3 有り内な評価
「ふむ……大体理解した」
屋台の粗末なテーブルで昼食を取りながら、レーグネンが唐突に呟いた。
川から上がってくる空気はじっとりと湿り、まだ夏に足を踏み入れたばかりと言うのに、既に空気は熱を帯びている。4人掛けのテーブルは2つあるが、私たちはその内の1つを3人で専有していた。私の隣にレーグネン、レーグネンの対面にリナリア。屋台の向こうは人が行き交っており、騒がしい。どこからか喧嘩の声まで聞こえてくる。
王都に着いてまだ5日だが、毎日ぶらぶらして暮らしている、この姿だけは可愛い魔物が何を理解したのか、気になるところではあった。
「何を理解したんだ?」
「王都の力関係のことだよ」
「力関係?」
「対立しておるな」
予想外の話が始まって、少し焦る。
しかし、そう言えばあのトロール達を討伐したときに、レーグネンも領主からその話を聞いていたように思い出した。王弟派と王子派が正面から争う日も近い、戦乱の世に備えるために、力を貸せと勧誘されたような。
「まあ、その話は魔王領にいた頃より知ってはいたのだが」
あっさりと呟いて、汁に浸された麺をちゅるちゅると啜る。
王都ではお馴染みの屋台飯だ。安くて、あっという間に出てきて、しかも旨い。
「ああ……やはりこれはうまい。特にこの、上に乗っかってる香草だ。ちょっと癖があるが、慣れるとこれがなくてはつまらん気になる」
その意見には私も比較的同感なのだが、今はそんな似非グルメレポートのような話はどうでも良い。
先を促そうとしたが、先を取ったレーグネンが伸ばした指先で対面に座るリナリアの器を指した。
本来は薬味のような使い方をされるその香草が――器にこんもりと盛られている。
「リナリアなど、気に入り過ぎて、アレだ」
「器の中に緑しか見えんのだが」
「……それが何か、問題ですか?」
冷やり、と見据えられて、私とレーグネンは同時にふるふると首を振った。
問題ではない。好みの範疇の話だし。
しかし、食いすぎだとは思う。その香草は、そんなもしゃもしゃとそれのみを頬張って食べるような食べ方をするものではないのではないか――という言葉は、そっと胸の中にしまった。
レーグネンがさり気なく話を変える――いや、戻す。
「……ふむ、王都の中で見てみれば、予想以上に対立していたということだよ」
「こんな市井の中からそれが見えるものか?」
鼻で笑うくらいのつもりで問うたが、存外に真面目な声が返ってくる。
「物価が高い」
どうしようかと少し考えて、やはり言うことにした。
「……ここは、周辺に食料の生産地がなくてな。王都に品を持ち込むには、クヴァルム河を下るか、東または西からの街道を通るか、さもなくば我々のしたように森を越えて来ねばならぬ。水路は便利だが陸路と違い、安価であっても渡し賃を取られる。だから、物価が高いのは前からだ」
「そうじゃない」
つぴ、とまた麺を啜ったレーグネンは、器の中を見下ろしたまま囁く。
「普段の王都と比べても物価は上がっておるらしいのだ。あなたはしばらく西方にいたから、普通の高さとどう違うのかが見えておらぬのだろ。見ろ、あそこで果物の売値について喧嘩しておるのは、昨日今日で外から来たような者ではないぞ」
ちろりとレーグネンの流した視線を追えば、確かに道端の屋台の前で、掴み合いになっている店主と客がいる。煩いとは思っていたが、まさか売値の高さが原因で喧嘩になっているとは思わなかった。
……むしろ、かつての習慣で止めに入りそうになる自分を抑えるのに精一杯だった。
レーグネンの手元の水がなくなったのを見て、リナリアが黙って注ぎ足した。
「……外から来た者ではないとは?」
「他の屋台の店主達が仲裁に入っている。顔見知りなのだろうな。とあれば、ただの旅行者ではない。長くこの地に住まう者までが、文句をつけるような値になっているということだよ」
言いながら、汁に塗れた唇を舌先で舐め取っている。具になっている鳥の油が伸ばされて、てらてらと光る。
その危うい仕草を隣から見下ろして、ごくりと喉を鳴らした。
「……どう思う?」
上目遣いに見上げてくる紅の瞳に、何と答えるべきか。
悩む間もなく、口から勝手に答えが出た。
「……うまそうだ」
「バカか。この麺の話ではない」
いや、麺の話じゃないのは分かっているのだが。
「物価の話だ」
「……あー、ああ、そっちか。そっちの話ね。うん、いや、どうだろうな……」
内心の狼狽を隠すために、慌てて答えた。
そんなオレを、もしゃもしゃと香草を咥えたリナリアが、正面から黙って見ている。視線が怖い、どことなく。
レーグネンは、気付いているのかいないのか、再び器に視線を戻して口を開いた。
「良いか、ここのところの噂話で大体理解したのだがな」
「お、おう……」
「どうやら、街道に兵が出張っておる」
「……王弟派か?」
咄嗟に答えると、レーグネンは今度こそ私に顔を向け、にんまりと笑った。
「分かっておるではないか」
「いや、私の場合は……」
ただ知っているだけだ。
街道を守るのは各地の騎士団、そして西方地域を支配するのは王弟派。王子派が多数を占める東方地域の品物は、あまり価格が上がっていない。例えば、ちょうど今が旬の東方の果物などは――比較的、安い。
「ま、そういうことだ。西方地域からの品物が途中足止めされたり、関税が上がっておったりするらしい。ついに王弟は腰を入れるつもりになったか……」
「あんたが手配されてるだけじゃないのか?」
「調べた限りでは、それはどちらかと言うと水路――クヴァルム河の方だったな。確かに、クヴァルム領からの情報を見れば、俺達が水路をそのまま下ると考えるのが妥当だろう」
無言のまま、リナリアの緋い袖が動いて、食べ終わったレーグネンの唇を、取り出した布で拭いた。
レーグネンも無言のままそれを受ける。
布がどけるのを待って、再び口を開く。
「俺は、王都で白虎の他にもう1人、会わねばならぬ者がいてな」
「……何?」
「密命がある」
子どものようにリナリアに面倒を見てもらいながら――その実、何やら良からぬことを考えているらしい。
「密命だと?」
「魔王陛下は王国と和平を結ぼうとしている、と言っただろ」
その言葉で、理解した。
対外的に友好政策を唱えているのは――王子派だ。
「……王子派の誰かと、渡りをつけているのか?」
「そういうことだ」
首肯するレーグネンを見て、微妙な心持ちになった。
こないだは伝手はないか、などと言っていたが、自分で既に用意をしていたらしい。
結局は、そういうことだ。
オレのことを信頼するフリをして見せているだけ。
オレもこいつも、同じだ。
嘲るというよりも、何となく安堵したような気になって、顔を上げる。
内心の思いを表には出していないはずなのだが……何故か、ふと絡んだリナリアの視線が冷たさを増したような――いや、気のせいだろう。
……ただの感傷だ。多分。
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そんな話をしたせいだろうか。
その夜は、懐かしい夢を見た。
打ち上がったばかりの白銀の鎧を纏う、細身の少年。
建物の影に身を隠すように、緑の草の上にしゃがみ込んでいる彼こそを、私は探していた。
「シャルム――」
白皙の面を涙で濡らして、少年――シャルム王子は顔を上げる。
「ヴェレ……!」
私の顔を見た途端に、碧の瞳からますます涙が溢れてきた。
「おい、泣くなよ」
「これが泣かずにいられるかい? 何故、君が戦場へ――」
「そうだよ、戦場に行くのはオレであってあんたじゃない。だから、あんたが泣かなくても良いんだって」
「じゃあ何の為に私は鎧を新調したんだよ!」
「肖像画の為だろ」
答えた途端に、ますます泣き出した。
どうせ言っても聞かないと知りつつも、茶の髪に手を乗せる。
誰かに見られれば不敬だと注意されそうだが、幸い、この場には誰もいない。
「……良い加減、泣き止めよ。王子として、こんな頼りないことで良いのか?」
「良い訳ないよ。分かってるけど、ひどいじゃないか」
「あんた、王国守護軍の中で『泣き虫王子』ってあだ名ついてんだぜ?」
「知ってる。叔父上は『冷血殿下』だろ」
「良く知ってんな」
誰が告げたか知らないが、知っているところはさすがだと思う。
人望は、なくはない。そのことをオレも知っている。
だが……この年若き王族には、決定的に欠けているものがある。
「なんで戦争なんてするんだろ。叔父上も、父上も」
ぐしゅ、と鼻を鳴らす彼の頭から、手を引いた。
どけられた手を頼りなげに追いかける、シャルムの碧の瞳。
それを上から見下ろして、オレは唇を歪める。
「それがイヤなら、あんたが旗頭になって、魔王領から手を引くが良い」
「……そんな風に君は簡単に言うけどね――」
始まった愚痴を聞き流しながら、オレはそっと拳を握る。そんなこちらの様子に気付かぬまま、シャルムの繰り言は続いた。
シャルムとは、幼い頃からの付き合いだ。
その関係を彼が友人と呼ぶなら――それでも良い。オレは反論しない。
だが、彼に、北の民の命運を任せることは出来ない。
それが、オレの――一族を率いる者としての、譲れない評価だった。




