79 ウサギと肯定
とある子供がいる。やさしい子供だ、優しすぎると言っていいだろう。
人間は生きるために他を奪う、そう言う発想をする子供だ。発想は飛躍し、あるいは行き詰まり、人間は罪深いと考える。
子供は子供らしい潔癖で、その日から食べ物を口にすることができなくなってしまった。
困った両親はまず医者、それも精神に関する医者を頼り、なんとか食べ物を口にするように努力した。
努力、といってもするのは子供とその医者で、医者の努力の比率が見ようによってひどく多かった。
まずは、カウンセリングという形で話をすることにした。
「こんにちは、なにか食べなくていいの? お腹空いていない?」
「いいです」
「でも、食べないと死んじゃうよ?」
「僕は罪深いから、死んで当然です、生きているものを殺すなんてできない」
聞きながらこれは重症だと、努力のしがいを医者は見出した。
「君はウサギは好きかい、見たことある? 最近だとペットとして飼うこともよくあるのだけれど」
唐突に切りだされた言葉に、心構えを準備していなかった子供はいいえと答えた。
「最近だと携帯端末でも動画共有サイトを見られるから君にウサギを見せてあげよう」
そう言って医者は携帯端末を操作し子供にウサギの動画を見せた。
ウサギが人参を食べている動画だ、コメントが流れるシステムで様々な言葉が流れている。ほとんど、ウサギのこの挙動に対してのコメントで、単純にかわいいだとか変わった所ではウサギに対しての悪いイメージを植え付けるようなもの種種雑多に書かれていた。
「人参食べているよね」
「――はい」
一息ついて、医者は言う。
「ウサギは罪深いかい?」
言葉に子供はいいえと答えた。
医者はフムと頷き、言葉にする。
「それはおかしなものだ」
なぜ、という言葉は出てこないが怪訝な表情が見て取れた。子供は不思議に思っている。医者の言動を。
「君の定義、だと難しいか、意味付けこれも難しい、参ったな、そうだ、説明、これだったらわかるかな?」
前置きに一応理解を示し子供は頷く。
「君の説明だと、ウサギは罪深いことになるのだよ」
どうして、元気はないが驚きはあるようだ。
「君が生きていればいずれ習うことだが、三段論法というものがある。君は僕は罪深いといった、生き物を殺すことが罪深いひいては食べることが罪深い、と。ウサギは人参、つまり生き物を殺して食べている、君の言った僕は罪深いという文章の僕とウサギが等しくなる、だからウサギは罪深い、ということになる」
子供はこの説明を詭弁だと思った。そして、稚拙ながらも崩そうとして医者にことごとく論破された。
傍から見れば子供は泣きそうだった、医者は平然としている。
「さて、ウサギは罪深い、人間は罪深い、ウサギは人間だ、なんてのも三段論法では出来る。もちろんウサギと人間は同じではないが、大きく見れば同じと見えなくないんだ」
子供はわずかながらに興味を示し、医者は言葉を連ねる。
「さて、では話は変わるが罪深いことは悪いことなのかな?」
子供はその問いに元気に答えた。悪いことです、と。
「確かに罪というのはないに越したことはないが、君が言うとおり人間は罪にまみれている、この世は全て悪人というわけだ」
言葉に子供は怖い思いをした。詭弁ではあるが言語野が未発達の子供にすればそれを反論する言葉を持ちあわせておらず、世界が世紀末のごとく退廃としたものに思えてしまったのだ。
「それでもみんな死んでいないよね、最たる例は君のお父さんとお母さんだ」
君のお父さんとお母さんは悪い人ですか? 問を放たれ子供は子供らしくすがるように答える。
「パパもママも悪い人じゃない! です」
「そうだね、じゃあ、罪深いということに立ち戻ろう。罪深ければ死んで当然というわけではないね、じゃあ、君が死ぬ理由もすっかり消える」
子供は憑き物が落ちたような顔をした、子供らしく希望ある顔だ。
「それに、それでもご飯を食べたくない、っていうかい?」
子供は自分の間違いをつきつけられた。だが、それは逆効果だった。子供はまた堂々巡りの問題に立ち戻ってきたのだ。
医者は言う。
「君はお父さんとお母さんが好きかい?」
「――ウン」
「お父さんとお母さんは君のことが好きだ、そんなキミを思う人達はたくさんいる。でも、君がいなくなって寂しい思いをする人もいる、それは誰だかわかるかい?」
子供は答える。
「パパと、ママ?」
「そうだね」
その人達は、医者は締める。
「君が罪深かろうと浅かろうと、好きな気持ちを変えないよ」
パタン、とドアが閉まる。子供が帰って行くのをみおくりながら医者はポットから注いだお湯でハーブティーを淹れる。
「はぁ、終わった」
あの頃は色々悩む時期である、そのため医者の商売が成り立つのだ。だが、医者は考える。
「問題はあのまま大きくなった子供だ」
罪深い、という言葉にとらわれ、そこで思考を停止しているような人間だ。
「本当に罪深いと思うのならば食うべきだ」
苦しみをわかっていないと医者は思う。
動物の命が云々、というのは屠殺したものこそ言うべきだ。行きたい命を摘み取った屠殺者が。
「インスタントな自己批判をして、悲劇に酔う。救いようのないバカだ」
その手の患者がこないわけではない、それでも彼は辛抱強く活かすようにカウンセリングや投薬をする。
「ま、インスタントだろうと手が込んでいようと悩んでいる人をいい意味で肯定するのが僕の仕事だよねぇ」
はぁ、とため息を付き温かいハーブティーをすすった。
カウンセラーと精神科の医者は別個だったはずだったけど、そこはファンタジーで。
職場にも菜食主義者がいるけど、どうも間違っている気がする。まぁ、それは私の主張で無理強いすることも権利もないのでどうでもいいですが。




