、部屋の扉が外側から破られる。


「――若長!」


 剣を構えたタオや他の同胞達が駆け込んで来るのを見て、リナリアがそちらへと向き直った。オレは引き寄せたレーグネンの首元に剣を当てる。


「動くなっ! 幾ら情に薄い従者であっても、主の生命は大事だろう!」


 最近の冷たい声や態度を見るに脅しの効果がないかもしれないと危惧していたのだが、どうやらそんな心配は無用だったらしい。リナリアは無表情のまま動きを止めた。

 その緋色の衣へ向けて、タオが駆け寄っていく。


 腕の中のレーグネンが、突き付けた刃に首を差し出すように身を乗り出した。首元が傷付くのも構わず、身を震わせる。


「リナリア!」


 このままでは、自分から首を落としかねない程の勢いだった。慌てて、空いた左手で柔らかい身体を腰から胸元にかけて抱き寄せる。


「おい、動くな!」

「――リナリア、窓だ!」


 タオの腕をすり抜けたリナリアが、窓へ駆け寄る。

 窓から逃げる気だろうか。しかし、宿の前にはもう待ち構えている者がいる。


「動くなと言っている! 無駄な抵抗はよせ、こいつを殺すぞ!」

「……言っただろう、殺せぬよ」

「あなたには無理ですね」


 動じぬ2人の女に見せつけるように柄を握る腕に力を入れ――そして、それ以上、手が動かないことを知った。

 違う、脅しではない。

 ここで殺さなければ、オレの――一族の望みは叶わない。

 リナリアを逃してはならない! 何としても捕えるか――それが出来ぬのなら、殺さなければ――!

 開いた窓に足をかけ、衣の裾から太ももをあらわにしたリナリアが、一度だけこちらを振り向いた。


主様ぬしさま、必ず……」

「ああ、無事で」


 レーグネンの答えに微かな笑みを返して――リナリアは窓の外へと身を投げた。


「――くそっ! 落ちたか!?」


 追いかけて、タオが窓から身を乗り出す。


「いない! 何処に行った!?」


 上下左右見回すが、何処にもその姿を認めることが出来なかったらしい。

 失望の息を吐きながら、身体を戻した。


「……いねぇ。若長、逃しちまったみてぇだ」


 ――逃した。その言葉が、じくり、とオレの胸を刺した。


 オレのせいだ。

 オレが殺せなかったから――殺せないことを見通されてしまったから!

 タオの――周囲の同胞達の視線が、無言のまま「見損なった」と伝えてくる。


 何を応えることも出来なくて、どうしようもなく――ただ苛立ちをぶつける為だけに、腕の中にあったレーグネンをぶん殴ってやろうとして……襟を掴んで持ち上げたところで、手が動かなくなった。剣ごと引いた右手の拳がぶるぶると震えるが――動かない……。

 決して、レーグネンの妖しの技などではない。己の意思で、動かせなくなった。


 どうしようもなく、掴んだ細い身体を床に投げ捨てるように叩きつけた。

 予想外に受け身も取らぬまま、胸元から落下する。衝撃で息の漏れるか細い音を聞いて、仰向けた身体を膝で抑え付ける。細かい傷が幾つも線を引く首元を、剣を投げ捨て両手で締め上げた。


「……出来なくない、殺してやる! 絶対に、貴様など殺せぬ訳がない! 戦場で幾人の生命を屠ってきたと思っている! オレは、オレには――オレの肩には一族の命運が――」


 命運が、かかっている、はずなのに……。

 苦しげに目を細めたレーグネンが、まっすぐにオレを見上げて、その口元に間違いようのない微笑みを浮かべた。


 何故笑う、と問い質す気も起きなかった。

 可笑しいに違いない。一族を、妹を救わねばとそれのみを第一にしてきたはずだった。それなのに、たった数ヶ月をともにした魔物の命を奪うことを、最も重要な一瞬で躊躇してしまった男など……。


 それに……今更だ。

 リナリアは既に逃げた。捕えるか殺すかと言われてはいるが、生け捕りに出来ているなら、その方が使い途もあるはずだ。


 両手から力が抜けた。

 黙って立ち上がるオレの――私の足元で、レーグネンが激しく咳き込む。

 タオがどことなくよそよそしい態度で歩み寄ってきた。


「若長……」


 声は「見損なった」と告げていた。 

 一族の為に、お前は生きていたのではないかと。


「すまない。ヤツにはオレから説明する。全部オレのミスだ」

「いや、そんなことは……」


 ない、と言いたいのか、どうでも良い、と言いたいのか。

 どちらにせよ、最後までは言い切りはしなかった。

 当たり前のことだ。期待をかけた男の無様な姿は、慰めを言える度合いを超している。

 口の中でもごもご言っているタオに、無言でもう一度頭を下げた。


 顔を上げた時には、ようやく少し頭が冷えていた。

 オレの身体の下では、レーグネンが生理的な苦しさで目元に涙を湛え、こちらを見上げている。その夜着の襟元を掴み、捻り上げた。

 紅の瞳を正面から見据える。


「安心しろ。貴様が青龍将軍であることは疑っていない。貴様に聞きたいことは幾らでもある」

「……こふっ……何とも情熱的な睦言じゃないか」

「言ってろ。その内、何故殺しておいてくれなんだと、後悔することになるだろう」

「くふふ……どうやら俺の夫君は手荒なプレイがお好みのご様子。はてさて、手弱女のさいは如何にして無体な要求に応えようか。悩ましいところだ」


 偽りの夫婦の設定を、私を愚弄する為のみに使おうとする姿勢に半ば呆れ口を閉じた。

 不敵な笑みを浮かべるレーグネンの背後で、タオがその両手を縛り上げるのを確認してから、手を離す。

 ふと見下ろせば、白い夜着の襟と同じ紅にオレの手のひらも濡れていた。

 私の視線を追いかけたレーグネンが、床にぶつけたせいで腫れ始めた頬を歪めて囁く。


「魔物にも人と同じ、紅い血の通うのが不思議か?」


 私は答えぬまま、身を離し、剣を拾った。

 血濡れた道を歩むと決めたはずなのに、刃はさして汚れもしていない。弱々しい部屋の灯りを照り返し、レーグネンの髪と同じ白銀の光をぼんやりと浮かべているだけだった。

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