表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/22

落ちこぼれの私と、天才聖女の貴女

あの日、まだ私は『死に戻り』の呪いも、自らの喉を掻き切る激痛も、血の味すらも知らなかった。



王立魔法学園。


国中から優秀な魔法使いの卵たちが集まるこの学び舎は、魔力こそが絶対的な価値を持つ小さな世界だ。


春の柔らかな日差しが降り注ぐ中庭では、色とりどりの魔法の光が宙を舞い、生徒たちの誇らしげな笑い声が響いている。



その中で、私はいつも一人だった。



「……また、失敗か」



誰もいない旧校舎の裏手。枯れ葉が吹き溜まる日陰で、私は自分の手のひらを見つめて短く息を吐いた。


黒髪を無造作に束ねたポニーテールに、首元まで隠れる地味な制服。そして、いくら意識を集中させても、私の手から魔法の光が灯ることはない。



魔力ゼロの落ちこぼれ。


それが、この学園における私の評価のすべてだった。



親の伝手でどうにか入学できたものの、実技の授業では常に笑い者にされ、座学でいくら満点を取っても「魔法が使えないなら意味がない」と嘲笑われる日々。


期待することも、傷つくことすらも諦めて、ただ息を潜めて卒業までの時間をやり過ごす。それが私の日常であり、私の世界のすべてだった。



「――あ、見つけた!」



不意に、鈴を転がすような澄んだ声が降ってきた。


顔を上げると、そこには信じられないほど美しい少女が立っていた。



透き通るような銀髪が、春の風にふわりと揺れる。空の青をそのまま溶かしたような瞳が、日陰に座り込む私を真っ直ぐに見つめていた。


特待生だけが着ることを許される、純白の清楚な神官服。



ルミナだ。


学園トップの成績を誇り、いずれ世界を救う『聖女』になると噂される天才優等生。


常に大勢の取り巻きに囲まれ、光のど真ん中を歩く彼女が、なぜこんな日陰にいるのか。



「……私に何か用?」



警戒心から、つい声が低くなる。同情か、それともからかいに来たのか。無意識に体を強張らせる私を気にする素振りも見せず、ルミナは小走りで駆け寄ってくると、私の目の前でしゃがみ込んだ。



「あなた、ノアさんよね? ずっと探していたの」


「探してた……? 私を?」


「ええ。これ、落としていたわよ」



ルミナが差し出したのは、私が図書室で借りていた、古い魔法陣の基礎理論の分厚い本だった。


さっき、同級生たちに「魔力もないのにこんな本読んでどうするの?」と取り上げられ、そのままどこかへ投げ捨てられてしまったものだ。



「土で汚れちゃっていたから、少し拭いておいたわ。……すごく綺麗に読んでいるのね。付箋もいっぱいで、ノアさんがどれだけ一生懸命勉強しているか、伝わってきたわ」



ルミナはふわりと、春の陽だまりのように笑った。


その笑顔に向けられた、一切の裏表がない純粋な好意に、私は戸惑いを隠せなかった。



「……ありがとう。でも、無駄な努力だよ。魔法陣の理論をいくら完璧に暗記したところで、私にはそれを起動する魔力が一滴もないんだから。ただの、出来損ないだよ」



自嘲気味に笑い、本を受け取ろうと手を伸ばした時。


ルミナの青い瞳が、ハッと見開かれた。



「ノアさん、その手……!」



私の手の甲には、同級生に本を奪われた時についた、擦り傷のような赤い切り傷があった。大した怪我じゃない。こんなもの、いつものことだ。



「あ、これ? 平気、すぐ治るか……」


「ダメよ、ばい菌が入っちゃうわ」



私が手を引っ込めるより早く、ルミナの白く細い手が、私の傷ついた手をそっと包み込んだ。


途端に、彼女の手のひらから淡い緑色の光――治癒魔法の光が溢れ出す。



――温かい。



それは、私にとって生まれて初めて触れる『魔法』の温もりだった。


他人の魔法は、いつも私を傷つけるものか、私を突き放すものだった。けれど、ルミナの光は違った。春の陽だまりのように優しく、私の傷だけでなく、冷え切っていた心の奥底までじんわりと溶かしていくような、そんな絶対的な安心感があった。



数秒後、光が収まると、手の甲の傷は跡形もなく消え去っていた。



「……どう? 痛くない?」


「うん……痛くない。すごいね、さすが未来の聖女様だ」


「ふふ、聖女なんて大げさよ。私はただ、目の前で痛い思いをしている人を、放っておけないだけ」



ルミナは少し照れくさそうに笑って、私の隣、土で汚れるのも構わずにペタンと座り込んだ。



「ねえ、ノアさん。私、あなたのことすごいなって思っていたの」


「……からかってるの?」


「ううん、本気よ。実技の授業でみんなに笑われても、あなたは絶対に目を逸らさない。誰よりも真剣に、魔法の構造を観察している。魔力がないからって腐らずに、自分にできる努力を静かに続けている。……私には、ノアさんの方がずっと強く見えるわ」



その言葉に、私は息を呑んだ。


誰も見ていないと思っていた。誰も、私のことなんて認めてくれないと思っていた。


でも、この光のように眩しい少女だけは、ずっと私を真正面から見てくれていたのだ。



「私、あなたのこと、もっと知りたいな。もしよかったら……これからお友達になってくれない?」



差し出された、白くて小さな手。


私は戸惑いながらも、恐る恐るその手を握り返した。



「……私なんかで、よければ」



それが、すべての始まりだった。


落ちこぼれの私と、天才聖女のルミナ。正反対の私たちは、あの日からずっと一緒に過ごすようになった。彼女といる時間は眩しくて、温かくて、私は生まれて初めて「明日が来るのが楽しみだ」と思えるようになった。



彼女は、何もない空っぽだった私に与えられた、たった一つの奇跡だった。



だからこそ――。


この数年後、彼女がその優しすぎる性格と『聖女』という運命のせいで、世界の悪意に晒され、私の目の前で無惨に命を散らすことになった時。


私は迷わず、世界を敵に回すことを決めたのだ。



例えこの先、何万回自らの首を掻き切り、数え切れないほどの血を吐くことになろうとも。


例え彼女に「最強最悪の敵」と憎悪され、あの日私を救ってくれたあの優しい光で、私自身を焼き尽くされる運命が待っていようとも。



この美しく純粋な始まりを守れるなら、私の命なんて、いくらだって投げ出してやる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ