7 無作為の遭遇
「おい、ヴェレ! 何ごちゃごちゃやってるんだ、ちょ、そこの子は誰だ!? や、待て、そんなことより加勢しろ!」
前方で死人達と切り結んでいるグリューンが、慌てた声を上げている。
レーグネンはちらりとそちらを見てから、オレの手を握った。
「熱い……やっぱりまだ熱が引いてないじゃないか。これが終わったら今度こそゆっくり休ませてやるから覚悟しろよ。さあ、逃げるぞ、ヴェレ」
「あ? 逃げるって――」
言いながらも手を引かれたので、釈然としないものを抱えたままレーグネンの後を追う。
背後からグリューンの慌てた声が聞こえてくる。
「お、おい!? 何処行くんだ、こら! 親友の窮地を無視かよ、ヴェレ!?」
「……はいはい、あなたのお相手は私の配下が務めますよ。そんなにあちらもこちらもと欲張らなくても、しっかり満足させてあげますから」
楽しげなシャッテンの高笑いが周囲に響く。
その笑い声に呼応するように、どろりと濁った霧のような闇がオレ達の足元を流れ、グリューンと対峙する玄武の方へと向かっていった。
実体のないはずの影に足を取られる錯覚に襲われ、オレは顔を顰める。
前を走るレーグネンも嫌そうな声を出した。
「うわ、相変わらず気色の悪い魔力だな……」
「これが魔力というものか? しかし、お仲間にまでそう言われちゃ、向こうも立つ瀬がないな」
「仲間――まぁ……仲間、かな? あまり認めたくないが」
後方で、凝った闇から立ち上がった影がグリューンに向かっていくのを最後に、レーグネンとオレは角を曲がり、もう後ろは見えなくなった。
オレとレーグネンはコンパスの差がある分、こうして同じ速度で進む場合、どうしてもレーグネンの方が早足になる。狭い歩幅でちょこちょこと走っているレーグネンの背中を追いかけながら、ふと気付いた。
……いやいや、大人しく逃げちゃダメだろ。
グリューンの息の根を止めるってのはどうなった。
誰も追ってこないにもかかわらず、足を止めないレーグネンの小さな背中に声をかける。
「待て、レーグネン。逃げるなら1人で先に行け。オレはあいつを殺さにゃならん」
「あいつ?」
「グリューンだ、騎士団長だよ」
「ああ、あそこにいた……そんなのはシャッテンに任せておけ。最後にシャッテンが召喚したのは不死の王、玄武だ。あれと戦うのだから、弱ければあそこで死ぬだろうし、強者ならば、いずれまた我らの前に立ち塞がることもあろうさ」
「オレはそういう『運命とは分からぬものよ』みたいな話をしてるんじゃねぇ!」
いずれまた我らの前に立ち塞がられちゃ困るのだ、こっちは。
繋がれた手を腰を入れて引き直すと、引っ張られて走れなくなったレーグネンはようやく足を止め、こちらを振り向いた。
「何なのだ、麗しき我が愛玩動物よ」
「気持ち悪ぃな、あんたの『麗しき』はいつもどこにかかってんだ!」
「俺に決まってるだろう」
不服げに頬を膨らませて、上目遣いで見上げてくる。
ただでさえ大きな紅の瞳をキラキラ光らせる――そのあざとい表情、めちゃくちゃ腹立つんだけど!
苛立ち紛れに繋がれたままの手を振りほどいた。
「オレはあいつの口を塞ぐんだよ、とにかくお前1人で逃げろ。あいつを殺したら追いかけるから」
言い切ったオレに、レーグネンは眉をひそめて一歩近寄ってくる。
「……分からんな。何故、そんなにも彼を殺したがる?」
理由を告げるつもりもなかったが、何かを答えねば解放して貰えそうにない。
オレ――私は一つ息をついて、目を逸らす。
「……グリューンに、私の生存を知られたからだ」
「あなた方は顔見知りに見えたぞ。先のゴルトと言い、何故知られてはならぬのだ」
「私の存在は、政治的に利用される可能性があるからだ!」
「では、なぜ――」
レーグネンの足が、更にもう一歩踏み込んできた。
私の頬に当たった右手が、背けていた顔を自分の方へと動かす。
否応なしに合わせられた両の紅が、真っ直ぐに私の視線を貫いた。
「――なぜ今すぐに俺を置いて、彼を殺しに戻らぬのだ」
薄汚れたフードの下、月光を弾く銀髪が揺れた。
心の端を見抜かれたような思いで、私は思わず後退る。
「……あなた、本当は殺したくないんだろう」
その分を再び踏み込んだレーグネンが、くす、と鼻を鳴らす。
薄い唇が三日月のように柔らかく歪んだ。
「止めておけ。そんな迷いのある剣では、返り討ちにあうだけだ」
頬を引き寄せられ、ふらりと膝を曲げた途端、伸び上がってきたレーグネンの唇がオレの額に押し当てられる。
「分かったら、仕様もなく愚かなことを言うのは止めて、あなたの端麗なる唯一の主に仕えることのみを考えよ。あなたはもう俺の愛玩動物なのだから」
すぐに離れたレーグネンが、改めてオレの手を繋ぐ。
「さあ逃げるぞ。これは主命である」
その手に引かれて、黙って再び走り出したオレは――頭の中で必死に言い訳じみた言葉を繰り返した。
――良いか、これは熱のせいだ。
頬が熱いのも、レーグネンが美少女に見えるのも、こんな小さな手を振りほどけないのも。
結果的にグリューンを見逃して、自分の首を絞めることになってしまったかも知れないのも。
止めてくれて本当に良かったなんて、つい思っちまったのも……全部、熱のせいだ――
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「えっと、この辺にあるはずなのだが……」
オレの手を引いたまま、屋敷の中をうろうろと歩き回るレーグネンは、どうやら何かを探しているようだ。
逃げ道の当たりをつけてあったらしいが、何を探しているのやら。
聞こうかどうしようか迷って、結局、聞くのを止めた。
今、口を開けば、まともな声が出ないような気がする。
「お、この向こうだったか?」
隅の方に小さな扉を見付けたレーグネンが、ちょこまかと駆け寄った。
もちろん、手を繋がれたままのオレも一緒に駆け寄った訳だが。
レーグネンが扉に手をかけた途端、開いた扉の向こうから押し殺した悲鳴が聞こえた。
即座に「ヤバい」って顔をしたレーグネンを見て、オレは黙ってたことを後悔した。
こういうとこが、イマイチ信用できねぇっつぅか……。
「……だ、誰ですか?」
扉の向こうから聞こえてきた震える声に、ふと記憶を刺激される。
開けた扉を覗き込んで固まっているレーグネンを脇に押しやり、オレはその先を覗き込む。
どうやらここは裏口のようだ。扉の向こうは真っ暗な夜の庭。
声を上げたのは、芝生に座り込んだ黒目黒髪の娘だ。レーグネンが扉を開ける音で飛び起きたのか、目を擦りながらこちらを見上げる姿を見て――つい、その名を呼んだ。
「……シェーレ……か?」
闇の中、判別するのに時間がかかったが、彼女は――オレと同じ北方人。
数少ない同胞の娘だ。
「あ……ヴェレ、さま?」
「んむむむむぅ……何だ、知り合いか?」
押し退けられていたレーグネンが、むりむりと扉とオレの隙間に身体を潜らせ、オレの前に出てくる。
はっきり言って、すげぇ邪魔。
無理にオレとシェーレの間に入って来ようとしなくても良いのに。
「なるほど、ヴェレと同じ一族の者か。ん? それにしても、あなたとはどこかで会ったような……」
娘――シェーレの姿を上から下まで見下ろしたレーグネンは、その視線の流れのままこちらを見上げてきた。
答えを促されて、オレは頷く。
「ここに来るまでの街道で行き合ったのを覚えているのだろう」
「ああ、あの商人とともに歩いていた娘か!」
ぽん、と手を打ったレーグネンをもう一度脇に押し退けておいて、オレはシェーレに歩み寄った。
王国民がいる時は、親しく声をかけることなど到底出来ない。
だが、私にとってシェーレは我が身の一部であるような――同胞だ。
粗末な衣服を纏い、汚れた手足のまま床に座り込んでいる細い身体を抱き締める。
抱き締めた途端に、若い娘特有の身体の匂いが鼻先に漂った。レーグネンやリナリアのような人手のかかった香りではないが、オレにとってはそれだって十分に良い匂い――とかは、どうでも良いことだ。
軽く首を振って、湧いてきた疑問に集中した。
「シェーレ、お前がどうしてここにいるんだ……?」
「私の主である商人が、ここの殿様に品の注文を受け、急ぎ呼ばれたそうです。私は中に入ることを許されなかったので、この船着き場で船の見張りを……それにしてもヴェレ様、先に行き合っただけでも嬉しかったのに、まさかまたお会い出来るなんて……!」
愛らしい瞳に涙を浮かべながら、腕の中からオレを見上げてくる。
先に行き合ったときも思ったのだが、かつての面影よりも痩せたその身体は、それでもしっかりと柔らかかった。いや、別に柔らかいからどうするということもないのだが。気持ち良いとか、この感触久しぶりだとか、そういうことではない。
ついでに昔、グリューンに「お前、色仕掛けとか受けたら速攻で落ちそうだから、ちょっと気を付けろ」と苦言を呈されたことを思い出したが、そんなことはどうでも良かった。
土埃で汚れた頬を手のひらで拭ってやると、何故か後ろから尻をつつかれる。
振り向けば、唇を突き出したレーグネンがオレを睨みつけていた。
「何だ」
「可愛い娘を愛玩動物が独り占めするのは、主として許せん」
「あんたの発言はそれで良いのか!?」
……何言ってんだ、この女好きは。
オレとシェーレの関係とか、何か他に言うことがあるだろうに、言うに事欠いて、それをチョイスする神経は全く分からん。
――だけど。
そんなオレ達のやり取りを見て、シェーレが目を丸くしている。
驚きか呆れかは知らないが、彼女の涙がとりあえず止まったことだけは、まあ……レーグネンを褒めてやっても良いと思えてきた。




