4 無愛想の過去
縄をかけられたり、鎖で引かれたりている訳ではない。
だが、武装を外された上で周囲を帯剣した男達に囲まれたのだから、まあ……状況としてはさして変わりはないだろう。
連れて来られた領主クヴァルム伯爵の館は、さすがに爵位を受けた力ある貴族だけあって、広大な敷地と兵の数はかなりのものであった。
……が、今は通常よりも私兵の数がかなり目減りしているらしい。
警備の穴もそこここにあるようなので、本気で逃げれば――逃げられなくはない。
だが、逆に言えば、この状況なら外から忍び込むのも難しくはないということだ。
先にレーグネンが言っていた「1対1なら何とでもなる」とは、こういう意味だったらしい。例の光る筒のようなあの手のアイテムを使えば、1人や2人ならば、誤魔化している隙に魔術で倒せると。
ということはつまり――この事態をあえて引き起こしたレーグネンは、これを好機に館に入ってくるはずだった。何なら――既に中にいるかもしれない。
「ヴェレ、あまりゆったりと歩かれても困るよ」
斜め前方を歩む騎士団長グリューンが、振り返って苦笑する。
私は軽く肩を竦めて、ほんの少し歩みを速めた。あまり絡まれるのも面倒だ。
グリューンは逆に速度を落とし、私の横に並んできた。
あえて視線を合わせないようにしていたが、向こうはじろじろとこちらを見ている。問えば向こうの思惑通りだと分かっているので、私は口を開かなかった。
諦めたように、グリューンがため息をつく。
「それにしても、不思議だ。お前は死んだと聞いていたが」
答えず、ただ導かれるままに歩いた。
「口数の少なさは相変わらずか」
答えない。
「あっちはどうだ、ほら」
答えない。
「女関係は……相変わらず、モテないのか?」
――誰が答えるか!
「お前、見目はそう悪くないんだから、もうちょっと喋れって。そうすりゃほら、俺みたく可愛い嫁さんだって」
「黙れ。この――『騎士団独身連盟』の裏切り者が」
言い返した瞬間に、笑い声が夜空に響いた。
「『騎士団独身連盟』! 懐かしいなぁ! そうそう、独身の連中だけで、昔はよく一緒にバカやったよなぁ。夜明して酒飲んで翌日げろげろになって怒られたりさぁ」
「あんたが自分で作っといて一番最初に抜けたんだぞ、永久除名扱いだ」
「ははっ、悪ぃ悪ぃ。だけどさぁ、仕方ねぇだろ。嫁さんの腹がでっかくなっちまったら、俺だって覚悟決めるさ」
かつての記憶が戻ってきて、私たちの間に柔らかい湿った風が吹いた。
魔王軍との戦に、肩を並べて臨んだ思い出が。
苦笑のようなものを浮かべていたグリューンの表情が、ふと陰った。
「本当に、何があったんだお前……突然姿を消したと思ったら、お前の部下は口を揃えて死んだと言うし。その割には詳しい話は何も聞けない。心配したんだぞ……?」
おどけた色を残してはいたが、その声には心底の心遣いが籠っているような気がして――喉元まで、答えが出そうになった。
言葉を飲み込んだ反動と、徐々に上がってきた熱のせいで、踏み込んだ足元がぐらりと揺れた。
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「――隊長!」
背後から呼びかけられた。
振り返れば、嫌な笑いを浮かべた部下のゴルトがいる。
どうした、とは聞かない。視線を当てただけで、私の意識がそちらに向いたことは理解しているだろう。
言葉を口に出さぬことで、偉ぶっている、などという評判を受けていることも知っていた。
何なら、私の評価については、己の直接の部下である王国守護軍の兵士達よりも、王に賛同して集まっている各地方の領主の私兵達の方が、高く買ってくれているくらいだ。
それが分かっていても己の言動を正さぬのは――正したところで、彼等からの評判は変わらぬ、と理解しているからだった。
真っすぐにあてた視線に少しだけ気圧された風を見せてから、気を取り直したように、ゴルトは顎で横を指した。
「隊長に、客が来てますよ」
「客……?」
こんな王国の西方のはずれ――最西端ヘルプスト地方で、私に会いに来る客などいるだろうか。
戦友達――各領主の抱える騎士達の訪問であれば、『客』などとは表現すまい。
来るとすれば、気持ちの上では私の血族だろうか、と思うのだが。
まあ、その可能性は零に等しい。
「誰だ?」
さすがに予想がつかず、仕方なく声に出して尋ねた。
尋ねられたことで、かなり余裕を取り戻したらしい。
ゴルトはまたこちらを馬鹿にしたような笑いを浮かべてから、それでも答えだけは返してきた。
「あんたのご友人さ、隊長。王都にいる友人ったら、たぶん1人しかいないだろ」
「友人……」
確かに、それで思い浮かぶ人間は、1人しかいない。
1人しかいないが――ある意味、血族以上にここにいる可能性の低い人間だ。
思い浮かべた顔を打ち消して――打ち消した直後に、背後から声をかけられた。
「ヴェレ!」
天真爛漫、と評すのが最も適切だろう。
ただその裏に、優しさや労りを感じるところは、彼一流の人当たりの腕だとも思う。
その若い男の声に勿論、私は――オレは、聞き覚えがあった。
振り向いた瞬間に、手を振る青年の姿が見えて、即座に膝を突いた。
さすがに出先であるからか、普段程の装飾品は纏っていないにしても、赤みがかった茶色の髪を空に遊ばせる優美なその姿を見間違えるはずもない。
「――王子殿下!」
「もう! シャルムで良いって言ってるのに」
頭を下げたままの私とゴルトの正面まで、シャルム王子は近付いてくる。
気軽な様子で私の肩に手を乗せ、「さあ立って」と促した。
「殿下……」
「シャルム!」
即座に言い返された。
しばし考えて、呼び方を修正する。
「シャルム殿下――」
「シャルムだって!」
「シャルムさま、何故――」
「君がシャルムって呼ぶまで、私もここに跪こうかな……」
「シャルム、ちょっと待て!」
「ようやく呼んだね」
慌てて顔を上げた瞬間に、にこにこしているシャルム王子の顔が見えて嵌められたと気付いたが、この状況を回避する他の手段など、あり得る訳がない。
シャルム王子は、いまだ大人しく頭を垂れたままのゴルトに向けて、同じく立ち上がるように促した。
私の失敗を見ていたからか、そもそも王子に対する敬意がそれほどない為か、あっさりと立ち上がったゴルトが私に向けて肩を竦める。
「じゃあ隊長、おりゃあ席を外します」
頷く私を最後まで見届けぬまま、ゴルトは踵を返した。
その背中を見送りながら、私は王子を見ぬままに再度問いかける。
「シャルム、どうしてここへ来た。西方はあなたにとっては危険な場所だ」
「おや、どうして。戦場だからかい?」
全くそうは思っていない調子で、答えが返ってくる。
勿論こっちだって――戦場だから、だなんて言うつもりもねぇ。
「あんたな……! 西方は王弟派の勢力が強いからに決まってんだろが! いい加減にしろよ!」
「お、調子出てきたじゃない、そうそれそれ」
けらけら笑うその表情に、呆れ半分心配半分で、オレは頭を掻いた。
「何の為にオレが素直にこんなとこ飛ばされてきたと思ってんだよ……!」
「私の為でしょ、分かってるよ」
笑いを含ませながらも率直に返されれば、オレはもう黙るしかない。
言葉を失ったオレを見上げて、シャルムは少し眉を寄せた。
「ごめんね、全部君に押し付けるなんて……」
「……別に。自分が勝手に選んだ道だ。あんたのせいじゃねぇ」
目を逸らしながら答えたが、当然ながら、シャルムの表情はそんな言葉で緩んだりしなかった。
彼の幸せを望んでいる私の想いは事実だったとしても――だからと言って、私は中央を離れたい訳ではない。そのくらいはシャルムにだって容易に想像がつくだろう。
嘘を重ねるつもりもなかったから、それを機に口を閉ざすことにした――
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「おい、大丈夫か?」
目を開ければ、傍にいたのは騎士団長グリューンだった。
だいぶ熱が上がってるらしい。
夜中なので白昼夢――とは言わないだろうが、バランスを崩した一瞬に、過去を間近に見たようだ。
私は片手を振って、問題ないことを告げた。
しかし相手は、そんな私の腕を掴んで、肩を貸そうとしてくる。
「おい……」
油断し過ぎだろう、と言いたいのだが、向こうはそうは思わなかったようだ。
「お前を連れてきたのは、別に捕まえる為じゃねぇよ。あのままじゃ収まらないからってだけだ。調子悪いなら無理すんな」
こちらはグリューンの息の根を止めてでも、私と会ったことをなかったことにしようとしているのに。
そんな優しい言葉をかけられようが――私の決意は、変わらぬ、はずだ。
失せたはずの良心の欠片が、じくり、と痛んだ気がした。
「あれだ、しばらく休んでろよ。俺の部屋貸してやるからさ」
笑うグリューンの顔をまともに見れなかった。
顔を上げない私の頭上を通り過ぎた視線が固まっているのを、ふと、その仕草から感じ取った。
「……ありゃあ、何だ……?」
気の抜けた声を追いかけて振り向いた先。
館の白壁に張り付いた巨大な――青龍の姿が、見えた。




