10 無造作の役割
「ヴェレ、何でお前がそいつと――玄武と一緒にいるんだよ!」
グリューンの荒々しい声は、半ば答えを予測しているからだろう。
今の状況を見れば、如何に呑気な地方の騎士団長と言え、オレに疑いをかけざるを得ない。
問いかけるグリューンの剣は既に抜き身で、低い姿勢はすぐにでも飛びかかれる様子をしている。
――その剣が狙う先が、自分であることは、容易に分かった。
「玄武の野郎の隣にいるのは、さっき一緒に逃げた娘か? だが、人質に取られたって様子でもねぇ。人間のように見えて、そいつも魔物なのか? それともお前のように、魔物と手を組んだ人間なのかよ……!」
指されたレーグネンが、きり、と唇を噛むのが見えた。
オレはそっと剣の柄に手を乗せる。
……残念だ。
もうこれで、グリューンを生かして帰す選択肢などなくなった。
オレの生存を知っているというだけではない。
北の民の若長たるオレが、魔王軍と通じているなどと噂が立てば――王都に囚われているオレの母親や妹だけじゃない。王国中の一族に影響が生じる可能性があった。
「答えろよ、お前は――王国の為に戦っていたんじゃないのか!」
悲痛な表情で声を上げるグリューンに向けて、オレは――私は静かに向き直る。
「私が戦うのは、常に我が一族の為。愛する同胞の為だ」
「なら――」
「……同胞の為に、あんたには死んでもらう」
それ以上の言葉はもういらないだろう。
私は剣を抜く――つい先ほど、友からの信頼とともに手渡された、己自身の剣を。
「おい、ヴェレ――!」
「ダメですよ、レーグネン。骨は骨に、血は血に、人間の諍いは人間に。私達は黙って先に行きましょう」
「行くなら1人で行け、この腑抜け! さっきシェーレ殿に使った『夢呼び』はどうした!」
「こんなガチガチに魔術封じされてる状況では、さっきの娘さんのように受け入れてくれる人か、もうちょい弱った人じゃないと……」
「じゃあ玄武召喚は!」
「元々そんなばんばん連発で使える技じゃありません!」
どうやら、グリューンの準備していた罠はそれなりに功を奏しているらしい。
それにしてもシャッテン、役に立たない。
「もー! あなた何しに来たんだ!?」
「何って……こんな状況だからこそ、助けに来てくれたんじゃないのですか!?」
「知らん、助けになど来なければ良かった!」
「そんなぁ、見捨てるつもりですか?」
「見捨てられたくなくば、もう少し役に立て。せめて、あなたの配下を喚べよ!」
「え、近くにいたのは皆、騎士団にやられちゃったんですけど……じゃあ、おっぱいおっきい方と、太ももがむちむちな方とどっちが良いですか?」
「おっ……バカが! どっちでも良いから早くしろ!」
慌てて交わされる間抜けたレーグネンとシャッテンの会話が、私の背中を叩く。
私は無言でそのやり取りを無視した。選択肢が自分にないなら、答えても無駄だろう。
レーグネンが先ほど止めてくれたこと、助かったとちらりと思う心もあった。
だが――こうなってはもう止めることは許さない。
今度は見逃さない――見逃せない。我が一族の儚い安寧の為に!
「はあっ――!」
気合と共に一息に踏み込み、右上から剣を振り下ろす。
「お前がそのつもりならなぁ……こっちだって死ぬ訳にゃいかねーんだよ!」
グリューンも剣を突き出してきた。
何度か修練で刃を交えたこともあったから――残念ながら、その動きは読んでいる。
絡めとり、噛み合った刃を滑らせるように左下に流し、流した動きを止めぬまま再び切り上げる。
首元を狙って速度を乗せた一撃を、グリューンは力任せに横に払った。
切り払いの素早さは多分私の方が上回っている。腕力は向こうが少し上か。
必ず勝てる、と言える相手ではなかった。
轡を並べて戦っていた時は心強かったが、こうして対峙するとなればその剣の力強さに密かに身震いする。
剣を交わしながら、グリューンが叫んだ。
「お前は、この国に大事な人はいないのか!?」
――いないと思うのかよ!
反射的に、頭に血が上る。
今のオレが、敵国に与していると言われれば、確かにそうかもしれない。
レーグネンは魔王の目的を両国の和平と語っていたが、そんなのはあいつが口で言ってるだけだ。証拠もありゃしねぇ。それが真実かどうかなんざ、誰にも分からない。
だけど、そもそもオレは……そんなことどうでも良かったんだ。
もしもレーグネンがオレの邪魔をするなら、切り捨てていけば良いだけだ。
誰のことも信じない。
レーグネンもグリューンも、誰も。
どいつも、結局は同じだ。
勿論、オレにだって大事な人がいる。
部下に裏切られ、死線を彷徨い、それでも――彼らの為に生きてると言っても良いだろう。
だけど、奪われた同胞達の自由と平和を取り戻す為には、並大抵の犠牲では達成できない。
底辺に貶された我らを、再び掬い上げるだけの力が必要だから。
だから――いや、だけど――
「あんたに何が分かる! オレ達の苦しみも、不遇も、何も知らないくせに――!」
だけど――あんたにこんなこと言いたい訳じゃなかったんだ!
よりによってなんで、オレがあんたを切らなきゃいけないんだよ!
胸中の叫びは、決して口には出せなかった。
船着き場の端に蹲っている同胞の――シェーレの姿を脳裏に描けば、言えるはずがない。
シェーレのみではない。
今も王国中で辛酸を嘗める我が民の、苦しみを思えば。
振り下ろした刃が、グリューンの腕を掠める。
自分の肌を切り裂いた剣の先を見て、グリューンが一歩、足を引いた。
一瞬だけ胸に浮かんだ同情を即座に搔き消して、私は更に追い詰めるように剣をねじ込む。
引いたはずのグリューンが逆に踏み込んできた。
その頬を、私の刃の切っ先が掠める――まずい、入り込まれた!
「お前もお前の信念があるってことかよ……! この――むっつりが!」
振り上がった刃の前に、私は息を止め必死に、伸びた腕を横に薙ごうとした。
間に、合わな――い!?
私は瞳を閉じなかった。
グリューンの唇が、「すまん」と動いたような気が、した。
――の、瞬間。
「――待て!」
真横から、白銀の光が駆け込んできた。
その華奢な首元の薄皮一枚で、グリューンの刃が止まる。
私を庇うように両手を広げる、その小さな背中は。
「――レーグ……」
「……嬢ちゃんも魔物なのか。少しでも命が惜しいなら、そこをどけ」
吐き捨てたグリューンの憎々し気な声にも、レーグネンは動かなかった。
このままでは、私と共に切り捨てられることが明らかだった。
「おい、レーグネン! 止めろ。あんたがオレと殉死する必要なんかないだろが!」
「殉死? バカか、あなたは」
首筋に当てられた刃をものともせず、レーグネンはグリューンに向かって更に一歩を踏み出した。
「主に殉ずると言えばそれは、むしろ愛玩動物の役割だろうが!」
堂々と言ってのけるがつまり――それ、オレに死ねって言ってんじゃねぇか?
不穏な台詞に一瞬、オレは言葉に詰まる。
怯えも見せぬ少女の姿に不穏なものを感じたのか、グリューンの腕に力がこもった。
ちりり、と肌を裂いた刃の先が、レーグネンの首に赤い線を描く。
「……その銀髪に紅い瞳。その上、名前がレーグネン、だと?」
「如何にも」
顎先を上げたレーグネンが、胸を張って朗々と名乗りを上げる。
「――我が名は青龍統べる主、東方将軍レーグネンなり!」
「はあ!? 何で魔王軍の将軍がこんなとこに2人も揃ってんだ、畜生!」
取り乱した隙を突くように、レーグネンの指先が真っすぐにグリューンの背後を指した。
「今だ、シャッテン! やれ!」
「――んだとぉ!?」
慌てて振り向いたグリューンの視線の先で――黒衣の死霊術師は、むしろ指名された本人が一番驚いていた。
驚きのみでなく、何を求められているのか分からず、ただあわあわと両手を動かしている。
「へ……? レーグネン、私に何を……あの――?」
突然過ぎる指示に両手と足をバラバラに動かして不思議なおどりを踊るシャッテンを見て、グリューンの動きが一瞬止まった。
――が、さすがの騎士団長は自分を取り戻すのも早い。
即座に剣を振り切りながらこちらへ視線を戻す。
「くそ、こんな手で注意を逸らせるとは――」
「――こんな手で悪いな、グリューン」
グリューンがこちらを振り向いた時、既に私は体勢を整えていた。
レーグネンの頭上を通るように剣を突き出し、グリューンの心臓を貫く――はずの刃は、レーグネンの軽い拳によって、少しだけその切っ先を逸らされていた。




