29 宗教と罰
まぁじめー
「猊下」
従者に呼ばれ自らを思い出しながら、彼は眠りから覚めた。
「何時ほど眠っていたかね?」
従者に問い、帰ってきた答えに惰眠を貪ったと愚痴をこぼした。従者はそれに対して否定的な言葉を進言していた。それが従者なりの猊下とまで呼ばれるに至った彼への敬服なのだろう、と思い彼は馬車の中で従者を相手に戯れることにした。
「卿は死にたいと思ったことがあるかね?」
「はい猊下、いいえ、主の教えに背くことなどはありません」
そうか、と彼は笑いながらこの真面目な従者を相手に言葉を投げた。
実は私はあるのだよ、彼の言葉に従者は鳩が豆鉄砲を食らったように驚いていた。
「神の代理人であらせられる、猊下が、まさか、そんな」
名目上、彼の地位はその呼び名で言い表せられる。先人たちの築いた教えの世界価値に自分が追いついているか、という納得は彼自身覚えてはいないが。
「といってもだ、私も覚えていないのだ」
「猊下がまだ猊下になられる前ですね」
たしかにそのとおりではある、しかしこの話には続きがある、これ以上は頭の硬い真面目でいい子な従者に語るには少々刺激的だ、と独白した。
彼が死にたいと思ったのは、生まれて初めての言葉だ。
生まれて初めて、そう鳴き声とともに生まれてくるはずの赤子が母にこう呟いたのだ。
「私を死なせてください」
と、だ。
彼の母は位の高い淑女ですぐ金切り声をあげた。父は貴族で震えながらこう彼に言った。
「あ、悪魔め!」
そこからは彼は両親からの愛というものを受け取らなかった。
十字教は自殺を罪であるとしている、不思議なものだ、と彼は思う。
異教であるというだけで無辜の民を鏖殺するのを誉れとし、たった一人を殺すのが罪である。この天秤の針が示す方程式はどこか醜悪めいている、教皇にまで成り上がった彼が思う。
「結局、私の生きてきた道こそが自死を願った罰なのだ」
聖なるはずの教会での俗なる者のしがらみ、それを追い落として今この場にいる。
そしていつ死に抱かれるかわからない。政敵は言うに及ばず父母、果ては息子もが彼の死を願っている。
しかし、と思う。
「私は罰と感じない、むしろ心地よさを感じる」
主はどのようにして私に針の筵のような生き方に安らぎを得る心根を与えたのか?
それが病であるだけと知らない彼は御手に抱かれる日を待った。
その安寧こそが救いであるということを知るために。
次は陰陽師と壁です。このお題で某首置いてけを思い出したのは私だけでしょうか?
では早い再会を祈って、失礼します。




