始まりの光と、癒えない傷
崩壊する神殿の中、私は血と煤にまみれた黒髪のポニーテールを揺らし、刃こぼれした小刀を構えて笑ってみせた。
「さあ、おいでよ聖女様。世界で一番の悪党は、ここだよ」
私の目の前に立つのは、透き通るような銀髪をなびかせた世界一の聖女、ルミナ。
彼女の背後には、傷つきながらも私に殺意を向けるかつての仲間たちが立ち並んでいる。かつて共に笑い合った彼らの瞳に、今や私への憎悪しか宿っていない。それでいい。私が望み、数万回の死の果てに組み上げた盤面だ。
「大悪党ノア……あなたの悪逆非道、ここで終わらせます!」
ルミナが杖を構え、眩い浄化の光が神殿を包み込む。
その凛とした青い瞳から、なぜか一筋の涙がこぼれ落ちたのを、私は見逃さなかった。記憶なんてないはずなのに、彼女の魂が、私が繰り返してきた痛みに反応しているのだろうか。
私は小刀を下ろし、ただ一人愛した親友が放つ、温かくて残酷な光に身を委ねた。
細胞の底から焼き尽くされるような激痛が全身を駆け巡る。声にならない絶叫が喉の奥で爆ぜた。
だが、肉体が崩壊していくその刹那。私の視界の端で「それ」が動いた。
背後の瓦礫の影から音もなく滑り出た、どす黒い靄のような暗殺者の刃。
大破した時計塔の針は、無情にも『23時55分』を指している。
――ああ、まただ。
「ルミナ、うし……ろ……っ!」
灰になりゆく喉から絞り出した警告は、浄化の光の轟音に掻き消された。
私の体が完全に光の粒子に変わる直前、無防備なルミナの細い背中を、世界の悪意そのものである凶刃が深々と貫くのが見えた。
彼女の口から零れた赤い飛沫が、スローモーションのように宙を舞う。
ダメだ。足りない。まだヘイトが足りない。もっと、もっと私にすべての悪意を集中させなければ、深夜0時の運命の壁は越えられない。
ルミナを失う絶望で、心臓が凍りつく。私を焼く聖なる光の痛みなど、彼女が死ぬ光景に比べれば児戯に等しかった。
世界のシステムは、最初から最後までルミナの命ただ一つを狙っている。
なら、次に私が立つべき場所は――ルミナの背後。
あの暗殺者の凶刃を、私が後ろからその身に受けるしかないのだ。
(次だ……次こそは、絶対に……!)
暗転。
意識が深い深い泥の底へと沈み込み、そして、強烈な吐き気とともに弾け飛ぶ。
* * *
「……っ、かはっ……!」
肺に無理やり空気を押し込み、私は冷たい床の上でむせ返った。
ここは、神殿でも時計塔でもない。王立魔法学園の裏庭にある、古びた温室。
数万回に及ぶ果てしない自害を乗り越え、ようやくこの学園時代に帰還した直後のことだ。
自分の首元や腕をかきむしるように触れる。刃こぼれした小刀で何度も掻き切った感触も、熱い血の匂いもない。死に戻りをした私の肉体は完全にリセットされ、傷一つない元の状態に戻っていた。
だが、記憶だけは鮮明に引き継がれる。魂にこびりついた数万回分の『死の激痛』と強烈な幻肢痛が、私を内側から食い破ろうとしていた。
「ひゅ、はぁっ……あ……っ」
「ノア……っ! 顔色が真っ青よ、どうしたの!?」
温室の扉が開き、駆け寄ってきたのは愛しい親友であるルミナだった。
彼女は床で震える私を見て蒼白になり、その白く細い手を私に伸ばす。そして、彼女の手から淡い緑色の光――治癒魔法の光が溢れ出した。
その瞬間だった。
「――ッ!! や、やめろ……っ!! 触るな!!」
私は弾かれたようにルミナの手を振り払い、床に尻餅をつきながら後ずさった。
ガチガチと歯の根が合わなくなる。目の前の優しい緑の光が、私の脳髄に焼き付いた「最悪の記憶」をフラッシュバックさせていた。
あれは、何千回目かのループの時。
時間を遡るため、私は自らの首の動脈を斬り裂いた。だが、刃の入りが浅く、自害に失敗したのだ。
激痛と窒息にのたうち回り、血の海で溺れる私を、運悪く通りかかった善意の治癒術師が見つけてしまった。
『大丈夫だ、死なせない!』
死ななければ時間を遡れないのに。途切れた血管と肉体が治癒魔法で強制的に縫い合わされ、だが致死量の出血は止まらず、また体が壊れていく。生と死の狭間で、窒息と激痛だけが延々と続く地獄の責め苦。
あの時、狂いそうなほどの苦痛の中で私を照らし続けていたのが、この緑色の光だった。
死の痛みには耐えられる。だが、死に損なった肉体を無理やり回復魔法で生かされるあの地獄だけは、本能が完全に拒絶していた。
「ご、ごめんなさい! ノア、どうして……私、あなたを苦しめてしまったの……?」
過呼吸になりながら首を掻きむしる私を見て、ルミナはひどく傷ついたように自分の手を見つめた。
違う。ルミナが悪いんじゃない。私の心が壊れているだけだ。
そう言いたいのに、恐怖で喉が引きつって声が出ない。
「私……やっぱり未熟なのね。私の魔力が、ノアの体を拒絶させて苦しめているんだわ」
「ちが、う……」
「ごめんなさい、ノア。私、もっともっと修行するわ。こんな未熟な魔法じゃなくて……いつかあなたの心まで癒やせる、本当のヒーラーになるって誓うから」
真っ直ぐな青い瞳から、ポロポロと涙がこぼれ落ちる。
その優しすぎる誓いを聞いた瞬間、私の胸の奥で決定的な何かが壊れ、同時に冷たい覚悟が固まった。
ダメだ。これ以上、私が彼女の側にいてはいけない。
一緒にいればいるほど、彼女は私のために傷つき、世界のシステムは容赦なく彼女を『聖女』としての破滅へ導いていく。
彼女を守るには、私が彼女の最大の敵になるしかない。
もう二度と、彼女の手を絶望で汚させはしない。
彼女を縛る運命が敵だというなら、私が盤面を丸ごとひっくり返し、すべての憎悪を被る『大悪党』になってやる。
これは、最弱の凡人である私が、大好きな貴女のために「世界」に喧嘩を売り、最強最悪の敵へと至るまでの、長くて短い地獄の記録だ。




