9 不謹慎な取引
王都へ向けて出発する前に、トロール達を全滅させた報酬を受け取らねばならない。
何度か着たり脱いだりの練習を繰り返した結果、何とか1人でいつものローブだけは着られるようになったレーグネンは、どこか得意げに私の横を歩いている。
昼下がりの街中の活気に紛れて、領主の館へ向かう。
「ふっふっふ……これで俺も怖いものなしだな」
ローブ何回ばっさばさやってんだ、傍で見てるオレはムラムラ――じゃない、イライラするだろが。とは、言わないことにした。
自分1人で出来なければ、結局は私が手伝うしかない。
早めに出来るようになってもらって、後の心の平穏を手に入れた方が良い。
今朝の話だと、下着の洗い方だの、持ち物の確認だのも教えてやらねばならないらしいが、それはまた今度にしよう。
ローブを脱ぐだけだと言っているのに、何故かレーグネンは下着まで一緒に脱いでしまうものだから、途中何度も私の忍耐力が底を突きそうになった。
具体的に言えば、レーグネンの上半身の裸体については、例えばそれが胸の頂をちらりと見せられたとしても、鎖骨の窪みだけを覗いたとしても、他の少女のものと見分けられるようになったと思う。
忘れたいような、忘れたくないような。
「ヴェレよ、練習に付き合ってくれて助かった。これで俺の生活の2割5分は成立すると思うのだ」
朝の状況から、5分しか増えてねぇじゃねぇか。
おま、どんだけ何も出来ねぇんだよ。
「さて、トロール征伐の報酬で、夜は何を食べようかな。路銀は多くて困ることはなし、食は旅の楽しみの1つよなぁ」
「無駄遣いすんなよ」
「我らの血と成り肉と成るなら、無駄遣いとは言えまいよ」
「どーだか」
その少女ボディの血肉を増やしたところで、何がある訳でもない。
こいつの本体は、例の青年将校の姿なのだから。
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「と、いうことで、報酬をもらいにきた」
胸を張るレーグネンを見て、領主はあからさまに狼狽していた。
もしや、と思ってはいたが、どうやらそういうことだったらしい。
「おや、どうした領主どの? お顔の色が優れぬようだが」
にこりと笑ったレーグネンの表情は、気付いていたのかいないのか。
青ざめた青年領主が、慌てて否定する。
「いいや、何でもありませんが……」
「ならば報酬を。国境からも程遠いこのような場所では、魔物に対する備えなどさしてあるまい。大変であったろうが、もう心配はいらぬ故」
……あ、気付いてたらしい。
領主の顔色がますます悪くなる。
領主に向けて邪悪な笑いを浮かべたレーグネンが、ローブの裾を翻して迫っていく。
「しかし妙だなぁ。トロールの一団など……魔王領からこんなに東の方まで入り込んでくるなど、見付からずにここまで通り抜けるには、何者かの助力が必要であろうなぁ」
「……そう、かも知れませんね」
領主がゆっくりと後ずさりしている。
その後を追うように、レーグネンはじりじりと距離を詰める。
「まあまあ、落ち着かれよ、領主どの。俺達はな、魔物を王国に引き入れた犯人探しをするつもりは毛頭ないし、加えてあなたを害する気持ちなど、これっぽっちもないのだ。例えあなたが、その犯人であったとしても、だ」
ついに決定的な言葉を出したレーグネンに向けて、領主の視線が憎々しげに歪む。
「トロール達――いや、ゴルトから聞いたのですね」
レーグネンはその言葉には答えなかった。
まあ、直接的に聞いた訳じゃない。すべて推測だ。
私の元部下ゴルトが手引した上で、トロール達はこのヤーレスツァイト王国へと侵入してきた。だが、一介の傭兵がたった1人で、あの一団を隠して連れ込むことは出来はすまい。もっと上の人間が関わっているだろう、とこれは私も予測していたことではあった。
予想外だったのは、領主が案外素直にカマ掛けに引っかかったことだ。
どうやらレーグネンは、そこまで読んでいたのだろう。
そうか、向こうからすれば、ゴルトが全部喋ってりゃ否定しても無駄ってことか……。
「ゴルトからは、あなた方を迎え撃ったが劣勢である、との連絡の後から繋ぎがありません。あなた方だけで、本当にあのトロール達を殲滅したというのですか……」
「それには、然り、と答えるしかあるまいなぁ」
長い銀髪を掻き上げながら、レーグネンは胸を張る。
「勿論その力を持って脅すことも出来るが、ここであなたと敵対するつもりはないのだ。俺はただすこーしばかり報酬に色を付けて貰えれば、それで」
「――今、このヤーレスツァイト王国には、戦乱の芽があることをご存知ですか?」
「……ん?」
突然の領主の話題転換に、レーグネンが眉を上げた。所詮自国ではないヤーレスツァイト王国につき、詳細を把握していない魔族将軍は初耳なのかも知れない。
しかし、私には――中央の政治に多少は関わっていた私には、この先の話が理解出来た。
このヤーレスツァイト王国の国王は、既に病床について久しい。
かなり以前から、手に入るであろう権力を奪い合う後継者争いが続いている。幾年にも渡る争いの結果、現在は大まかに2派に分かれていた。
1つは対外強硬策を唱える王弟派。
もう1つは、友好政策を好む王子派だ。
「長く争ってきたが、国王陛下もそろそろお疲れのご様子。王弟派と王子派、間もなく国を挙げて争うことになるでしょう」
「なるほどなぁ」
神妙な顔で、レーグネンが相槌を打つ。
私は頭の中で、中央時代に脳内に叩き込んだメモをぺらぺらとめくりながら、この領主がどちらに与しているのかを判断しようとした。
西方ヘルブスト地方に属するこの領地、この一帯を治めるヴァイス伯爵は――王弟派だったはずだ。
「戦力はあればあった方が良い。例え魔物であろうともね」
「至言であるな」
王国の派閥を理解していないレーグネンは不思議がないようだが、私には嫌な予感がある。
何故、対外――魔王領に対して強硬策を好む王弟が、魔物と結ぶのか。
ぶっちゃけちまえば、王弟の思想は『徹底抗戦』だったはずだ。
……が、そう言えば、レーグネンが先日説明していた魔王領朱雀将軍も、対人和平反対派であったか、と1人で勝手に納得した。大目的を達する為に、小さなところで妥協するのは、ままあることなのかも知れない。
まあそもそも、この一領主の考えに、どこまで上の指示が絡んでいるのかも不明だ。
私の逡巡とは無関係に、領主は両手を広げて、レーグネンの方へと歩み寄る。
「どうでしょう? トロールの一部族を殲滅するなど、あなた方の力は素晴らしいものだ。ぜひ、この領地を守るのに、力を貸して貰えないでしょうか?」
どうやら、それが最終的な領主の結論らしい。
私は密かに、レーグネンの紅い瞳を盗み見た。
この魔族将軍が何を考えているのか、何と答えるものなのか、今の私には全く予想もつかない。
……こいつなら、「何かわくわくするから」とかで話に乗ることさえあるかもな。
その辺りの信用がおけないのが、この少女の姿をした青年将校なのだった。




