4 有り顔の迎え
「また喧嘩か……」
オレの右腕に絡みついたレーグネンが、しなだれかかるように身体を乗り出し、道端を見やった。
人混みの向こう、品物を並べた屋台を挟んで、店主と客が罵り合っている。
「おかしいだろうよ!? こんなもん、西方じゃ取れすぎて場合によっちゃただでも叩き売ってんだぞ? それが何だこの価格は!? 他所者だからって、甘く見てんじゃねぇぞ!」
「ただで買いたきゃ西方に行きやがれ! こっちだってなぁ、重たい荷物背負ってえっちら売りに来てんだよ! 地元と同じ値段で買えると思うなよ!」
やり取りを聞くにどうやら今回は、どちらも外から来た者らしい。
元々、人が多い分いざこざも多いのが王都の特徴だ。
それにしても、先にレーグネンが指摘した通り、物価に関する喧嘩は確かにかつてより多いように思えた。
「ふざけんなよ!? 多少はこっちだって覚悟してらぁ! それにしたってこんな値段になる訳ねぇぞ!」
「なるんだから仕方ねぇだろうが! 文句があるなら他所で買えよ!」
ヒートアップしていく喧嘩をほとんどオレの胸元に抱きつくようにして、レーグネンが見つめている。
王都までの旅路、そして王都に滞在している間――こいつ、明らかに大きくなっている。
少なくとも、だぼんとしたローブを着て立っている状態で、身体に凹凸があることが分かるレベルには……。右腕に当たる柔らかいものを振り切って、オレは喧嘩の声へと歩を進めた。
「……仲裁に入るのですか?」
背後から冷たい声が響く。
人目を忍ぶ立場で、何を軽々しく、という非難だろうか。
イラっとしたところで、追い付いたレーグネンが再びオレの腕を取る。
「ヴェレ、リナリアは別に咎めている訳ではないぞ」
「……何で分かった」
「顔に出ておる」
「どちらがですか?」
「どっちもだ」
言われてリナリアと顔を見合わせたが――いつも通りの無表情にしか見えん。
向こうも諦めた様子で、オレを追い抜き、喧嘩中の2人の間に立った。
「双方、手を引きなさい」
突然、真横から緋色の美女に声をかけられた店主と客は、目を白黒させている。
「だ、誰だ、あんた……」
「てめぇ関係ねぇだろ……」
微妙に勢いがないのは、彼女の迫力によるものだろう。
その美しさと冷徹な無表情に圧倒されている。
「喧嘩はなりません。少なくとも、ここで手を出して騒ぎになっては困ります」
「おう……」
「店主の肩を持つつもりはありませんが、この野菜は王都では適正な価格です。こちらにおいでなさい」
勢いに乗せられて大人しく頷いた客を掴まえて、リナリアは道端に寄り、王都の物価について解説を始めた。西方での元値が幾らだ、関税が幾らだと地面に書きながら説明している。
客はしゃがみ込んだ襟元を覗いているような気はするが……まあ、喧嘩がおさまったのは確かだ。
レーグネンはちらりとオレを見上げる。
「……あなた、1人で大丈夫だよな?」
「どうした」
「いや、何かリナリアが無防備過ぎて心配なのだ。ちょっと行ってくる」
大体いつもあんたが窘められてるのも、そういうことなんだけどな。自分のことは分からずとも、他人のことは良く分かるもんらしい。
リナリアの方へ駆け出すレーグネンの背中を見送ってから、オレは1人残った店主の方へと歩み寄った。
茶色っぽい髪と瞳で一見、普通の王国民のように見せているが――
「――タオ。久しぶりだな」
声をかけながら、北の民の――一族だけが知る手信号を送ると、向こうも同じサインを返してきた。
「おお、若長! クヴァルムで暴れまわったそうだな。シェーレが心配してたぜ?」
愛嬌のある笑顔で、ただし声は潜めながら歩み寄ってくる。この辺りの器用さが、うまく立ち回りながらあちこちとの繋ぎを維持するのに役立っているらしい。
北方人にしては、生まれつき瞳の色が薄い。
それを活かしてこうして王国民の振りをし、制限なしに動き回るのが彼の自ら志願した役割だ。髪はその為に染め続けている。王国民として扱われるこの役割を羨む者もいるが……そんなものは、彼が如何にギリギリのやり取りを繰り返しているかを知らないだけだ。
「シェーレに会ったのか?」
「ああ。若長に久しぶりに会えて嬉しかったと言っていた」
「彼女は無事だったか? あの後、何か雇い主に叱責されたりは……」
問いかけて、問うても仕方ないことだと考え直した。
叱責されぬ訳がない。それが北方人の、『穢れの民』の地位だ。
分かっていて、彼女を置いて逃げたのはオレだ。
タオも、オレの考えなどあっさりと見抜いている。苦笑して、問いには答えず別のことを言った。
「連れがいたという話を聞いたが、詳しくは本人から聞けと言われたよ。あの嬢さん達かね」
胸元から、小さく折りたたんだ書き付けを取り出している。
数夜前に、オレが物乞い――のフリをした伝達者に渡したものだ。
「良くまぁここまで誤魔化し誤魔化し連れてきたな、上手いもんだ」
「……まあな」
意図せず、声が低くなったことを、自分でも認識している。
タオはオレの顔を見て苦笑した。
「そんなつもりじゃねぇんだが……若長の人の良いのも相変わらずだなぁ」
「止めろ。本当に人が良くて、こんなことやる訳がない」
「あー、それもそんなつもりじゃねぇんだが……ま、良いや。とりあえず、伝えるべきことを伝えとくぜ」
頷くオレの前で、指折りながら、タオが告げる。
「1つ、あんたの妹フルートのことだが……」
「無事か!?」
それだけが、西方ではどうしても手に入らず、そしてどうにも気にかかって仕方ない情報だった。
たった1人の妹。
生まれてすぐに引き離され、会えるのはせいぜい年に1度か2度だとしても。
他の同胞達がそうであると同じく、オレもまた、彼女を裏切ることは出来ない。
オレを信じて、囚われたままの妹を。
「ああ、元気だそうだ。若長が死んだという噂が流れた時に、諸々の要因で少し不安定になったようだが……。とりあえず、今は持ち直してる。『無事戻ってきた暁には、特別に会わせてやる』なんてあの野郎は言ってたが」
「……そうか」
安堵……だと思う。
全身から力が抜けた。そのまま地に膝を突きたいような気持ちになった。
それとも、これが――こういう気分が神への感謝の祈りになるのか。
オレの顔を見て、タオは何とも言えない笑みを浮かべた。同情とも、思いやりとも言い難いが……その全てが含まれた表情だ。同じ思いを理解出来るからこそ、オレの安堵と――だが、単純に良かったとも言い難い気持ちが入り交じるのだろう。
ぐしゃぐしゃと自分の髪をかき乱してから、改めて元の話に戻った。
「あー……2つ、例の件は明日の夜だ」
「明日の夜か……」
「……それまで、あんた1人で大丈夫か?」
心配の理由は、さっき言っていた「人が良い」だろう。
馬鹿な。
オレは鼻で笑って、答えを返さぬまま、その場を離れた。
行く先は、何やら徐々に人が集まり、臨時経済講座になってしまっている一角。
「つまり関税とは本来様々な働きがあるものだが、西方では基本的にこうしてその地域に還元されることを前提に輸出入のどちらにも課されている。ところが今は――」
胸を張るレーグネンを、先程の客以外にも多くの者が足を止め見ている。
人垣を少し逸れたところに、見慣れた緋色の姿を見付け、私はそちらへと歩み寄った。
「……何だ、これは?」
「さあ。大道芸のようなものと認識されているのかも知れません」
相変わらずリナリアの答えは冷たい。
ちらりとこちらを見たレーグネンが、リナリアの隣に私の姿を認めたらしい。
唇がそっと笑みの形を作るのを――どこか、冷えた心持ちで眺める。
明日の夜。
この関係も、そこまでか。
微笑みかけられて、笑い返したつもりだった。
だが、自分の固まった頬がうまく動いたかどうか……正直、あまり自信がない。




