8 無神論の祈祷
「あの、ヴェレ様……こちらのお嬢様は……?」
シェーレが、震える指先でこわごわとレーグネンを指し、オレを見上げてくる。
『お嬢様』の呼び名が似合わなすぎて一瞬シェーレが何を言っているのか分からなかったが……なるほど。傍目に見れば、態度のでかさも相まって良家のお嬢様のお忍びに見えるのだろう。
今羽織っている小汚いマントは多分どこかの浮浪児から奪い取ってきたものだと思うが、これっぽっちも似合ってない。そして、マントの下はいつもの仕立ての良いワンピースなので、それがちらりとでも覗けば、ますますそこらのクソガキには見えない――ましてや、魔物将軍だなどとは。
さて、何をどこまで説明しようかと迷う。
本来は同胞に秘密を持つべきではないのだが、彼の正体は彼の秘密であってオレの秘密じゃねぇ。
レーグネンに目を向けると、視線に気付いてこちらを向いた紅の瞳と目が合った。
「彼女は、あなたの同胞だな? 信頼出来るか?」
「鞭で打たれようが、爪を剥がされようが、親を殺されようが、彼女は今夜オレ達と会ったことを口にはしないだろう。それが同胞の繋がりと言うものだ」
「はい。主神ヴォーダンの名にかけて」
シェーレの答えに、レーグネンは一瞬、瞳を丸くする。
我らの主神の名を聞いたことがなかったのだろう。
無理もない。
北方人のみに伝わる古き神話は、王国民ですら知る者は少ない。
魔王領では、『北方人』の存在すら知られていないということも、ここまでの旅でおおよそ推測はしたのだ。
無言のまま視線で促すと、瞬きしたレーグネンはすぐに真面目な顔になり、口を開いた。
「俺は魔王軍東部方面青龍将軍レーグネン。訳あって、この姿で麗しき俺の愛玩動物たるヴェレとともに、王都を目指している」
真摯な声に、少しだけ驚いた。
少女の姿になってしまった経緯を除き、ほぼ全ての情報を出し切っているじゃないか。
初対面のシェーレを随分と信頼したものだ。オレが太鼓判を押したからか、はたまた単純に女に甘いってことか。結構な確率で後者のような気もするが。
そんなシェーレ狙いの言動も、狙われている本人はさして嬉しくない――どころか、腹立たしいものがあったらしい。黒い瞳が、少しだけ剣呑な色を帯びていることに、オレは気付いた。
「ヴェレ様が、愛玩動物ですって……?」
「気にしてるのはそこか。落ち着け、シェーレ。そいつの言葉に惑わされるな。そいつはな、本気で何かを口にすることなどほとんどないんだ。ネタとノリで生きている男だ」
「男――あ、そうですね。魔王領の青龍将軍なのですね……」
改めてその姿を上から下まで見たシェーレに、レーグネンは平らな胸を張って、にこりと微笑みかける。
「そう。魔王領では『傾城のレーグネン』『策士に二言あり』などと言われておってな」
「おま……将軍が城を傾けてどうする。しかも、その二つ名じゃ男だか女だか分からんだろ」
「……まあ、そんなことはどうでも良いのだが」
「自分で振っといて適当に切り上げるな」
オレの叱責をものともせず、レーグネンはシェーレの前にそっと跪いた。
その仰々しい様子を笑ってやろうと思っていたら……存外に真面目な表情をしていたので、つい何も言わずに口を閉じた。
「さて、愛らしき異国の乙女よ。あなたが流麗なる我が愛玩動物の同輩であるからには、俺にはあなたを助ける義務がある。ヴェレはなかなか頑固で、俺には詳しい事情を話してくれんのだが……この国で言う『北方人』とは何者だ? なぜ、あなたのようにかわゆい娘までがこのような扱いを受けねばならぬ?」
ちょいちょい気になるところもあるが、彼の中ではおおまかには間違ってはいない、のだろう。
正直な話、別にオレもオレの同胞達も、レーグネンなんぞに心配してもらう義理はないのだが。
だが、先程のグリューンとの経緯と言い、レーグネンが何も知らぬままでは困る――こともある。やはり説明をしてやった方が良いのだろう。信頼ではない、ただひたすらに効率の問題で。
いざ、そう覚悟したなら、口下手なオレよりよっぽど説明のうまい人間がいる今は――まあ、タイミングとしては悪い方ではない。
レーグネンの真っ直ぐな視線を下から受け続けるシェーレが、「言っても良いのか?」という疑問を内にはらみ、黙って見上げてくる。
私は少し考えて――1つ頷いた。
息を吸ったシェーレが、レーグネンに視線を戻す。
「――私達は、『穢れの民』と呼ばれているのです」
「ふむ、それは聞いた」
「では、私達の何が『穢れ』なのかを聞きましたか?」
「いや……」
シェーレの唇に、冷たい笑みが宿る。
同胞達が己について語るとき、オレはいつだってこの表情を見てきた。
諦めと蔑みと、嫌悪と憎悪。そしてほんのちょびっとの、自尊心。
「――私達の長は、大いなる力を持っているのです」
「大いなる力?」
「あなたが青龍将軍であるとしたら、かつて戦場で見たはずです。先の戦いなど最たるもの。劣勢に陥っていた王国軍が、最終的に自国を防護し得たのは、何故だと思っていますか?」
「……ん? 最後の攻防の時か? もう少しで攻めきれると思っていた我らを押し返したのは――予想外の攻撃だった。王国軍の一部から膨大な熱量の閃光が走り、それにより端麗なる我が魔王軍は壊滅の憂き目にあった。こちらの勝利も近いと思っていた時のことであったから面食らったことは事実だが、それ以上に情けないのは、反撃を受け身も世もなく敗走を始めたのが、凛々しくも美しい我が配下だなどと――いや、待て」
「おま……自分に対して褒め言葉使わんことには喋れんのか」
「うるさい、そういう話はどうでも良い。シェーレ殿、今のお話……まさかあの灼熱の閃光が、あなた方の長の仕業ということか?」
あっさりと切って捨てられたのではあるが、珍しく慌てた様子のレーグネンを見て、少し溜飲を下げた。
シェーレもまあ……同じような心持ちだったらしい。
少しばかり唇を歪めている。
「いいえ、長ではありません」
レーグネンの混乱した表情を見て、気持ち良さそうにシェーレは笑った。
「長の息子――あなたの横にいるお方の力ですよ」
「……ヴェレ?」
減らず口の良く回るこの魔物将軍すら、驚きで言葉が出て来ぬらしい。
反対に声を立ててシェーレが笑っているのは、その様子に胸がすく思いだからだろう。
挟まれて2人の視線を浴びる私は、ただただ沈黙を守るだけだ。
ようやく衝撃から戻ってきたレーグネンが、口を開いた。
「……それで。何故あなたはそんな苦虫を噛み潰したような顔をしているのだ」
「大量殺戮犯であると暴露されて、嬉しい者がいるとは思えぬが」
「あっ……!? ヴェレ様……私はそんなつもりでは――」
「分かっている」
シェーレの言葉を聞き流して、レーグネンの方に身体ごと向く。
「……と、いうわけだ」
「なるほど。あれがあなたの――北方人の若長の力だったと言うことか」
当時の憎しみや恨みをぶつけられるかと思ったが、さして気にした様子が見えないので、逆に心配になってきた。
「……おい、大丈夫か? 貴様、きちんと状況把握してるか?」
「失礼な。俺の頭は大体いつだって、あなたの50倍はまともに動いている」
「そうは見えん、反応が鈍すぎる。良いか? 貴様の部下をまとめて戦場で屠ったのは、私だと言っているのだぞ」
「あなたはどれだけ愚かなのだ?」
唐突に詰られて、苛立ちより先に呆れた。
言葉の出ない私に詰め寄って、レーグネンは薄く笑う。
「彼らを戦場へ連れて行ったのは俺だ。俺の戦場で、俺の指揮下で死んだ者は、全て俺が殺した者だ。幾ら敵方とは言え、俺の配下の怨嗟の声を被る責務を譲る訳にはいかぬ」
絶対の覚悟による凄絶な笑みは、少女の姿をしていても、さすが将軍と言ったところか。
だが――
「――ヴェレ様は、そういうことを仰っているのではありません」
シェーレが不安げにオレを見上げながら、そっと口を挟んだ。
オレはその黒い瞳に向けて、頷き返す。
許可を得て、レーグネンに向き直った同輩は、小さく首を振った。
「我らが長の力を発動するには、生贄が必要なのです」
「……生贄?」
「何者かの生命を主神ヴォーダンに捧げることで、初めて条件が満たされるのです」
「生命を捧げる、だと? 自爆技だと言うことか?」
レーグネンの紅い瞳が不思議そうにオレを見たので――その真っ直ぐな輝きに、耐えきれなくなった。
オレは――私はその紅から目を背け、小さく呟いた。
「我々が捧げるのは己ではない。敵の捕虜だ」
「……ありがたくはないが、そういうこともあるだろうな」
戦場で敵方を生贄に儀式を行う。
残酷ではあるが、ままあることだろう。
だが、我らが『穢れの』と呼ばれる理由は、この先の真実による。
思いを決めて口を開こうとした私の手を、シェーレが優しい指先でそっと押さえ、私の代わりに説明を始めた。
「――我らは捧げられた生命の力を、無駄なく力と為す為に、捧げられた生贄から7代前の先祖に遡り、それより後の血縁を全て生贄と為し、この世から消し去ります」
「……7代前に遡るだと? まさか、そんな……」
「事実です。先の魔王領との戦では、捕えた竜人の生命を捧げたと聞いています」
レーグネンの瞳が、ゆっくりと見開かれ、私の方へと向けられる。
息を詰めるような姿は――つまり。
「――戦から戻った日、我が領邦の非戦闘員の竜人の多くが変死しているという報告を受けた。敗戦に絶望したか、竜人にしか広がらぬ新種の流行病かと、噂されておったが、結局は原因不明であった。戦場に出た者も、ほとんどがあなたの放った閃光に巻き込まれ、結果生き残った竜人は片手で数えられる程になってしまった……」
どうやら、7代前に遡っても、なお生贄と血縁のない竜人が数人いたらしい。
生き残って良かったと言うべきか、否か。
次に何を言おうかと迷って、少しだけ顔を上げた瞬間。
まるで報告書をそのまま読み上げるようなレーグネンの無表情の裏に。
隠しきれない怯えと、憎悪を、見付けた。
真っ直ぐに視線を受けて。
私は――オレは――私は。
「……それが、北方人の『穢れ』の力だ」
勝手に唇が歪んだのは、泣き出したいような自嘲のせいだ。
大いなる呪いの業を受け継いだ私は、次代の『穢れの民』を背負って立つ者。
北方の長の子、ヴェレ。
震える私の手を撫でる指先は、もはや、繋がれていたレーグネンの小さな手ではなかった。
同胞の細い指が絡むのを感じながら、私は己の中だけで、神に祈る。
祈る先は我らに力を与える主神でも、王国で広く信じられる女神でもなく。
今だかつてどこにも存在せず、誰も見たことのない――私だけの中にある平和を望む神だった。




