第3話:冷徹なる宰相の訪問
図書館の扉が開く音に、リリアーナは身を固くした。
こんな埃まみれの場所に、一体誰が訪れるというのだろう。
彼女はそっと振り返り、来訪者を確認する。
そこに立っていたのは、宮廷の執務服を完璧に着こなした、一人の青年だった。
黒髪に深い灰色の瞳。その冷徹な美貌は、まるで氷の彫刻のようだ。
彼は、この国の宰相アルフレッド・レノックス。
若くして宰相の座に就いた天才であり、宮廷では「魔術師殺し」と恐れられていると噂される人物だ。
アルフレッドは、リリアーナの姿を捉えると、その深い灰色の瞳を彼女に向けた。
その視線に、リリアーナは思わず息をのむ。
彼のような高貴な人物が、なぜこんな場所に?
アルフレッドは、書物への深い敬意を示すように、埃を立てないよう細心の注意を払って書架の間を進んでいく。
彼は、閲覧記録簿の余白に残る古紋の押し跡を指でなぞり、「この紋様……見覚えがあるな」と呟いた。
その視線は、この図書館に眠る真実、そして過去の事件の手がかりを探していることを物語っていた。
彼は、目的の書架の前で立ち止まった。
それは、かつて魔法の力を研究していた魔術師たちの記録が収められている場所だった。
しかし、その書架は崩れかけ、書物は散乱している。
「……これは、想像以上だな」
アルフレッドの低い声が、静かな図書館に響いた。
彼は、無造作に積み上げられた書物の中に、探しているものがあるのか、熱心に目を凝らしている。
その様子を、リリアーナは遠くから見つめていた。
彼は、書物の価値を「知識」として見ている。
この国の貴族の多くが、本を単なる飾りとしてしか見ていない中で、アルフレッドの態度は異質だった。
「あなた様は……」
意を決して、リリアーナは声をかけた。
アルフレッドはゆっくりと振り返り、彼女に冷たい視線を向けた。
「この図書館の管理人か?」
「はい。リリアーナ・ヴァリエールと申します」
アルフレッドは、リリアーナの地味な身なりを見て、少しだけ眉をひそめた。
しかし、彼女が抱えている古書に、彼の視線が留まる。
それは、昨日彼女が丁寧に修復した、美しい装飾が施された本だった。
「その本は……」
「はい、破損が酷かったので、少しばかり手入れをいたしました」
アルフレッドは、一歩近づき、その本を覗き込む。
彼の目には、リリアーナが施した修復の跡が、まるで魔法のように映ったのかもしれない。
「失われた技術か?」
「いえ、ただの素人の手慰みで……」
リリアーナは謙遜したが、彼の目は真剣だった。
彼は、リリアーナが持つ知識に興味を抱き始めている。
「君は、この図書館の書物をすべて読み解けるのか?」
「いいえ、まだ。ですが、時間をかければ……」
リリアーナの言葉に、アルフレッドは微かに口元を緩めた。
それは、冷徹な表情からは想像もつかない、どこか安堵したような微笑みだった。
「ならば、君はここにいていい」
それだけを言うと、アルフレッドは再び書架の方へと向き直る。
リリアーナは、その言葉の意味を理解できなかった。
彼は一体、この図書館に何を求めているのだろうか?
そして、なぜ自分を、この場所に留まることを許したのだろうか?
彼女は、彼が探している「魔術師殺し」の真相と、この図書館に眠る魔法の秘密が、やがて交錯することになるとは、まだ知らなかった。
静かな図書館に、二人の人間だけが、それぞれの目的を持って存在していた。
キャラクター紹介(第3話時点)
リリアーナ・ヴァリエール:
貧乏貴族の令嬢。前世の司書としての知識を活かし、古書の修復と解読に没頭している。若き宰相アルフレッドの訪問に驚きながらも、彼の持つ知的好奇心に共感し始める。
アルフレッド・レノックス:
若き宰相。冷徹な美貌を持つが、その内には深い孤独を秘めている。過去の事件の手がかりを求めて図書館を訪れ、リリアーナの知識と技術に興味を抱き始めている。