爽やかな旅立ちと、狂気のお掃除
「――これより、王立特務勇者パーティに対し、世界を未曽有の恐怖に陥れる『大悪党ノア』の討伐、および身柄の確保を最優先任務として発令する」
王都の大聖堂。威厳ある枢機卿の声が、厳かに響き渡った。
祭壇の前に整列するのは、聖女ルミナ、レクト、エレン。かつて学園のエリートと謳われた彼らは、今や国と教会のすべての期待を背負った、希望の星だ。
「……はい。このルミナ、神のお導きに従い、必ずや大悪党を止め、世界に平和を取り戻してみせます」
ルミナが、真っ直ぐな青い瞳で決意を告げる。
あの大聖堂の惨劇から数年。彼女は『聖女』としての自覚を強め、その奇跡の力はかつてないほど高まっていた。
彼女の隣に立つレクトは、より洗練された騎士のオーラを放ち、エレンの杖からは膨大な魔力が渦巻いている。
彼らの目的は一つ。
世界中を蹂躙し、魔王軍すら利用してヘイトを集める、最強最悪の敵――『ノア』を討ち倒すことだ。
* * *
その数時間後。王都の正門前。
そこには、神妙な儀式の場とは打って変わって、ほのぼのとした空気が流れていた。
「レクト、荷物多すぎじゃない? 冒険に行くのよ、引っ越しじゃないんだから」
「うるさいな、エレン。これは全部、ルミナが旅先で困らないための予備だ! 聖女様に野宿なんてさせるわけにいかないだろ!」
「ふふっ。レクトさん、ありがとう。でも、私なら平気よ。二人と一緒なら、どこだって楽しいもの」
ルミナがふわりと笑うと、レクトとエレンの顔がパッと明るくなる。
彼らの旅立ちを祝うかのように、春の柔らかな風が吹き抜け、青空には白い雲がのんびりと浮かんでいた。
「さあ、行きましょう。まずは、大悪党の目撃情報があった東の国境沿いへ!」
「応! 俺たちの力で、必ずあのノアとかいう化け物の首を……」
「……レクトさん。できることなら、私は彼女と話がしたいわ。どうしてあんな悲しいことをするのか、理由を聞いて……もし許されるなら、彼女の心も癒してあげたい」
ルミナのその言葉に、レクトとエレンは少し困ったような顔をしながらも、優しく頷いた。
「ルミナは本当に優しいな。……分かった。俺も、隙があれば生け捕りを狙ってみる」
「ふん、ルミナがそう言うなら仕方ないわね。一発、特大の魔法をぶち込んで気絶させてあげるわ!」
「ありがとう、二人とも。……さあ、出発ね!」
希望に満ちた、笑顔溢れる旅立ち。
彼女たちが信じる『神』と『正義』を胸に、勇者パーティは爽やかに歩き始めた。
自分たちが向かう先が、私が数十万回の血と激痛で組み上げた、完璧な『地獄の舞台』だとも知らずに。
* * *
『――【死に覚え】三百五十二回目』
視界が暗転し、肺に湿ったカビの臭いと、鉄臭い血の匂いが流れ込んできた。
跳ね起きると同時に、私は懐の小刀を逆手に握り直し、床を蹴った。
ここは、東の国境沿いにある廃村の一角。
ルミナたちが向かってきている、その目的地だ。
「チッ……! 悪魔め、まだ起き上がるか! 【岩石の槍】!」
「逃がすか、化け物! 【影縫い】!」
闇の中から、他国の暗殺者や教会が雇った傭兵、私を倒して名を上げようとする野心家たちの攻撃が、四方八方から飛んでくる。
私という『絶対悪』の存在が巨大になればなるほど、世界中から湧いてくる殺意もまた、天井知らずに跳ね上がっていた。
「……ッ、右下! 十センチ!」
私は思考するより早く、過去の死の記憶に従って体を捻った。
かつて私の胴体を貫いた岩石の槍が、私の髪の毛数本をかすり通り過ぎる。
「なっ……読まれて――がはっ!」
影縫いの魔法を放った男の間合いの『内側』へ滑り込み、私は刃こぼれした小刀をその男の喉笛にそっと『置いた』。
男が自らの勢いで突っ込み、頸動脈が裂ける。
「キサマ……なぜ、我々の完璧な連携を……ッ!」
最後の生き残り、他国の特殊工作員が、恐怖で顔を引きつらせながら後ずさる。
「連携? ……ああ、三百回前に見たよ。あんたは必ず、連携の最後に左の隠し腕から毒針を撃つよね」
「……っ、ヒィッ!」
秘密を知られた男が絶望に目を見開いたその瞬間、私はその首筋に小刀を滑らせ、口封じを終わらせた。
三百五十二回目の戦闘、完了。
私は血の海と化した廃村の真ん中で、短く息を吐き出した。
そして、倒れ伏した工作員のリーダー格の懐を探り、厳重に封をされた一通の羊皮紙を引きずり出した。
『――聖女暗殺計画書』
パラパラと目を通した私は、そこに記された内容と、計画が立案された日付、そして首謀者の名前を確認した。
教会の残党と他国の過激派が手を組み、ルミナがこの東の国境沿いに到着したタイミングを狙って結界に閉じ込め、毒殺する……という、緻密な計画。
「……はぁ」
私は、心底うんざりしたように、長いため息をついた。
暗殺者たちは今ここで全員皆殺しにした。この羊皮紙を燃やしてしまえば、この計画が実行されることはもうない。普通なら、これで「ルミナを守れた」と安心する場面だろう。
けれど、私の目指す未来はそんなに甘くない。
「ルミナを殺す計画書が、この世に存在してしまった。……私のミスだ」
私は羊皮紙を無造作に放り捨てた。
誰かの頭の中に「ルミナを殺そう」という意思が芽生え、それが『計画』として書面に書き起こされた。その事実が存在する時点で、私の作っている盤面は完全に汚れている。
「日付は……二週間前か。首謀者は西の塔に隠れてる残党の司祭」
私は内容と顔ぶれを脳髄に完璧に叩き込むと、何でもないことのように、懐から悪趣味な猛毒の小瓶を取り出した。
二週間。約三百三十時間の巻き戻し。
つまり、ここからさらに三百三十回の連続自害を繰り返し、この計画が『立案される前』の会議室まで遡って、元凶の首を落としてこなければならない。
「ルミナを狙う計画なんて、一文字だってこの世に存在させない」
迷いなく毒を飲み干す。
「ッ、ァ、ああああああああっ!!」
煮えたぎる鉄を飲まされたような激痛。内臓が溶け出し、全身の神経が引き千切られる。
私は血の泡を吹き、もがき苦しみながら、刃こぼれした小刀を自らの喉元に突き立てた。
この計画が生まれる前に戻る。
そうすれば、彼女が狙われるという未来そのものが、最初から『無かったこと』になる。
ブチッ、と肉を裂く音。
意識が暗転する。
目覚める。毒を飲む。首を斬る。
目覚める。毒を飲む。腹を裂く。
ルミナたちが、希望に満ちた笑顔で爽やかな旅立ちの空を見上げている頃。
私は冷たい泥と血の海の中で、狂気と激痛にまみれながら、彼女の世界を無菌状態に保つための『お掃除』を、ただ黙々と繰り返していたのだった。




