見知らぬ土地
拙い文章ですがお付き合い頂けると幸いです。
例えば、睡眠を取る前と後で目に映る光景が違えば人はどんな反応をするだろうか。ましてや自身の性別すらも変わっていたとしたら…?
目覚めから違和感を感じ起き上がる。目覚めはいつに無く良好で窓から差し込む日差しすら心地良い。
問題があるとすれば今自分が乗る場所は奮発して購入したお高い布団ではなく固く埃っぽいベッドであったであろう木材の枠であること。古いワンルームのアパートではなく壁も床も家具さえも朽ちた見知らぬ部屋であること。
そして何より、下を向けば日々の不摂生によって肥え太った腹が見る影もなく代わりにまるで女性のような二つの山。ガサついた肌に手入れのされていない中年の肉体は芸術品かと疑うほど整った女体へと変わっていた。
「あー…」
呆然とし声を漏らせば酒焼けなど感じさせぬ鈴を転がすような声が自身の耳から脳へと届く。
ここは何処だ、何故ここにいる。そんな疑問を浮かべるより先にこれは夢だと一人納得して寝転ぶも、朽ちた元ベッドは衝撃に耐えられず崩れそのまま落下し頭を床に打ちつけた。
鈍い痛みに悶絶すること暫し、頭を押さえ立ち上がる。後頭部がズキズキとこれは夢ではないぞと訴えかけていた。
改めて周囲を見ると部屋に存在する物全てが埃を被り真っ白になっている。何年経てばここまでボロボロになるのだろうと考えながら所々に穴が空いた床をゆっくりと体重をかけつつ歩き窓際へと向かえば、しっかりと外の光景を見ることができた。
一言で言えば森。それ以外に言い表しようのないほど木々が並んでいるのがわかる。
「なんだここ…」
あいも変わらず口から出る声は女性のものであり、いよいよ訳がわからない。ぽりぽりと後頭部を指先で掻きながら自分が何者であるかを考える。
名前は山崎恵。年齢は58で定年も近付き老後についてやや考えていた。勤務先は工場であり、ある程度の役職にも就いていた。上からも下からも「めぐちゃん」と呼ばれそこそこ充実していたのではないかと思う。
思考が落ち着いたところで改めて下を見る。明らかに性別が違う。服どころか下着すら身に付けていないため自分の体であったとしても目のやり場に困る。
視線を部屋に戻せば扉が一つあるのに気付く。床が抜けないよう気を付け家を探索しいくつか気になる物を見つけた。
まず一つ。朽ちたクローゼットの中から出てきたローブだ。黒い生地に金色の刺繍が目立つそれはこの家とはまるで状態が違い新品同様で保管されていた。流石に全裸でいつまでも過ごす訳にはいかないので拝借して身に付けた。
次に朽ちた安楽椅子に座る白骨化した誰かの死体。恐らくこの家の持ち主であろうことは容易に想像できる。
最後に分厚い本。革の表紙に金属の金具。手に持てばかなりの重量があり思わず両手に持ち替えるほどであった。埃を被っていたが手で払えば細かな傷は付いているものの良い状態であることがわかる。
表紙に大きく書かれた文字は日本語でも英語でもなく見知らぬ言語ではあったが確かに「日記」と書かれているのを理解していた。
不思議に思いつつも日記を開けばやはり見知らぬ文字の羅列。しかし意味は脳が勝手に理解してくれる。
何ページあるかも分からないので読むのは後回しにして恵は外に出ていた。雨上がりなのか所々に水溜りがありむせ返るような土や草木の匂いが鼻を刺激した。
靴も無くやむを得ず裸足のまま水溜りに歩み寄り覗き込む。そこに映り込むのはアニメやゲームの世界から飛び出したのかと思うような可憐な少女。日差しを浴び輝く金髪に新緑を思わせる緑の瞳。特筆すべきは明らかに人とは違う形状の長く尖った耳だろう。
エルフだ…と、感動しながら色々な表情をしてみせると映り込む少女はその通りに表情を変えていた。
気温は決して低くないもののローブの隙間から入る微かな風が素肌を撫で落ち着かない。衣類に関しては他にも探したが何処にも無く何処かで調達しなければならないなと考える。
今後の行動について考えると悪い想像もいくらかしてしまうが、この状況が夢でなければ生き抜く事が絶対条件なので恵は一先ず食糧問題を解決するべく散策を始めた。
◆◆◆
数日が経過した。日記の内容によるとこの土地の持ち主はセレスト・リントンというエルフであるらしい。そして家にあったあの死体はそのセレスト本人であるようだ。
日記によりいくつかわかった事がある。まず現在地について。彼女はこの土地を『楽園』と呼んでいた。元々は森であったが小さな泉があり周辺に食用可能な植物が多数存在していたことからこの場所を開発し終の住処としたようだ。
泉は枯れておらず家の裏手に存在していた。記述の通りであればその周囲の木々の殆どは果樹であるらしく一年を通し様々な果実を楽しめるそうだ。
今の季節が春なのか秋なのかは不明だがリンゴのような見た目と食感をする薄めたみかんの味がする果実でこの数日を乗り切っていた。
この森だが、実はかなり危険な場所であるらしい。家を中心にある程度の範囲はセレストにより強力な魔法の障壁が張られており、その範囲内であれば『魔物』や『魔獣』に襲われる事はまずない。
障壁は空気中の『魔素』と呼ばれるエネルギーのような物を吸収し勝手に維持し続けるられるようだ。
目を覚ました家にも劣化防止の魔法が掛けられていたようでセレストの記述によれば「1000年は新築だ!」だそうだ。つまりセレストの死から1000年以上が経過している。
途方もない年月を前に自分の58年という人生は実はかなりちっぽけな物なのではと錯覚してしまう。
それはさておき。
今後の方針の一つとして今後この世界で過ごすにあたり恵という名前を捨て『メグ』と名乗ることにした。元の世界で「めぐちゃん」と呼ばれていた為抵抗も少なそうだと感じた為だ。
そして数日の間で自分の肉体についてある程度調べた。まず年齢だが、見た目では全く分からないが成人すらしていない少女なのではないかと考えている。具体的に言えば15歳程度。筋力は恐らく一般的な少女と変わらないもので魔法も使えない。唯一足の速さだけは一般的なものからかなり離れているように感じた。
もし足が速ければいざ魔物に出会ったという時に咄嗟に逃げられるかもしれない。体力もそこそこにある為生存率はある程度稼げるのではないかと考えている。
家の庭にやけに豪華な装飾が施された箱がありその中に黒い弓が保管されていた。弦はすでに張られており、試しに引こうとしたがピクリとも動かなかった。
少しの劣化も感じさせないこの弓についても日記に書かれていた。曰く、「とても丈夫で殴るのにも使える」らしい。
弓を手に持ちセレストの死体の前で深々とお辞儀をする。
「有効活用させていただきます」
この場所を最初に見つけた人にこの場所にある物を全て譲るつもりであったセレスト。何故自分がこの場にいるのかメグには分からなかったし、自力で見つけたのかと言われると微妙ではあるが荒らされた形跡もないこの場所で目覚めた自分が最初の発見者であると信じ弓を拝借することにした。
しばらく鈍器として扱うが、今後過ごす中である程度の筋力を付けいつかは引けるようになればいいなと思う。