第2話:古書に宿る記憶
図書館の朝は早い。
夜明けとともに目を覚ましたリリアーナは、簡単な朝食を済ませると、すぐさま「王立学術図書庫」へと向かった。
昨日の夕方、彼女は「この場所を生き返らせる」と心に決めた。その決意を胸に、今日もまた埃まみれの古書たちと向き合う。
「まずは、清掃と整理からですね」
誰もいない空間で、リリアーナは独り言を呟く。
前世の司書としての知識が、彼女の行動を導いていく。書架の配置、本の分類方法、そしてなにより、古書を傷つけないための扱い方。
この世界の図書館員は、書物の価値を金貨の額面でしか測らない。しかし、リリアーナにとっては、どんなに破れていても、どんなに汚れていても、一冊一冊がかけがえのない宝物だった。
彼女はまず、破れたり、ページが抜け落ちたりしている本を慎重に選び出した。
それらを作業台に並べ、前世の記憶を頼りに道具を揃える。
専用の修復道具がない代わりに、彼女は魚膠や樹脂膠を糊に、亜麻糸を綴じ糸に、そして薄紙を補修に使うことにした。
最初の修復対象は、表紙の装飾が美しく、おそらく貴重な書物だった。
だが、その中身は見るも無残な状態だった。虫食い穴が空き、ページは千切れて、文字が読めなくなっている箇所がいくつもある。
リリアーナは、まず破れたページを繋ぎ合わせる作業から始めた。
繊細な手つきで、千切れた部分を自作の糊でそっと接着する。
まるで、書物に語りかけるかのように、優しく、慈しむように。
──この世界の魚膠は、日本のニカワとは少し違う。だが、この硬さなら、古書の繊維を傷つけることなく、しっかりと接着できるはず。
作業に没頭するうち、リリアーナの意識は書物の世界へと引き込まれていく。
日本の修復技術を活かし、破損した書物を丁寧に手入れしていくうちに、彼女は古書に記された失われた魔法や歴史の断片を発見していく。
ある本には、空を飛ぶための魔法が記されていた。
ある本には、水を操るための呪文が。
また別の本には、魔法陣の描き方が詳細に描かれていた。
この世界では、魔法は「非科学的」なものとして扱われている。
かつては魔法が栄えていたが、ある事件を機にその技術は失われ、今ではほとんど忘れ去られている。
だが、この図書館の古書たちは、確かに魔法がこの世界に存在した証拠を語っていた。
リリアーナは、それらの記述をノートに書き写していった。
まだ完全に解読できるわけではないが、前世の知識とこの世界の知識を組み合わせれば、いつかすべてが解き明かせるかもしれない。
「これは……」
ある時、彼女は一冊の古書から、奇妙な模様を発見した。
それは、ただの装飾には見えない。細かく複雑な線が絡み合い、まるで生きているかのように見えた。
これは、きっと魔法陣だ。
そう直感的に理解したリリアーナは、さらにその周辺の記述を読み解こうと試みる。
すると、その魔法陣のそばに、見慣れない文字が記されていることに気づいた。
この世界の言語ではない。
彼女は、前世で古書を研究するうちに学んだ、古代文字の知識を総動員して、その文字を一つずつ紐解いていく。
彼女がその言葉を声に出すと、近くに立てていた蝋燭の炎が、微かに揺らいだ。
──「古典語(ルーメ語)」。
それは、発声することで魔力を帯びる、かつて魔法を操るために使われていた言葉なのかもしれない。
そう考えると、彼女の胸は高鳴った。
外の世界では、誰もこの知識を必要としない。
だが、この図書館の中では、この知識こそが、この場所を蘇らせる鍵となるのだ。
リリアーナは、誰にも邪魔されることなく、書物との対話を続けた。
古書に宿る記憶、失われた世界の断片、そして、彼女だけが持つ前世の知識。
それらが一つに結びつくとき、きっと、この図書館に秘められた大きな謎が解き明かされる。
だが、その時、図書館の扉がゆっくりと開く音がした。
リリアーナは、驚いて顔を上げる。
こんな場所に、一体誰が……?
キャラクター紹介(第2話時点)
リリアーナ・ヴァリエール:
貧乏貴族の令嬢。前世の司書としての知識を活かし、古書の修復に没頭する。失われた魔法や歴史の断片が記された書物を発見し、この図書館に秘められた謎に興味を抱き始める。
アルフレッド・レノックス:
若き宰相。「魔術師殺し」と恐れられている。公務を装い、図書館にやってくる。その目的は、失われた魔法や歴史の真実を探ることである。