12 無作法の魔力
クヴァルム伯爵の館から流れ出る水路を、夜闇に紛れて下っていく。
小舟の上で揺れながら、遠ざかっていく館と伏せたままのシェーレの背中を見ていた。
彼女は大丈夫だろうか。本当は連れて行きたいが――本人は行きたいとは言わなかった。
彼女もまた、同胞の為に1人戦っているのだ。私と同じく。
「あっ、何でそんな私を避けて端に寄ろうとするんですか? 私がかのレーグネンに手を出すとでも思っているのですか? 男同士で馬鹿馬鹿しい。心配ご無用、私の敬愛するお方は魔王陛下ただ1人ですから!」
「……いや、そう言えばあなたの趣旨趣向は尋ねておらんかったな、と思い出したのだ。俺のあまりの美しさに惑われても困るな、と思って」
「だーかーらー! いりませんよ、魔王陛下ただ1人だっつってんでしょ!」
背後でレーグネンとシャッテンがうるさいが、私は1人シリアスモードを貫くつもりだ。
我らは王国内で蔑まれる民である。
ただ高位の人間はその『穢れ』の理由を知っているが故に、蔑みはしてもおいそれとは手を出してこない。
問題は、理由も知らず、ただ見下してくる一般の民だ。
王国の中で準国民と位置づけられている我らをして、奴隷か何かと等しい認識をしているらしい。
王国民よりも多少頑健な身体をしていることもその理由なのかも知れぬが。
過酷な環境下におかれ、傷つき疲れ果てた同胞達を立ち上がらせ、何とか王国からの再びの独立を目指すのが――私やシェーレを含めた一部の同胞達だ。
各地の要処を押さえて情報を集めるシェーレ達と、中央で政治中枢の状況を探る私――という分担になっていたはずだったのだ。
それが、あの日――中央から西方へと追いやられたことで、目的が果たせなくなった。
その上、西方で待っていたのは私の暗殺計画。殺されかけたところをレーグネンに拾われて、何とか生き延びたことで、今に至るのだ。
中央への復帰を望みたいところだが、このままでは戻っても同じことであろう。
それどころか、下手に『穢れの民』の力を知る者に私の生存が伝わったならば、好きなように利用されることも確実だ。
だから――グリューンをこのまま放す訳にはいかないのだ。
足元に転がる男に眼を向けた瞬間、その真上で、ムキっと筋肉ゾンビがポーズを決めた。
「だいたい、それならあの『おっぱい大きい方』に対してどう思っているのだ。あなたはおっぱいが好きなんじゃなかったのか!? それなのに、あれをおっぱいと呼ぶのはどうなんだ!」
「何を仰るやら。それは私も女性の柔らかい身体は好きですよ。しかし、それ以上に自分が生み出した子を可愛くないと思う人がこの世にあるでしょうか。いやない! あの子は可愛いですよ、もちろん。私の子です。おっぱい大きい方です」
「ゾンビって、生み出したって言って良いのか? 元の死体は何なのだ」
「だってゾンビになった時点で前の人格とかありませんし、新しい存在ですから。私が私の魔力で作り上げたのですから、我が子と呼んでも良いと思うのですよ。ああ、愛おしい」
「身体をくねらせるな、キモい」
足元に転がる男が意識を戻していないことで、私はかすかに安堵した。
勿論その思いには、この場で友に断罪されることはないのだという、惰弱な安堵と――今のレーグネンとシャッテンの会話を聞かれるのが恥ずかしくて仕方ないという、全人類共通の安堵が入り混じっているのだが。
裏切り、切り捨て、唯一の目的の為と嘯きながら――自分でも分かっている。
本当は、彼に憎まれることが怖いのだ。
だから、二度と取り返しのつかぬ罪を犯すようなことにならなかったことは、やはり、感謝せねばならないのだろう。
……如何にそいつが、この狭い船上で騒がしくしているとしても。
「よろしいですか、私が敬愛するのは我らが魔王陛下のみ。他の存在は男も女も全部まとめて、いつかは私の配下です! そして、私の配下になればそれはもう皆我が子、愛の対象です。もちろんあなたも――」
「うわぁ、ますますキモい! 止めろ、そんな目で麗しい俺の肢体を見るのは止めろ!」
「そんな目ってどんな目ですか。そんなこと言ったって、いつか私の配下になることを除けば、そもそも今のあなたはただのちんちくりん――」
「――それを言うなら、あなたは今も昔も変わらずただの変態野郎ではないか! 俺がもし道半ばで倒れることがあったら、今から白虎にでも頼んでおいて、骨も残らずこの世から消し尽くしてもらうこととする! 遺言を書いておくからな!」
延々と言い合っている様が、あまりにも愚かしい。
これがグリューンに見られなかったことは、私のみでなく魔王領の恥を隠す上でも、素晴らしい幸運であったと言える。
「……おい、貴様ら良い加減にしておけよ」
「うるさいわ、このむっつりが! あなただっておっぱい大きい方が気になってたのだろうが」
窘めたつもりが、何故か私に矛先が向いた。無茶苦茶だ。
おっぱい大きい方は気になってたが、現実としてここにおっぱいはないので、私は何もむっつりしていない。
「良いか、うるさいのは貴様らだ。水路に出たとは言え、まだクヴァルム伯爵領にいるのは変わりないのだから、もう少し声を落とせ。見つかったらどうする――」
「――おい、あそこに船がいるぞ!」
川べりから男の声が響いた。
……ほら見ろ、言わんこっちゃない。
影になって正確な姿は全く見えないが、多分クヴァルム騎士団の一員だろう。声を聞きつけた兵士達が街のあちこちから集まってくる。中にはこちらに向けて弓矢を構えている者もいた。
この先、水路に先回りされたりするととても厄介だ。
こちらには飛び道具はなし、どうしたものか。
最悪は船を捨てて森の方へでも走るか、などと考えていたら、突然ゆらりとレーグネンが立ち上がった。
「ふふふふふ……一対多は戦場の花。我が首級望むなら一斉に来よ! 我が名は魔王軍東方将軍レーグネンなるぞ!」
名乗りを上げた瞬間に、川岸がざわついた。
シャッテンを助けにレーグネンが来ていてもおかしくない、というのは彼らにも伝わっていたはずだ。
だから、この距離――こんな影になってレーグネンの姿が見えない状況でも、その言葉に信憑性を感じているに違いない。
それにしても。
「……おい、レーグネン。人を呼んでどうする。あいつら、本気で追いかけてくるぞ」
「良いではないか。追われては面倒であることだし、ここで一網打尽にしてやる。その隙にシャッテンは空へ逃げろ。このレーグネンが目くらましの役をつとめてやるぞ、光栄に思え」
しっしっと犬を追い払うような手の振りで、シャッテンを追い払う。
シャッテンは顎先に指を当て、そっと目を細めた。
「……あなたを置いていくことに躊躇はありませんが」
「何だ?」
「まだ、魔力封じの域を出ていないようなので、空飛ぶ程の力はありませんけど」
「……んぁ?」
「それに、あなたさっきから呪文唱えてましたけど、この魔力封じの中、呪われてるあなたじゃ青龍は召喚出来ないと思います」
「…………ふぇ?」
「わざとらしく、ただの幼女のフリをするの止めてください」
「――おい、いたぞ!」
「レーグネンが来ているらしい!」
間抜けたやり取りの間に、兵士たちの影と怒声だけがどんどん増えていく。
船の上の沈黙とは裏腹に、周囲のみが騒がしくなっていくのだった。
私は視線に精一杯の非難をこめて、レーグネンを見詰める。
「……レーグネン」
「……えー……さて、では手に手を取って逃げるかな」
頼りねぇ。何やってんだ、こいつは。
ため息をついたオレの隣で、シャッテンがこきり、と首を鳴らした。
「本当に、あなたはいつも詰めが甘い。朱雀の力を抑えるための呪いが自分に返ってくるとか、魔力封じの真っ只中で敵を煽るとか……お願いですから、私のいないところで死なないでくださいよ。
『永久の眠り妨げられし、哀れなる我が下僕――玄武よ、蠢け!』」
ぞわり、とシャッテンの足元から噴き出した黒い魔力が、おれ達の足元を流れ、水面の上を滑り、川辺へと這っていく。
「うわ、何だ!?」
「き、気持ち悪い……!」
足元に纏わりつくような闇に兵士たちがやや後退りする。
うん、こういう言い方はどうかと思うが、発生源たる船の上にいるオレ達も十分気持ち悪いから、安心してほしい。
何というか、地面に引き込まれるような、靴を履いているはずなのにねっとりとしたものが素肌を直接舐め回すような……とにかくキモい。キモい以外の効果は今のところないのだと思うが、あまりの気持ち悪さにまともに動く気にならないのだ。なるほど、グリューンと対峙した時も、こうして足止めをしてくれていたのだろう。
「うぇ……」
レーグネンが眉を顰めながら、足を振っている。こいつよりはよほどシャッテンのこの力の方が役に立っているし、その言い方は失礼ではないかとか思うが……やはり、キモいものはキモい。
船に寝かされていて黒い魔力に全身包まれているグリューンなんかは、意識がないにも関わらずひどく魘されているようなので……やっぱりみんな気持ち悪いんだろう、このねっとりと染み込んでくる魔力。
その様子を見て笑ったシャッテンが、ふぁさり、と肩までの金髪を風に舞わせた。
「死霊遣いの魔力はね、何より重いんですよ。何せ生命を司るものなのですから」




