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01 魔法少女と錠前

 私には小さな頃からあるものが見える。それは私だけが見えていて触れることが出来る。

 あるものとは胸にある、錠前。それが誰にも見えたし、それをつけていない人間はいなかった。

 最初に自分の感覚と他者の感覚に違和がある事に気がついたのは幼稚園の頃、幼馴染と呼べる二人と話している時だった。

 それで、二人には錠前が見えないこと知り、幼い私は自分のおなじ感覚を共有している人間を探した。

 そんな人間は存在せず、この視覚異常を誰にも知られてはならないという強迫観念に駆られ、今でも思い続けている。

 しかし、変化が訪れる。

 ――君に鍵をあげよう。

 幼馴染たちとの下校の際、私はそんな声を聞いた。私が立ち止まりキョロキョロとしていると西陽で顔が見えなくなった幼馴染たちがどうしたと声をかける。私は即座に何でもない、といって繕うように普通を演じた。

 いつ握らされたかわからない、手の中にある小さな鍵を握りしめながら。


 この鍵も誰にも見えはしなかった。帰ってから夕飯の支度をしているお父さんに見せてみたが首を傾げるばかりで、仕事から帰ってきたお母さんにしてもそれは同様だった。

 小学生に上がってから一人部屋を用意され、私には自分の部屋というものがあった。そこで鍵を見ながら自分だけが見える、という符号に私は小さな確信があった。

「これは錠前を開けるための鍵なんだ」

 そうでなければ、私だけが見える錠前という個性に、私だけが見える鍵という不可思議な存在がプラスされるわけがない。

 そう思うと私はあることを試してみたい、という感覚に陥った。

 ――鍵を開けてみたい。

 それは高所に立った時に飛び降りてみたくなるという、誘惑に近かった。

 最初に開く相手は決まっていた。

「お母さん、いっしょにおフロ入ろ」

 夕飯を終え少し眠気を感じながら私は母に言った。

 母の顔は笑顔だった。同時に困ったような顔でもあった。甘えていると感じたのか、少し間を置いてから母は承諾した。

「××ちゃん、いいわよ。でも、ちょっと待っててね、お父さんとお話しているから――着替えとタオルの準備しててね」

 うん、と頷いて私はお父さんが畳んでくれた下着とタオル、そしてパジャマを用意していた。

「お父さんと何の話してたの?」

 単に疑問だっただけだ、それ以上の考えがあったわけではない。母はそれにちょっとね、とだけこぼし脱衣所に入り暖められた湯船に私達は入った。

 ――私の手の中には鍵が握られていた。

「気持いいねぇ」

「うん」

「××ちゃん、今日学校でなんかあった?」

「うーん、勉強が難しいのと△△ちゃんと○○くんとで遊んだよー。○○くん、他の男子にいじられてた」

「そっかぁ、うん、○○くんも男の子だから、男ってめんどくさいからね。メンツ、あぁいや、なんて言ったらいいか、そう、女の子とばっかり遊んでたら他の男の子に嫌われちゃうんだよ」

「なんで? その子たちも一緒に遊べばいいのに」

「うーん、それはね、その子たちが怖がっているの」

「私達怖くないのに」

「それは△△ちゃんも○○くんも××ちゃんのことを怖くないわかっているからなんだよ。××ちゃんだっていきなり知らない人と遊ぼうって言われたらどう思う」

 知らない人にはついていっちゃダメ、そう言う考えが幼稚園の時に徹底されていたから私は遊ばない、と応えた。

「そう思うのが一般的なんだよ。知らないイコール怖い、ってのが。そのうち分かるようになると思うけどテストで解き方がわからない、対処の仕様のない問題を出されて思うのにも近いかもねぇ」

 母の喩えは確かにまだわからなかった。それよりも母が私に何かを隠しながらしゃべっているように感じた。

 どうしようか、湯気が立ち上る風呂場で母の胸に錠前が就けられているのがしっかりと見える。

「お母さん」

「どーした?」

 私はバスタブの中で小さく回って母に抱きついた。母はそれに笑いながらハグを返してくれた。

 私はそうしながら母の胸の錠前に鍵を差し込んだ。


「××ちゃん」

 △△ちゃんが私のことを呼ぶので意識がそちらの方に向いた。なに、と尋ね返すと聞いてなかったの、と怒られてしまった。どうやら今度のゴールデンウィークに○○くんと△△ちゃんと何かして遊ぼう、ということだったらしい。

 せっかくだから遠出したいというのが○○くんの要望で△△ちゃんもそれに異論はないようだった。私としては意見がなくどうにも流される形で二人の案を承諾した。

 それからいつも通り口喧嘩をしながら二人が笑ってるのを横目で見ながら私は昨日のことを考えていた。

 私が昨日母にしたこと。煎じ詰めれば鍵を開けて閉じた、というだけのことだ。それで起こったことを振り返ってみると自分のしたことが少し怖く思える。

 ――あれは、素直になったんだろうか。

 私は自分の魔法、そうとしか言えないだろう、の効果を知った。母はあのあと私を交えて父と家族会議をした。それによって私は私の意見も出したし控えめな父もしっかり自分の意見を言い、家族全体の方針はまとまった。あれによって自分の運命が変わったと考えれば私の魔法はたいしたものであるといえるだろう。

 そのせいで昨日の好奇心よりも畏れにも似た感情が強くなっていた。だから、極力使おうという気はなくなり、この力とどう向き合っていけばいいか、そんなことを悩むようになった。

「××、どうした?」

 ○○くんが私に水を向けた。サッカーで日に焼け浅黒い肌をしておりどことなくかっこよく女子にも人気が有ることを私は知っている。真っ直ぐ見つめる彼に私はちょっと怖い思いをしながら、他に視線があることに気がついた。△△ちゃんだった。

 ○○くんは彼女の瞳に気が付かない。彼等は普段から気の置けない仲の良い関係だと私は見ているが、△△ちゃんの眼はどこか女の子を感じさせるウェットで生々しい感情を私は感じた。

 私はそれに深く考えなかった。私も△△ちゃんも女の子なんだから物珍しげに見ることもないだろう、その時私はそんなことを思った。


 母が帰ってくると私は先生に事情を話した、と告げた。

「そう、寂しくなるわね」

 私はそうだね、とあいづちをうった。母が告げた言葉も今の私にはよく分かる。

「まず、お父さんの料理を食べましょう」

 父はお帰りといって、どことなくオドオドしていた。母もそれに気づいたのだろう「ちょっと、なによぉ、よそよそしいわね」と笑った。父はそれに対し、やはりオドオドしながら意見を通した。

「□さん、昨日はまるで別人だったから、びっくりしちゃって」

 ――そう、あれはまさしく別人だったなぁ。

 父の言葉に私はそう反芻し、どこか他人ごとだった。

 それから父の手料理に舌鼓を打ちながら私は今日学校で起きた話題を提供した。

 当然――△△ちゃんの視線だった。

 父はなにか気づきながら母に困ったような視線を投げていた。母はそれを黙殺しながらうんうんとうなっていた。父の困惑は確かなものだが、母の頷きはどこか微笑ましい物を感じるときにこぼす顔をしていた。

「それはたぶんね、△△ちゃん○○くんのことが好きなんだと思うわ」

 聞きながら、私は驚きよりも納得のほうが強かった。けれども、母の話を聞いていたかったから私は「そうなの?」と返した。

「前にウチに来た時もそうだったけど、基本△△ちゃん○○くんのことを見ているよね、そのことお父さんと話しててね」

「うん、ボクもそれ聞いてホントかなぁと思って授業参観の時によく見てたら△△ちゃん彼を目で追ってたね」

「そうだったんだ」

 この話を聞いて私は鍵を使おう、と思った。せめてものお礼、という意味で。


 ゴールデンウィークは△△ちゃんのお祖母様の家におじゃまするというプランになった。私には母と父以外に親族と呼べる人はいないから△△ちゃんを素直に羨ましいと思えた。

「ぼくのなつやすみには少し早いかもしれないが山にでも行っておいで」

 お祖母様の言葉がどんな意味を持っているのかわからなかったが、これはチャンスだっただろう。△△ちゃんのお父様が引率という役割を引き受け私達は山へと繰り出した。

 登山には気持ちのよい天気だった。風が初夏を感じさせ、せせらぎの静かな音が自然が創りだした芸術品のようで目を潤した。

 私はまず△△ちゃんの心を知りたいと思った。○○くんの心を素直にさせる優先順位が低い理由は深いわけではない。単に同性であることが触れる機会がありかつ不自然ではないからだ。

「晴れてよかったよ」切り出したのはお父様だった。「○○くんも××ちゃんも登山は初めてかな?」

 私はコクリと頷いて応じ○○くんは「そうだな、初めてだ」と尊大に返した。それを聞いて△△ちゃんは「私は登ったことあるよ」と自慢気に○○くんをおちょくった。○○くんは煽りに簡単に乗り喧嘩腰になっていた。長い付き合いだったから何らかのちゃちゃが入ってすぐ終わるのだろうと予想して、見事にその通りになった。

「△△だって数えるくらいしか登っていないだろ」

 あしらいには慣れたものでお父様は快活に笑った。○○くんも先ほどまでの余裕のない赤ら顔を収め意地の悪い笑みを浮かべていた。それに対して△△ちゃんは悔しそうに顔を赤くしていた。

 傍目から見ると異性の友達という関係にしか見えず、恋という感情が絡んだ甘い関係であるようには思えなかった。

「今は晴れているけど西の空を見てご覧」お父様の指が西にむけられた。遠く離れた山に雲がかかっている。

「雲は西から東に向かって吹くからね夕方ころにはこっちに来るんじゃないかな」天気予報で言っていたしと付け加えお父様は熊よけの鈴を鳴らした。


 結論から言って、私たちは致命的な失敗をした。

 ○○くんが珍しい虫を見かけた。それを私に打ち明けそれに好奇心を抱き私と○○くんは――遭難した。

 その時、私はソーナンという言葉がすんなり出てきたのは△△ちゃんのお父様が事前に言っていたからだ。しかも悪いことは重なるもので私は足に怪我をしてしまった。骨折も、しているかもしれない。腫れ上がった足は熱を帯び、それが全身に巡って頭が朦朧としてきていた。

 それでも私は痛みにあえぐ涙を見せなかったのは、既に泣きそうになっている○○くんがいたからだった。

 大丈夫か、と何度も何度も私に問いかけていた。私はそれに大丈夫だよ、と何度も何度も応えた。

 俺のせいだ、と○○くんはつぶやき始めた。確かに因果関係で言えば○○くんに責任がなかった、とは言い切れない。それでも私はそれを聞いて気が済むことはなかった。

 だから、言葉にする。

「そんな風に言わないでよ、○○くん」

 逃げたいの?――とは続けない。でも心では思ってしまう。

 顔や態度、声にその感情が出ていたのかもしれない、○○くんは嗚咽を漏らすばかりですっかり何かをしゃべる元気をなくしてしまった。これでは私がなにか悪いことをしたようではないか。

 命の危機、それを感じながら私は手の中の鍵を握りしめた。

 ――そうだ、前後してしまったが○○くんの鍵を開けてしまおう。

 私はそんなふうに思った。

「ねぇ、○○くん」

 なんだ? 嗚咽も枯れ、泣き顔に赤くなった眼を、私は見つめない。視線を向けるのは、いつも見えている錠前。

 鍵を、開ける。

 結論から言って、私は致命的な後悔をした。


 雨がふる前に、私達は救助された。それから△△ちゃんのお父様やお祖母様からのからのお叱り。私達は何度も何度もごめんなさい、と返した。

 それが終わって、△△ちゃんは○○くんに抱きついて泣きじゃくった。

 心配した、死んじゃうかと思った、彼女の涙に私は後ろめたい思いをした。それはもはや私達が以前の関係に戻れないことを知っている私と○○くんはその思いを共有していた。

 問の答えを私は思い出す。

 ――俺が好きなのは――

 ○○くんは素直に答えた。

 その答えを聞いて、私は聞かなければよかった、という後悔しか抱けなかった。

 ――××だ――

 錠前を閉じる。けれどもそれが言葉を忘れることにも、なかったコトにすることさえも出来ないことを私は知っている。

 カギを握る。あと、使う機会は一回きり。


 ゴールデンウィークも残す所一日、となった。△△ちゃんのお祖母様の家から帰ってきたのは昨日の事だ。

 私は家で荷造りをしていた。

 ピンポーンと呼び鈴の音がした。

「××ちゃん、出てくれる?」

 珍しく料理をしている母の言葉に従い、私は玄関に向かった。

 魚眼レンズを踏み台を使って見る。

 外に立っていたのは――○○くんだった。

 玄関の鍵を開け私はいらっしゃい、といった。

「呼び出して、悪かったね」

 ○○くんはそれに対して、どもりながらおう、と返した。

 私はそれに気づかないふりをして自分の部屋に彼をあげた。

「今日呼んだのは――告白に答えよう、と思って」

 そういうと、○○くんは顔をトマトみたいに赤くした。そんな様子を見ていると私まで恥ずかしくなってくる気分だった。

 けれども、私は恥ずかしがってくる場合じゃない、と思い手の中の鍵で自分の錠前を外した。

 答えが、迸る。

「――ごめんなさい」


 錠前をしめると、視界が広くなった気がする。見ていたようで見ていなかった○○くんは泣いているようだった。

 ひどい言葉も辛い言葉も投げかけた気がする。

 それでも、彼は希望をもって問いかけた。

「――また、会えるだろう?」

 それに、私は首を横に振った。

「私――転校するの」

 それは私が初めて鍵を開けて母と父、そして私が話しあって決めたことだった。

 母は会社から転勤を命じられていた。それで一人で行く気であったが、本当のところ母は寂しかったのだ。私と父についてきて欲しいと、素直になった母はそう頼み込んだ。

 だから、私は思い出にするためにゴールデンウィークは幼馴染たち遊ぶことにしたのだ。

「○○くん」

 私は言葉にする。

「私のことは忘れなよ」

「お前は――」

 ヒドイ奴だ、○○くんは目をそらす。

 私はそうだね、と頷く。

 玄関まで彼を見送り、私は荷造りを再開した。

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