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4 不始末の結果

「言って駄目なら、何とする?」


 トロールが斧を構え直して笑う。

 向こうは話し合いに時間を取る気も、さらさらないらしい。


「我らが人間の肉を喰らうことは知っておるだろうが。娘よ、貴様の肉はなかなかに美味そうだぞ」

「誉め言葉と受け取っておこう」


 くっ、と顎を上げたレーグネンの紅い瞳が、ちらりと私を見た。

 合図だな。

 私は剣の柄を握り直し、いつでも駆け出せるように用意をする。こちらからしても、異種族と語り合うより実力行使の方が余程早い。


 そう、その方が簡単だ。

 対話など無駄な努力でしかない。

 所詮は弱肉強食、強い者だけが生き延びる世の中だ――


「言って駄目なら見せてやるまでだよ! リナリア――!」


 私がタイミングを図って踏み込んだと同時に、背後のレーグネンがリナリアを呼んだ。

 緋い薄衣を翻しながら、女の身体がレーグネンの前に出る。


「『我が指先に惑え、愚直なる戦士よ――幻影の人影(ゲシュペンスト)』!」


 どうやらレーグネンの背後でこっそりと唱えていた呪文が完成したらしい。

 リナリアの両手から舞い散る花びらが、トロール達を包んだ。


「気を付けろ! 幻惑魔術の使い手だぞ!」


 慌てるトロール達に向かって、私は地面を踏み切って駆け寄る。


「ヴェレ!? 何故、魔術の効果範囲に突っ込むんだ、あのアホは!?」

「主様は呪文の詠唱を続けてくださいませ――痴れ者はわたくしが捕らえますわ!」


 アレ!? え、さっきの思わせぶりなチラ見は何なんだよ!

 背後で交わされるレーグネンとリナリアの会話が私の耳を掠めたが、意味をつかみ取る前に――足元がぐらりと沈んだ。

 緋色の花びらが私を取り巻いた途端、背中をまさぐって絡んでくる女の手が――私の――オレの意識を搦め捕っていく。


『――愛し愛しと泣きぬる宵に――』


 つぃん、と弾かれる弦の音が、耳元で響いた。

 頭の中に直接、囁かれた歌声で、指先が痺れる。


『――主はどちらで酔ひぬるや――』


 艶めかしい女の可愛い恨み言が、耳元に囁きこまれた。

 つぃ、つぃん、と弦の音が繰り返される。

 惑わされたように剣から手を放しそうになって――慌てて唇を噛み切った。

 痛みで、一瞬意識が浮上する。


「――っ、オレが好きなのは幻じゃない、本物の女なんだよ!」


 声を上げ、幻を蹴散らすように足を踏みしめた。

 崩れ落ちそうになる膝に力を入れて立ち上がると、眼前ではトロール達がへたり込みながら各々の幻に取り掛かっている。

 どうやらリナリアの呼んだ幻は、各々の欲望を刺激しているらしい。多くのトロールが空を掴んで必死に何かを口へと運ぶ仕草をしているのは、彼らにとって食欲が満たされるべき悦楽の第一に来るからなのだろう。

 今の内に斬りかかろうと剣を構えたところに、背後から再び柔らかい腕がオレの身体に絡みついた。

 慌てて剣を振り上げる。


「――この愚か者、わたくしを斬るつもりなの!? 落ち着きなさい!」

「……リナリアか?」


 肩越しに響く声で、ようやく力を抜いた。

 オレを抱きしめて背中に柔らかい肉を押し当てているのは、リナリアの――幻ではない、本体らしい。


「全く。何を考えて幻の真っ只中に踏み込むの? あほなの?」

「レーグネンが合図したように思ったのだ……」

「あれは黙って見てろって意味でしょ! 何故分からないの!?」

「口に出さぬものが分かるものか」


 視線だけで以心伝心出来るほど長い付き合いではない。たったの2ヶ月だ。

 この2人が何を考えて幻を振りまいたのかなど、予想出来るワケがない。


「……それが分かっているなら、あなたにももう少し喋って欲しいものだわ。ほら……こっちへ来なさい。主様の魔術が完成するわよ」


 リナリアに腕を引かれて、幻惑魔術の効果の外へと導き出された。

 それでようやく、この幻があるじの呪文詠唱のための時間稼ぎだということを理解した。

 言ってくれよ、分かんねぇだろが……。


 瞳をとじて両手を掲げ呪文を唱えていたレーグネンが、私達の気配に気付いて口の端を引き上げて見せる。

 そちらに何か答えるべきかと考えている間に、向こうは瞼を下ろしたままで残りの呪文を唱え切ってしまった。


「『――見よ、神々のおわす玉座

  広大なる蒼き天空、煌めく宝玉の鱗撫ぜる風

  我が名は青龍統べる主、東方将軍レーグネンなり』!」


 渦巻く空気の濃さが、私には見えない何か――魔力というものがこの空間に満ちていることを示している。

 名乗りの直後に、地面から吹き上げるような風がローブの裾をまくった。

 色気のない白い下履きが全開になり、隣のリナリアが「きゃあ」と歓声と悲鳴の間のような声を上げる。


「主様! おへそが見えておりますわ!」


 遠巻きに声はかけても近付こうとはしないのは、如何にリナリアと言えども、地面から弾け飛ぶ小石と砂の混ざった風の中を近付くのは困難だからだろう。

 暴風に塗れて掻き消えたレーグネンの姿が、数秒の後に落ち着いてきた風の向こうに、ゆっくりと現れる。


 長い銀髪を風に揺らし、白いローブを纏った人影は――先程までの少女の姿では、もはやなかった。


「レーグネン将軍だと!? 朱雀将軍には既にこのことは伝わっているのか……!?」


 リナリアの幻惑魔術から復帰したばかりのトロールが、その姿を見て掠れた声を上げる。

 すらりとした肢体に合わせてローブの丈が伸び、膝下まで覆っている。

 唇に不敵な笑みを浮かべ、長い銀髪を嵐に舞い散らせながらトロールを見やるのは――本来の――青龍将軍たる青年魔族。優美さに力強さも併せ持つその紅の眼差しに射抜かれて、トロール達は慌てて斧を拾い上げた。

 んふ、と鼻にかかった低い声で、レーグネンが笑う。


「そうか、おかしなところに魔族がいると思えば、朱雀の手のものか。であれば、すまん。逃す訳にはいくまいなぁ。俺は人間の味方ではないが、あなた方がここで人間側に危害を加えていると知れば、止めねばならぬ立場ではあるのだ」


 冷酷な笑いの端に、どこか寂しさが混ざっているようにも見える。

 その指が、ひたり、と前方に向けられ、正面から指されたトロールが、咆哮じみた悲鳴を上げた。


「何故だ、朱雀将軍の話では、青龍将軍は今、人間どもに囚われ行方が分からなくなっている、と――!?」


 その混乱した様子にも、レーグネンはもう応えなかった。

 かすかな微笑みを浮かべたまま、最後の呪文を囁く。


「『艶冶なる我が下僕、清浄なる碧空の覇者――青龍よ、疾走はしれ』!」


 青年魔族の背後を、巨大な青龍が咆哮を上げながら天へ駆け登る。

 差し出した指先から眩いばかりの光が放たれ、轟音を立ててトロール達の分厚い身体を射抜く。

 力強い魔力が迸り、射抜かれたものは瞬時に燃え尽きていく。

 レーグネンの魔術の凄まじい威力を目の当たりにして、自分の二つ名『轟雷のヴェレ』を思い出し、笑いたいような気になった。

 誰だよ、オレに『轟雷』なんて付けたの。見ろ、あれが本物だぜ――などと言っても仕方のないことを考えてしまう。


 悲鳴を上げることも出来ず焼け崩れていくトロール達の姿を、1人立つレーグネンは傲然と見下ろしていた。

 微かに笑みを湛えた表情は――アレだ。良い気になってる。確実に。


 そして、そんなレーグネンの背後、うまく魔術を避け生き残った1体のトロールと、オレの元部下ゴルトが共にこっそり逃げていってるのを――どうやらオレだけが気付いたらしい。

 全く。調子に乗ってても詰めが甘い。

 追おうとしてレーグネンの横をすり抜けた途端、背後でどさりと何かが落ちた音がした。


「主様……! ああ、主様ぁ!」


 歓声を上げたリナリアが、青年の姿に戻ったレーグネンを抱えて、ともに地面に倒れ込んでいる。


「ああ、このお姿……愛する主様の本来のお姿、恋しぅございました!」

「リナリア……あなたには世話をかける」

「いいえ、いいえ! こうしてお会い出来るのであればもう、リナリアは何も……」


 涙さえ浮かべるリナリアは、青年の胸元をなぞる指先1つ取っても、少女とじゃれ合っている時よりも数段艶めかしい。

 頭を振って狂喜する姿をレーグネンはしばし微笑ましく見守っていたが、ふと表情を険しくしたかと思うと、ぐっと背を丸めた。


「――がはっ……」

「主様!」


 リナリアが慌てて呼びかける間にも、レーグネンの身体は縮み、元の少女の姿に戻っていく。


「……んふふ。悪い、リナリア。限界のようだ」

「主様……!」


 少女はリナリアの腕の中でだるそうに囁く。


「後はアホなペットに任せて眠ればまた魔力も戻るさ。そのためのヴェレなのだから、せいぜいうまく使おう……」

「では、いつも通りヴェレに命じて主様を宿へ運ばせますね」

「頼む……。ヴェレ、俺の嬌艶なる寝姿に惑わされて、手を出すんじゃないぞ……」

「貴様――」


 そんなことするもんか、バカ!

 幾らオレが女日照りだっても、中身男に手を出すほど飢えてねぇ!

 即座に否定しようとしたが――切り替えて、先程から気になっていたことを口にする。


「――そんなことより、今逃げたトロールはあのままで良いのか?」

「……何だと?」

「逃げたですって!?」


 問い返してきた2人の表情を見て、これはやはり追っておいた方が良かったのかと、今更ながらに理解した。

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