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9 無感情の信頼

 レーグネンの視線が、ふいに外れた。

 一瞬前の憎悪を思い出して、何故か――胸のどこかが軋んだ気がした。


 途端に、そんなオレを慰めるように、シェーレが腕に身を寄せてくる。

 柔らかい胸の塊が押し付けられたが――残念なことに、絶望でいっぱいのオレの腕は特に快感を覚えはしなかった。


 ……多分、シェーレもオレと同じだ。

 『穢れの民』と――他の生命を喰い尽くす兵器と揶揄される我ら一族。

 何度、身に覚えのない迫害を受け、その度に王国の発展にこの身を捧げると誓ったことか。


 我らはただ、平和を求めているだけだ。

 力の強さも、恐ろしさも、扱う己が一番良く分かっている。

 だと言うのに……何度でも、戦場へと駆り出される。

 魔王領との戦だけでない、時には、王国内の内乱に対してさえも。


 謀反を許さぬように人質を取られ、強要される力の行使に諾々と従う。

 それでも、まだ。

 王国民は、我らを仲間とは認めぬ。

 ちょうど――今、逸されたレーグネンの紅の瞳のような冷めた色で、我らを罵るのだ。


 冷ややかな罵倒には慣れた。

 だが……いつもと違うのは。

 もしかしたら、レーグネンなら――王国の民ではない、魔王領の住民なら、と期待する気持ちがあったから、なのだろうか……。


「ヴェレ様……」


 心配げなシェーレの肩を抱いて、そっと引き寄せた。

 そう……私がここで立ち止まる訳にはいかない。

 私には守るべき数百の同胞がいて、誰に恨まれようが蔑まれようが、その責を完遂せねばならないのだから。

 私の手の甲に、荒れたシェーレの手が乗せられた。

 その年頃の娘に似合わぬ固い手の平が――熱くて。

 その熱さで、勇気に近い何やら自棄のような気合を取り戻した。


「――おい、レーグネン」


 声が震えていないか、だけが心配だったが。

 シェーレの視線が変わらないところを見ると、特にそんなこともなかったらしい。

 若干の安堵と、答えの返ってこない恐怖を振り払いつつ、もう一度声をかける。


「レーグネン」

「聞こえている」


 冷たい声が返ってきた。

 挫けそうになる足元を叱咤して、私は自分の心に語りかける。

 私には叶えねばならぬ望みがあって、レーグネンに疎まれるかどうかは二の次なのだ、と。


「貴様が私のことを何と思っているかはどうでも良い。ただ、王都を目指す思いは同じで、そのためにお互いの存在は都合が良い、これは変わらぬな?」

「……その通りだ」


 頷いたレーグネンが、ばさりと薄汚れたマントを払った。

 闇の中であるのに輝くような白銀の髪に包まれて浮かぶその表情が――何故か以前よりも少し大人びたように見えるのは、オレだけだろうか。甘いだけではない、抱えた苦味を堪えるようなその表情が。

 しなやかな指先で長い髪を静かに一度梳いてから、脱ぎ捨てたボロ布をそこへ置いて、私――の腕にしなだれかかるシェーレに眼を向ける。


「さて、ここでいつまでも悩んでおっても仕方ない。そろそろ退散するとしよう。王都まで、シェーレ殿も共にゆくかね?」


 ちらりと私を見上げたシェーレの手が、そっと私から離れた。


「……いえ。今はまだ、その時ではありません。いずれまた、一族がともに暮らせる日がくれば……」


 身体に添わせていた熱が遠ざかり、代わりに孤独が近付いてくる。

 私は視線に力を込めて、レーグネンから逸らさぬようにした。

 同胞の為に働く娘を掴まえて、まさか、今だけ傍にいてくれ、とは言えない。


「左様か。では、行くかね。ヴェレよ」


 レーグネンが珍しく私の名を呼んだ。

 いつものあの「なんちゃらな我が愛玩動物」ではなく、ただ私の名を呼んだことが――おかしいだろうか、少し寂しく感じるのは。

 決して、愛玩動物の地位に甘んじていた訳ではないと言うのに。


 数々の感傷を振り切って、足を踏み出しかけた瞬間――背後から、乱暴な足音が聞こえてきた。


「――ちょ、待って待って! 待ってください、レーグネン!」


 扉を開けてこちらへ出てきたのは、先程見かけたばかりの黒衣の男――玄武将軍シャッテンだった。


「何をあっさり私を置いて行こうとしてるんですか、これじゃ何しに来たのか分からないでしょう!」

「何もクソも、後で合流すれば良いではないか。待ち合わせ場所は教えただろう。まさかあなた、この期に及んで1人では逃げられぬなどと弱音を吐くつもりではあるまいな? 四神将軍の名が泣くぞ?」


 鼻で笑ったレーグネンの足元に縋り付くように、駆けてきたシャッテンが倒れ込む。

 足元を抜けていくシャッテンの勢いに隣のシェーレが怯えて、もう一度私に身体を寄せてきた。慌てて押し付けられた胸の膨らみは役得――じゃねぇや、何だこの男は、危ないな。

 レーグネンのあからさまに見下げた視線の下、シャッテンが涙ながらに訴えている。


「そんな殺生な……一度助けたのなら最後までお願いしますよ。私にここから逃げる算段などある訳ないじゃないですか。この一帯には何やら魔術封じのようなものが施されているのです、これでは私も玄武も力の全てを出すことなど到底出来ませんし、我が敬愛する魔王陛下のところまで、飛んで戻ろうにも浮力が足りません。私は魔王陛下に見向きもされぬこんな人族の辺境で朽ち果てるなど、願い下げです! あなたには私を助ける義務と能力と理由があるでしょう、きちんと助けなさい!」

「あなたの、そういう恥も外聞もプライドもないところが、俺は苦手なのだ……」


 命じられれば靴まで舐めそうな勢いを見て、こっそりと私もレーグネンに同意した。

 それにしても、ここまで必死に逃げてくるとは、クヴァルム騎士団長グリューンはどうなったのだろうか。


「大体、あなたはあの騎士団長殿のお相手をしておったのではないのか」


 レーグネンも同じことを思ったらしい。

 呆れ顔で問われたシャッテンの方は、さして気にした風もなく立ち上がる。


「残念なことに、死体より生者の方が多すぎました。当初の混乱を落ち着かせたあの男には中々指揮官の器がありますね」

「つまり、指揮官として操る手駒を潰されたあなたは今、かの騎士団長から敗走中、と……」

「いえ、ほら……死人遣い(ネクロマンサー)の本領は、ゾンビ以外にも色々取り揃えて、その多様性と組み合わせの妙によって発揮されるものなのですよ。この地では準備も死人も足りません」

「あなたの指揮官としての器もな」


 愛らしい唇でさっくりと言い捨てた。

 これまでのレーグネンの様子からすると……わざわざ助けに来るくらいなのだから、敵対してはいないのだろうが――それにしても冷たい。

 聞いてるだけのこちらとしては――いや、まあ、冷たい理由も多少は分かる。とにかく言い訳が鬱陶しい、と私などは思わなくもない。


「私の指揮官としての器などどうでもよろしい。とにかくあなたは私を助けるべきです、今すぐに。さあ、共に逃げましょう」

「あなたに指揮官としての器がないなら、もういっそ助けなくても良いかな、などとも思うのだが」

「前言撤回します。私には指揮官としての器はありますが、この場所では発揮できないので、とにかく一緒に逃げましょう。魔王陛下のお傍でなら、幾らでもお見せして差し上げますので」

「ならば良い」


 暗闇の中でも輝く白銀の髪を翻したレーグネンが、数歩進んだ後、ちょいちょいと手を振ってこちらを呼んだ。

 暗闇で気付かなかったが、近寄って見れば、ちょうどレーグネンの足元から向こうが一段低くなっており、そこを小川が流れている。

 そう言えば、先程シェーレもここは船着き場だと言っていたし、クヴァルム河へと流れ込む運河は伯爵の屋敷を中心に敷かれていると聞いたことがあった。

 では、この小舟の浮いた小川が、その運河なのだろう。

 ふとオレ――を通り越して、シェーレの方を見たレーグネンが微笑む。


「あなたがここに残ると言うなら、我らが来たことは知らぬと通した方が良かろう。――シャッテン、このお嬢さんに夢を見せて差し上げろ」

「夢魔の夢は淫夢と決まっているのですがね」

「可能な限り薄めろ」

「……まあ、魔力封じの効いているこの場所では、そうそうまともな力も出ませんし」


 言葉と同時に、黒い魔力がシャッテンの足元で渦を巻き、それに巻き込まれそうになったレーグネンが嫌な顔をしてシャッテンから距離を取った。

 私の足元にも魔力が絡みつき――その重さとべたりとした粘り気に思わず顔を顰める。

 顔を引きつらせたシェーレの身体に、黒いものが這い登ってくる。


 悲壮な顔つきでそれを見守る姿に、払い除けてやりたくなったが……直前のレーグネンの言葉を思い出して、拳を握って耐える。レーグネンが命じるならば、シェーレに悪い影響はないのだろう。オレだってその程度には、レーグネンのことを信じている。

 シェーレの手が、そっとオレの手を一度包んで離れた。


「……ヴェレ様、ご武運を」


 微かに唇が弧を描いて――次の瞬間、這い登ってきた黒い靄に塞がれた。

 ゆっくりと閉じた瞼と同時に、身体から力が抜ける。

 傾いていくシェーレの身体を静かに支えた。

 行く先を失ったシャッテンの魔力が、腕を伝ってオレの方へと這い寄って来る。ぞわぞわと肌が粟立つような感触。

 レーグネンの制止の声が響く。


「シャッテン、やめろ」

「あれ? こっちのは良いのですか? 一緒に眠らせてしまえば……」

「それは良いのだ。連れて行くのだから」

「はあ? 連れて行くなら麗しい女性の方が良い、というのが、いつもの私とあなたの共通認識でしょう」

「そ、そういう問題ではない」


 慌てたレーグネンの否定が聞こえたが――おい、あんたいつも玄武と何の話してんだ。

 仲は良くなくても、意見は合うらしい。

 まあ、その意味で言えばオレも、その意見には同意しなくもなくも……。

 ぞわり、と波が引くように一斉に黒い靄がシャッテンの足元へ戻った。

 腕の中のシェーレを見下ろせば、微かに眉を寄せてはいるが――ひとまずは眠っているだけのようだ。

 レーグネンが脱いだボロいマントで申し訳ないが、その上にそっと横たえて置いて、オレは小舟を見下ろす2人の方へと戻った。


「さて、それでは行くかな」


 小舟へと、レーグネンが足をかけた瞬間に。


「――おい、むっつり。お前、いつの間に魔王軍に寝返った?」


 背後から、聞き慣れた声が聞こえてきた。

 振り返れば、抜き身の剣を背負って無表情でこちらを見る、グリューンの姿があった。

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