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59 笑いと沈没船

 娘夫婦の死体を探している、という理由に終わりが見えてきた。

 娘夫婦は客船に乗っていた。それがどういう理由で死体が見えないでいたか、簡単だ。船が沈没したのだ。

 私は反対だった。精神を患い不眠病になっていた娘を、伴侶を得たことだけで子離れできるほど私は物分かりのいい大人ではなかった。それも妻にほだされて、娘らの新婚旅行を見送った。それから十年経つ。

 そして今になって沈没船に搭乗していた娘の夫の死体が上がったということをきき、沈没船がどこにあるかが目処がたった。

 だが、少しの物議がある。

 夫である、私達にとって見れば義理の息子、青年が誰かを殺したのではないかというものだ。

 その証拠が海流からも流されることなく硬く握られたナイフについた血痕だ。

 誰を殺したのか? 私達にはその問いをかけられることすらなく、答えを知る。

「この血痕ですが、娘さんのものです」

 つまり彼は私達の娘に手をかけた、ということだ。

 マスコミ沙汰にならなかったのは沈没してから十年という歳月が流れ、婿の遺骸を見つけたお節介な警官のつてであったというだけのことだ。

 沈没船を引き上げるのを見物した。

 かつて栄華を誇った客船は見難く崩れ、汚臭を放つものだった。

「ねぇ、あなた」

 隣に立つ妻が言う。

「あの子、娘を崇拝していたわよね」

 崇拝、という言葉が不似合いだと思いながら私はそうだなと相槌をうった。

「婿殿はあれを好いていたが、異常であったことは確かだ」

 娘が殺された、とは言われるものの婿に対して怒りや憎悪といったものは浮かんでこない。娘の殺害者の反転が私達になんの益もなかったということだ。

 憎しみが有れば生きていける、というが私達はそれを渡される代わりに運命という諦念を渡されていたのだ。

 今はもう安らかな娘の死に顔だけが見たい、私達はそう思っていた。

 妻は言う。

「溺死体ってひどいんですってね」

 もう身寄りがなくなっていた婿の死に顔を先に見ていた。妻は目が悪くあの顔を見ていないが、確かにひどかった。

 ぶくぶくと膨れ上がり人相がわからない。かろうじて目の下にほくろがあり、私はそれで判断した。

 娘もそうなっている、私に似ず妻に似て美人だった娘がそうなっている、そう思っただけでもムカムカと怒りを覚え、かつその感情にも疲れているとわかるような疲労感があった。

 そして、娘との再会が相成った。

 私は再開した時何も言えなかった。

 事務的な確認にも声を出せないでいた。

 娘だ、娘である。

「――こんなことってあるんでしょうか?」

 言葉を警官に尋ねる。警官は比較的稀であると答え、しばらくしてから私は娘です、と答えた。

 あとから知ったことなのだが、娘に起きていた変化を死蝋というのだそうだ。

 婿が何を思ってやったことなのかしらないが、水死する前に殺されたことによって肺に水がたまらずゆっくりと腐敗したのだという。

「なぁ、お前」

「なんです?」

「あの子はよく寝顔が可愛いと言っていたよな、不眠症になってからもお前は寝顔は可愛いと言っていた」

「そうですねぇ」

「あの子は寝ると笑うんじゃないか?」

 そうです、よく知っていましたね、妻の声は安らかだ。

 私は言葉にしない。

 私は知らなかった、娘の寝顔を。

 笑っていてまるで生きているかのようだった寝顔を、私は忘れることはないだろう。

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