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四、
岡の上に、シリウスは杖をついて立っていた。見た目の年齢からしたら杖が必要とは到底思えないが、他の用途があるのだと思えた。
シリウスは遠くを見たまま、その杖をふと頭上へと振り上げ、杖の先を追いかけるように空を眺めた。
一体何を考えているのか……彼の横へと跪いているアーナンダは発せられる言葉を待っていた。そんな二人が先ほど脳に直接感じたものはお互い同じものであった。自分たちに共鳴する一つの音、それが地上から消えた。そして消えたということは……。
その答えをシリウスは空気に共鳴させた。
「使徒の一つが消えたようだな」
「そのようですね」
シリウスは自分たちと同じ音を奏でる者を失ったことを、同じように悟ったアーナンダを見ることもなく、杖を下ろし力強く地上へと突き刺した。
「一二人いた使徒は、残り八人になったという事か」
「はい、そのうち消息がわからない者があと二人……」
「まあいずれ運命に導かれ、音は聞こえてくるだろう。
それにしてもなぜ自分たちのような存在がこの世に生まれてきたのか……」
そんな思いもある中、シリウスは自らの生い立ちについて考えていた。
幼い頃から不思議な感覚を持ち、他人よりも様々な能力が高く、神童と呼ばれることも多くあった。学力だけではなく、運動能力も高く、将来は何をやっても安泰と思われたほどであった。
しかし彼が生まれた国で、そんな未来を描くことは容易にはできなかった。
政府軍と反政府軍との内戦が続き、大国までもが自分たちの利益のために争いへと参加してきた。その中で彼は武器を手に取ることしか選択の余地はなかった。
それは四年前、シリウスが二〇歳の時であった。
目の前で多くの人間の死を経験したが、自らが死ぬという事など考えられなかった。
爆発、銃撃なども感覚で避けられてしまうシリウスは、仲間の死を見ているうちに、自らが何をこの世で成し遂げなければならないのかを、いつの間にか考えるようになっていた。
生と死、現実と幻想、退化と進化、様々な対立軸における物事が彼の頭の中を巡っていった。
そして彼はありのままの自分を受け入れること……それだけへと行きついた。いや自分のみならず、全てのこの地球上の者が、今のままであることが良いと思えたのだった。人々が自らの思いで動き、自らが成し遂げたい事をなす。それこそが本来の人間の、動物の生きる姿ではないかと……。
シリウスはそこから、自らを求めるために国を離れ、世界各地を回る旅へと出発した。自らを求めることは、ただ我欲に走るものではない。そんな気持ちを持てたのは戦闘を経験したからだ。
そして深い山の山頂を目指す途中の山道で、アーナンダと出逢った。
「何かを探し歩いているのですか」
山道を歩くシリウスの前方に、禅を組んで座り込んでいる中年の男がアーナンダであった。目を閉じたままなのにシリウスの存在に気付いたアーナンダは、無言で歩く彼へと声をかけた。
「特に何かを探しているわけではない。ただ地球を見て歩いているだけだ」
シリウスはアーナンダに目もくれず、一言だけ答えるとその横を通り越し、再び山道を歩いた。歩き疲れという事を感じず、ただただ海抜から離れるだけの作業であった。まだまだ先がある。そう思い歩くシリウスは不思議な光景を見ることになった。
先ほど地面に禅を組んでいたアーナンダが、再び目の前に現れたのだ。
歩いてきた一本道に座るアーナンダは動く気配などはなかったし、追い抜かれた記憶などもない。それなのにシリウスの前に再び存在しているのだ。一体何が起きているのかわからないが、なるべく平常心を保つようにシリウスはアーナンダの存在を眼に入れた。
「一体、あなたは何を求めているのですか」
アーナンダはなるべく平常心を保とうとしているシリウスを、見上げることもせず、再び問いかけてきた。
「特に何を求めているわけではない。
ただ現在の地球、そのものがそのままで存在していることを確認しているのだ」
シリウスは再び目の前に現れた名も知らない男も、そのままで存在している状態でよいと、何も変わる必要性はないと思っていた。自らはだれの存在も否定する気はない。存在する者、全ての物がそのままであるべきだと思っているからだ。
同じような質問をされたのならば、同じように答えればよい。それ以上でもそれ以下でもない。その程度の考えだけであった。
「あなたは、現在の地球の現状を、すべて受け入れるべきと……」
アーナンダは静かに問いかけた。
「この世には自らが抗えない世界が存在している。
自分自身の向上はあったとしても、それを使える状態が整備されなければ、それはそのまま受け入れるしかない。現在だけを肯定していけばいい」
「この世界を尊重しているからこそ言える言葉なのですか」
「さあ、そこまで崇高な思いはない。
ただどこから人間が来て、どこへ行こうとも、人間は人間のままだし、存在が受け入れられず、滅びるのであれば、それはそれを受け入れればいい。それしか考えていない」
なぜこの男に自らの思いを答えているのか、シリウスは無視してもいいのではないかと思いながらも、答えてしまっていた。だがそんな自らをも肯定した。それがシリウスとしての地球上においての考えであった。
「知っていますか、人間の能力が一定ではないことを」
ふと今までと異なる質問がくるが、動揺することなくシリウスは質問に対して、自らの頭で考えた事だけを答えた。
「それは他の動物も一緒だろう」
「そうですね、ただ人間以外の動物はある程度の枠の中での力の差しか存在しない。
それなのに人間は枠を超えた能力差がある」
アーナンダの刺すような視線を感じるが、シリウスが確認してもその眼は閉じられたままであった。なぜか惹かれる……そんな感覚だけが、辺りの空気から湿度を取り除いているようで、そして研ぎ澄まされているようにも思えた。
「個人差の事ならば、それは仕方のない事なのだろう。他の動物に比べて人間は進化が早すぎた」
「そう、その進化の速さはなぜ生まれたのだと思いますか」
「なぜ……さあ、それは私にはわからないな」
あるがままを受け入れてきたシリウスは、そんな事を考える気はなかった。それは仕方のない事なのだと……。
「そうでしょうね。ではなぜ人間がこの地球上に現れたのか」
「さあ、それも私たちが考えることでないのだろう。
ただ存在があり、存在したからにはそれを受け入れるしかない。
それ以上でも、それ以下でも……」
シリウスは抑揚なく、淡々と答えた。それに対してアーナンダは、不思議な事を言い始めた。
「創生者は我々人間どころか、動物や植物さえも生み出すつもりなどなかったのですよ」
「創生者……私はそんな存在を信じてはいない」
この地球を作った者、シリウスは何も考えることなく、ただただ存在を作った者がいるなど信じる気はなかった。誰が何をしたなどはどうでもよい、現状を受け入れるだけ、シリウスからしたらそれだけであった。
「信じてない」
「ああ、そんな曖昧な存在は私にとってはどうでもいいこと。
私は今のままの自分を受け入れ、その中で生きていくことだけでいいのだ」
「では、今の存在しているあなたが、人間が消えるとしたらどう思いますか」
「消える……人間が消えるというのか、そんなおかしな話を信じることなどできる訳がないだろう。実際にこうやって人間は存在しているのだから……。
まあここから何百年、何千年の間に消えることはあるかもしれないだろうが……」
シリウスは莫迦な話だと、少しだけ呆れるような表情を見せた。
だがアーナンダは、それを無視するように言葉を続けた。
「創生者は、四六億年前に地球を作った。
地球創生のプログラムは能力がない創生者によって生み出されたのだ。
その能力の無さから、いつからかバグを生じることとなった」
「私はその創生者なる存在を認めていない。
認めていない存在の話を私にしても何も考えることはない」
シリウスはアーナンダの言葉には答えず、彼の前から去るために、足を前方へ踏み出そうとした。だがその足が不思議と上がることはなかった。
自分の身体が麻痺している。これは神経に問題がある。そんな自分の身体に問いかけるように、シリウスは身体に起きている不具合を見つけようとした。
「動けないでしょう」
予言者のようにアーナンダはシリウスの身体の状態を悟り、そして語った。なぜそのようなことがわかったのか……シリウスははじめて疑うような目でアーナンダを見ることしかできなかった。
アーナンダは座ったまま、淡々と話を続けた。
「創生者は、自らの能力を見誤ってこの地球の創生をしたのです。だからこそバグが生まれた。そしてそのバグを直す能力ももちろん持ち合わせていなかった。
そしてそのバグの修正がなされないまま、時間は過ぎていった。
それによりいつの間にか意図していなかった動物が生まれ、人間という思いもよらない動物が存在することに繋がったのです」
シリウスは怪しいアーナンダの言葉に反論することなく、その戯言のような語りを耳にいれることしかできなかった。そんなシリウスに臆することなく、アーナンダは更に言葉を続けた。
「やがて、創生者が思っていないスピードで人間は進化していきました。
他の動物に類を見ない、それは最後に出来上がってしまった人間だからこそ、バグの影響を大きく受けた事によるものでした。
人間という存在の中に産まれた天才とは、能力のない創生者が組み違えて、更に生まれたバグによる過剰能力の状態だったのですよ。
そこに目を付けた創生者は自分の想像した世界を再構築するために、修正者という存在を作り出そうとしているのです。
それはありのままの自分を受け入れようとするあなたの思いに反するものでしょう」
強いアーナンダの視線をシリウスは肌で感じ取っていた。その目に吸い込まれるように怯んでいるシリウスは、アーナンダの力の影響を受けていない状態であったとしても、動けない自分がいることもわかっているつもりであった。
「では私のような考えでは、その創生者とやらの思いを受けることはできないという事か」
「その通り、だがその修正者を消去すれば、現状の世界が保たれることになる」
「消すことができれば、だろう。
創生者に与えられた能力を持った者たちを消すことができる存在なんていると思うか……というよりも私は先ほども言ったように創生者とやらの存在を信じてはいない。だから修正者という存在もあり得ないと思っている」
自らの身体が動かない原因がわからないまま、シリウスはきっぱりとアーナンダへと言った。
「創生者は存在している。それはあなたも感じているはずですよ」
アーナンダの瞳が大きくシリウスを包み込みようであった。それを受けてシリウスの心臓の鼓動は早くなり、自分の存在が地球全体を包み込むような錯覚を覚えた。
宇宙空間から、青き星を見ているような、ゾワゾワするような感覚が、頭部の感覚を浮かび上がらせた。全てが、現実の世界で起きていることなのか、それとも夢遊を散歩しているだけなのか……。シリウスは自らの存在がわからなくなっていた。それはありのままの自分だけを受け入れてきたシリウスの思考を悩ませるものであった。
バグを修正させてはならない。全てが現状のままで、未来へと突き進むように、自分たちの存在が肯定されるようでなくてはならない。夢遊の中で、地球がシリウスに向けて囁いてくる感覚を全身で受けた。現状を受け入れてきたシリウスだからこそ、その言葉がすんなりと府に落ちる気がしていた。
シリウスの頭の中に様々な思考が沸き上がってきた。それは自分では考えられないように膨らみ、自らの全身を覆うようであった。
バチン……。
ブレーカーの中のヒューズが弾け飛ぶような、落雷に打たれたような感覚を覚え、シリウスは意識を失った。そのまま引力に引き寄せられるように地面へと倒れようとするシリウスを、アーナンダは両手でしっかりと受け止めた。
「シリウス様、これがあなたの目覚めになるのですよ」
アーナンダは目を閉じ、脱力したシリウスへ、そっと両親のような眼差しを向けて話しかけた。だがシリウスの意識が戻ることなどもなく、それに反応することはなかった。
シリウスはアーナンダとの出会いをふと思い出していた。そしてなぜ自分たちのような存在が生まれてきたのかを考えた。だがその答えはもう出ているのであった。だからそれを今、追求することはしなかった。
「アーナンダ、残りの使徒は見つかりそうなのか」
シリウスの問いにアーナンダではなく、そっと近づいてきた女が答えた。
「シリウス様、残りの二人の使徒ですが、一人がチベット、そしてもう一人が日本にいることが判明した」
シリウスは後方から話しかけてくる女に振り向くこともせずに、一人納得するように頷いてから、瞳を閉じ言葉を出した。
「チャン、マリンガ、フレイジャーは一緒じゃなかったのか」
「彼らは新たな修正者の出現を知りそちらへと向かいました」
「そうか、使徒だけでなく、修正者たちも見つかったか……。
私たちのような特殊なバグを持った人間たちの全てがこれで出そろったことになるのだな」
「はい、それによって地球という存在を賭けた戦いの終焉が近づいてきているという証拠でしょう」
アーナンダが先ほどからシリウスと問答をしているジャックリーンに並ぶようにして立ち上がり答えた。
「アーナンダ、お前と出逢ってから、長かったのか短かったのか……。
それはわからないが、これで最後の審判が近づいてきているということなのだな」
「はい、あの時あなたの存在に気が付いてから、創生者が作り出した一二月三一日が終わりに近づこうとしています」
シリウスは空を見上げた。そこには強い力がこもっているように思えた。
「一二月三一日か、この存在を伸ばすのか、それとも終えるのか……」
シリウスは修正者と使徒のどちらも、創生者が作り出した存在であることは理解していた。
能力が及ばない創生者が一体どちらに運命を託すのか、それすら理解できない中で、良し悪しではなく、ただ自分たちの存在を賭ける事しかできないという、自らの存在の大きさに、ある種の苛立ちを覚えた。
警察署の取調室の中で、椛島は椅子に座り刑事と向かいあっていた。
「じゃあ宝田百合さんの殺害は認めるな」
威圧すると問題になるのだろう、だからという訳ではないが、刑事はゆっくりとした口調で椛島に問いかけた。
「ああ」
無表情で椛島は答えた。淡々と語る椛島の不気味なヘビのような視線が、刑事は刺さるような気がしてならず、一瞬目をそむけた。だが聞かなければならないことはまだまだあるのだ。車の窃盗、別荘への住居侵入……そして殺害動機である。
「なぜ百合さんを殺害したんだ」
捜査の中で椛島と宝田百合の接点は、今までの人生の中では一度だけであった。それは椛島の供述によれば、駅ですれ違っただけである。それを考えると無差別という話で済ますこともできるかもしれないが、それを聞き取るのが警察の役目だと考えていた。
「あなたたちにはわからないですよ」
「わからないというのはどういうことだ」
誤魔化そうとしているのか……刑事はそう思った。
椛島は自分たちの存在、使徒という物が、刑事に理解できるとは思えなかった。
「私は、現状の世界を維持するために、宝田百合と対峙するしかなかったのですよ」
「現状の世界だと」
刑事は椛島が何を言っているのか、皆目見当がつかなかった。本気でそんな話をするのであれば、椛島は妄想に取り憑かれているとしか考えられない。そうだとしたら精神鑑定が必要になってくる。不思議そうな視線を向ける刑事に、やはりわからないだろう……椛島はそう思い、無表情で答えた。
「だからあなた方にはわからない話なのですよ」
狂言を言って罪を逃れようとしているのか、それとも本当に椛島の精神は錯乱しているのか……数日の取り調べでも同じようなことしか話さない椛島に、刑事は手を焼いていた。
その取調の内容を聞いた峰と今泉は、宝田家へと向かっていた。
「椛島が言っている事をまともに聞く刑事がいますかね」
今泉が峰の周りをうるさそうに歩きながら問いかけてきた。
「まあいないだろうな」
峰もそう思わざるを得なかった。自分たちが見た椛島という男も、薫の家にあった浮遊石という石の存在も、そして二人の対決の際に自分たちの身体が動かなくなったことも、誰に話したところで現場にいた自分たちでなければ理解をすることなどできない。いや目撃をした自分であっても、夢か妄想であったのではないかと峰は疑うばかりであった。
だがあの時動けなくなった感覚などは、しっかりと身体に刻まれている。それ以降、身体に影響はないのだが、今泉もあの時の感覚は覚えているという。
「とりあえず、窃盗、不法侵入、殺人で起訴する以外ないだろう。
だがあの様子じゃ精神鑑定に回される可能性もあるだろうな」
「全くです。でも椛島が言っていた修正者とか使徒とか、いったい何なんでしょうか」
「さあな、俺たちの次元ではわからないだろうな。
もしかしたら本人たちですら理解は及ばないのだろう」
そんな話をしている間に、二人は宝田家へと着いていた。ここまで来ると自分たちの問いなどは、もうどうでも良かった。実際には殺害された宝田百合という存在がいた、ということしか事実は残らないのだから、そんな思いを観念するような表情へと押し込み、峰は呼鈴を押した。
二人が立つ玄関の扉を開けたのは村木であった。
「村木さん、いらしていたのですか」
「ええ、お兄さんからお二人が椛島の取り調べの状況を説明にいらっしゃると聞いていたものですから」
そんな答えをする村木に案内されて二人は居間へと通された。そこには未だに納骨されていない白い骨壺が、百合の写真と共に存在していた。峰が百合に向かい手を合わせると今泉もそれに続いた。
椅子に腰かけていた薫は二人が現れると立ち上がり、会釈をして二人を椅子へと招いた。村木も同じように二人に椅子を進めると、薫の横へと座り、四人は向かい合った。
「取り調べをしている刑事は、椛島がまるで夢物語を語るような事をばかり言っているようだと言っていました。
ただ百合さんの殺害については認めているようです」
峰が淡々と現状について語った。
「そうですか」
薫は一言だけ答えると百合の遺影を一瞬目にしてから村木を見た。確かに妹を失った自分も辛い気持ちであるが、自分とは異なる立場、婚約者を失った村木も同じような気持ちを胸に抱えていると想像がついた。
「夢物語ですか、まああの光景を見ていない人からしたらそんな話は妄想としかとらえられない事ですよね。修正者とか使徒とか、さっぱり私にはわかりませんから……。
ただ地球の存在がどうこうとかいうと、なぜそんな壮大な物事に百合が関わらなければならなかったのか、どうして違う人ではいけなかったのか……。
運命などというものを、もしも作った人がいるとしたら、そのほうが許せなくなってしまいますよ」
村木はそれだけを言うと唇を強くかみしめることしかできなかった。続くように口を開いた薫の言葉には、覚悟が込められていた。
「村木君が言うように、俺も何に巻き込まれているのかさっぱりわからないが、百合の件も一段落したことだし、ウインザーの元へと俺は行ってみるよ」
「あのホログラムの外国人のところへ、ですか」、
思わず今泉が反応した。薫は今泉だけではなく村木、峰の顔を、強い視線で見渡して、自ら納得するように頷いた。
「百合と俺が、なぜ修正者として存在しなければならなかったのか……。
そしてその修正者としての行動が地球にどのような影響を与えることになるのか……」
力強い眼を閉じながら、薫は言った。その言葉に誰一人、反論することはなかった。
「宝田さん、私たちには力の及ばない問題です。いや力どころか頭すら追いついていない事です。ただ険しい道が待っているという事は理解できます。
くれぐれも気をつけて行ってきてください」
峰はそう言うと力強い眼差しで薫を見た。それに対して薫は思わず頬を緩めて語った。
「はい、帰ってきたら百合の納骨もしなければならないですし、ちゃんとここに帰って来ることをみなさんに誓いますよ」
その薫の言葉通りに、帰ってきて百合の遺骨を一緒に納骨できるように、村木は強く願っていた。
「椛島の行く末がどうなるかも見ないといけないですしね」
今泉は重たい空気を払拭しようとして言ったが、峰はもっと重くなるのではないかという心配を胸に抱いた。だが薫はそんな事は気にしなかった。
「椛島のことはもうどうでもいいですよ」
「でも百合さんを殺害した犯人ですよ」
「先ほどの話しの通り、妄想で片付けられて、精神病院に入れられるのが関の山でしょう。使徒と修正者の関係で殺したなんて誰が信じるんですか」
薫は自分が置かれている使命と共に、椛島が背負った使命にも、どこか共感する思いがあった。
「まあ確かに……」
今泉は今になってどうしようもない質問をしたと恥ずかしい思いであった。
「まあ椛島のことは私がちゃんと最後まで見て、お兄さんに報告しますよ」
村木が話を閉めるように言い、覚悟をした眼で薫を見た。薫はそれをしっかりと受け止めた。
「村木君、ありがとう。
百合の件が一段落したら、ぜひとも次の婚約者を見つけてくれよな」
「何を言っているんですか……」
村木がそれ以上続けようとする薫の言葉を遮った。殺されたばかりの婚約者の、百合の事を一瞬で忘れることなどできるはずがない。そんな事は薫もわかっている事であった。だが村木にはこれから先、長い人生が待っている。百合も村木が自分をずっと思うことを願っているわけではないだろう、と薫は考えていた。
「もう百合はいない。自分の人生を生きるためにもそうしてもらえると俺はありがたいよ。
その結婚式にはぜひとも俺も呼んでくれよ」
薫は笑顔を村木に向けると、百合の遺影に向き合った。そして心の中で、これでいいんだよなと、自問自答した。
薫は立ち上がると、百合の遺影の横に置かれている浮遊石を手に取った。これから修正者として、使徒という敵と戦わなければならない。なぜ自分に、元々は百合にではあるが、修正者という命を課せられたのかはわからない。ただ今はその使命を背負わなければならない。一つの戦いを終結に向かわせるためにも戦わなければならないのだと、自らの胸に言い聞かせた。
「峰さん、今泉さん、今までありがとうございました」
深く頭を下げる薫に続くように、峰たちは頭を下げた。
そして薫は百合の遺影のそばに置かれていた鍵を村木へと投げた。村木はいきなり飛んできた鍵をギリギリのところで受け取った。
「しばらく家に帰ってこないからな。たまには線香でも上げにきてくれよ」
「いいんですか」
村木は手の中に入っている鍵と薫を見た。
「ああ、俺が帰って来るまでに百合のことは吹っ切ってくれよ」
「そんな、逆に忘れられなくなるじゃないですか」
「そうか……まあ俺が帰って来るまで」
「わかりました」
薫は渋々であるが鍵を受け取ることを了承してくれた義理の弟になるはずであった村木の手を強く握った。そして微笑んで
「ありがとう」
という言葉を送った。
翌日、薫は誰に見送られるわけでもなく、始発電車に乗るために駅へと向かっていた。
今まで通勤で散々歩いてきた道であった。だが今までとは違う気持ちで通る道は、いつもと同じようなものには、到底思えなかった。
ふとその途中で立ち止まった薫は、辺りを見渡した。
この辺りで百合が椛島に拉致されたとされる場所であった。そう思うと、戦うという気持ちは使徒という存在ではなく、椛島に向いてしまいそうになった。だが椛島は使徒としての能力を失い、取り調べではただの虚言癖の男と思われているだけなのだ。薫は椛島の存在を何とか忘れようと考えた。
運命にもてあそばれるように百合がなくなった。だがいくら百合の命を奪った椛島と戦おうとしても、拘置所に入っている今は、何もできることはなかった。それを思えば気持ちはその先にある使徒との闘いに切り替えなければならなかった。
大きくため息をつくと、薫はもう前を見る事しかできなかった。
今はウインザーの元へと向かう。それしかないのだ。
薫は歩を進め、駅へと向かって再び歩きはじめた。
とある高台にある屋敷の大広間にウインザーとジョフレはいた。二人はこれからこの場所へと訪れる訪問者を待っているのであった。
「ウインザー、薫はどこからやってくるんだ」
「今ロメロが物質転送の準備をはずだ。場所は確か、奥州、平泉だったと思う」
ふと訪ねてきたジョフレの言葉にウインザーは返した。
「平泉か、あんな場所に転送スポットがあるなんて誰も思わないだろうな」
「まあ数か所の候補はあったようだが、ロメロがあの場所を選んだんだ。無事にこちらへ着くだろう」
ウインザーはロメロの能力を信頼しているので、それほど心配はしていないようであった。一方、ジョフレは修正者としての能力、人間のバグを修正する能力を持ってはいるが、それ以外の知識には暗く、無事に薫がこの場所へとたどり着けるのか、心配であった。
「使徒の妨害などもあるのだろうか……やはり俺は心配だな」
「大丈夫、ちょうど薫の周りに適任の人がいたので、その人に応援を頼んでいる」
ウインザーは安心するような笑顔で答えた。
「そうなのか、まあ俺にはどうすることもできないからな……まあ待つしかないか」
ジョフレは自信たっぷりのウインザーを見て、自分の気持ちを、悪い創造を捨てる以外にはなかった。何かができるわけではない、このまま任せておくしかないのだ。
薫はウインザーに言われた通り、新幹線で平泉へと向かっていた。
百合が事件に巻き込まれていなければ、新婚旅行に行っている二人を見送った後の気楽な旅行だと、駅弁とビールを手に、のんびりとした心境で行くこともできたのであろうが、今はそのような気持ちではなかった。自分が地球を救うかもしれない修正者という、謎の存在であるなどとは思いもよらなかったからだ。それを思うと、真剣な気持ちになる以外に考えは及ばずビールという訳にはいかなかった。
東北地方へと入り、窓の外を見ていると、自分の今後の不安な気持ちを察するかのように大粒の雨が降っていた。良からぬ思いが胸の中を過った。それともウインザーの元へと転送される不安からくるものなのか……そんな事を考える自分自身の小ささを疑ってしまった。それを思うと、思い切り自分を笑い飛ばしてやりたい気持ちにもなってきた。
ちょうどよく車内販売が通りかかったので、薫はビールを一缶購入した。現段階で何を考えても仕方がない。吹っ切るかのようにビールを口腔へと流し込み、大きなため息をついて、腹をくくる事しかできなかった。
平泉の駅へと着いた薫は、改札を出るとキョロキョロと人を探しはじめた。
そこへ一人の年配の男が声をかけてきた。
「あの宝田さんですか」
「はい、あなたがウインザーの指定した湯田さんですか」
「いえ、湯田さんは準備のためにこちらにはきていません。
私は湯田さんの手伝いで来ている祖恵村といいます」
祖恵村は挨拶を済ませると、薫を車へと案内した。それはナンバーを見ればレンタカーだと、すぐにわかるものであった。
「湯田さんはどちらへ」
助手席に座ると薫は祖恵村に尋ねた。湯田という人間の名前をウインザーから聞いているが、祖恵村という人物が関わっていることなどは聞いていなかった。もしもこの男が使徒と呼ばれる人間であるならば自分を攻撃してくるかもしれない。それを思うと少なからず警戒をしなければならないと薫は考えていた。
「平泉の奥ですよ。普通の人たちがいくような場所ではないです。
そこで湯田さんは準備をしています」
車を発進させると、祖恵村は前を見たまま答えた。
「そうですか、それにしても本人が来ないので少しびっくりしています」
「まあそうですよね、ただウインザーに言われた通りに装置を設置するのに時間がかかっていたので、私が出向くことになったのですよ」
祖恵村は薫の警戒心に気が付いているのか、気持ちをほぐすような笑顔を作って言葉を続けた。
「確かに湯田さんがいなくて、いきなり知らない私が来たのですから心配にはなりますよね。でも峰からもよろしくと言われていますから安心してください」
知っている名前を言われて薫の表情から緊張が取れた。
「峰さんって、刑事の峰さんですか」
「ええそうです。私も同じ署で勤めているものですから……。
それにしても百合さんの件は力が及ばずに申し訳なかったですね」
祖恵村は頭を下げた。薫は首を横に振った。
「いえ、峰さんたちにもお伝えしましたが、あれは仕方がないと思います」
「それにしても椛島を捕まえる際に不思議な事が起きたとも聞いています。
まあ今回宝田さんを転送するという話も私にとっては不思議で信じられない事ですがね」
「私もそう思っています。人間を転送するなんてあり得ない話で、ちょっと不安に思っていますよ」
祖恵村の言葉に、薫は表情を歪めた。
「まあウインザーという人と湯田さんがどのような話をしたのかわかりませんが、湯田さんは間違いなく天才です。
そんな人たちが行うのですから、何か不思議な現象が起きるのでしょう。それを目の当たりにできるだけ、私も手伝う甲斐があるというものです」
技術者の一人として、祖恵村はこの世の中にある不思議な現象を、化学で証明できない現象を見ることに、ある種の興奮を覚えていた。
そんな祖恵村が運転する車は、だいぶ山奥の方の駐車場へと止まった。だが湯田がいる場所はそこから更に歩いて山の中へと入ったところであった。その道を歩く中で、椛島と対峙した時に歩いた道に似ていると、薫は思わず数日前のことを思い出した。一般人が入ることのなさそうな山道を歩いて着いた場所に、湯田は存在していた。
パソコンが円形状に六台置かれている。湯田はその中心部分で、何やらブツブツと言いながら周りを確認していた。
「あそこにいるので湯田さんですよ」
祖恵村は薫に湯田を紹介して、大きな声を出して湯田を呼んだ。振り返った湯田を見た時に、薫は百合の捜査を警察署にお願いしに行った際に出会った、不思議な老人の顔を思い出した。
「やはり君だったか」
ゆっくりと近づいてくる湯田は、以前会った薫の事を覚えているようであった。それを考えると、薫と会った時に湯田が言っていた【うねって】いた空は、ある種二人の共鳴ではないかと思えなくもなかった。
「ウインザーと話をしていて多分あの時の君がくると思っていたよ」
湯田は笑顔を見せた。
「ウインザーの事を知っているのですか」
薫は村木と痴呆症の老人ではないかと言っていた人物がウインザーと繋がりがあるという、そこに何かの運命的な事を感じるが、それが何であるのか皆目見当はつかなかった。
「ウインザーの事は前から知っているのだよ。過去に私はソフトの開発をしていたので、一度だけ日本に来たウインザーと会う機会があったのだ。私の開発したソフトをなぜか彼のIT企業が購入したいというのがはじまりだった。
もう十年近く前の話だが……」
湯田は昔を思い出すように言葉を出した。
「そうだったのですか、私はウインザーという存在は今回初めて知ったものですから……修正者やら使徒やら、何だかよくわからない話ばかりでしたが、実際に使徒と戦ったことで、彼の元へと行くことを決めました」
その薫の瞳に、大きな決心があることを、湯田は何となく感じ取った。
「使徒やら何やらという話は、今でも私には信じられない話ですよ。
捕まった椛島にしても妄想を話しているようにしか感じられませんでしたからね」
祖恵村が言葉通りに不思議そうな表情をして二人の会話へと入ってきた。
「祖恵村君がそう思うのは仕方がないだろう。
私だってウインザーから電話をもらい、報酬もくれるというから今回このような手伝いをしているが、実際に人が転送されるなんていうことは、この作業をやっている今でも信じられないからね」
湯田も半信半疑でこの作業を手伝っていたことを語った。その言葉に薫の不安は募るばかりであった。自分が転送されるという事によって、この地球上に今と同じ状態で存在することができるのかどうか……という思いであった。
「だがウインザーの話しは面白いものがあったね。創生者がバグを修正できず、バグによって生まれてきた人間たちの手で、作ろうとしていた地球へと作り直す……。
夢のような話だが、創生もプログラムによって作られたという話は、ちょっと興味がわいたよ」
薫の不安をよそに湯田は技術者らしく、自らが興味を持っていることに対してだけ動いていることが理解ができた。
「だがそのバグを修正しようとしている修正者に対して、今の世界を保とうとする使徒という存在……。 実際にどちらが正しいのかなんてわからないものだね。
どちらも創生者を尊重していることになる。
直すこともしかり、構築された世界を肯定することもしかり、複雑すぎて私にはわからない話だ」
湯田の話しは理解しづらく、不思議そうな表情の薫の真意を読み取ることもせずに、湯田は思ったことだけを話し切った。
「私もどちらがどうなどという事はわかりません。ただ本来は百合……妹が背負った使命を私が引き継いだだけですし、もしも妹であればどのように行動したかなども実際はわからないです。
ただ私は再び自分が襲われる恐れがあるのならば、ウインザーたちと共に行動したほうが安全であると、身の保身を考えているだけかもしれません」
薫は保身という言葉を使った時に、本当にその通りであると、初めて自分の意思がそこにあることに気が付いた。今一度、椛島のような使徒が襲ってくる事があれば、身に降りかかる火の粉があるのならば、それを振り払う以外、自分を救う道はない。そして最良の方法が、ウインザーたちと共に行動することであった。使命だとか何だかは、ついでのような気がして、そう考えると自分が情けなくも思えた。
「そう思えるのならば正常ですよ。人間なんて自分の事が一番先行します。
そんなものですから」
祖恵村が薫に微笑むように頷いた。薫はそんな表情を見て、どのような動物でも、それが本能なのかもしれないと妙な落としどころへとたどり着いた。
その時、薫のポケットにある浮遊石が浮かび上がった。
薫は何回か見ている光景なので驚くことはしなかったが、湯田と祖恵村は呆気にとられて、驚きの表情で浮遊石を見るしかできなかった。そこから光りが上部へと浮かび上がり、ウインザーがホログラムとして現れた。
「あの石が……」
自分がなぜか気になって薫に手渡した石が、薫の元でこのような出来事を起こしていたと思うと、偶然とは言え、湯田は妙な縁を感じずにはいられなかった。
「湯田さん、準備をしてくれてありがとうございます。
それにしても流石ですね。私が思っていた通りの準備をしてくれましたね」
「ウインザー、君が言う通りの準備をしたが、君の今のホログラムもWi-Fiを通しての物なのか」
「いえ、Wi-Fiではないです。
この電波は私の部下が見つけた地球上でほんのわずかしかないものを使用しています。多分通常の方たちにはわからない、修正者だから気付けたものなのでしょう。
それなのでこの電波は主に浮遊石に対して発信されるもののようです。私もそれ以上はわかっていません」
「では私が用意したWi-Fiは必要がないのかな」
「いえ、基本はこの電波と浮遊石を繋ぎ合わせれば薫を転送できると思います。ただそれだけでは力が弱いと判断しました。
それなのでこの電波を最大限に使えそうな地点を計測し、それに湯田さんが作ってくれたシステムなどを使用すれば、なお安全に薫を転送できると考えました」
「そうだったのか……。まあ人間が転送される場面などに出会えることはまず無いだろうから、私もいい経験をさせてもらえるな」
湯田はこれから目の前で起こることを楽しみにしているのか、思わず頬を緩めた。
「それでは湯田さん、作ってもらったプログラムを起動してください」
ウインザーの指示を受け、湯田は六台のパソコンのプログラムを次々と起動していった。
「これで何を」
薫がウインザーへと問いかけた。ウインザーは薫の不安を打ち消すような表情を作った。
「これはこの回線で物質を運ぶ際に、質量を小さくするためのプログラムです。過去に湯田さんが作ったプログラムを軽くするものに、修正を加えてもらいました。
それでもこちらの回線へと乗せるのはエネルギーが足りないので、それを増幅するために台数のパソコンを確保してもらいました。この場所を選んだのも、回線の力が強くなっている地点であることがわかったからです。
しかも使徒からの妨害があった際のセキュリティも組んでいるので、それの余力を残していたい思いもありました」
淡々と語るウインザーの言葉をあまり理解できないのか、薫は頷きはするが、あきらめの表情を見せた。
「何だか詳しいことはわからないけど、これでそちらへ行くことが可能なんだな」
「ええ、安心してください」
薫には覚悟を決める以外に選択肢はなかった。
「さて、準備は完了だ」
湯田が薫の元へと戻ってきた。六つのパソコンからは、中央へと向かい光りが放たれていた。その光りを振り返り、湯田はこれから起こる非現実的な物事を見極めようと楽しみすら表情に浮かべていた。
「さあ薫、あの光りが集中しているところへと行ってください」
ウインザーの指示が飛んだ。薫は一度強く頷くと、光りの集まっている地点へと足を踏み出した。祖恵村は湯田の横で、息を飲んでその光景を見守っていた。
「では湯田さん、薫が転送されたらこのプログラムは自動的にパソコン内から消去されますので、そのまま撤去してもらって結構です。色々とご協力ありがとうございました」
ウインザーが湯田へ挨拶すると、光が薫を包み始めた。
薫は緊張からか、浮遊石を握りしめた。
「薫さん、それでは行います。一瞬ですから平気ですよ」
ウインザーはそれだけを告げると消えていった。
薫は改めて覚悟をするように強く唇を噛んだ。今までの人生で経験したことがない出来事が、自らの身にこれから降りかかるのだ。緊張しないわけはなかった。
「これは……」
集約する光りが薫を包み込むように大きくなっていく様を見て、湯田は思わず言葉を発した。祖恵村は無言のまま、無意識に口の中に溢れてきた唾を飲み込んだ
その光りが薫の全身を包み込んだ瞬間に強く発光をした。
その強さを感じた二人は目を閉じることしかできなかった。そしてその目を開けた時に、薫の姿と、それを包んだ光りはもうどこにも存在しなかった。それどころか、パソコンの電源が全て落ちているのであった。
「本当にこんなことが起こるなんて」
祖恵村は消えた薫のいた場所へと近づき、驚愕の表情を浮かべた。それは湯田も同じであった。
「まあこんな現象が起きたという話をしても、誰も信じてくれないだろな」
湯田は表情を緩めることしかできなかった。技術者として現実しか受け止めない状態で生きてきた人間としては、いくら目の前で起きたことと言っても、今回の現象を信じることはできなかった。
ウインザーとジョフレは転送装置の前で、今か今かと薫を待っていた。その横に薫の転送に使われているコンピューターを制御しているロメロの姿も見受けられた。そのロメロが何かを感じたのか、声を上げた。
「くるぞ」
ロメロは画面で転送状態をチェックし、二人に合図した。それと共に転送装置が光り輝いた。眩しい光りに三人は目を細めた。その光りが集約され、少しずつ納まって来ると、そこに薫の姿が現れた。
「無事だったか」
薫は自らの手を確認し、そのあとに全身があることを更に確認した。それによって転送された自分が無事であったと確信した。
ウインザーは安堵の表情を浮かべる薫が入っている転送装置へと近づき扉を開けると、薫へと握手を求めた。
「薫、よく来たね」
今までホログラムでしか見たことのないウインザーの存在を、転送装置から出て受け止めると、薫は肌でその存在を確認した。地球上にウインザーという人間は存在していたのだと……。この転送といい、修正者の存在といい、自らが体験していながらもどこかで未だに疑いを持っていたのだ。だが、それは全て払拭された。
「改めまして、宝田薫です」
手に力を込めた薫をウインザーは抱きしめた。その光景を見ていた二人の男たちが薫へと近づいてきた。
「薫、ようこそ、俺はジョフレだ」
名乗ると同時にジョフレが握手を求め、薫はそれに応じた。
「俺はロメロ、ウインザーと共にこの得体のしれない回線を見つけた男だ」
薫はロメロの手を求めた。そして強く二つの手が握り合った。
「今回の転送装置はロメロが作ったんだ。彼は天才だよ」
ウインザーがロメロの肩を抱いて薫へ改めて紹介した。
「そうなんだ、そんな天才たちの元で、俺の力が必要になる場面なんてあるのかな」
薫は思わず首を横へと振った。
「大丈夫、俺も特に能力があったわけじゃないから」
薫の心配を理解できるというように、ジョフレが笑顔を見せた。
「とりあえず大広間へ行って、一休みしよう。
転送は薫の身体にそれなりの負担をかけている可能性があるからな」
ロメロが言うと、ウインザーはこっちだと薫を先導した。転送装置が置かれている部屋から大広間へと向かう途中、十数人がコンピューターへと向かい合っているガラス張りになっている部屋があった。だがそれに触れることなく、四人は広間へと向かった。
大きな扉の奥に大広間はあった。
中に入ると席へと案内され、長机の椅子へと腰かけると、薫はロメロが言っていたように、身体に重さのような疲れを感じた。
「そういえば、先ほどのコンピュータールームのような部屋は」
落ち着いたからなのか、薫はウインザーへ先ほどのガラス張りの部屋の事を尋ねた。
「ああ、あの部屋は謎の回線や修正者の存在を探るための浮遊石などを見つける部屋さ」
ウインザーが席に腰を下ろして答えた。他の二人も席へと座った。
「というと、あの部屋にいた人たちは全て修正者なのか」
「いや、私の会社の優秀な社員たちだよ。
謎の回線の事を知る一般人は彼らくらいなものだろう」
「そういえば湯田さんがウインザーはIT関係の会社の人間だと言っていたような」
転送前に湯田を話していたことを薫は思い出した。
「そう、かなりの会社さ、そして元々俺もそこの技術者だったんだ」
ロメロが言葉を続けた。
「そうだったんだ。そういえば俺は詳しいことを聞いていないな。
まずは修正者などについて教えてもらってもいいかい」
薫は三人を見渡すように問いかけた。
「ウインザー、説明してやれよ、確かに俺も最初に修正者などと言われた時には疑問で頭の中がこんがらがってばかりいたんだ。
ちゃんと伝えてやらないと使徒と戦う覚悟はできないだろう」
ジョフレが急かすようにウインザーを見た。
「ああ、もちろんだ」
ウインザーはジョフレの言葉に頷き、薫へと向き直り、真剣な表情で話をはじめた。
「私が謎の回線の存在を知ったのは、四年前の事になる……」
薫はウインザーの静かな語りに、ぐっと引き込まれるように耳を傾けた。
「その当時、私とロメロ、それに研究員たちは高速ネットワーク網を作るために、様々な研究をしていたんだ。
そんな時に、通常の電波では見つかることがなかった不思議な通信網を見つけたんだ。それが今でも何であるのかはわからない。だから今でも謎の回線と私たちは呼んでいる。
ある意味異世界に繋がっているようで、通常のパソコンではその電波を捕まえることはできなかった。 ただ数台のパソコンだけが、それに反応したんだ。そこで地球に関するバグの事を知ったのだよ」
真剣なウインザーの眼差しは、薫を刺すようにも思えた。ウインザーの声を耳に入れていたロメロは、過去の事を思いだすかのように瞳をそっと閉じた。
「地球を創生した者、私たちはその創生者からのメッセージをそこで目にしたんだ。
創生者は四六億年前に、この地球を創るためにプログラムを組んだらしい。
だが思いもよらぬバグが、ある時期から発生したという。そのバグを修正しようと色々試したらしいのだが、バグの修正はなかなかうまくいかずに、時間だけが過ぎていったという。
その間に生物が生まれ、長い時間をかけて、我々人間が産まれることになったんだ」
「っていうと俺たち人間は、バグの延長上に産まれてきた存在という事になるのか」
薫は自分たちの存在がどうして産まれてきのかなどという事を、今まで考えたことがなかった。ただ自分たちは確かに地球上に存在している。だからただ存在を受け入れているだけなのだ。そんなものでしかないと思っていたのだ。
「まあ生物が産まれてきたのがバグのせいであるならばそうなのだろう。
そして人間の進化は創生者が思うよりも早く、他の動物と比べ物にならないくらいに発展してしまった。
そこで創生者は、知識、技術を持った人間の能力を使って、バグの修正を図ろうとしたんだ」
「それが修正者ってことだ」
ジョフレが思わず、いかにも自分は知っているという表情を浮かべて口をはさんだ。
「でも現状の世界のままで良ければバグを修正する必要もないんじゃないのか」
薫はなぜバグを修正しなければならないのか、理解ができなかった。
「薫のいう通り、現状の世界が創生者の望む状態であればそれを直す必要はない」
口を開いたのはロメロであった。薫の問いと同じことを自分たちも考えていた時期があった。そう思えるような表情であった。
「創生者のメッセージの中にあったのは、バグがあることによって、悪い人間が多く生まれてしまった事を述べていたのです。そしてバグの修正を行うことによって、人間の悪の部分が消えていく可能性があるというのだ。
修正をすることによって争いがなくなり、平和という二文字が永遠に続くことができると……」
ウインザーはパソコンの中に出てきた、創生者からのメッセージを見てきたことを語った。悪という存在、欲求に対してありのままの人間、しかしその欲求を倫理という考えの中で行うものにするというのか……薫は話の着地点がどこにあるのか、良くわからなくなってしまった。ただ平和という文字だけは肯定することができた。
「とりあえず修正者はそのバグを修正するために産まれたという事か……。
それに対して使徒という存在は……」
何となく理解した頭で、今度は対局に位置する、であろう使徒の存在について薫は尋ねた。
「使徒はあくまでも現状の世界を維持しようとしている者たちだ。
私たちは創生者によって作られた存在だが、彼らを誰が生み出したのかはわからない。
ただ現状の世界を変えようとしている私たちを、倒さないことには使徒が望んでいる今の世界が続くことはない」
ウインザーが薫の問いに答えた。薫は頭に浮かんだ事を返した。
「彼らは平和を望んでいないという事なのか」
そこには嫌悪の表情が浮かんでいた。
「私たちから見たらそういう事になるのでしょうが、あくまでも使徒たちは創生者が作った今の世の中を肯定しているんだ。
出来上がったものにバグがあろうとなかろうと、現状の世界は創生者が作ったものである。彼らの理屈はそうなるのだろう」
ウインザーの言葉にジョフレもロメロも頷いた。
「ちなみに私とウインザーが調べた使徒の数は一二人。私たち修正者は七人だ」
「全ての人間を把握しているのか」
薫が驚くように言葉を出した。
「いや全部ではない。修正者の一人はもう使徒に倒されている。その人は身内がいなかったので能力を薫のように次ぐ人物はいなかった。だから実質修正者は残り六人。
私、ジョフレ、ロメロ、薫、そしてその他の二人は日本とウクライナにいることだけは浮遊石の存在が、電波がキャッチしたのでわかっている」
ウインザーの言葉に日本という国名が入っていることに薫は少しだけ驚きを見せた。
「わかっているけれどもまだ判明していないって事か」
「そうだ。そして十二人いる使徒のうち、三人はすでに私たちが消した。そして椛島を薫が消し去ったので、残りは八人」
消したとジョフレが言ったのは、あくまでも使徒は能力を失うだけで、存在はそのまま残っているからだという主張からであった。
「そうか能力を消せば使徒ではなくなる。だから殺す必要はないということか」
薫は言葉の意味を理解した。
「そう、私たちは人を殺すという事は望んでいない。
あくまでも修正をして、使徒としての能力を消せばいいだけです。
ただ使徒たちは私たちのようにプログラムを修正して能力を消すということはできないらしいので、殺すという行動に出てきます。しかも私たちが彼らの能力を消すということを阻止するために、彼らは私たちの血を求めてくるのです」
血を求めるという言葉に薫は眉をひそめた。
「椛島が言っていたように、修正者の血によってセキュリティを上げて、俺たちの攻撃を防ぐ時間を作り、その間にこっちを殺せばいいってか」
薫は百合があれだけ切り刻まれていたかを理解した。それと共に哀しみが心の中へと溢れて出てきた。
「さっきも言ったように使徒の残りは八人。そして修正者の残りは六人。
数としては随分と近くなってきているけれど、ここにいる四人は血縁がいない人間たちなので、死んだとしても能力を継ぐものがいない」
「うちは両親が亡くなっているが、ウインザーたちの両親は健在なんだろう。だったら数としては有利になるんじゃないのか」
薫は血縁者に能力が受け継がれるのならば、まだまだ可能性があるのではないかと言葉を出した。
「いややられた修正者に両親はいたが、その能力が受け継がれることはなかった。能力が受け継がれたケースは今まで薫だけだから、あくまでも推測になるが、等身を遡ることは不可能なのかもしれない。さしずめ兄弟か子供だけではないかと……」
ロメロははじめて能力が受け継がれた存在である薫を見て、推測したことを述べた。
「そうか、ならばこの人数で世界を修正するしかないってことか」
薫は自らにそのような能力が、本当にあるのかと思った。椛島を倒した時にバグの修正を行ったのはウインザーなのだ。それを考えると足手まといになってしまうこともあるのではないかと不安に駆り立てられた。
「薫、バグの修正ができるかどうか不安になったりしていないか」
ロメロが薫の心配を危惧するように声をかけた。薫は図星であると思わず驚きの表情を見せて頷いた。 それを見たジョフレが思わず笑った。自分の時もロメロは少し含みを持たせるようにして同じことを説明したと思いだしたからであった。
「ロメロ、ちゃんと説明してやれよ」
「そうだな」
ロメロは笑顔でジョフレに返した。
「これから薫の修正者としてのプログラムを一部書き換える。それによって使徒の頭の上にバグのソースが見えるようになる。そのバグをどのように書き換えるかも瞬時に脳裏に出てくるようになるから、あとは打ち込めばいい」
「打ち込むって言っても、何か道具があるのか」
薫はまたしても不思議な表情を見せた。
「あります」
ウインザーが確信を持った表情で言った。それに合わせるように三人が薫のポケットを指さした。
「もしかして、浮遊石の事を言っているのか」
思わず薫は皆の視線が集まっているポケットから石を取り出した。
「そう、俺たちが持つ浮遊石と共鳴しているから、そこにあることはわかったよ」
ジョフレが同じように浮遊石を自らの手に取り出した。そしてその石を自らの前に浮遊させた。すると そこから光りが放たれ、空中にキーボードのホログラムが現れた。
「このホログラムは戦闘中、どこに動いても自らの手元の前にロックされて動かなくなる。このキーボードを使って修正をしていくんだ」
「この石にこんな機能までついているのか」
薫はジョフレの言葉に関心を示し、自らの浮遊石を浮かべた。すると同じようにキーボードが映し出された。ついてくるという言葉を試すかのように、薫は席から立ち上がるとあちこちを歩き回ってみたり、ジャンプしてみたりした。すると説明通りにキーボードはずっと薫の打ちやすい位置で固定されたままであった。
「本当だ、便利だな」
「あとはロメロに着いていって修正能力をつけてもらってください」
ウインザーは笑顔で薫に言った。
薫は返すように笑顔で頷くが、自らのプログラムを変えるという事に、少しだけ不安を覚えたが、転送の時のように思うよりも単純なのではないかと、すぐに楽観視した。




