16 海と失恋
今回長いです。明らか掌編ではありませんが、楽しんでいただけたら幸いです。
彼女:恋する人魚
少年:盲目の王子
水底の魔女:水底の魔女
侍女長:眼帯のイイオンナ
姫:ロリいいオンナ
後今回ちょっとエロいです。直接的な描写はないはずですが。
とある海にそれは美しい人魚がいた。彼女は誰もが羨む金髪を持ち、どんな宝石よりも美しく煌めくアイスブルーの瞳を持っていた。
そんな彼女が嵐の海へと漕ぎだした船を見つけた。船は今にも沈みそうで、思った時には冗談のように転覆してしまった。
その中で彼女は一人の少年を見つけた。
自分が何故少年を助けたのか理解できないでいた。
少年を近くの浜辺に置き、そのまま去ろうと思ったが彼女は詩を歌った。
彼女の最後の至宝、それは彼女自身の歌声だった。それによって人の理性を狂わせたり、反対に幸せな気分にさせたりすることが出来る。
彼女の選んだ詩は太陽の詩だった。それにより冷えきった少年の体温はなんとか平熱にまで戻り彼女は安心して、何故安心したのか、その理由を求め水底の魔女のもとへと向かった。彼女ならばこの感情に名前を与えてくれるはずだ、と告げられた名前に驚きを隠せないでいた。
「――お前さんは恋をした」
水底の魔女は笑う。素直な心根をした人魚はそういうものかと独りごち、その一目惚れに葛藤せず思うがままに動いた。
「私はあの子と同じ場所に立ちたい」
「ならば、お前さんの金髪をおくれ、私が人間の足を授けてあげよう」
「私はあの子の子を産みたい」
「ならば、お前さんの美しい瞳をおくれ、代わりの眼と人間の性器を授けてあげよう」
「私はあの子の言葉を知りたい」
「ならば、お前さんの声をおくれ、代わりに人間の言葉を理解できる知恵を授けてあげよう」
それから声が出なくなった彼女は人魚の文字で最後の望みを魔女に伝えた。
「ならば、契約をしよう」
耳まで裂けた口端を吊り上げ魔女は嗤った。
「お前さんの恋が実らなかったら、私にお前さんの魂をおくれ。一週間の刻限まで思いがわからなかったら、お前さんは泡となって私の元へと来るのだ。お前さんの恋が実ったら、そうさな、私が奪ったお前さんの全てを返そう」
わかりました、と人魚だった人間は無残になった笑顔で頷いた。魔女はその姿に苦々しい思いで地上までの道案内をした。
少年の居場所は水底の魔女のおかげですぐに分かった。誰よりも早く辿り着いた自負がある。
そして少年は言う。
「――誰?」
名を聞かれ彼女は喜んで思いを伝えようとした。しかし、それは叶わないことなのだ。もう既に声は魔女に渡してしまった。
陥った自身の状態に戸惑いながら、少年が思いもよらない事を告げた。
「――ごめんなさい、僕は貴方の姿が見えないのです」
少年は自身が盲目であることを告白したのだ。それは彼女の命をかけた恋に取り、打算的な面から見れば、死活問題であり、感情に照らしてみれば深い衝撃を与えるものだった。
それでも、彼女は献身的に世話をした。人間が食べやすいように魚を焼いて食べさせたり、波打ち際に打ち捨てられた桶を拾い水を汲み少年の体を拭いてあげたり飲ませたり、それまで人魚だったとは思えないほど人間の常識に溶け込んで彼女は行動できた。
そんな日常が二日続いて少年はようやく口を開いた。
「どうして、ここまでしてくれるんですか?」
彼女は答えられない。答えられない歯がゆさに意味を成さない唸り声を上げる。人間の常識を知った彼女は、自身の行動が狂人のものに似ているとわかりながら、なお思いを伝えようと愚かに懸命だった。
少年は自分と同じ何か障害を抱えているのか、そう思ったのか冷ややかな声などあげずに身の上を話した。
「僕は――とある国の王子なのです」
彼女はそのことに驚きを覚えなかった。容姿こそ平凡であれ、それを取り繕うように仕立てられた少年の姿は人間が作り上げた地上の貴人というふうに見える。
人魚が魔女に与えられ知っていた知識はそこで止まっていた。王侯がその飽くなき権力欲のために動くことを純朴な彼女の精神は知らずにいた。
少年は告げる。
「――僕には、婚約者がいます」
そのことに波紋を浮かぶ。しかし、少年がもたらした本質的な問題は別にあると、最後まで聞いて彼女は思った。
「それなのに僕は不忠者です。僕は――僕が恋した女性がいるのです」
そのヒトは――促すような唸り声に少年は困ったように言葉にする。
「――僕を、助けてくれたヒトです。嵐の海の中、身を呈して僕を助けてくれたのです」
それは私だ――しかし、と彼女は思う。少年の中の私は今ここにいる私と等しいのだろうか? と。
「詩を、歌ってくれました」
きっと、異国のヒトなのでしょうね、少年は頬をかきながら続ける。
「非才にして、そのヒトの詩がどういう意味なのか、わからなかったのです。けれども、聞いているうちにポカポカと温かい思いが溢れてきて、あぁ、これが恋なのだ、そう思えるようになったのです」
私の敵は、恋敵は、打ち震えながら魔女に与えられたくすんだ眼が船をとらえる。それに見つけてもらうよう煙を強く上げる。
――私自身だ。
それから一緒にいることは許された。何より少年が王侯らしい尊大さをもって彼女を側仕えにすることを切り出したのだ。唖の女を哀れんでのことだ、と口さがないものは漏らしていた。
少年は二人きりになるとまずその非礼を詫びた。
「物のように扱ってしまったことを、お許し下さい。ですが、このようにしなければ皆が納得しないのです」
それはわかる、彼女は謝る必要がないとポンと少年の頭を撫でた。少年はそれに対して不満げな顔をした。
「貴方が唖なら、私だって盲目だ、口さがないものはそれによって私をも貶めたということを知らないのです」
貴方が望むのならそのものを罰しましょう、そう言う彼の尊大さは取り繕ったように見えて彼女には痛々しく見えた。なだめる代わりに彼女は彼の手をとってそんなことをしなくていいという思いをどうやって伝えるか悩みながら、少年は彼女と同じ思いを口にした。この関係に少しの発展を、そうより良き二人の間を与えてくれた。
「……分かりました、しかし、これは不便だ。貴方の返答がハイなら一回、イイエなら二回、音を鳴らしてください」
ルールが分かり彼女は笑みを浮かべて一つ、音を鳴らした。
四日目になり彼女は出来ることをした。侍女長に何をすればいいかを尋ねた。侍女長は恰幅、女性に対してその言葉は失礼かもしれないが本当に、のよい大柄で眼帯をつけた女性だった。侍女長は彼女を眺めまずこう言った。
「身体を拭きな、あぁ、私じゃないよ、お前さんだ」
清潔にしろ、というのだ。確かに人間の社会で彼女は地位はない、比べ少年は仰ぎ見るべき王侯なのだ。その王侯に対し薄汚れたままで世話をするのは天に向かってつばを吐くに等しい。
彼女は風呂場で水の寒さに打ち震えながら人魚と人間の違いを文字通り肌で感じていた。
清潔になり長かった自分の金髪がないことを鏡を見て気がついた。今の自分は美しい瞳も流れるような金髪も持っていない。そのことに後悔がないかと問われれば、嘘になる。彼女はそれほど特別ではない、それも自身で気がついていた。
パンと頬を叩き侍女長に愛想よく、あるいはそれは子犬のように従順な思いだったのだろう、自分の仕事を求めた。
侍女長はそれをよく見ていた、彼女はそれに気がつくことなく仕事に精を出していた。
五日が訪れ、彼女は自分の命がもう少しで終わることを知っていた。水底の魔女の底意地の悪さは人魚や時に海神ですら欺くことが出来ないことを彼女は噂で知っていた。特別魔女と仲が良かった彼女であったとしても、その取り立ては悪魔よりも精密に確かに行うだろう、そして今のままでは彼女は抵抗できないまま奪われるのだ。
そんな思いを抱きながら侍女長に支持を仰ぎ今日も仕事を始めた。
少年に会う口実、というわけでもなく侍女長が出した支持によって彼女は少年の部屋へ来た。
ノックをする、この作法は人魚だった自分には珍しく途方もなくいとしい瞬間に思える。
「どうぞ」
少年の声がして彼女は部屋に入り召し物をもってきた。
「あ、貴方でしたか」
椅子に座り貝殻を耳にあてていた所に彼女が入ってきた。海に飲まれたというのに海の音がするという貝殻に恐れはないのだろうか、そんな奇妙な少年の行動に彼女は疑問を覚えた。
ボォっとしていたことからだろう、少年は自分の行動の説明をした。
「これ、ですか? 自分でも少々幼稚かもしれないのですが――」
彼女の詩を思い出していたのです、それを聞くと彼女は少しよろめいた。音に敏感な少年がすぐさま大丈夫ですか? と尋ねてきたのに二回音を立てられたらどれほど楽だったろうか、そんな戯れ事出来ない自分の融通の効かなさが辛かった。
少年は続けた。
「彼女は人魚だったのかもしれない、そう思うと私は少し嬉しいのです」
どうしてか? 感情の機微、それもなりたての人間のものに疎い彼女は何故という問いかけの約束も交わしておくべきだったと思った。
彼の論理は、聞いていて納得し、そしてどんどん自分は選ばれていないのだ、という気持ちになった。
「彼女が人魚だったら、彼女は生きているということじゃないですか。僕を助けてその、死んでしまったら――僕は哀しいのです」
自分に向けられ、それで尚自分に送られたわけではない感情に彼女はまず一つ音を鳴らした。
そして、二人きりの時間は終わる。なに、そんな剣呑なことではない。
単に侍女長が現れた、というだけのことだ。
「娘っ子は仕事が遅くてダメだね」
「侍女長、彼女を責めないでいただきたい。私がお喋りをしていたのです」
侍女長は言葉を受け彼女の顔を見た。彼女は真っ赤になって俯いた。だから、侍女長の探るような瞳に気が付かなかった。
侍女長は彼女に仕事をするよう促した。
「お願いします」
少年は服を脱がせやすいように立ち、彼女は自分の勤めをしながら侍女長が予定を告げるのを横で聞いていた。
「殿下、明後日には隣国の君主――その娘、すなわち王女殿下と会合します」
侍女長の言葉の意味を、彼女は少年の言葉で噛み砕いた。噛み砕いて、しまった。
「――僕の妻になる人と会う、そうですね?」
かいつまんで言えば、侍女長は鉄面皮のまま応えた。
彼女は言葉に動揺しながら少年の衣服を変えて、そそくさと少年の部屋から出て行った。
少年のいつも聞かせてくれるありがとうの言葉を聞かないまま。
「お前さん、殿下を好いているのか?」
朝餉の支度をしている六日目に侍女長はからかうでもなく彼女に尋ねた。彼女の狼狽は傍から見て面白いほどだった。
その様子を見て侍女長はそうかと頷いた。
「今日の夜、綺麗にしてから殿下の部屋へ行け」
侍女長はそんなことを言った。その意味がわかり彼女は侍女長をキッと睨んだ。
侍女長は面白くもなく呟いた。
「殿下に抱かれてこい、と言われたのがそんなに気に食わなかったか? 生娘」
言葉にならない呻きが盛れる。それは怒りによるものだったか、羞恥によるものだったか、あるいはその両方、彼女は自分の感情の行き場がないことを悟った。
侍女長は告げる。
「別に、だ。お前さんでなくてもいいんだ、殿下に抱かれるのは。明日に会合が迫り、もしかしたら契りを結ぶかもしれない、そんな時童貞の殿下だったら王女の尻に敷かれるかもしれない。これはだ、私だけの判断じゃない。殿下の父親、父王様のご意思でもあらせられる。国の行く末のためには殿下もお前さんも歯車にすぎない」
慈悲だよ、侍女長はやはり笑わない。
「叶うことのない恋心をいだいたんだ、せめて愛しい男に抱かれるだけの幸福くらいは神様だって許してくれるさね」
彼女は――結局侍女長の言うとおりにした。
夜、彼女は身を清めていた。人魚だった頃水は気持ちのよい対象だった、人間になった今では心地よさとは離れた感覚だ。肌を刺す冷たさというものが分かる。
そして、服を着て反響する音に不安を増幅させながら彼女は少年の部屋の前へ立つ。
ノックをしようとして、どうぞ、という声がした。ノックはしていない。
促されるまま少年の部屋の扉を開ける。
「こんばんは」
燭台に揺らめく少年の面差しは、どこか紅潮しているようだった。
沈黙が怖い。しかし、自分が出せる音というのは呻きのようなものだけだ、声を捨てたことに後悔はあるがこの時ほど強く感じたことはない。
少年が彼女の心理に気づいたようで、戸惑いながら告げる。
「侍女長から今日やることは知らされているのですが、その、僕は盲目です」
普通の人は異性の裸を見ると興奮するのだそうですね、言われ彼女はようやく気づく。彼を興奮させるのは彼女自身が積極的にリードしなければならない、ということを。
侍女長の言葉を思い出す、そう彼女は言われた通り生娘、処女なのだ。魔女に与えられた知識はある。人間の性交がどのようなものか一般的な知識は持ってはいる。
「いずれ、通らなければならない道ではあるのですが」
少年の心を彼女は知る。
「あの人だったら良かった、貴方には失礼ですがそう思ってしまうのです」
その偶像が自分であり、そして自分と過去の自分が統合で結ばれない苦さを感じた。
逃げ出せばいい。怒ればいい。非は閨の作法を知らないこの少年だ、けれども彼女は――困ったように微笑んだ。
見るもののいないのに毅然と咲く花のように。
行為は終始彼女がリードする形となった。盲目で、しかも知識がない少年では仕方のない事である。そのことに彼女は不満はない。むしろちゃんと気持よく出来たか不安なくらいだ。
「そういえば」
閨で共に、というには少々語弊があるが、生まれたままの姿で絡んでいる少年は彼女に問いを投げた。
「僕は貴方の名前を伺っていない」
そういえばそうだ、行為の最中少年は抱いている彼女のことを呼ぶことをしなかった。そのことが彼女は突き上げられるたびに掻き毟られる恐怖を覚えていた。
「教えて下さいますか?」
彼女は一つ音を立てた。
アルファベット順に一文字ずつ彼女の名前に当てはまる文字に至るまで時間をかけて応えた。
六十九回ほど音を立てて彼女少年に自身の名前を教えた。
「変わった名前ですね、その綴りが」
そうだろうか、彼女は知識はあるが常識は持っていない。個人の感想であると判断した。思いながら変と言われたことに彼女は少し恥じらいを覚えた。そんな彼女を少年は掻き抱いた。
名前を耳元で少年が呼んだ。行動が大人びたと彼女は感じる。そのことに先程まで子供のようだったのにと、自分がリードしていた優越が消えた奇妙な感覚を彼女は覚えた。
「貴方を妾に迎えたい」
それはどういう意味だろう、抱いている少年の背中に文字をなぞる。
少年は言う。
「嫁入り前だというのに、私は貴方を抱いてしまった。あ、貴方も初めてだったのに貴方の好意に甘えてしまった、その、だから――」
責任を取りたい、そう少年は言ったのだ。
それが、恋をしている彼女とその恋に気が付かず傷つけている少年の幕引きの言葉と知らずに。
そして、七日目。
彼女は侍女長の執務室に入った。
「何だ、お前か」
独眼が彼女を睨む。大人の男でも臆するような睥睨に彼女は毅然とした態度で、笑みすら浮かべて近寄りしたためた文書を彼女に手渡した。
「――お世話になりました、ふむ」
これは何だ? 疑問だ、ただの疑問が責め立てるようなここまで圧を持つものだとは彼女は思いをもせず継ぎの言葉を綴ろうとした。
「引き留めはしない、そもお前は殿下を助けたというだけの存在だ。こちらとしてもその行動を恩着せがましく、悪用するつもりなのではないかとヒヤヒヤしていた所だ」
本当に彼女がそう思っているか疑問だ。だが、ここまで饒舌な侍女長は二度目だ。
「睦言で何か不満があったのか?」
一応聞いておくだけは聞いておく、彼女はそう言った。
――責任を取る、といったのです。
「――悪いことではあるまい、そも男に機微を求めるのは間違いだ」
――それでも、私は、嘘でも愛しているから、といって欲しかった。
ふむ、侍女長は笑う。
「贅沢だな、それはお前が若いからだ。私がかつて持っていたものをお前は持っている。それは、あぁ、そうだ、素直に羨ましい」
だが、と侍女長は続ける。
「お前は女ではない、ただただ可愛らしいだけの人形のような女の子だ」
愛されることには慣れていて、愛することに不器用な女の子だ、侍女長は告げる。
「――女になれ、そして、あぁ、応援してやるよ、お前の不器用な恋を」
しかし、一回だけだ、侍女長は告げる。
「私がお前のためにお前の恋を手伝ってやるのは一度きりだ」
その優しさに笑気を覚え、懸命に噛み殺す。そうでもしなければ、この優しさに不器用な女性の気分を害するだろうと彼女は直感したからだ。
昼は忙しかった。少年が婚礼を結ぶ相手が来る。それはすなわちこの国に異国の軍勢が押し寄せてくるということだ。
彼女も知識としてそれを知っていたが、眼にし肌で感じるのとはまるで違う刺激を覚える。
軍勢がそのまま盗賊に変わらないよう、飯を食わせる。彼女はそのざまを猛獣使いだ、と思い、この猛獣が危険なことは腹が膨れても変わらないのではないか、そんなふうに思った。
そして、獣に守られた異国の姫君を彼女は遠目に見た。
美しい、彼女は素直に思えた。くせっけな赤髪は魅力的で褐色の肌をした彼女はこの国の人間とは違う変わった風な美しさを持っていた。琥珀色の瞳は笑みで隠れる。そこに演技を覚える、故この少女がただの世間知らずの少女ではないことを彼女は知り、どこか浮世離れした少年とは似合いではないか、思った。
少女と少年が番になる、それはもう定められたことだ、彼女はそれを覆せないことを知り、尚それでも恋を果たしたいと願っていた。
仕事を終えると彼女は侍女長に頼む書類を書くのに忙しかった。
そして、書き上げると、彼女は涙した。
自分の薄汚い打算が女の子のものか女のものか、それともそのどちらでもない何かの物か。
――今宵、彼女は海に還る。水底の魔女に全てを奪われる。
――少年に私を救って欲しい。
少年は異国の姫君を横にして宴にいた。酒盃を交わされ、それに応じ見下されないよう剛毅に構えた。
そんな中で彼は昨日のことを思い出していた。
彼女は、なにに傷ついたのだろう。平手をするのは激情からだと分かる。
彼は自分が彼女の心ををすっぱりと切り裂いたのだ。その痛みに彼女は逃げるように彼を突き放すことでしか自分を表せなかった。
「――姫」
横にいる姫に声をかけ手を握る。鼓動は静かなものだ。彼女の美々しさは見えない、彼にはわからない。表情も読めない、けれども彼女は反応は早かった。
「はい」
控えめな、そしてどこか期待した声だ。その期待が打算的な面である。彼はわかって尚分解しきれない思いだった。
「少し、静かなところへ行きませんか?」
「はい」
喜びがある、その感情に彼は覚えがあった。
彼女は姫と同じように喜んだのだろう、彼は姫の手を引いて海の見える塔へと向かった。
「あの」
少しの不安がある、姫は彼が盲目であることを知っているのだろう。
彼は安堵を促すためあえて陽気に語った。
「この城に限り、僕がわからない場所はないのですよ」
勝手知ったるというやつだ、底に我が家とつく諧謔を姫は察して笑った。
風が吹く、塔の上へ行き姫に話を切り出した。
「貴方は誰かに恋をしたことがあるでしょうか」
姫は、嘘をつかない、そんな確信がどこから溢れでた。
「あります」
恋の相手が自分ではないことは傷にはならない、自分も恋をしたのだから。
「僕もです」
「まぁ」
姫は自意識過剰にも責めるような調子にならずお話を続けた。
「僕が恋したのは、その笑わないでくださいよ? ――僕を助けてくれた人魚なんです」
「笑いませんわ」
言葉に感謝を覚え彼は続ける。
「けれども、この通り僕は盲目で彼女を見つけることは、もう叶わないでしょう。貴方という人を得て、私がお伽話にうつつを抜かすようでは貴方に見限られてしまうでしょうからね」
「そうですわ、殿方の移り気はたえられます。けれども、形のないものの虜囚となってしまわれたら、そうですね、父上に頼んで国を滅ぼすかもしれません」
彼女はおどけて付き合ってくれた。
「そして、僕は、耐えられる貴方にも呆れさせてしまうかもしれませんが、また、恋をしてしまったのです」
「それほど魅力的だったのでしょう?」
姫の言葉は肯定的で彼は喜んでしまった。
けれど、これは懺悔だ。
「――そうです。その女性にも私は支えられ、助けられ、導かれ、そして」
「好きになった。――言わせませんわ。いくら、伴侶になるとわかっていても、そのようなノロケを聞かされていては私も嫉妬に傷ついてしまいますから」
「すみません」
「謝るのは卑怯ですわ」
「……そして、僕はその女性を傷つけてしまった。何が間違いだったのか解らないのです、僕はその女性を傷つけるつもりなどなかったのに、ぅっ、す、スミマ」
謝意は唇で塞がれてしまった。驚いて流れだした涙が止まった。
「私の隣であまり他の人の話をしないでくださいまし、私だって、強いわけじゃないの」
「僕は――」
「抱いてくださいまし」
耳元で姫が囁く。彼は抱きすくめ――
「失礼します、殿下」
侍女長の登場に彼等は情事を見つかった。侍女長はいつもの鉄面皮を崩さず淡々と手紙を渡した。
「誰からだい?」
「あの娘からです、殿下」
では、といい侍女長は去っていった。
この場で手紙を読めるのは姫だけになってしまった。
すごく気まずい中彼は姫に手紙を読むよう頼んだ。
「――拝啓、殿下」
私は、貴方が恋した人魚です。貴方に狂った人魚です。貴方を助けてしまった人魚です。
こんなことを書いてしまって、頭がおかしいと思われるかもしれません。ですが、事実なのです。
私は貴方に再び会うために水底の魔女に頼み貴方が見ることの出来ない美しい髪と美しい瞳を彼女に渡し、貴方に呼んでらうために声を渡して人間の名前をもらいました。
私はもう少しで泡になってしまいます。それは水底の魔女との契約です。仕方のない事です。こう書いてしまうと貴方を責めているように思われるかもしれません、そうです、私は貴方を攻めています、そのことにお怒りを感じたとしてもそれもまた仕方のない事です。
私は貴方に愛している、といって欲しかった。それだけで結ばれずとも、水底の魔女に全てを奪われたとしても、その思いを与えてくれたことで私は報われたのです。
ひどい人。私は泡になります。
さようなら、私を好きになってくれた大事な人。
手紙は、そこで終わっていた。
「殿下、行きましょう」
姫は手を取り彼を引っ張った。
「え?」
「え、ではありません。殿下は何も思わなかったのですか?」
彼は口ごもりながら、思う。
「貴方は大丈夫なのですか?」
いわば恋敵だ、だが、姫はどこまでもいい女だった。
「大丈夫なわけがありません、私はこの方に負けました。けれども、一敗です。まだ、勝ち目がないわけではありませんわ」
彼はこの震えながら言ってくれた女性の顔を見れないことを悔やんだ。
そして、胸中にありがとうの言葉を飲み込んで、代わりに言った。
「行きましょう」
彼女は港に来ていた。
「どうしてだね?」
ボコボコと海面が泡立つ。それが水底の魔女の声であることは分かった。
「どうして契約は恋を果たせば救われると書かなかったんだい」
――貴方の契約は確かでしょう。
「そうさね、私は人間とは違う。こと契約で偽るなどということはしない、もちろん緩めることもないがね」
――いやだと思ったのよ。
「いや? ふむ、なにがかね?」
――彼の言葉に騙されて愛されていると勘違いする自分がよ。
「恋なんてのは、騙されているうちが幸せだと思うがね」
――そうね、だから、私は彼の言葉で騙されたいの。
彼女が身を投げようとする。
その瞬間――少年の声がした。
「待って、ください」
彼女は立ち止まる。それが音で分かる。
「いかないでください」
彼女はまた彼をそむける。それが音で分かる。
「僕には、貴方が必要です」
彼は駆け出す。そして、彼女は振り向く。それが音で分かる。
「僕は――貴方が欲しい」
けれども、彼女は立ち止まらず。
――海に落ちた。
彼は泣いた。外聞もなく、婚約者の眼もそれを制止する力足り得なかった。
泡が、聞こえる。
この泡は――かつて彼女が聞かせてくれた歌だ。
静かな月夜なのだろう。ほのかに光が見える。
歌は激しい物だった。
太陽の詩、その響きがかつて冷えきった体を温めてくれた、今も自分を温めようとする歌に彼は悔しい思いをした。
そして――
――水底の魔女が現れた。
「坊やが、あの娘の恋の相手かね?」
「お前が、水底の魔女か?」
そうさね、魔女は笑いながら応える。
「あの娘を返してほしいかね?」
「――彼女は僕のものではない。彼女は彼女だ」
「そう強がることもあるまいて」
笑う、その笑い声が彼を苦しめた。
「契約をしよう、坊や」
「――契約?」
そうさね、魔女は笑う。
「坊やの望みはあの娘だ、そしてわしは娘を持っている。かつて娘から奪った物を返して坊やに渡そう」
魔女が笑みを深める。顔の見えない彼もその挙動が不吉をはらんだものであることが解るほど、不気味なものだった。
「一つの記憶と一つの感情を奪う。それ以外は全て坊やに返そう、坊やが払うべきものは何もない、ただ喜劇を見せておくれ」
「喜劇、だと」
「そう、坊やのことを忘れ恋心を失った娘との不毛な恋をさぁ」
ヒッヒッヒッ、笑う。
けれども、彼は恐れない。
「それで、いい」
「では、ここに契約は完了した。さぁ、せいぜいわしを楽しませておくれ」
そして、彼は奇妙な感覚を覚えた。
その感覚は聞いて知っていたが実際にやってみたのははじめてだったので、最初それが何なのかわからなかった。
「みえる?」
水底の魔女がつぶやく。
「娘っ子の眼を坊やに一つやった。まぁ、これはわしのサーヴィスだ。見えることの不自由に苦しみながら、踊るがいい」
そう言って今度こそ水底の魔女は立ち消えた。
姫が心配そうに彼の元へと駆け寄る。
大丈夫です、姫に笑顔を向け、腕の中で眠る彼女を見た。
大きい、見えるようになったことで自分の小ささを知り彼は魔女の苦難を超える、と静かに誓った。
ここまで読んでいただいて大変有難うございます。
今回とても長くなり、明らかに掌編の分量ではありませんがそれでもこちらに載せたのは取り敢えず深い意味はありません(ないのかよw
では次はちゃんと掌編にしたいと思います。
お題は決まっていませんがちゃんと掌編にしますので、そちらを期待している方はおまたせしてスイマセン(汗)
では早い再会を祈って。




