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世界を滅ぼす大悪党と、世界を救う奇跡の聖女

王都から遠く離れた、見捨てられた荒野。

その中央にそびえ立つ、巨大な時計塔を備えた『崩壊した神殿』。


冷たい夜風が吹き抜ける祭壇に腰掛け、私は手の中にある刃こぼれした小刀を、ボロ布で静かに磨いていた。


「……いよいよ、明日か」


あの日、学園の裏庭でルミナと出会う前まで時間を遡り、すべてを無かったことにしてから数年。

私は『大悪党ノア』として、教会の腐敗を暴き、他国の軍事施設を破壊し、魔王軍を脅迫して操り、世界中を恐怖のどん底に叩き落としてきた。


何回死んだ?

もう数えるのすら、一千万回を超えたあたりでやめた。

時間を巻き戻すための自害。敵の攻撃パターンを完全に脳髄に焼き付けるための死に覚え。

数千万回に及ぶ凄まじい血と吐瀉物、発狂するほどの激痛と引き換えに、私はたった一つの目的のために盤面を整え続けてきたのだ。


ルミナの命を狙うすべての悪意を、私という『絶対悪』に向けるために。


そして今日。私は世界中に向けて、最後にして最大の『招待状』をばら撒いた。


『明日の夜、崩壊した神殿にて、世界を滅ぼす大魔法を発動する。――大悪党ノア』


裏社会のギルド、教会の過激派、他国の暗殺部隊、そして……ルミナたち勇者パーティ。

私を憎み、私を殺そうと血眼になっている世界中のすべての勢力に、私の現在地と明確なタイムリミットを突きつけた。


明日の深夜0時。

それが、1周目の世界でルミナが暗殺者の刃に倒れ、世界のシステムが彼女の命を刈り取ろうとする運命のデッドライン。

どんなに私が裏で暗殺者を潰しても、世界そのものが『聖女』というバグを修正しようとする、避けられない死の壁。


なら、簡単なことだ。

明日の夜、この神殿に世界中の悪意と殺意をすべて呼び込み、私がそのど真ん中に立つ。

ルミナが死ぬ運命にある『深夜0時』の鐘が鳴り終わるまで、私がすべてのヘイトを自分に釘付けにして、彼女に向かうはずの刃を全部その身で受け止めればいいのだ。


「……っ、う……」


ふいに、全身の細胞が軋むような幻肢痛が走り、私は冷たい石の床にうずくまった。

数千万回の死の記憶が、脳髄を焼く。喉を斬り裂かれる感触、内臓が溶ける激痛、首を落とされる絶望。限界なんて、とうの昔に超えている。心が崩壊していないのが不思議なくらいだ。


私は震える手で懐から猛毒の小瓶を取り出し、月の光に透かした。


もし明日、盤面が崩れてルミナを守りきれなかったら。

もし、この『深夜0時』という運命の壁が、1時間や1日巻き戻した程度でどうにかなる代物ではなかったら。


「……その時は、また数千万回、この小刀で首を斬り続けるだけだ」


たとえこの数年間の準備がすべて無駄になろうとも。

またあの、ルミナと出会う前の学園時代まで遡り、一から盤面を作り直す。彼女が深夜0時を無事に越えられる未来にたどり着くまで、一億回でも、十億回でも、私は絶望の底へ飛び込んでやる。


「待っててね、ルミナ」


私は痛みを堪えて口角を上げ、誰もいない神殿で一人、狂気のように笑った。


* * *


同じ頃。

王都の宿屋の一室で、ルミナたち勇者パーティは、ノアから届いた招待状を前に、重い沈黙に包まれていた。


「……ついに、決着の時だな。明日、あの神殿でノアの大魔法が完成すれば、世界は終わる」

「ええ。絶対に止めなきゃいけないわ。私たちの、すべての力を懸けて」


レクトが剣の柄を固く握りしめ、エレンが杖を見つめて頷く。

二人とも、幾多の死線を越え、かつての学園時代とは比べ物にならないほど強力な戦士へと成長していた。すべては、世界を脅かす大悪党を倒すために。


だが、テーブルの前に座るルミナだけは、青い瞳を伏せ、祈るように両手を握りしめていた。


「ルミナ? 大丈夫か、顔色が悪いぞ」


レクトの気遣う声に、ルミナは静かに首を振った。


「ううん、大丈夫よ。……ただ、少しだけ考えていたの。大悪党ノアのこと」


ルミナにとって、ノアという存在は『ある日突然大聖堂に現れ、大司教を惨殺して世界を恐怖に陥れた正体不明の化け物』でしかない。

彼女との学園での温かい思い出など、最初から存在しないのだから。


「考える必要なんてないわ! あの女は、罪のない人々を広場で磔にしたり、魔王軍を操ったりする正真正銘の悪魔よ!」

「エレンの言う通りだ。あいつのせいで、世界中がどれだけ怯えているか……」


「……ええ、分かっているわ。彼女のやったことは絶対に許されることじゃない」


ルミナは胸元の銀の十字架を強く握りしめた。

それでも、彼女の脳裏には、大聖堂で初めて対峙した時や、国境の街で残された血文字を見た時に感じた、奇妙な違和感が拭えずにいた。


人を嘲笑い、残酷な言葉を吐くあの黒髪の少女の瞳の奥。

そこにはいつも、凍りつくような冷たさと同時に、血を吐くような『深い悲しみ』と『孤独』が沈んでいるように見えたのだ。

それに、彼女がこれまでに壊してきた施設や組織……どれも、教会の裏金作りや、非合法な人体実験に関わっていたような、黒い噂のある場所ばかりだったという事実に、ルミナの鋭い観察眼は気づき始めていた。


「(……どうして、あんなに泣きそうな目をしているの?)」


悪逆非道な振る舞いの裏で、彼女は一体何を一人で抱え込んでいるのか。

記憶なんてないはずなのに、なぜかルミナの魂の奥底が、ノアの存在を強烈に気にかけて、放っておけないと叫んでいる。


「……明日」


ルミナは、窓の外に浮かぶ月を見上げた。


「明日、必ず彼女を止めるわ。そして……もし彼女が、誰にも言えない深い闇に囚われて泣いているのなら。私が、彼女のその手を引いてみせる」


親友としての記憶はない。

それでも『聖女』としての純粋な慈愛と、理屈を超えた魂の引力が、ルミナにそう決意させていた。


世界を滅ぼす最強最悪の大悪党と、世界を救う奇跡の聖女。

本当は誰よりも互いを想い合い、互いを救おうとしている二人の少女は、同じ月を見上げながら、決して交わることのない悲壮な決意を固めていた。


すべては、明日の夜。

数千万回の死と狂気が収束する、崩壊した神殿にて。

運命の『深夜0時』を巡る、地獄のような最終決戦の幕が、静かに上がろうとしていた。

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