3 無頓着の考え
宿を出た瞬間に、真夜中の静謐を切り裂いて甲高い音が鳴った。聞いたこともないような、表現のし難い異音だ。頭に響く。
例えるなら――女の悲鳴のように甲高い、しかし生き物の声ではない、そんな。
眠りについていた街の人々のうち、敏感な者は起き出してきている。幾つかの窓に灯りがともり、人々が動き出す音が聞こえてきた。
扉を出て周囲を見回す人の目に入らぬように、私はそっと道を逸れ、裏道へと入った。
あのおかしな音、間違いなくレーグネンが関わっている。
音のする方へと向かって走る内、前方で眩しい光が一瞬、空を照らした。
「……何だ?」
思わず抜けた声を上げてしまったが、音も光もどちらも自然物ではあり得ない。
やはり魔術が絡んでいるに違いないが――問題は、音と光が何故別の場所から発しているのかということだ。
とにかく両方を確認するしかない。
ますます速度を上げたところで、裏道が切れた先に人が群れているのを見付けた。
「――おい、どっちだ!?」
「音はあっちだ!」
「また……あそこで光ったぞ!」
揃いの革鎧に刻まれた紋章を見るに、領主クヴァルム伯爵の私兵達のようだ。
彼らに見付かる前に、私は壁に手をかけ、民家の屋根へと上がった。
屋根の影に隠れながら、光の出処を探る。右手の先で再びけたたましい異音、同時にすぐ左手で眩しい光が煌いた。
「……あれは」
夜闇を奔った一瞬の輝きが、私に、光の傍に小さな人影があるのを知らせてくれる。
小柄な影はすぐに光を消して駆け出してしまったが――背格好の様子からして、レーグネンであるように見える。屋根を伝って慌てて追いかけた。
音が聞こえたのが遠くであったことだけが少し気になるが、何やら見たこともない不思議な魔術を使っているのも、いかにも魔物らしい様子である。
屋根の切れ目から飛び降りて、声をあげた。
「おい! レーグネン!」
前方の影が、私の声を聞いた瞬間に、弾かれたように足を速める。
確かに聞こえているはずだが、止まるどころか逃げ切ろうとしている様子は腹立たしい。
私を巻き込まずに何とかなると思っているのだろうか。
一言頼みさえすれば、最初から助けてやるものを。
「こらっ! 止まれ!」
駆け寄りながら声をかけたが、やはり止まらない。
それでも、さして速いとも言えないのだから、鍛え上げた私の瞬脚が追い付くのは難しいことではなかった。
「――この! 捕まえたぞ」
「!?」
肩に手を伸ばし、夜闇の中で漆黒に見える衣服を掴んで引くと、人影は抵抗もなく体勢を崩し地面に転がった。
「痛ぇ! 何すんだよ、おっさん!」
「あ……れ?」
見上げてくる顔は――これっぽっちもレーグネンではなかった。
ぼろぼろのマントを羽織り、埃に塗れた様子から察するに、この辺りをねぐらにしている浮浪児だろう。
汚れ過ぎていて正確な年齢は分からなかったが、どうやら体付きを良く見れば少年のようだ。少女の姿をしたレーグネンと同じくらいの体格ということは、まだ幼い……のだと思う。
こちらが驚いている間に、すばしこく体勢を整えてまた逃げようとしていたので、慌てて肩を踏んだ。子どもに対して乱暴過ぎるようにも思ったが、予想以上に動きが敏捷いので、他に致し方がない。
「痛いっつってんだよ、くそっ! あんた何なんだ!」
「貴様こそ何者だ。今の光は何だ?」
脅しを込めて足に力を入れれば、少年はすぐに地面を叩いた。
「分かった分かった分かったってば! さっきの光だろ!? これだよこれ! コレ見て!」
右手に握った筒を振り回している。
私は踏みつけた力を緩めぬように注意しながら、その筒を上から覗き込んだ。
「なんかきらきら光る髪の毛のどえれー美少女がくれたんだよ! これ持ってうろうろして、あちこちでこのボタンを押せって。1時間程で戻ってくるから、言う通りにしておいてくれたら、戻った時に報酬をやるって!」
「美少女……ん、ボタンだと?」
「そう、ボタン。ほら、ここに付いてるだろ――なんてな!」
「――うっ!?」
少年の指がボタンを押した途端、眩しい光が瞳を直撃する。
反射的に両眼を閉じてしまい、思わず緩んだ足の下から、少年は逃げ出していった。
オレが掴んだまんまだった筒を、惜しげもなく手放して。
「くそっ!」
あんま気にせずにぱっと覗いちまった分、思い切り眼にきた。
「おい、こっちで光ったぞ!?」
「マっズい……」
バタバタと集まってくる私兵達の足音を聞いて、私は腰の剣に手をかけた――が、視力が全く戻ってこない。
集まってくる足音を聞きながら、人数の見当をつけてみる。
微熱でだるい身体とまともに戻らない視力で戦って、勝てる数とは思えなかった。
大人しく捕まるフリでもしてみようかと、黙って両手を上げる。
もしかして下手に抵抗せねば、まあ……ただの通りすがりだと言い張れるかも知れねぇし。
「おい、こっちに北方人がいるぞ!」
「何だぁ!? さっきの光はお前か」
「何者だ」
前方から近づいてくる足音と共に、誰何の声。
私はぼんやりとしか見えぬ眼をそちらへ向けて、声を張った。
「光の持ち主は駆け去った。間近から光を浴びせられて、眼をやられた」
「北方人が、何故1人でこんなところをうろうろしている?」
「主人が突然行方をくらました。探して歩く内に光が見えたので、近づいてみたら、このザマだ」
すべて事実であるし、疑われるようなことでもない……のだが、どうも疑心暗鬼の彼等には、話が通じぬ状況らしい。仕方ねぇ。半分くらいは覚悟してたよ。
こんなややこしい状況になってるのは、どれもこれもレーグネンのせいだ、と吐き捨てたい気持ちになった。……あいつがきちんとオレに話を通していさえすりゃ良かったのに。
まあ、レーグネンは多分……私が追いかけてくるなどとは思っても見なかったのだろう。
何なら、今度は巻き込まぬようにと気を使ったつもりだったりしてな……ああ、あり得るわ。
ほんと、何でオレも探しに来ちまったんだか。
放っておいても良かったんだ。
もしもこれであいつが帰って来なきゃ、旅の連れは別の奴を探すってだけで良かったのに――。
一番にオレを見付けた男が近寄ってきて、真下から唸るような声を出した。
「北方人がこんな時間に1人で街をうろうろしているなんて、怪しいな……」
はいはい、ほらきたよ。
これが北方人の一般的な評価だ。そう驚くことでもない。
眼を瞬かせてから、私に疑惑の視線を向ける男の方へと顔を向けてみた。
……あー、もうちょいだな。まだちょっとぼんやり……シルエットくらいは見えるか。
隣の影が、男を肘で突いている。
「怪しいったってお前……街を出歩いてるヤツ、何でもかんでも捕まえて回るわけにゃいかんだろ」
お、まともな思考のヤツもいるじゃねぇか。
私がそちらへと肩を竦めて見せると、最初の男が苛立った様子で腕を振り上げ、思い切り振り下ろした。がん、という音が脳内に響いて、その音で頬を殴られたと理解した。
「何笑ってんだ、お前。北方人なんざ死んでも誰も不思議に思やしねぇ。怪しいのは殺しちまえば良いだろ!」
腫れた頬を殴られるわ、あれやこれやで身体のコンディションは最悪だわ、そういういのが全部いっしょくたになって、オレの足元を揺らす。
ぐらりと沈み込む身体を、右足を踏み込んで何とか耐えた。
あー、こりゃダメかもな。話し合いの余地なし。
諦めて剣を抜こうと――柄に再び手をかけた瞬間、背後から声が響いた。
「おい待て! もしかしたら、こいつの主人とやらがこの騒ぎの犯人――タレコミのあった魔物かも知れんぞ?」
おどけたような声とともに、オレの肩を抑えるように背中から手が伸びてくる。
その硬い手とひねた声。人馴れた気配に、覚えがあるような気がした。
前方の男が、はっとしたように声を上げる。
「騎士団長!」
――街中を走り回っているのは領主クヴァルム伯爵の私兵なのだから――会うこともあるかも知れない、とは思っていた。
かつて私が王国守護軍にいた頃、ともに魔王軍を押し返した者達。
戦友――と呼ぶことさえ出来るはずの、彼ら。
私の肩を抑えているのはどうやらその中の1人、伯爵の抱える通称クヴァルム騎士団の長――グリューン。
事前に恐れていたことが、現実になったらしい。かつての私を知る者が、もしもここにいたとしたら――
肩越しに、朗々とした声が響く。
「聞け! この男は騎士団長グリューンの名において、クヴァルム騎士団が預かる。良いな?」
もしもここにいたとしたら――殺さねば。
剣の柄に手を伸ばそうとした瞬間、ぎり、と肩に置かれたままの手に力が篭もる。
痛みで一瞬動きが止まった隙に、先に柄を握り込まれた。
「よし、分かったら街をもう少し見回ってくれ。光は止んだが、おかしな音がまだ鳴っている。街の民も怯えているようだからな」
「はい、団長」
勿論、私にはもう分かっていた。
あの音を鳴らしているのも、レーグネン自身ではなく、その辺りの浮浪児なのだろう。
指示を受けて秩序を取り戻した男達が、私を取り巻く数名を残して、再び夜の街へと散っていく。
その姿を最後まで見送り、辺りの気配が落ち着いた後で、静かに身を寄せてきた背後の男――クヴァルム騎士団長グリューンが、そっと私の耳元へと囁きかけた。
「さて、では我らは館へ向かうとするか。まさかこんなところでお会いすることになるとは思わなんだがね……元王国守護軍西方隊長ヴェレよ」
吹き付けてくる冷えた風に、熱を帯びた身体がぞくりと震えた。