希望と、絶望
「ノア? どうしたの、そんなところで蹲って」
ルミナの温かい声と、生きている彼女の体温。
泥だらけのまま彼女を抱きしめ、私は頭の中で猛烈な勢いで思考を巡らせていた。
今は深夜の0時。暗殺者たちが襲撃してくるのは、約1時間後だ。
夢じゃない。私は確実に「死に戻り」をした。未来の知識があるなら、ルミナの死を回避することだって絶対にできるはずだ。
「……レクト! エレン! 起きて!」
「ん……? なんだよノア、こんな夜中に」
「敵の奇襲だよ! 人間の暗殺者が六人、あの神殿の跡地で私たちを待ち伏せてる!」
寝ぼけ眼の二人に、私は早口で状況を説明した。
突然の突拍子もない言葉に二人は戸惑ったが、私のただならぬ必死の形相を見て、すぐに武器を取ってくれた。
この時の私は、まだ希望に縋っていた。
敵の手口と人数が分かっているなら、レクトとエレンという最高戦力がいれば、返り討ちにできると信じていたのだ。
だが、その甘い希望は、たった数十分後に無惨に打ち砕かれることになる。
『――【空間隔絶】』
神殿の手前、森の入り口で警戒していた私たちを、透明な結界が分断した。
場所が変わっただけで、手口はまったく同じ。暗殺者たちは、私たちが待ち伏せを警戒していることすら想定の範囲内だったのだ。
「エレン、ルミナを――ッ!」
レクトが剣を抜くより早く、闇に溶け込んでいた暗殺者の刃が、ルミナの首を正確に刎ね飛ばした。
「あ……」
ゴトリ、と。
銀髪の美しい首が地面に転がり、私の足元を鮮血が濡らす。
何も、できなかった。戦力差が圧倒的すぎる。
(やり直さなきゃ……っ!)
私は震える手で猛毒を飲み干し、小刀で自らの喉を掻き切った。
血の海でのたうち回りながら、三度目の死を迎える。
* * *
「オエェェッ!!」
四度目のループ。深夜0時。
私は嘔吐しながら跳ね起き、すぐさまみんなの手を引いて駆け出した。
「ノア!? どこに行くの!?」
「いいから走って! 神殿とは逆の方向へ!」
戦って勝てないなら、逃げるしかない。
4人で息を殺して深い森を駆け抜け、身を隠す。これだけ離れれば、見つかるはずがない。
「……見つけたぞ、聖女」
だが、絶望は頭上から降ってきた。
木々の間から音もなく現れた暗殺者が、躊躇いなくルミナの心臓を背後から串刺しにする。
「なんで……なんで、居場所が……っ」
ルミナの血を浴びながら、私は再び毒を煽り、自らの胸に刃を突き立てた。
五回目。毒を盛ろうとして失敗し、逆に殺された。
十二回目。ルミナを隠し、私一人で囮になったが、数秒で気付かれ彼女は殺された。
二十八回目。レクトにルミナを託して逃がしたが、彼もろとも全滅した。
「がハッ、あ、ぁぁぁっ!!」
三十数回目の自害。
内臓を溶かす猛毒と、喉を裂く小刀の激痛。何度繰り返しても、この痛みだけは絶対に慣れてくれない。
死ぬたびに狂いそうなほどの苦痛が脳髄を焼き、精神をすり減らしていく。
「……はぁっ、はぁっ……」
再び深夜0時の野営地で目を覚ました私は、ぼろぼろと涙をこぼしながら地面を掻きむしった。
勝てない。逃げられない。
何かがおかしい。なんで奴らは、暗闇の森の中でも迷うことなく一直線にルミナを見つけ出せるんだ?
まるで見えない糸で繋がっているかのように、逃げても逃げても完璧に捕捉される。これでは、どんな戦術を練っても無意味だ。
(……詰んでる)
すでに完成しきった暗殺の盤面。
圧倒的な戦力差に、絶対的な位置把握。
この「1時間」の中で私がどれだけ足掻こうと、ルミナが死ぬという結果は覆らない。
「あ、はは……」
乾いた笑いが漏れた。
私は震える手で、エレンの荷物からくすねた銀時計の文字盤を見つめた。
針は『0時05分』を指している。
私が先ほど、ルミナを見殺しにして自害したのは『1時05分』だった。
何度繰り返しても、私が戻る時間は「死んだ瞬間のきっちり1時間前」。
それ以上でも、それ以下でもない。
「……じゃあ、私が……ここで死んだら、どうなる?」
私はふらつく足で立ち上がり、木陰に隠れた。
猛毒を飲み込み、痛みにのたうち回りながら小刀で腹を裂く。
「ゲホッ……!!」
跳ね起きて、すぐに時計を見る。
時刻は『23時08分』。
「……そういう、ことかよ……っ」
私は顔を覆い、血の味がする口の中で絶望を噛み締めた。
死ねば1時間戻る。
つまり、この完成しきった盤面をひっくり返すためには、この襲撃の夜よりもずっと前……暗殺者たちが動き出す前まで時間を遡るしかないのだ。
ルミナが聖女として世界から目をつけられる前。私たちが、学園で出会ったあの頃まで。
頭の中で、冷たい計算式が組み上がっていく。
1時間戻るのに、1回の死。
1日戻るのに、24回の死。
1年戻るのに、8760回の死。
学園で彼女に出会った、約3年前まで遡るためには……ざっと見積もって、二万五千回以上の自害が必要になる。
「ひっ……あははははっ!!」
壊れたような笑い声が、夜の森に響いた。
内臓をドロドロに溶かし、刃で肉を切り裂く、発狂するほどの激痛。それを、二万回以上?
人間の精神が耐えられるはずがない。確実に途中で狂う。脳が焼き切れて、廃人になる。
でも。
私は、焚き火のそばで静かに眠るルミナの横顔を見つめた。
あの優しくて、純粋で、私のために涙を流してくれた彼女を救えるなら。
「……安いもんだよ」
私は微笑みながら、小瓶の毒を口に含み、首の動脈に小刀を当てた。
痛い。怖い。もう二度と死にたくない。本能が悲鳴を上げ、足がガクガクと震えている。
けれど、この刃の先に、彼女が生きている未来があるなら。
「すぐに行くからね、ルミナ」
ブチッ、と。
躊躇いなく喉を斬り裂き、血の海に沈む。
目覚める。毒を飲む。首を斬る。
目覚める。毒を飲む。首を斬る。
目覚める。毒を飲む。心臓を刺す。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
助けて。痛い。ルミナ、ルミナ、ルミナ。
最弱の凡人である私が、ただ一人の親友を救うためだけに、狂気と死の連鎖の底へと自ら身を投じた瞬間だった。




