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三
とある高台にヘリポートが見えた。
その横には豪邸と呼ばれにふさわしいほどの大きな屋敷が建っていた。人里離れたこのような場所に、なぜこんな建物が存在するのか、それは建物を所有する大金持ちにしかわからないことであった。
高台だからこそ外界を見下ろすことのできる大広間に、所有者であるウインザーは一人で存在していた。そして窓の外に広がる景色を、思案顔で見ていた。そこには一面に広がる大地と空が存在しているだけであった。青く澄んでいる空に浮かぶ雲は、ウインザーの目には少しよどんで見えた。
大広間のドアが開いた。入室してきたジョフレは、振り向いたウインザーに向かって歩を進めた。
「ウインザー、使徒の数が判明したらしいな」
ウインザーは頷いて答えた。
「ああ、やっと解明できたよ」
「それで、その数は」
「一二人だ」
ジョフレは嫌そうに口元を歪めた。それは心の中の感情がむき出しになったようであった。
「一二人か、人間にとって一二という数字は、運命的なものを感じるな」
感情をむき出しにしたとはいえ、ジョフレの言葉は冷静に保たれていた。
「そうだな、人はその数にどうしても行きついてしまうことがあるからな」
「俺たちが倒した三人を除くと、使徒はあと九人ということか」
ウインザーは静かに頷き、瞑想するかのように瞼を下した。ジョフレはウインザーの様子をうかがうでもなく言葉を出した。
「使徒の目的は、やはりバグにあるのか」
バグという言葉に反応するように、ウインザーはジョフレに強い視線を向けた。
「たぶんそうだろうな。使徒たちは、俺たちが行きついたバグという物に対して、対立軸として存在するのだろう。彼らもまた我々と同じ物に惹かれる存在と言えるだろう」
「まだバグをどのように修正するか、それはつかめていないのだろう」
「ロメロと共に、うちの研究員たちが血眼になってその方法を探しているが、未だに見つかってはいないみたいだ」
ウインザーは覚醒するように目を見開き、窓の外に広がる空を見上げた。
並ぶように窓際へと歩んだジョフレは、同じように青い空と、よどんだ雲を見つけた。
「俺たちの味方は」
「人数はわからない。浮遊石での追跡をしているが、まだ確定した情報は入っていない」
「浮遊石を使って見つかる可能性は」
「ロメロが色々な手を使って調べているが、未だわからないな。見えない回線の中をあちこち動き回ってはいるようだが……」
「早く見つかって欲しいものだな」
「ロメロは優秀だからそのうち何とかなるだろう」
「それにしても、ウインザーが見つけた回線は、いったいどこからきているんだ」
ジョフレの問いに、ウインザーの心が揺れた。
「さあ、まだわからない。世の中にはわからないことが多すぎる。今まではそれを探求することが楽しいと思えていたのだが、今回ばかりは背筋が凍る思いだよ」
よどんでいた雲から、きらりと光を発せられた。その光は何にも遮られることなく、地上へと突き進んだ。遠くで雷が鳴りはじめたことを意味しているのだとジョフレは確信した。
「私たちがやっていることは、本当に正しい方向へと進んでいるのだろうか」
ウインザーはふと視線を落としてから、大広間の中に並べられた椅子の一つへと歩みより、ゆっくりと腰をかけた。
「さあ、それはわかることはないだろうな。
ただ俺たちは、与えられたと思える使命に対する行動をとるだけだろう」
「そうだな、そしてその結果は、神のみぞ知る、ということなのだろう」
ジョフレもウインザーを追うように机を挟んだ正面の椅子へと腰を下ろした。
「私たちの手の届く事のない、神の領域か」
ウインザーは首を振るようにしてポツリと呟いた。自分ではできない大仕事をウインザーが行っていることを知っているジョフレは、それを無言で見ていることしかできなかった。
「どちらにせよ、俺たちに課せられた運命という物が動き始めているという事なのだろう」
「運命というには、やることが複雑すぎて全てを片付けられない気がするよ」
複雑という言葉の中に含まれている困難という文字が、ジョフレの口を、強く真一文字に閉じさせた。
「どちらにせよ私たちは、一二人と目される使徒と向き合わなければならないだろう。
だがそれよりも先に、バグの修正方法や、あの物体の存在を調べることが急務になるのでしょうね」
「ロメロばかりに任せている訳にはいかないってことか」
「まあロメロだけではなく、それを優秀なスタッフであるみんなが探してくれているだろうから、私たちは今しばらく静観していよう」
「それにしても、未知なるものに対することが、こんなにも大変なものだとはな」
ジョフレはそういうと大きくため息をついた。
「私もそう思うよ。やはり〇―一理論を構築することは凄いことなのだと改めて実感するよ。今までの数多いる研究開発者たちの偉大さが身に染みるよ」
二人がそんな言葉をかみしめている時であった。ふとウインザーのスマートフォンが鳴り始めた。ウインザーは軽く画面にタッチをすると、机の上にそれを置いた。
「ウインザー、浮遊石の行先が二つわかった」
ロメロの声がスピーカーを通して二人へと伝わった。ウインザーは冷静にロメロからの報告を受け止めた。
「そうですか、それとの交信は取れるのですか」
「いや、まだそこまでは……」
少しだけロメロの言葉がトーンダウンした。だが行く先が分かっただけでも上出来だとウインザーは考えていた。
「そうですか……ただ見つかっただけでもかなりの成果だと言えるかな。
引き続き交信が取れるようにお願いしたいのだが……」
「わかりました。色々な手段を使って探ってみます」
「はい、頼みます」
その言葉を最後に通信は途切れた。ジョフレは思わずため息をつき、言葉を繋いだ。
「ここから一気に始まるのかな」
「その可能性は大でしょうね」
二人の目に力が宿った。
「ウインザーが啓示で見たと言っていた神の領域か……」
「まだその存在すらつかめてはいないのだろうが、そこに行くためも……
修正者が見つかり、使途を倒さなければ……」
二人は目を見合わせて、同じように頷くと、椅子から立ち上がった。
ウインザーは今一度外に広がる空を見てから、ジョフレと共に、大広間を後にした。
屋敷の中にある大きなコンピュータールームの指令席で、ロメロはキーボードの上に置かれた自らの指を滑らせるように走らせていた。
足早に入ってきたウインザーとジョフレを確認すると、コンピュータールームの正面にある大画面に、写し出されている世界地図の中の二つの都市を、ロメロは改めて見つめた。そこに新たな二人の視線が向けられた。
「日本とウクライナか……」
世界地図の中でポインターが光る都市を見て、ジョフレは国名を呟いた。
続くようにウインザーがロメロに質問をした。
「ロメロ、浮遊石はここにあるのですか」
「信号は確実にとらえたのですが、まだ通信はできない状態です」
「そうですか、まあ浮遊石の場所が突き止められただけでも一歩前に進んだな」
ウインザーは労うように、ロメロの肩へと軽く手を置いた。一瞬表情を緩めたロメロは再び気持ちを引き締めた。
「まだまだこれからですよ」
ロメロは真剣なまなざしでパソコンの画面を見ながら、キーボードを叩き続けた。
村木の車は高速道路を疾走していた。本来であれば法定速度など無視をして走りたいのはやまやまであるが、峰たち警察官が乗っていることもあり、逸る気持ちを抑えてアクセルを調整していた。
「村木君、疲れたならば変わるけれど」
助手席に座る薫が声をかけた。
「いえ、大丈夫です」
「じゃあ高速を降りたら俺が運転しよう」
「わかりました。お願いします」
薫はカーナビの画面を確認した。まだまだ距離はある。その距離が早く縮まってくれることを村木も薫も考えていた。それは後部座席に座る峰も今泉も同じであるが、考える方向性は違っていた。今泉は早くこの件を片付けて、未だに抱えている他の仕事へ着手したいと考えていた。
思っていたよりも早く高速道路を降りると、村木と運転を変わった薫はアクセルを踏んだ。先ほどまでの速度と異なる景色の経過に、ある種の苛立ちを覚えながら、別荘地への道を走らせた。
いつの間にか入り込んだ山道はどんどんと険しくなっていく。それに比例するように街灯も減り、闇夜の運転は薫の神経をすり減らしていった。だが薫はそんな疲労よりも、百合の安否の心配しかできなかった。
「お兄さん、百合は必ずいますよね」
カーナビが目的地へと近づいていくことを示すと、村木は自らにも言い聞かせるように薫に問いかけた
「そう願うだけだよ」
胸のポケットへと入れた浮遊する石をある種疑いの目で見ながらも、薫はそれにすがるしかない自分自身を疑わないようにしていた。不思議な現象ばかりを見せる石が、パソコンの画面に映し出した別荘地に百合は必ずいるはずだ。今すがれるものはそれだけしかなかった。
やがて廃墟となった別荘地へと車はゆっくりと到着した。
今泉以外の三人の胸は否応なく高鳴った。百合がそこにいる可能性を強く信じているからであろう。その中で峰だけは冷静でいようと思っていた。
「一度深呼吸をしましょう」
その言葉に薫も冷静さを欠いてはいけないと村木の表情を見た。村木もその視線に気が付き、自らが勇みすぎてはいけないと、深呼吸をして、改めて気を引き締めた。
「ここでいいんだよな」
薫が村木に確認をした。村木は言葉を出さず、首を縦に振って答えた。お互いに緊張を隠せない、それは表情だけでなく、ありありと手に取れるようであった。
「やはり、しばらく使っていない廃墟のようですね」
今泉は後部座席から乗り出すようにして、目の前にそびえ立つ、不気味に車のヘッドライトに照らされている闇夜の別荘を見て言葉を出した。
「所有者はいないって言っていたよな」
「はい、持ち主は亡くなって、相続もされていないようです」
峰の質問に今泉が答えた。
「警戒しながらいきましょうか」
峰は胸元にある拳銃を確認すると、ライトを手にし、自らが先頭に立つようにして車を降りた。他の三人も各々ライトを手に、峰に続いた。車のライトが消えたことによって、随分と暗くなった別荘は、更に不気味さを増したように見えた。
「この中に百合が……」
冷静になろうと思いながらも、村木の気持ちは逸っていた。薫も村木の言葉に、自らの鼓動が早くなっていくことを実感した。その時、薫の胸ポケットが小さく光った。誰もが驚きの表情を見せる中で、そこから石がゆっくりと浮かびあがった。
「なんですか、これは」
今泉が始めている光景に三人よりも驚きの表情を見せて、言葉を吐いた。
「俺も見た時はびっくりしたよ」
峰が今泉を落ち着かせるように同調した。しかし今泉の動揺はすぐに落ち着くことはなかった。
ゆっくりと、薫たちを導くように浮遊した石は、待ち構える門の中へと進んでいった。村木が追うようにして門を開けると、後続を振り返った。薫はそれに答えるように頷き、一歩ずつ、足元を確認するように進んだ。峰と今泉は周りを確認してから二人へと続いた。
薫は玄関の前で止まった石を、手中に収めた。
峰は玄関の前に立つ二人を遮り、自らが先頭に立つことを告げ、警戒しながらドアノブを掴んだ。この先に何が潜んでいるのかはわからない。自らが盾となって進まなければならないと考えていた。
今泉は先ほどの石の存在を確認したからなのか、今まで無駄のように思えていた今回の百合の失踪事件に本気で向き合わなければならないと気持ちを切り替え、しんがりを務めるために、後方への警戒心を高めた。
峰は拳銃へと手をかけ、今泉を振り返った。それに応えるように今泉も拳銃を手に取った。その行動を見た薫と村木に、今までに感じたことのない緊張が走った。
峰がドアノブを回すと、鍵がかかっていないのか、ゆっくりと別荘の中に広がる闇が見えてきた。ライトで玄関を照らしながら、峰が銃を構えて入り込んだ。そして何もないことを確認すると、三人を招き入れ、再び気を引き締めた。この後どのようなことが起こるともわからないと緊張が走った。
進みながら存在する扉を次々と開けていく。だが緊張と弛緩が繰り返されるばかりで何も存在する事はなかった。
一階の一番奥にある部屋の扉を開けると、誰かが存在した形跡が残されていた。その部屋の机の上に、ブランデーのボトルをグラスが置かれていたのだ。元の別荘の持ち主からは考えられないような、ごくごく一般的なブランデーのボトル。峰は警戒しながら、グラスを確認すると、かすかに芳香が残っているようにも思えた。
「かすかに香りが……」
その言葉に、つい最近というよりも、先ほどまで人がここに存在していたであろうと誰もが推測できた。恐怖よりも薫や村木の胸の中に、百合が存在する可能性が湧いてきた。
「人が存在していたという事ですね」
誰もが思っていることを、今泉が再度確認するように言った。だが一階はすべて確認し、存在がないこともわかっていた。あとは二階だ。そう思い階段へと歩き出そうとした時であった。薫の手の中にある石が、再び光を放ち、浮かび上がった。そして薫たちが通ってきた通路の途中で止まった。
「あの辺りに何かあるってことなのか」
村木はゆっくりと近づき辺りを調べはじめた。他の三人も音を立てないようにしながらそれに続いた。
壁や天井などをライトで照らして調べていると、今泉が何かに引っかかる感覚を足元に覚えた。今泉は足元を照らすと、そこにはくぼみのようなものが見えた。
「峰さん、もしかしてこれって」
その声に反応するように峰が近づき、足元の床を探った。確かに今泉が引っかかったような、本当に小さなくぼみの存在に気が付いた。そしてゆっくりとそのくぼみを引いてみた。しかし何も起こることはない。引いても駄目であれば押してみるか……。しかし下方へと押すが、床に変化が起きることはなかった。
「何もないのか」
床をみんながライトで照らすと、村木が何かに気が付いた。足元に違和感を覚えて注視してみると、少しだけ模様がずれているように感じられた。
「もしかするとスライド……」
村木が小さく呟いた。その言葉を受けて、今泉が思い切り床を押した。ほんの少しであるが、動くような感触が手の中に残った。
「多分そうです」
今泉が興奮を隠すかのように小さな声で答えた。そして押すよりも引くほうが良いと思ったのか、位置を変えてくぼみを引っ張った。それは長年しまっていたとは思えないほどあっさりと動き、床に穴を存在させた。
「階段だ」
村木が地下へと降りる階段を照らした。他の三人もそれを確認した。
「やはりこの石が導いた通りなのか……」
薫は怪しい石を再び手中へと収めようとしたが、それはすり抜け、薫たちを招くように、地下へと浮遊していった。
「行ってしまいましたね」
村木が急いで追うために階段を降りようとした時、峰がそれを制した。
「真っ暗な地下は危ないでしょうから、私が先に行きましょう。
今泉はここで待機していてくれ」
「えっ、わかりました。何かあったら声をかけてください」
自分がここに一人残ることが嫌だったのか、渋々という感じで峰に返答をした今泉は、辺りを今まで以上に警戒した。地下に通じる通路がここにしかなければ、外部からの不安は一手に引き受けなければならないと感じたからだ。
「じゃあ行きましょう」
ライトを照らしながら峰はいつでも銃を使用できるように、一歩、また一歩と辺りを警戒しながらゆっくり階段をと降りていった。薫と村木もその歩みについていく。今まで以上の緊張からか、薫は喉の渇きを覚えた。唾をゆっくりと飲みこみ、思わず村木の事を振り返った。村木は今声を出すわけにはいかないと思い、覚悟を決めた顔で頷いた。
何となく嫌な臭いが感じられた。それが何という具体的な表現はできないが、不快にしか思えないものであることは確かであった。峰は階段の一番下の床を踏んだ。そこに広がるのは大きな地下室であった。まるで有事に備えるためのシェルターのようにも思えるものであった。
空中をさまよう石は、後続の三人とは離れた位置を浮遊していた。暗闇の中でライトを照らす三人の光りは、小さな石の存在をわからせることはなかった。だが不意に石は強い光りを放った。その眩しさに三人は思わず目を閉じた。どれほどその光りが強かったのかは、階段の上にいる今泉にも届いている事で明白であった。
しばらくして目が慣れてきたのか、薫は瞼を開いた。
その時に絶望を覚えた。薫の肩の力が思わず抜けた。
村木は思わず、部屋の奥へと走った。峰は無念な表情で、唇を噛んだ。
「宝田さん」
峰が薫の背中を押した。力の無い目で峰を確認した薫は、村木の後をゆっくりと追った。
村木は床に倒れている百合を抱きかかえた。
血まみれで息をしていない百合に絶望感を覚えながらも、まだ何かできるのではないかと考えるが、そんな方法は頭の中には、一つも浮かぶことはなかった。
涙が村木の頬を伝う。薫も誘われるように、思わず涙を流した。そしてゆっくりとしゃがみ、村木が抱える百合の顔に手を当てた。
「百合……」
力を無くしていた薫は、強く自らの拳を握りしめることしかできなかった。こんなに酷いことをした犯人に対して怒りが湧いてくるが、それ以上の悲しみが薫の心を支配した。
「何で結婚式当日に、こんなことに……」
絞り出すような村木の声は、ほとんど言葉になっていないように思えた。
百合の遺体は、別荘地で見つかってから司法解剖を経て、宝田家へと帰ってきた。
あちこちを切り刻まれ、最後は首の頸動脈を切られて亡くなったと判断された。残忍な殺害方法までは報道されないまでも、テレビでは猟奇的な殺人鬼の存在をあおるような報道をしていた。
葬儀に喪主として立つ薫に、寄り添うように村木は立っていた。
本来であれば妻となっていた百合が、今は棺桶という狭く苦しい木製の棺に入ってしまっているのだ。唯一葬式でよかったことがあるとしたら、悲惨な状態であった百合が、納棺士によって綺麗になっていることくらいであった。
焼香を終えて外へと出た峰と今泉は、悔しさを募らせていた。このような結果になってしまったが、初動捜査という点では峰の勘により、失踪からすぐに行動することができた。それによって、警察の体面は保たれ、これ以上の成果は出なかったと判断された。
しかしながら二人は、自分たちの非力さを感じずにはいられなかった。
「規模が大きくなったから、被疑者の捜査は本庁に移ってしまいましたね」
今泉は峰の無念の気持ちに寄り添うように声を出した。薫と村木を見てきた身としては、最後まで自分たちで捜査をしたかったという思いがあった。
「まあな、でも俺たちも聞き込みなどの末端を担っているんだ。
せめて犯人を早く捕まえる手がかりの一つでも見つけたいものだな」
峰は口を真一文字に閉めた。
「そうですね。早く解決をして、あの二人の無念を晴らしましょう」
今泉は、別荘地での光景を思い出し、怒りの感情をあらわにした。
それにしても、薫が持っていた不思議な石の存在は、今考えてみても何とも言えない体験であった。再びあのようなことが起こるのであろうか……。だがそんな事を考えるよりも、捜査を進めるしかない。峰も今泉も葬儀の列に背を向けながら、新たな気持ちで歩きはじめた。
峰たちの足が宝田家へと向いたのは、事件について何もわからないまま数日が経過した頃であった。
上がらせてもらった居間には百合の遺影と共に、白い布に包まれた遺骨が置かれていた。その横には、不思議な現象を起こした石が置かれていた。薫の話ではあの別荘地へ行くきっかけとなった時以来、光ることも浮遊することもなかったと聞いた。
遺影へと手を合わせ、峰と今泉は、薫がお茶を用意してくれたテーブルへ着いた。
「この度は、私たちの力がおよばず、このようなことになってしまい、本当に申し訳ないです」
峰が深々と頭を下げ、今泉が続く。その姿に薫は手を振った。
「いえ、峰さんたちはそんなに簡単に動けないと言いながらも、すぐに行動を起こしてくれたじゃないですか、しかも私の勝手な行動にまでついてきてもらって」
薫の表情は穏やかながら、悲しさが溢れているようであった。
「しかし、百合さんがこのようになってしまったのは事実ですから」
峰はもっと何かができたのではないかと、自分に何度となく問いかけていた。だが何を考えても過ぎてしまったことは仕方がないと割り切り、前を見ることしかできなかった。
「ただ捜査は続いています。絶対に犯人を捕まえてみせますから」
峰も今泉も、その言葉と共に、眼に力を宿した。
この人たちに任せておけばいい。薫はそんな思いで、自分の行動を律することしかできなかった。自分が下手に動いたことは捜査の邪魔になったのではないか……。自分が動いたことによって百合が殺されてしまったのではないかという、良心の呵責に囚われていたのだ。だからこそ信頼できる峰たちにまかせておけばいいと考えていた。
「そういえば、怪しい車があったと言いっていましたが、あの別荘に私たちが行った時にはなかったですね」
薫が思い出すように言った。
「そうですね。しかも車は盗難された物らしく、未だに見つかっていないのですよ」
今泉が答えた。それに峰が続く。
「車が見つかれば、何か痕跡をたどれると思うのですが」
「そうなってくれることを祈ります」
薫は自分で言っておきながら現場の事を思い出し、少しだけ気持ちが重くなったのか、視線を落とした。
「ピンポーン」
呼び鈴が鳴ると、村木が部屋の中へと入ってきた。最近村木は薫を心配してか、時間ができると宝田家へと顔を出していたのだ。
村木は、峰と今泉の存在に気がつき、軽く会釈をして冷蔵庫へと歩んだ。ふさぎ込んでいる薫に代わって買い物をしてきた物をその中へと入れ、二人の刑事の前へと来た。
「その節はありがとうございました」
その言葉は村木の本心であった。そしてこれからも犯人逮捕へ向けてお願いをするという意味もこめていた。
「まあ、何にせよ。私たちも全力で捜査を継続しますので」
峰が頭を下げた時であった。遺骨の横へ置かれた石が再び光を発した。四人は再び起きた現象に驚きを隠せなかった。
「あれ以来はじめてだ」
薫は思わず立ち上がり、石へと手を伸ばそうとした。
「ウインザー、日本の浮遊石に接続できそうだぞ」
ロメロはキーボードをいじっていた手を止め、画面を注視しながら声を上げた。ウインザーとジョフレはその言葉に釣られるようにロメロの後方へいき、正面にそびえる大画面に映る日本のポイントを確認した。
「いけそうなのですか」
真剣な表情のウインザーが期待を込めて言った。
「たぶんできると思うのだが……」
ロメロはもう少し、と期待をしてキーボードを叩きはじめた。だが一瞬画面が切り替わりそうになるが、元の画面へと戻ってしまった。様々な方法を試すロメロをウインザーとジョフレは希望的観測を含めて見守ることしかできなかった。
「これでつながるかもしれない」
思わずロメロは声を上げ、キーボードを叩く音が、興奮している自分にリンクしている感じを受けた。
一瞬画面が暗くなった。だがすぐに元の地図の画面へと戻ってしまった。
「駄目だったのか」
ジョフレが落胆の声を発した。しかしロメロは諦めなかった。
「いや、もうすぐつながると思う。だがこの浮遊石の電波を繋げるのは至難の技だな」
ロメロが再度指先を素早く動かした。
パソコンと浮遊石を繋ぐ電波は、世界のどこでも使われていない未知のものなのだ。だが確実に存在はしていることは明白であった。ウインザーが自らの修正者としての存在に気が付いた時、なぜか世界に存在している周波数の異なる電波を捉えたのだ。それをロメロと多くの研究員と共に具現化するまで、どれほどの時間がかかったものか、思い出すだけでもその時の膨大な時間を費やしてしまった苦労がにじみ 出すようであった。学生の頃にコンピューター事業で起業し、それなりの金額を持っていたウインザーは、なぜか使命感の赴くままにこの豪邸を建てて、会社の数人の技術者と共に、修正者として自分たちが何をするべき存在なのか探りを入れてきた。
そんな中で元々仕事のパートナーであったロメロとジョフレが修正者であることが判明し、使徒をどのように倒すべきなのかまで理解を進めた。
使徒の数は一二人、修正者は七人……その人数はつい最近判明したことであった。
そこから使徒の特定と修正者の特定を任されたロメロによって、今までに三人の使徒を倒した。それによって残りの使徒の数は九人へと減った。だがその戦いの中で、一人の修正者が命を落としたことにより、残りの修正者の数も六人になった。
修正者を探る手掛かりは、誰が存在させたものかはわからないが、ウインザーたちが浮遊石と名付けた石の存在であった。
浮遊石は今ロメロが繋ごうとしている存在が不明な電波の先に繋がれているはずであった。
そして今、浮遊石が反応しているという事は、新たな修正者の存在がわかるかもしれないという事であった。だからこそ、早く電波が繋がって欲しいとウインザーは考えていた。
「よし、来るぞ」
ロメロが再び興奮と共に声をあげた。そして再び画面は強い光りを発した。
薫たちの前で発光し、浮遊した石から、上部へとホログラムが浮かびあがった。
浮遊した石を掴もうとしていた薫は、驚きで手を戻した。
そこへ写しだされた男の存在は、その場に居合わせた誰一人として、今までの人生の中で目にしたことがない人物であった。
「なんだこいつは」
今泉が誰もが思っている心の声をとどめることができずに、言葉にした。
「聞こえますか」
男は四人へと問いかけた。不思議そうな顔をしてみんなが目を合わせた。その言葉に返答をするべきかどうか悩んでいたが、薫が意を決し、言葉を返した。
「聞こえるが、あなたはいったい」
何度となく不思議な現象を生み出してきた石であるが、今までと異なった現象が起きているので、何をどのよう対処したらよいのか誰もがわからなかった。
「ウインザー、今返事をした男だ」
ロメロが解析作業をしていた中で、画面の中にいる薫にターゲットポジションが点滅している事をウインザーへと伝えた。この男が修正者の一人なのか……。ウインザーはそう確信すると、改めて薫を見た。
「私はウインザーという者です。今返事をしてくれたあなたのお名前は」
「俺か、俺は宝田薫だが……」
皆がホログラムから発せられる男の言葉を夢のようにも思っていたが、今までの石による奇跡のような出来事から、あり得ることであると、驚きで一瞬遅れたが理解を示した。
「それではあなたが修正者なのですね」
「修正者……何のことだ」
薫の頭の中で浮かんだ疑問が言葉となった。
「そうですか、まだ与えられた使命の事はわかっていないようですね」
「使命……」
わからない言葉ばかりを発するホログラムの男の言葉を、薫は理解ができなかった。
ウインザーは言葉に反応しない薫のことを逆に理解できていた。自らが啓示を受けた時にもそうであったが、すぐに自らの使命の事などはわからなかったからだ。だが次第にそれを理解していった。それは頭に直接感じるものであり、しかも誰もがそれを感じることがないことは、ロメロとジョフレが同じ状態であったために、説明をしなければわからないものだという事も経験していた。
「その浮遊石があなたの元へと行ったのは、修正者であることの証なのです」
その言葉にホログラムを発しながら浮遊している石を改めて薫は確認した。
「この石が……ちょっと待ってくれ、この石は貰った物で、俺のところへ最初からきていたわけではないのだが……」
薫はコンビニエンスストアの前であった老人、湯田を思い出した。
「やはり混線していたんだな」
ロメロが薫の答えを聞いて呟いた。それを耳に入れていたウインザーはロメロが以前浮遊石の行先がわからないと言っていたことを思い出した。だが混線していたとはいえ、今は本来あるべき男の元へと届いているのだ。このまま話を続けたほうが良い、ウインザーは話を先へと進めた。
「どちらにせよ、今あなたの元へ渡ったという事は、あなたが修正者だという事を意味しているはずです」
はじめて聞く修正者という言葉……それは一体何者なのか、それすらわからない状態なので、薫の頭は激しく混乱していた。そばで聞いている村木たちも、このホログラムとして浮かび上がったウインザーという者が、一体、何を言っているのか理解できなかった。
「その石は通信機のようになっているのです。調べてみたのですが、石のように見えますが実際に地球にはない物質でできているようです。
そしてそれを受け取った者が修正者という事になります。
修正者とは、創生者と呼ばれる地球を創った者が送り込んだ人たちの事を指しています」
「地球を創った者……」
訝しそうに峰は思わず声をあげた。
「そうです。私たち修正者は、創生者が作った地球に起きているバグを修正し、創生者が望んでいた世界を再び構築するために使命を与えられた者たちなのです」
今まで奇跡を起こしてきた石……しかしその石から出てきたホログラムの男が言っていることは、新興宗教か何か、怪しげなモノとしか誰もが捉えられなかった。
「……」
無言の四人を前に、ウインザーは話を続けた。
「だが私たち修正者の存在を知って、今の地球をそのまま維持しようとしている者たちも同時に産まれました。それが使徒と呼ばれる人たちです」
頭の中で、話を何とか整理しようとしていた峰が言葉を出した。
「再構築か、それとも現状維持か……まったくわからない話だな」
その言葉で修正者と使徒の対立構造を、薫は何となく頭の中へ描いた。
「まだ完全に覚醒していないあなたが理解できないのは当然でしょうね」
ウインザーは自らを納得させるように言った。
「今まで見てきた石の事もあるから、このような現象は理解するしかないのだが、修正者とか使徒とか、本当に何を言っているのか……」
薫が混乱してきた頭を押さえた。その時にロメロが画面の中の薫の存在を分析した。
そこに驚くべき事実が隠されていることを知ったロメロは、ウインザーの横へとホログラムとして浮かび上がってきた。もう一人の出現に、再び四人は驚いた。そんな事にかまうことなく、ロメロは薫へと話しかけた。
「薫と言ったね。君の親族で最近亡くなった人はいないかい、例えばご両親とか」
村木は亡くなったという言葉に反応して、思わず百合の遺影を視線に入れた。いや村木だけではなく、居間にいた全ての者が、同じ方向を向いた。ウインザーもロメロも画面を通して、その方向を確認した。
「妹が亡くなったが、それが何か……」
薫は弱弱しい言葉を。無念そうな表情と共に吐いた。
「そうでしたか……」
ロメロが思わず言葉を出すが、薫の心中を察すると、すぐに次の言葉を繋げることはできなかった。
「それが何か関係あるのか」
村木は少しだけ、感情的に声をあげた。もしも関係なく百合の死を取り上げるとしたら許せないと思えたからだ。ロメロはその言葉によって切り出すきっかけができたと口を開いた。
「今までこのような事例がなかったので、憶測であるのですが……その亡くなった妹さんは、もしかして殺されたりしたのでしょうか」
耐えられない言葉を出され、四人は悲しい気持ちを掘り起こされたような気がした。村木が言葉を出そうとした。
「そうだ」
村木よりも先に、何とか絞り出すように薫は答えた。ホログラムの男がなぜ百合の死をそこまで聞きたがるのか、もしも意味なく百合の死を汚すような事があれば、全てをぶち壊したいくらいの気持ちであった。しかも殺されたという事まで、どうして知っているのか……。
「私たちと使徒は戦う運命にあるのです。
修正者は使徒たちのバグを修正し、使徒としての能力を消すことによって戦いを完結させます。
だが使徒たちは私たちに使徒としてのバグを修正させないように、自分たちがやられないようにセキュリティを上げようとするのです。そしてセキュリティを上げるために必要なのは、修正者の血なのです」
その言葉を聞いた時に、居合わせた四人はなぜあれほどまでに切り刻まれ、血まみれになった百合の姿が存在したのかを、少しだけ理解できたつもりでいた。
「もしかして本来の修正者は、その妹さんだったのでは……」
ウインザーが薫に説明をするために現れたロメロに聞いた。ロメロは頷いてそれに対して返答した。
「妹さんが亡くなったことによって、修正者の能力が薫に移行されたと想像できます」
ロメロの言葉に、百合が修正者であったことによって殺されたと、途方もない原因があることに、居合わせた四人は何を考えてよいのか、よくわからなくなっていた。
「その修正者という能力は移行されるものなのか」
百合が殺されることによって継がれた能力……そう考えた時、薫は自らの手を見ながら、信じられずに、言葉を小さく呟いた。
「先ほども言った通り、今までの事例ではありません。一人の修正者がこちらでも亡くなっていますが、その人間に身内はいなかったものですから……」
ロメロが薫へと答えた。
「じゃあもしも俺がその能力を次いで修正者になったとしたら、その使徒とやらは俺の血を求めるために、俺の前に現れる可能性があるということか……」
「おそらくそうなるでしょう」
もしも百合を殺した相手が薫の前に現れるのだとしたら、百合の無念を晴らすことができる。犯人に近づくことができる可能性を薫はありがたいと思った。
村木も薫に危険が及ぶことを良いとは思わないが、百合を殺害した犯人を知り、それを裁くことができるのならば本望だと思えた。
「そのうち浮遊石が使徒を割り出して導いてくれるでしょう。
その時あなたが能力に目覚めているかわかりません。もしも私が接続できていれば手助けをできるが思います。ロメロこの通信を切らさないようにお願いします」
「わかりました。一度接続できたのですから大丈夫だと思います」
それだけを言うとホログラムのロメロは姿を消した。
「薫さん、私たちがなぜこのような使命を背負ったのか、それは私にもわかりません。
だが妹さんの無念もあるでしょうが、地球を救うために手を貸してください」
ウインザーの言葉に薫は頷いたが、まずは地球どうこうではなく、百合の無念を晴らすことしか頭の中には存在しなかった。復讐という言葉が薫の中に強く存在していたことは言うまでもなかった。
その時に浮遊石が光りを放った。
遠く離れているロメロは、浮遊石と接続できているために、その光りをとらえていた。慌ただしくキーボードを叩くロメロは、再びホログラムとして四人の前に浮かび上がってきた。
「この地図の場所がわかるかい」
ウインザーたちとは別に浮遊石から発せられた光りは、壁をスクリーンとして地図を浮かび上がらせた。都道府県が映っているが、かなり広範囲な地図なので、どこという判断はつかなかった。
「場所と言われても大きすぎるからな。もっと拡大はできないのか」
居間にいる四人は別荘地へと向かった時の事を思い出していた。その時、浮遊石によって映し出されたパソコンの地図に百合がいたことを考えると、今度は使徒の居場所なのかもしれない。誰もがそう感じていた。
画面が拡大されていく中で、村木が反応した。
「これって山の中じゃないですか、それも結構奥の方ですね」
「知っているのかい」
薫の言葉に、村木は頷いた。
「はい、あまり有名ではない滝があるところだと思います。
観光客なんかもいかないところですね」
村木が近づいて見ようとした時に、一瞬画面が消えた。立ち位置が悪かったのか、浮遊石からの映像が村木の存在に遮られて背中に映った。そのことに気が付いた村木は場所を変えて、今一度地図を確認した。
「そうですね、昔行ったことがあります」
村木は自ら納得するように頷いた。
「ロメロと言ったな、ここに百合を殺した使徒という奴がいるのか」
薫は無意識に拳に力が入ったまま、地図を確認しながら話しかけた。
「まず間違いないと思う」
居間にいた四人は顔を見合わせて頷きあった。
「もしも行くのならば浮遊石を必ず持って行ってください。
私たちが使徒を倒す援護ができるかもしれない」
ウインザーが言葉をかけた。
「そうだな、どちらにせよこいつの力がなければ動けないだろうしな」
薫が浮遊石に手を触れようとした時に、峰が一度制止した。どうしてという顔で薫が振り返った時に、今泉は壁に映し出された地図をスマートフォンで撮影した。それを確認すると峰は薫に浮遊石を手渡した。
するとホログラムとして映っていたウインザーとロメロ、そして地図は夢でも見ていたかのように消えた。
「さあ、これでいいですね。行きましょう」
峰は覚悟をした表情で合図を送った。誰もが同じ思いで頷いた。
そして四人は慌ただしく家を出た。村木は車に乗り込むと、先ほどの地図の位置を覚えていたのか、カーナビに目的地として登録した。そこには目標の到達時間が計算されて表示された。
「二時間くらいで着きそうですね」
村木が画面を確認してからアクセルを踏んだ。その村木に対して峰は落ち着かせるように
「私たち警察が乗っているのですから、法定速度を守ってお願いしますね」
と笑顔で声をかけた。村木はバックミラーでその顔を確認すると、一度気持ちを整理してから、大きく深呼吸をしてから頷いた。
車はいつの間にか、高速道路を疾走していた。
「犯人は一人なのでしょうか」
今泉が峰に声をかけた。
「さあわからないが、一人だと思おう。
それにしても使徒とか何とかだから、応援を頼もうにも頼めないだろうな」
峰は職務なのか、自らの意思なのかわからない返答をした。
そんな後方の二人の会話に薫が割って入った。
「一人だろうと二人だろうと何でもいいですよ。
百合を殺した男を倒すことができれば……」
薫は言ってから拳を握った。それを横目で見た村木は思わず強くアクセルを踏みそうになったが、バックミラーに映る峰を視界に入れると、出発する時の事を思い出し、速度メーターを確認した。
「二人とも冷静になってくださいね。法治国家である日本では仇討ちは許されないのですから……。
あくまでも犯人を捕まえるのは私たち警察の仕事です」
峰が強く言い放った。薫と村木は本来、復讐として犯人を殺したい気持ちがあると、お互いの思いが一緒であることを目線で確認した。だがそれはいけないことであると切り替えたい思いもあった。
「峰さん、もしも私たちが暴走しそうな時は、お願いしますね」
薫は一度肩の力を抜いた。その肩に峰はそっと、思いを汲むように手を置いた。この二人の刑事は、何だかんだ言いながら自分たちの気持ちを理解してくれる。それだけでもありがたいと思うと、村木のアクセルを踏む足は、少し力が抜けるようであった。
「ロメロ、通信は続いていますか」
ウインザーが緊迫した表情で、物理的に存在しない謎の電波をたどるロメロへ確認した。ロメロは画面を確認してから答えた。
「通信は続いています。ウインザーは席について待っていてください」
「わかりました。通信していれば手助けもできるよね」
「多分こっちの打ち込みが向こうにも届くと思います。
それができるように今必死になって準備しているので待っていてください」
ウインザーはロメロの集中力を切らしてはならないと、指定された席へと着いて静かに時を待った。
ジョフレも何かあった時に自らも参戦できるようにと、他の席へと着いた。
いつの間にか張り詰めた緊張感がコンピュータールームの中に漂った。
車は山道を抜けるのに予想以上の時間がかかり、予定よりも一時間近く遅れて、目的地近くへと着いた。目的地はここから先、これ以上は車で進むことはできない場所のようで、小さな駐車場へと車を入り込ませた。
四人が車を降りると、止まっている一台の車へと今泉が走り寄った。
「峰さん、これ盗難されていた車ですよ」
ナンバーを確認し、百合がいなくなった当初に、怪しいと目されていた黒い四WDであると今泉は確信した。その今泉の元へと峰は向かった。薫たちは先を急ぎたいと思うが、峰は一呼吸置きたいと思い行動したものであった。
どちらにせよ修正者である薫を犯人は待っている。今更逃げるという事はない。薫は手の中にある浮遊石を握りしめた。
「たぶん、この辺りに犯人がいると思われます。気を付けていきましょう」
峰は薫たちに声をかけ、自らの銃がいつでも使える状態にあることを確認した。今泉もそのしぐさを見て自らの脇のあたりを調べた。
この先に百合を殺した犯人がいるのだ。修正者や使徒などという物とは関係なく、ただただ百合の仇としてしか薫も村木も考えることはできなかった。
駐車場から先の山道を抜け、行き止まりにある滝へと向かうべく、足を踏み出そうとした。それを察してか、浮遊石が浮かび上がり、皆を先導するようにゆっくりと進み出した。
浮遊石を追うように、先へと進む四人の耳に、徐々に滝の音が聞こえ始めたことにより、更に高まった緊張感が四人を包み包み込むようであった。
駐車場を出てからどのくらいの時間であったかはわからないが、それほどかからずに四人の前に滝が見えてきた。それほど大きな滝ではない。だからこそそれほどの観光地にはなっていないのだと気づかされた。
浮遊石はそこで止まり、薫の手の中へと自然に戻ってきた。
目の前にあるそれほどの落差のない滝は水量が多いせいか、勢いよく水しぶきを上げていた。その前方に、浮遊するように椛島は存在していた。
「あいつ、浮いている……」
今泉が驚愕の声をあげた。誰もが同じような思いであったが、薫と村木はそんな事はどうでも良かった。目の前に百合を殺したと思われる犯人がいる。それだけであった。本当にこの男が百合を殺したのであれば、復讐を遂げたいという思いの方が勝っていた。
「何だ、修正者だけじゃないのか」
四人の姿を確認した椛島が思わず声をあげた。それに応えるように峰が拳銃を構えて、一歩前へと進んだ。
「お前が宝田百合さん殺害の犯人なのか」
あくまでも峰は警察として犯罪者を捕まえるという、そのことだけを念頭に置いていた。今泉も銃口を椛島へと合わせた。
「だとしたらどうする」
「自首してもらおう」
椛島は峰の言葉に返事をしなかった。ただ目の前にいる四人を舐めるような眼で見ているだけであった。
「峰さん、あいつを確保しましょう」
今泉が峰に近づきながら言った。緊張状態の峰は、銃口を椛島に向けたまま答えた。
「確かにそうしたいが、あの浮いている状態じゃな……」
今泉が言うように確保するにしても、どのように浮遊している椛島を捕まえたらいいのか……皆目見当がつかなかった。そうかと言って発砲をしたとしても、浮遊が続いていたらどうしようもない。
「どうする、自首するのか」
今泉は自らが提案した方法が通じないことを悟り、大きな声を出した。その声の大きさが嫌だったのか、椛島は今泉を睨んだ。
「さっきからうるさい奴らだな」
椛島が、手の平を今泉に向けてかざした。そこから出る衝撃波のようなものを今泉は避けられずに身体へと受けた。その衝撃波によって自らの身体がどうにかなっているのではないかと、今泉は確認するが外傷のような物は見当たらなかった。
「一体何をしたんだ」
今泉はそう言葉を発したはずであった。しかしそれが空気を振動させることはなかった。まるで池の中から空気を吸いにきた鯉のように、口をパクパクするだけで声にならないのだ。今泉は何度か声を出そうとするが発することができずに、不思議な感覚の自らの喉を押さえた。
「一体今泉に何をしたんだ」
峰が不審な今泉の行動を見て言葉を発した。
「別にいいだろう」
椛島は更にいやらしい笑いを浮かべた。
その表情に苛立ちを覚えた村木が前に出ようとした。そこに再び椛島の手の平から衝撃波が放たれた。それを浴びた村木は、自らの意思が足へ届かず前に出る事ができなかった。
「村木君」
「お兄さん、足が……」
どうにかして足を動かそうとしている村木に、薫は驚きと共に声をかけた。だが衝撃波がいつ自らの飛んでくるかもわからない状態なので、視線は椛島に向けたままであった。
「一般人なんて、俺たち使徒の力で止めることくらい可能なのさ」
椛島が今度は峰に向けて衝撃波を放った。
峰はそれを避けるが、再度放たれた衝撃波を浴び、村木と同じように動くことができなくなった。今泉が峰に近づくが、峰は足だけではなく身体全体動く様子がなかった。
「お前が修正者のようだな。普通でないことは何となく理解できる」
椛島は薫を睨みつけた。薫はそれ以上の力を込めた視線を送った。
修正者として自覚のない薫であるが、ウインザーたちの話しでは、椛島がセキュリティを上げるために自分の血を求めてくるはずだと思っていた。峰や村木と同じように衝撃波を浴びて動けなくなってしまっては、相手のなすがままになってしまう、そうならないためにどうしたら良いのか、そんなことを考えても答えが浮かぶことはなかった。
「お前も動けなくしてやるよ。その上で、血をもらおうか」
椛島が衝撃波を薫に向けて発した。その波が薫に当たる寸前に、他の者へと当たった。それは今泉であった。飛び込むように衝撃波を浴びた今泉は、倒れた状態で村木たちと同じように、身動きを取ることができなくなった。
「お前が防いだところで、どうせ同じことだ」
蛇のような眼で今泉に言うと、視線をその横にいる薫へと椛島は向けた。
【どうしたらいい】
薫は思わず後ずさりをした。せっかく百合の仇が目の前にいるにもかかわらず、そこに対して何もすることができない。こんなに悔しい気持ちはなかなか感じることはなかった。
「さあ、大人しく死んでくれよ。
修正者の全てがいなくなれば、バグを直すことなど不可能になるのだから……」
椛島は滝の前から少し出て、薫へと近づいてきた。このままでは……薫がそう思った時であった。椛島の手から衝撃波が発せられ、大きな光りが飛び散った。
薫は思わず目をつむった。衝撃波は薫ではなく、手の平から浮遊した石へとあたり、光を飛び散らせたのだった。
「浮遊石だと、そんな物を持っていたとはな」
椛島は驚くように薫の前に浮かんでいる石の存在を確認した。そこからホログラムとなったウインザーが現れた。
「薫さん、一瞬電波が途切れたようなので遅くなってしまいました、すみません」
ウインザーは薫に対して謝りながら、椛島の存在を確認した。
「お前は一体」
急に姿を現したウインザーの姿に、椛島は驚きを隠せなかった。
「セキュリティウォールを作りました。これであの衝撃波をもう恐れることはないですよ」
驚く薫にウインザーが説明をした。セキュリティウォールと言っても、実際に目に見えるものでないだけに、薫は今一度ウインザーへと確認をした。
「セキュリティウォール、じゃああの攻撃はもう気にしなくても大丈夫なのか」
「そうです、ただ使徒はあなたの血を求めてきます。
いいですか、遠隔操作で私が彼のソースを書き換えて、使徒としての能力を奪っていきます。
ただ遠隔ですので、私が直接攻撃をしかけることはできません。私が合図した時に浮遊石を彼に向けてください。使徒と同じように衝撃波が出るはずです」
薫は何となく理解したことを、頭の中で繰り返した。
「わかった、とりあえず俺はウインザーの指示で攻撃をすればいいんだな」
「はい、ただ先ほども言ったように薫さんの血を求めて物理攻撃をしかけてくるはずです。それは避けてください」
「わかった」
ウインザーが椛島の頭上に見えるソースの解読をはじめた。椛島は前回百合の血によってセキュリティが高くなっているようで、それを解除することが先決になるようであった。
「助っ人がいるのか、まあ通信状態であればその前に修正者を倒すだけだ」
椛島は素早く薫へと迫ってきた。その手にはナイフが握られていた。薫の横を椛島が通った時に、薫の腕から鮮血が飛び散った。
「このスピードを避けろ、ってか」
思いもよらない椛島の速さに薫は驚いた。しかしそれをしなければ自身の身は守れない。薫は腹を決めることしかできなかった。
「薫、浮遊石を使徒に向けてください」
ウインザーの言葉で浮遊石が光った。それが攻撃の合図であった。
薫は浮遊石を椛島へと向けた。衝撃波が矢のように椛島へと向かった。だが椛島は素早い速さでそれを避けた。
「あんなに早い奴に当たるのか……」
薫は攻撃が当たらなければ意味がない。可能性としてはかなり低いのではないかと自信がなかった。
「一回や二回はずしたからって、どうってことないですよ。何度でも行きますよ」
ウインザーが励ましの言葉を放つ。そうだと気を取り戻す薫であるが、再び切りつけてきた椛島の攻撃を身に受けた。再び薫から鮮血が飛び散った。
「助っ人がいてもどうにかなりそうだな」
椛島はナイフに付着した血を、自らの頬へと当てた。ほんの少しであるが、ウインザーには椛島の見えているソースの数が増えたことが理解できた。セキリュティを高めた椛島を破るためにウインザーはキーボードを叩いた。
浮遊石が光り、薫が攻撃をした。どの方向へ避けるかなどはわからないが、予想をして少し外した位置を狙った。その読みは当たり、ぎりぎりで避けようとした椛島の足に衝撃波が当たった。それによってウインザーが見えているセキュリティコードが消え、新たなコードが浮かび上がった。椛島は自らのコードが消えたことを理解しているようであった。
「助っ人はかなりのレベルらしいな。
今の血の分どころか、その前の一部まで一発でやぶってきやがった」
椛島はウインザーの存在に警戒心を強めた。
浮遊石が光り、再びウインザーからの指示が飛んだ。薫が椛島の動きを見て衝撃波を出すが、警戒心を強めた椛島はそれを避け、薫へとナイフで攻撃をしかけた。首筋を狙った攻撃を、薫は飛びのくことで避けた。
「もしかすると」
薫は、別荘の中で無残になっていた百合の遺体を思い出していた。あちこち切り刻まれ、最後に頸動脈を切るという行為は、なるべく長く生かして、多くの血を浴びるためにしたものではないかと……そして最後に頸動脈を切ったのは、死ぬ間際に更に大量の血を浴びるためであったのだろうと……。
だが今薫に仕掛けた攻撃は、明らかに首筋からの大量出血を狙ったものであった。ウインザーの存在があるせいか、勝負を急いでいるのかもしれない、そんな結論に至った。
「ウインザー、ダミーの衝撃波って作れるか」
小さな声で薫はウインザーに声をかけた。
「ダミーを使ってどうするんですか」
「奴は俺を倒すことを急いでいる気がするんだ。だから一気に殺そうと思って攻撃をしてきたんだと思う。
だからダミーを打ったら攻撃をしかけてくると思う。近づいてきたら本弾を撃ち込むっていうのはどうだ」
「でもその分危険が伴いますよ」
ウインザーが心配する表情を見せた。
「それでもいいんじゃないか」
薫は覚悟をしているようであった。それをウインザーの横で聞いていたロメロが急いでキーボードの上で指を滑らせはじめた。
「わかった」
浮遊石が光り、ロメロが作ったダミーの衝撃波が薫の元から放たれた。
椛島は予想通りにそれを避けると、勢いよく突っ込んできた。薫はその瞬間に右上へと飛んだ。その位置は突っ込んでくる椛島の顔面の位置であった。首だけの致命傷を何とか避ければよいという諸刃の考えであった。
その瞬間に椛島の身体に浮遊石が触れた。それと同時に大きな光りが弾けた。
薫と椛島は当たった衝撃で少しだけ違う位置へと転がった。
「痛って」
薫は椛島の顔面が当たった腹を押さえながら立ち上がろうとした。
「逆に近づくことができたよ」
椛島はすぐに立ち上がり、未だ立ち上がることのできない薫の前で、ナイフを振り下ろそうとした。
その時であった。銃声が聞こえたと同時に椛島が倒れた。振り返ると峰が銃を構えたままで、こちらを見ていた。
足に銃撃を受けた椛島は、浮遊し、不思議そうに峰を見た。
「あの男、動けなくしていたはずなのに、どうして」
椛島は峰を不思議そうな目で見た。修正者でもない一般人の峰がどうして衝撃波を浴びて動くことができるのかわからなかった。だが再び衝撃波を峰に当てるが、少し動きが鈍くなる程度であった。
「どうしたんだ」
思わず椛島が不思議そうに、自らの手を確認した。
「薫、ロメロがさっきのすれ違った時に奴の力を弱めた。だから一般人に対する攻撃も弱くなったのかもしれない。だからこっちの攻撃もよけにくくなるかもしれない」
「じゃあ何とかなるかもな」
薫が再び光った浮遊石から衝撃波を椛島へと飛ばした。
椛島は一瞬迷い、行動が遅れたのか、銃弾を浴びた足に衝撃波を受けた。
「よし、これでほぼセキュリティは無くなりました」
ウインザーが今度はセキュリティではなく、行動制限のコードを打ち込んだ。薫がその力のこもった浮遊石を椛島へと向けた。
その攻撃も狙い通りに直撃した。それと共に浮遊していた椛島が地面へと落ちた。着地した時に先ほど峰に打たれた足に激痛を感じたのか、一度しゃがみ込んだ。そこへ再び衝撃波が襲い、大きな光りが椛島を包んだ。
「ウインザー、あいつはどんな状態なんだ」
「あと一撃ほどで、彼の使徒の能力は無くなると思います」
ホログラムとして表れていたウインザーは冷静に椛島を分析していた。
「使徒としての能力……」
薫は椛島から視線を外さずに問いかけた。
「ええ、誰かが私たちと同じように彼に与えたのか、それともバグの中で育ったものなのか、それはわかりませんが、その能力を封印することができるでしょう」
「封印するとどうなるんだ」
「彼自体のバグを修正すれば、もう使徒ではなく、普通の人間になりますよ」
「そうか、使徒じゃなくなるんだな、じゃあとどめと行くか」
浮遊石が光り、薫は衝撃波を椛島へと打ち込んだ。足の痛みのせいで動くことができない椛島に衝撃波が当たり、大きな光りが椛島を包んだ。
「これで俺は使徒でもなんでもなくなっちまったのか」
椛島はしゃがんだまま恨めしそうに観念し、薫とホログラムのウインザーを見て、語りかけた。
「今現在進行しているプログラムを書き換えるなんて、自分たちの存在を否定しているだけだとはいうことが、お前たちにはわからないのか」
皮肉にも自らが早期退職者となってしまった世界を、椛島は守ろうとしていた。それが自らの存在であれば、それはそれで仕方がないと思っていた。自分次第でまだ何かができるかもしれないという希望がバグの中にも存在していたからだ。使徒として目覚めたからには、現在を受け入れ、その中で生きていくしかできないことも、椛島は理解していたのであった。
「俺も詳しいことはわからない。修正者というものが一体何をするためのものなのか。ただウインザーが言っているように、バグを修正していかなければならないのだと、漠然と理解するしか今はできないんだ」
椛島の問いに、薫は小さく答えた。その薫を椛島は力いっぱいの眼で睨みつけた。
「ふざけるな、バグも創生者の意思の一つなんだ。今更修正するなんて……」
「だがバグを持って生まれた人間たちは、能力も高いが、犯罪率も高い。
より良い人間社会を作るためにも、創生者が修正できないバグを、私たちが直さなければならないのだ」
ウインザーが椛島へ強い言葉を吐いた。
「それはお前たちの思い込みだろう」
いつの間にか椛島の能力がなくなった事で、動くことができるようになった峰たちが近づき、その話を聞いていた。
「私たちには理解できない話ですね」
「理解できたとしても、何も手出しできないという方が正しいのかな」
今泉の問いかけに、峰も自分たちが踏み込めない領域があること、そこに力が及ばないことを痛感していた。
ただ今できる事は、椛島に手錠をかけ、宝田百合殺害の容疑者として捕まえることだけであった。
「今泉」
自分が出した手錠を、峰は今泉へと渡し、薫のそばへと近づいた。
「宝田さん、とりあえず犯人は確保しました」
峰が差し出した手を、薫は受け取った。
今泉は手錠をはめた椛島を立ち上がらせた。しかし足が痛むのか、椛島は一瞬よろけた。そこへ肩を貸したのは村木であった。
「くそ、百合を殺したお前を、本当は殺してやりたかったのだが……」
それだけを言うと村木は唇を強く噛みしめた。無念であるが、この後自分たちができることは何もない。なぜだか百合も薫も、そして椛島も自分たちが知らない運命に突き動かされているだけだと思うことしかできなかった。逃れられない事件であったのだと、自らが納得することはできないが、村木はそう考えざるを得なかった。
「薫さん、近いうちに会いに行きますよ」
ウインザーはそれだけを言うと消えていった。
薫は「ああ」と小さく答えただけであった。複雑な心境であったが、命の恩人の存在をふと思い出し、近づいた。
「峰さん、色々とありがとうございました」
薫は峰に頭を下げた。峰はその背中に軽く手を当てた。その手からは、優しさという温もりが感じられるようであった。
「さあ帰りましょう」
数か所切られた傷のある薫に、手を貸して峰は先を行く三人の後を追った。後方ではゴウゴウと音を立てながら流れ続ける。滝の存在があった。




