1 有漏路の連れ
「……何かあんた、大きくなってないか?」
うっかり素のままで口に出た。
暗い森の中、前を行くレーグネンの姿を見るに、どうも記憶よりも身長が高いような気がする。
魔法のローブは相変わらず身体にぴったりだが、元の姿に戻ったときでもぴったりなので、あまり参考にはならない。
何となく、腕やら足やらが伸びてるような気がする。
くくっと笑ったレーグネンは、はいともいいえとも答えぬまま、オレの方へと近付いてきた。
「……おい」
「何だ?」
「答えろ。あんた、もしかして成長してるんじゃないか、と聞いてる」
にんまりと引き上げられた桃色の唇が、三日月のようなカーブを描く。
両手で下から自分の胸を掬い上げながら、小悪魔のように笑った。
「成長……したかどうか、触って見るか?」
ごくり、と自分の喉が鳴ったような気がする。
今度こそ、はっきりと分かった。
だぼんとしたローブに隠れた身体も、こうして胸下で絞ればはっきりと凹凸が見える。
答えに躊躇してしまう程に、レーグネンの胸部は確かに柔らかい膨らみを増していた。
かつてはつるぺたで何の引っ掛かりもない子どものようだったその胸板が――既にもう、板とは言えなくなっていた。白い手のひらの上に、ローブに包まれたままの丸みが乗っかっている。
……触って良いと言うなら、触ってみてやっても良いのかも知れない。
いや、だってほら、成長したかどうかの答えがそれなら、成長したかどうか判別するには揉んでみなければいけないということになり、だからこの両手がこう……揉んでみれば良いじゃないか!
「――いけません」
真横から発せられた冷たい声で、我に返った。
何の感情も持たぬ人形のような緋色の瞳が、横からオレ――私とレーグネンを見据えている。
どちらへ、ともなく発せられた叱責に、答えたのはレーグネンだった。
「ふむ、此度のリナリアは中々に道徳的」
「道徳などはよろしいですが、主様のお身体に差し障りがあってはいけません」
その瞳はあくまで冷たく、言葉の示すような愛情など全く感じさせない。
それでもレーグネンは、そんなリナリアに向けて笑って見せた。
「俺はそういうのも好きだぞ。燃え難いもの程、一旦火が付いた時の燃え様は激しいものだ」
「ご冗談を」
切り捨てる言葉には、やはり愛情の一片も感じられなかった。
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小舟の上でぎゅうぎゅうに3人がくっつきあって眠っていたのが良かったらしい。
一夜明けた朝、追手は我らを見付けておらず、私の体調もそこそこに戻っていた。
このまま船で水路を下れば王都に繋がることは分かっていたのだが、そうすればクヴァルム伯爵の追手に見付かりやすくなることは確実だ。
地図を持ったレーグネンにその旨を説明し、やや回り道になるが水路も街道も逸れて、森の中を突っ切ることで合意した。
……この辺りで、リナリアの様子がおかしいことに気付いた。
いや、レーグネンとリナリアに言わせれば、それは様子がおかしいのではないということだが。
「つまりな、リナリアは花の精だと言っているだろ?」
「ああ、だが……」
「花に、1つとして同じ花はありません。私と前のリナリア達は全て別のリナリアです」
確かに、この冷ややかな声を聞けば、かつてのレーグネンべったりのリナリアと同じ人物とは思えない。
「……ということは、これは別人だということか?」
「いや、だからリナリアはリナリアなのだ」
「私たちはリナリアです。別の花でも根は同じ。全ての記憶は受け継がれ、1つのリナリアとして存在します」
良く分からないが、そういうものらしい。
私よりもその性質を良く知っている魔物である本人達がそういうなら、そうなのだろう。
……ただ。
「レーグネン、貴様は――」
「――それ以上言うなよ、ヴェレ。俺は全てのリナリアを等しく愛する。どのリナリアもリナリアであり、どのリナリアも失われればもう二度とは戻らぬからだ」
真偽は別として、レーグネンがそうと決めているのならば、それを受け入れる他はなかった。
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こうして我らは、山歩きの生活に入った。
宿に結構な量の荷物を置いてきてしまったことを後悔しようとしたら、何故か既に小舟の上に乗っていた。
レーグネン曰く、小舟が出る前の段階で、シャッテンが騒動に乗じてゾンビに取ってこさせたのだと言う。
「……そんな話、してたか?」
「してないが、それくらいは言わずとも気が回るさ。回らないのはあなただけだ。俺に任せておけば良かったものを、考えなしに突っ込んできて混ぜっ返しおって」
「悪かったな。そもそも貴様が……」
と言おうとして、何一つ自分の正しさを主張出来ないことに気付いた。
あの様子なら、レーグネン1人で忍びこんだのであれば、グリューンに見付かることもなく、もっとうまく切り抜けていたことだろう。
歩きながらもそんなことを考えて、少し反省しそうになった。
くすっと、前を歩くレーグネンが吹き出す。
「……とは言え、俺が先に何も打ち明けなかったのが悪かったのだろ。あなたは俺を心配してくれたのだよなぁ?」
あまりと言えばあまりに恥ずかしい質問で、積もった落ち葉の上、うっかり足を滑らせそうになった。
何とか体勢を立て直し――立て直したところで、気付いたのだ。
あれ、こいつ、こんな身体つきしてたっけ?――と。
――で、冒頭へ戻る。
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「自分の呪いとは言え、俺もこんな呪いを受けたのは初めてだから、何とも言えぬのだが」
一休みしようと、リナリアが湯を沸かし始めた。
聞けば、私の背負っている荷物の中には茶葉まで入っているらしい。
「……どのくらい成長したように見える?」
「は?」
「自分でははっきり分からんのだ。例えば人間で言えば何歳くらい、とか」
「そう言われても……オレも良く……」
そもそも、女児の成長速度なんか知らん。
知っていれば、ここにこうしていない。
「頭1つ分くらいは背が伸びておりますね。わたくしには人間の歳は分かりませんが、今の姿は魔族で言えば成人の儀までもう少し、というところでしょうか。早い娘は夫を迎えておるやも知れません。大多数はまだ娘としての慎みを知ったくらいではありましょうが」
茶を淹れ終えたリナリアが、カップを手渡しながらそんなことを言っている。
成人だの夫だの娘としての慎みだのの言葉が、いやに生々しく感じるのはオレだけか? ……オレだけかも知れない。
気を落ち着かせる為に、茶を口に含む。
「ふむ。つまり、男を受け入れられる身体にはなっている、と」
「ぶはっ!?」
思い切り吹いた。
「……汚いですね」
今のクールなリナリアに言われると、何だか心と性癖を抉られるような心地がする。
「ちょ、待て……レーグネン! 貴様、思わせぶりな言葉で人をからかって遊ぶのは止せ!」
「思わせぶり? 何を言っておるのだ、あなたは。俺は、旅がしづらくなるという話をしておるのだ」
完全に想定外、という顔で睨みつけられて、さすがにオレも口を閉じた。
やっぱり、どれもこれもオレの考え過ぎなのか? いや、しかし……
「良いか? 鄙には稀なこの美貌が、目立たずにここまで来れたのは、ひとえに俺が幼いために大多数の者の目にとまらずに来れたからだ」
「……い、色々と反論はあるが、まずは聞こう」
反論とは、具体的には「そこまで自分で言うな」ということなのだが。
「うむ。俺とリナリア2人の旅はキツかろうというのは、そういうことだ。俺もリナリアも並の人間などは軽くいなせるつもりでいるが、並ではない人間が来れば、こちらもそれなりに対応せざるを得ん。王都ともなれば、そういう人間も増えよう」
「……ああ」
確かに、女2人の旅では不思議にも思われるだろう。それ以上に侮られもする。侮られれば、余計な争いを招くこともある。
ましてや――認めるのは悔しいが、この2人ならば外見のみを理由に付け狙われることも、当然考え得る。
「そこで、あなたの存在だ!」
「オレか」
「でかくてむさい男が傍にいるだけで、虫よけになる!」
「虫よけ」
あまりの言い草だが、まあ分からなくはない。
問題があるとしたら、親子であるとか商人の一団であるとか、このメンバーの分かりやすい共通点がないことだった。
「どういう組み合わせなんだ、これは……」
「冒険者夫婦とその姉、というところか? あなたも王都ではあまり顔を見せたくはないと思うが、なーに、それこそフードでも被っておれ」
「お言葉ですが、夫婦と言うなら見た目の上では、わたくしとヴェレの方が適任かと」
ひやり、と首元に刃を当てられたような気になった。
夫婦。
緋色の女の冷たい美貌。
夫婦というからには……。
真横に座るリナリアの胸元に、つい視線が向かう。
「……当然ながら、あくまでお芝居、という前提のお話です」
「ななななな、いや、当たり前だろう。分かっている。分かっているぞ、当然の話だ。お芝居だ。分かっている」
「何で今、『分かっている』って3回言ったのだ……?」
不思議そうにレーグネンが問うてきたが、オレはその言葉に返答せずに首を振った。これ以上口を開けば墓穴を掘りそうだ。
そのまま不満げにこちらを見ていたレーグネンが、唐突に茶を飲み干して、手を打った。
「うむ。やはり冒険者夫婦とその姉、にしよう。リナリアが俺以外の誰かのものになるなど、幾らお芝居でも許せぬ」
「……御意に」
そっとリナリアが頭を下げたところで、勝手に確定した。
オレの意見は最初から最後まで必要ないらしい。
安堵したような、勿体ないことをしたような微妙な気持ちで茶を見下ろしていると、ふと気配が近付いてくる。顔を上げれば、何やらにやにやと笑うレーグネンだった。
「うむうむ。そうと決まれば、普段から夫婦らしい接触を心がけねばな。なあ、ヴェレよ」
「夫婦らしい接触……だと?」
するするとオレの腕の中に容易に入ってきたレーグネンは、膝の上に腰掛けてしなだれかかるようにこちらを見上げる。
「夫婦というのはこういうものか? それとも、もっと……こうかな? ほら、あなたもその所在なさげな両手を何とかしろ。こう……ぐっと」
「ぐっと」
ぐっと……揉んでも良いのか?
頭の片端で「これは男だ」と叫ぶ声が響いていたが、「いや、でも今は女だから触るだけならタダだ」という声にかき消された。
腿の上に置かれた尻は柔らかく、胸元にもたれかかる肩は細い。
顎の真下にツヤツヤと伸びる髪からは、何やら良い匂いもする。
夫婦だから。
ほら、フリだから。
たとえ男でも、フリだから。
そんな声が大きくなって、つい、伸ばした手がぐっと――
「――本当の夫婦は、そんなに四六時中いちゃついてはおりません」
「ふむ、一理ある」
――ぐっとお目当ての場所を掴む前に、横から飛んだ冷たい声とともに、腿の上の重みは去っていった。