鯖の水煮は、飲み物じゃねぇ!(鯖の水煮シリーズ2)
『犬猿の仲』っつー言葉がある。
事実、世の中には訳がわかんねぇけどDNAレベルで反りが合わない奴がいるもんだ。俺にとっては小林天音っていう女がそうだった。
「なんで革ジャン腕までめくってんの? 暑いのか寒いのか、はっきりしてよ」
初対面にも関わらず、あの女は口を開くなりそう言いやがった。
「な……ポリスィィィィー! 人のポリシーに口をつっこむんじゃねぇよ」
「は? 革ジャンめくるのがポリシー? キモッ、そんなんだからライブにも人が集まらないのよ。ねぇユミ、こんな男とはさっさと別れた方がいいわよ」
十秒後。
俺は思わず、クソ女の首を絞めていた。
何を言ってるか分からねぇかもしれないが、衝動とか、憎悪とかそんなチャチなもんじゃねぇ。もっと恐ろしい人生の――うおぉ!?
そしたらクソ女も、首を絞め返してきやがった。
多分その日は、俺の人生にとって最悪の一日だった。
ライブの入りも悪いし、打ち上げでクソ女と出会っちまうし。
そしてその後、しばらくしてユミとも別れた。
絶対あのクソ女の差し金に違いねぇ。クソッ!
まぁいいや、最近あんま上手くいってなかったしな。それにあんなクソ女とも、二度と会うことはないだろう。
それだけで、せいせいするってもんだ。
♯ ♯ ♯ ♯ ♯
「げ、革ジャン男」
「な、なんでお前がココに!?」
そしたら二週間後、合コンで再会しちまった。
俺たちの動揺を尻目に、他の奴らは楽しげに自己紹介をはじめる。だが俺は自分の自己紹介の途中、あのクソ女を指さしてこう言ってやった。
「○○大学三年。吉村尚人。バンドでギターボーカルやってる。好きな呪文はザラキ。嫌いな女のタイプはお前のような! 人のポリシーに口を突っ込むばかりか、彼女にあることないこと吹きこむ、ガサツで、野蛮で、デカイ女だ!」
するとアイツは立ち上がって。
「△△大学三年、小林天音。好きな男のタイプは私に優しい人。嫌いな男のタイプは、革ジャンを腕までめくる、ダサくて、古臭くて、人気のない、デスメタルのギターボーカルよ! あと振られたのを人のせいにするモテない人!」
三十秒後。
俺たちは首を絞め合っていた。
お陰で合コンは散々な結果だ。
友だちにも「もうお前は誘わねぇ」とか言われちまった。
クソッ! それもこれも、あのクソ女のせいだ!
まぁいいや、これでバンドに専念できるってもんだ。それにあのクソ女とは大学も違うし、金輪際! 会うこともないだろ。
それだけでハッピー、ハッピーってなもんだ。
♯ ♯ ♯ ♯ ♯
「げ! か、革ジャン男」
「んぁ? ってお前!」
そしたら三週間後、ライブハウスの舞台裏通路で出会っちまった。
「なんでお前がココにいんだよ。関係者以外、立ち入り禁止だぞコラ。あと乳揉むぞコラ」
「一、一、〇っと」
「ちょ! お前、今本当に電話――」
「あの~、いきなり乳揉むぞって言われたんですけど。これって――」
俺はクソ女の携帯を取り上げた。
ん? だけど通話中じゃ……。
「アハハハ! バーカ。ひっかかってやんの。バーカ、バーカ!」
「て、てめぇぇぇぇぇぇぇ!」
十秒後。
俺たちはやっぱり、首を絞め合っていた。
だが通りかかったスタッフに止められて、いつもみたいに荒い息を吐く。
「おいコラ。てめぇ、俺に、恨みでも、あんのか」
「な、なに言ってんの。アンタこそ、ことあるごとに、絡んできて」
呼吸を落ち着けた俺は、アイツに肉薄する。
「あぁん? テメェが首をしめるせいで、俺の美声がそこなわれたらどうしてくれんだよ!?」
「はぁ? 笑わせないでよ。あんたのバンド、全然人いなかったじゃない!」
そこでふと気付いた。確かに俺たちのバンドはマイナーだ。
インディーズレーベルでCDを発売すりゃ「意味が分からない。現世とは没交渉の一枚」とか叩かれるし、対バン組んでみても、本当、からっきし、誰一人として演奏を聞きに来ない。
だけど今日は珍しく、一人だけ客が入ってた。
背が高くてプロポーションがよさそうな、髪の毛の長い女。うす暗いライブハウス。しかも壁よりだったから、顔はしっかり見えなかったが……。
「お、お前ひょっとして、俺たちの曲聞いてた?」
「は? そ、そんな訳ないでしょ。誰があんな罰ゲームを聞くって言うのよ。頭おかしいんじゃない?」
「ジャ、ジャイ○ンリサイタルだとぉ?」
「なによ!?」
俺は思わず、アイツの手を取った。
「お前、分かってるじゃねぇか!」
「は?」
俺たちのバンドの名前は「ジーニアス・ジャイアン」という。小学生の頃、ド○えもんのジャ○アンの美声に痺れた俺が、大学に入って立ち上げたバンドだ。
基本的に歌詞は全て「ボエー」だ。歌詞なんていらねぇ、メロディが全て。
むしろ歌詞もメロディーの一つだという姿勢が、最高にクールだ……。
と俺は思っている。
「おい、お前」
「お前って呼ばないでよ。小林天音って名前があるんだから!」
「コバヤシアマネ……。そういや自己紹介の時、そんなこと言ってたな。ったく、洒落オツな名前もらいやがって。んで、アマネってどんな字書くんだ?」
「え? て、天の音って書くの!」
「天の音。小林天音……って、ぶはははは! おまっ、名字が小林で名前が天音って、線対象! 名前が線対象じゃねぇか! いひひひ! か、勘弁してくれよ」
「う、うるさぁぁい! 笑うなぁ!」
俺はその後もさんざん笑ってやった。あの女はその度に、「九月に革ジャン着るな!」とか、「その革ジャン燃やすわよ」とか言ってやがった。
いつもならキレるとこなんだけど、その時ばかりは俺も気分がよかったもんで笑って聞いてやった。そんで俺は、一通り笑うとあの女に話しかけた。
「なぁ小林」
「なによ、革ジャンめくり男」
「革ジャンめくり男って……俺は妖怪か!」
「そうよ、革ジャンが腕までめくれている人がいたら、それは妖怪革ジャンめくり男のせい。つまりはアナタね!」
「てんめぇ! 人のポリシーを散々! ってそうじゃなくて……お前さ、俺と同じ三年だろ? 就活とかどうしてんだ?」
するとアイツは、驚いた顔で――。
「就活? そんなのもう終わったわよ」
とヌカしやがった。
「はぁ? ちょ、おま、マジかよ」
「その分だと、アンタはまだみたい……っていうか、そもそも就活してなさそうね」
「まぁな……はぁ、バンドもいまいちだし、彼女にゃ振られるし、どうしたらいいんだろうな?」
そして俺自身、訳がわかんないがそんなことをつい愚痴っちまった。するとアイツは平然と言ってのけた。
「アナタ……優先順位が曖昧なのよ」
「はぁ? 優先順位だぁ?」
「そう、優先順位。物事を始めようとする時、我武者羅に努力するんじゃなくて、ただ優先順位をはっきりさせるの。そして優先順位に合わせて、習慣を変えていく。そうすれば、たいていのことは上手くいくわ」
「……なんだよ、それ」
「分かんないならいいわ。でも音楽を続けたいなら、就活した方がいいと思うけどね。それじゃ」
そしてアイツは「私、アンタたちの曲、嫌いじゃなかったわよ」と言って、俺に飲み物かなんかの缶を渡すと消えやがった。
「優先順位ね……」
渡された缶のプルタブを開けて、口につける。すると、なんとも言えない生臭さが……。
「ウェッペ、マズッ! って、お前! これサバの水煮じゃねぇかよ!」
♯ ♯ ♯ ♯ ♯
一週間後、俺は髪を切って就活を始めた。
言っておくが、あの女に言われたからじゃねぇ。俺は俺たちのファンの為に、より一日でも長く音楽を続ける為に、優先順位の一位を就活に定めただけだ。
例え今バンドを解散しても、俺さえいれば「ジーニアス・ジャイアン」は永遠に不滅だ。働きながらだってバンドは出来る。
あ? なんだ?
それって、あの女に言われた通りじゃねぇかだと?
冗談じゃねぇ!
あのクソ女の言うことなんか、一オクターブたりとも聞いちゃいねぇ。
ただ、まぁなんだ。
俺たちのファンの声なら、聞いてやったかもしれないがな。
そして散々ヘマこいたり、面接官にキレたり、泣いたり、虚ろに笑ってみたり、首つろうかなって思ったりした末に、音楽雑誌を編集してる会社に内定をもらった。
本当に小さな雑誌社で、インディーズレーベルの新譜紹介なんかもやってる。つまりは、俺たちのことを「意味が分からない。現世とは没交渉の一枚」とか評価してくれちゃった会社だ。
だが俺にすれば、まっ、上出来な方だろう。
♯ ♯ ♯ ♯ ♯
そして就職記念に、久々に対バンをやった。案の定、客は全くと言っていいほど寄りつきゃしねぇ。
だがどこで噂を嗅ぎつけたのか、あの女だけは壁よりのいつもの位置で演奏を聞いてやがった。
たった一人の、ジーニアス・ジャイアンのファン。
それから就職して忙しくなっても、三カ月に一度くらいは対バンを組んだ。仕事のコネで有名所のバンドと組んだりしたが、客の入りはさっぱりだ。
でもやっぱりあの女は、どこからか噂を聞きつけていつもの位置で俺の「ボエ~」という美声に聞き惚れてた。
その後は関係者面して、決まって楽屋に顔を出す。すると大体どうでもいいことで罵り合って、首を絞め合ったりした。
そして帰りがけには、「これ、差し入れ。ちゃんと飲んでね」と、これまた決まったようにサバの水煮缶を渡しやがる。
「なんでサバの水煮なんだよ!」
俺がそう抗議すると、
「なによ! 私のサバの水煮が飲めないっていうの?」
とまた諍いが始まる。
そして結局、気付くと俺はソイツを飲んじまうんだ。
「グヘッ! ブハッ! ブオッフ!」
「あはははは! 鼻から煮汁が出てるわよ」
思わずぶん殴ってやろうかと思ったが……。
あのクソ女の笑い顔見てたら、なんかまぁ許してやるかという気分になった。
よくわかんねぇけど、なんか無性に嬉しかったんだ。
結局、そんな関係が何年も続いた。ライブの間隔は、三カ月に一度が半年に一度になったり、メンバーが変わったりした。
でもやっぱりあの女は、いつもそこにいて、ライブ終わりにはサバの水煮缶があって……。
♯ ♯ ♯ ♯ ♯
それがある時、パタリとあの女が来なくなった。だがその代り、ひょろ長いサラリーマンがいつもの場所に立ってた。
ライブが終わった後、そいつがひょっこり楽屋に顔を出した。
そしてあの女が、癌で死んだことを知らされた。
翌日、頭の中が空白になっちまったみたいで、まるで仕事が手に着かなかった。後輩に「いいかお前ら、仕事でも人生でも、優先順位が大切なんだ」と嘯いてたこの俺がだ。
なにも……あの女が死んだからじゃねぇ。
ファンを、たった一人のファンを失っちまったからだ。
そうだ、そうに決まってる。
それでも何とか俺は仕事を終えると、虚ろな思考と体を引きずって、コンビニ弁当を買って帰ろうとした。
だがコンビニ弁当を籠に放り込んだ時、学生時代のように大音量でデスメタルを聞いて、酒でも飲もうかという気になった。そうすりゃ少しは憂さが晴れると思ったんだ。
籠に入れた弁当を戻し、焼酎のボトルを入れてツマミを――。
そこで俺はコンビニの一角に、あれを見つけちまった。
サバの水煮缶を。
するとあの女が、俺に、サバの水煮缶を渡して、笑って、それで……。
「うおぉぉぉいおいおい、うぉぉぉいおいおい!」
俺はその日、何十年振りかに声を上げて泣いた。泣き方もリスペクトするジャ○アンスタイルだ。
コンビニの店員や客は何事かと俺を訝しんで見たが、そんなことは気にならない。
もうあのクソ女と罵り合ったり、首を絞め合ったりすることが出来ない。それが俺には何よりも悲しかった。
馬鹿野郎。なんで死んだんだよ。お前がいなきゃ、ジーニアス・ジャイアンは誰に向かって、「ぼえ~」って声を響かせればいいんだよ。
馬鹿野郎。ばか……や、ろう……。
♯ ♯ ♯ ♯ ♯
そして俺は、ジーニアス・ジャイアンを解散させることにした。
解散ライブで対バンを組んでるのは、インディーズレーベルで今一番人気の、女ボーカルのハードロックバンドだ。
相変わらず、客は全くといっていい程に入っちゃいねぇ。だが只一人、あの女の後輩だとか言うサラリーマンはいつもの位置にいた。
俺はそいつに向けて、そして天国か地獄かどっちにいるか分からねぇが、あのクソ女に向けて美声を響かせた。
そしてラストナンバー。
俺たちの曲の中で唯一、日本語タイトルでまともな歌詞を着けた曲。
「これがジーニアス・ジャイアン最後の曲だ。聴いてくれ。というか聴け! 聞こえてんだろ! この腐れ線対象女!」
すると、あの女の後輩が鞄から何かを取り出して俺に掲げて見せた。
え? そいつは……っていうか、なんでお前が?
だが次の瞬間に全てを理解した。
なんだ、お前もあの女にイカレちまった口か。
ならさ、一緒に叫んでくれないか?
あいつに抗議の意味と、とびっきりの愛を込めてさ。
「いくぜぇ! 『サバの水煮は、飲み物じゃねぇ!』」
俺と男は右手にサバの水煮缶を掲げる。
まったく、世の中は頭にくるくらい全てこともなしだ。不況のせいで俺の給料は頭打ちだし、彼女は出来ないし、政治だってさっぱりよくならねぇ。
だからさ、煙草のヤニが染みついたうらぶれたライブ会場で、死んだ女にイカレちまった男が二人。こんな訳のわかんねぇことしてても、いいと思わねぇか?
なぁ、そうだろ?
そう思うよな? 天音……。
するとどっからか、あいつの懐かしい声が聞こえた気がしたんだ。
『思うわけないでしょ! この革ジャンめくり男!』
ってさ。